第十五話 往復書簡
三日間続いた建国祭の宴は幕を下ろし、貴族たちは領地へ戻っていった。アイリスは先に出た父母を追いかける形で領地に向かう。10月の初め、北に向かうにつれて、季節は秋の終わりを感じさせる。
王都の北、ひとつ他領を挟んだところにグランヴィル公爵領はある。馬車で七日の距離だ。冬は雪に閉ざされ、豊かとは言い難い土地柄、発達したのは玉と魔石の産出と加工だ。魔石の近くには魔力が溜まると言われるせいか、我が国生まれの魔術師の3割近くを輩出している。
アイリスは領地でも、やはり別邸で過ごしていた。己の為に長い年月をかけて整えた空間は、この世で一番安らげる場所だ。次期公爵としての執務、日課としている鍛錬を終えて部屋に戻ると、上手く吐きだせなかった息が、ようやく吐き出せる気がする。肖像画や壺が飾られた廊下よりも遥かに物が少ない部屋が私室だなんて、笑える話だけれど。
青い薔薇と魔道具を仕舞い込んだ箱をなぞり、アイリスは嘆息する。こちらに来てから何度、この箱を眺めたことだろう。
高々8か月だ。1年を共にしたわけでもなく、月に一度の手紙が週に一度に、今までなかったお茶会が月に一度になっただけだというのに。この寂寥感はどうしたことだろう。己の感情がままならぬことが苛立たしく——そして、嬉しかった。
アイリスは真っ新な便箋を眺める。
もう、レイは領地に着いただろうか。休んでいるのだろうか。それとも、もう南へ発っただろうか。
初めの一文が書き出せないまま、時間だけが過ぎていく。手紙ひとつにこれほど時間をかけたことが、かつてあっただろうか。出会う前の手紙は、いとも容易く書けたのに。
コンコン。
ふと、目の前で窓を叩く音がした。ここが二階であるにも関わらず。アイリスが怪訝に思って顔を上げると、奇妙に光る鳥と目があった。アイリスは窓の外を見渡した。人払いは済ませているから、室内にはいないが——外も、いないようだ。僅かばかり安堵して、アイリスは窓を開ける。鳥は足に手紙を括りつけていた。アイリスが手紙を外すと、一声もあげることなく、空中に溶けていく。
アイリスは手紙の蝋を切った。見慣れた文字が瞳に映った。
アイリス=ヴィオレーヌ・ディア・グランヴィル様
建国祭が終わって初めて手紙を差し上げます。魔術の鳥を使ってのお渡しは非礼かと思いましたが、早く手紙を届けたかったのでこのようにいたしました。ご不快であれば、以後早馬を使うことにいたします。
私はヴィノグラード領で束の間の休暇を与えられております。この手紙がアイリスの元に届くころには、魔術師組合の会合に顔を出すため、南へ発っていることでしょう。ヴィノグラード領も会合の地も、暖かく過ごしやすいですが、月に一度の楽しみがなくなってしまい、残念でなりません。
アイリスは、領地で如何お過ごしでしょうか。グランヴィル領は北の寒い土地、体調にはどうぞお気をつけください。
レイ=ウィンストン・サザーランド
アイリスは二度、手紙を読んだ。一度目は早く、二度目はゆっくりと、文字をなぞるように。
己の顔に笑みが浮かべられていることに、アイリスは気づかなかった。アイリスは手紙を机のわきに置き、羽根ペンを手に取った。
レイ=ウィンストン・サザーランド様
お手紙をありがとうございます。このような魔術もあるのですね。わたくしからの手紙は早馬でしか届けられないことが残念でなりません。
魔術師組合の会合は、とても忙しく、大変な会議であると聞き及んでおります。大事なお役目とは存じますが、どうかご無理はなさらず、お体を大切にしてください。
グランヴィル領は間もなく秋が終わろうとしています。初雪が降るのも、そう遠くないことでしょう。わたくしは小公爵としての執務に追われております。あなたの隣に恥じることなく並べるように、精進いたします。
あなたに会えないのが、寂しい。
アイリスはその文を書くか暫し悩み、結局書かずに名前を書き、蝋をした。
窓の外の空は暗い。次の手紙が来る頃には、雪が降り始めているだろう。
***
アイリスの予想通り、次の手紙は初雪が降った後——11月の初めに届けられた。部屋に入ると魔術の鳥が我が物顔で机に乗っていたので、アイリスは聊か面食らった。雪が降っていたので濡れていないか心配したが、防水加工でもしてあるのか手紙の文字は全く染みていなかった。
「――あら、今回は消えないのかしら」
鳥は答えず、硝子玉のような目でアイリスを眺めている。アイリスは一先ず鳥をそのままに、手紙を読み始めた。
アイリス=ヴィオレーヌ・ディア・グランヴィル様
この手紙が届くころには、グランヴィル領は冬になっているでしょうか。体調にお変わりありませんか。
魔術の鳥を改善してみました。手紙を渡し、受け取ったら帰るようにと命じてあります。2、3日は消えないと思いますので、鳥がお邪魔になるときは、ベッドの下やクローゼットの中など、目につかぬところにお仕舞ください。
私は会合の地に到着しました。偉大な魔術師の方々に囲まれ、学びの日々を過ごしております。
こちらからは、鳥を飛ばしても5日はかかってしまうでしょう。あなたに会いに行けたら良いのですが、なかなか転移魔術は難しく、小さな物を短距離動かすのが精一杯です。転移魔術の第一人者、流転の魔術師様がおいでですので、ご指導を乞うております。出来る限り早く習得したいものです。
アイリスに冬の女神の祝福がありますことを祈っております。
レイ=ウィンストン・サザーランド
「......あなたの創造主は、ほんとうにすごい方ね」
鳥は答えない。
転移魔術というのは、魔術師の中でも扱える者が両手で数えられるという最高難度の魔術だと聞く。もしもそれを広範囲で使える者がいたら、戦争や物流に大きな影響を与えるだろう。そんな魔術を習得する、と断言できるレイは、やはり只者ではない。
——私も、あなたに会いたい。あなたの声を、聴きたい。
声にはできない願いが、静かにアイリスの中に侵蝕していく。
手紙はそれからも、月に三度の頻度で交わされた。11月は終わり、いよいよグランヴィル領の寒さは厳しいものになる。
——年の暮れ、アイリスの誕生日が、近づいてきていた。




