第十三話 王妃の矜持
国王の静養とそれに伴う退位、新年での新王即位は貴族議会で速やかに可決された。
王太子から報告を聞き、王妃ウィレミナは口元を緩めた。
「――苦労をかけましたね、王太子」
「勿体ないお言葉でございます」
国王の生母は隣国・リヴィアの王女であり、王妃の生家も、子がない国王に味方しなかった。国内に強い後ろ盾がなかったのが、国王の不運であろう。
「王太子。そなたはもはや、この国の頂点にあります。この国の民はすべてあなたの子。子らを慈しみ育てることが、そなたの責務であると心得なさい」
「王妃殿下のお言葉、心に刻みます」
王太子は深々と頭を下げた。艶やかな金の髪が肩を滑り、垂れる。
「わらわはあなたが即位したらすぐに、国王陛下の静養地に向かいます」
「殿下」
「わらわの身分を利用し、直系ではないそなたに対抗しようとする者がいないとは限りません」
実際に、王太子を害そうという企みは何回もあった。ウィレミナに話が持ち掛けられたこともある。勿論、速やかに粛清したが。
「この数か月、そなたの仕事ぶりを見てきましたが、何ら不安なところはありませんでした。そなたにならば、安心して国を任せられる」
「私はまだ若輩者に過ぎません」
「弱音を吐くことは許しませんよ、王太子。すべての王侯貴族は国の為存在する——他ならぬそなたの妹が言ったことですよ、これは」
王太子は意表を突かれたように目を見開いた。整いすぎた容貌も、そうしていると可愛らしく見える。
ウィレミナは扇を口元にあて、窓の向こうを眺めた。季節は秋、葉は色づき、社交界も終わろうとしている。
「――王太子。本音を言えば、わらわは疲れたのです」
国王の——時の王太子の婚約者に選ばれたのは、ウィレミナがまだ5つの時だった。次期王妃としての教育に加え、2つ年下の王太子には知恵遅れの兆しがあったため、本来ならば必要でない帝王学さえも学んだ。
すべては国のため。王家のため。
ウィレミナは己に課せられた重責を受け入れ、粛々と日々を過ごしていた。
——しかし、そんなウィレミナと王太子の関係は、決して良好と言えなかった。
時の王妃——既に亡くなった国王の母は、遅くに生まれた息子を鍾愛した。時の王の逝去を受け僅か9歳で王として即位したにも関わらず、王としての責務を知るよりも、ただ健やかに育つことを望んだ。
結果として国王は、自由奔放に育った。骨の髄まで国の為を叩きこまれたウィレミナにとって、その挙動には受け入れがたいものがあった。
不仲とは言わない。けれど仲がいいとも言い難い。そんな関係のままふたりは結婚し、そうして9年が経った。女性遍歴から、国王に種がないということは明らかであったが、責められるのはいつだってウィレミナだ。家族には嫌味を言われ、貴族には石女と謗られ、国王の癇癪を宥め、愛妾の世話をし——誰も頼れる者などいなかった。ウィレミナはいつだってひとりで、そのまま朽ちていくのだろうと思っていた。それ以外の生き方をすることを、とうに諦めていた。
——王妃殿下。どうかお休みください。
国の為にと迎え入れた義理の甥は、ウィレミナをいつだって気遣った。それは直系でない王太子の配慮であると分かってはいたが、誰一人として味方のいない王宮で、それは確かな救いであった。だからこそ、アーネット夫人が懐妊したと知ったとき、ウィレミナは初めて、それ以外の生き方を思い描くことが出来たのだ。
「そなたと共に過ごした時間は短いものでした。しかし、その短い時間にわらわは救われ、新たな生き方を夢見た。まだ若いそなたにすべてを託すのは酷でありましょう。しかし、そなたには味方がいる。少なくとも、わらわがそうなのですから」
僅かな沈黙の後、王太子は深々と頭を下げる。
「短い間ではありましたが、王妃殿下にご指導いただきましたこと、決して忘れません。妃殿下が護り育んだこの国を、より繁栄させてみせます。また——王妃殿下の新たな道に幸いが訪れますことを、心よりお祈り申し上げております
ウィレミナは微笑んだ。この若者ならば、大丈夫だ。
「――ええ。ありがとう、王太子」
結局一度も、王太子の名前を呼ばなかった。
ウィレミナは金色の旋毛を眺め、思う。やはり自分は、家族というものに向いていないのだろう。それでいい。すべてを捨てて、国に仕えた。それがウィレミナには似合っている。
「――国を、頼みましたよ」
王太子はただ頭を下げ続ける。




