表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を殺す、婚約者〈完結〉  作者: 伊沙羽 璃衣


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/40

第十一話 この世の春

時はアイリスが王妃と面会した日まで遡る。王宮の一画、高級品が所狭しと置かれた華美な部屋で、女がひとり声を荒げていた。人払いを済ませた部屋には、侍女がひとり控えているばかりである。


「あぁもう、なんなのよ、なんなのよっ!」

「夫人、落ち着いてくださいませ」

「落ち着けって言うの!? 忌々しいアルビノのバケモノに馬鹿にされたのよ!?」


アーネット伯爵夫人はパウエル子爵夫人を睨みつけた。


「夫人、そのようなことを言ってはなりません。たとえ事実であっても、あの娘はこの国唯一の公女なのです」

「たまたま公爵の娘に生まれただけじゃない!」

「今暫しのご辛抱でございます。すぐに、誰もがあなた様に跪く時が来ます」

「……そう、ね」


アーネット伯爵夫人は大きく息を吐いて、僅かばかり膨らみ始めた腹を撫でた。


「その為に、5年も我慢したんだから」


舞台女優だったアーネット伯爵夫人が、お忍びで舞台を見ていた国王に見初められたのは5年前。一年かけて愛妾の座を掴み、好きでもない男の上で腰を振り続けたのに、4年経っても子が出来なかった。否、国王と関係を持って懐妊した者は、誰ひとりとしていなかったのだ。


「ようやく、ようやくよ」


――あいつに種がないせいで、随分手こずらされたんだから。

他人の子とも知らず、愚かな国王は飛び上がって喜び、宝石やアクセサリーや領地をくれた。けれど、それでは物足りない。


「あたしは王の母になるのよ。誰もが、あたしに跪く……王妃も、公女もよ」


アーネット伯爵夫人は己の腹を見下ろし、笑みを浮かべた。


「――あぁ、早く生まれてきてちょうだい」




***




「ふむ、これがいいか、それともこっちがいいか……」

「陛下」

「うーむ、いややはりこっちの方が……なんだ」

「家臣たちが朝議に出て欲しいと嘆願を送ってきております」

「放っておけ! 余は我が子のことで忙しい!」


国王の侍従は溜息を飲み込んだ。その視線の先で、国王は生まれてくる子供の産着をどれにしようかと悩んでいる。

国王の愛妾・アーネット伯爵夫人が懐妊してひと月。国王は狂喜乱舞し、政務を疎かにし始めた。朝議にも出ず、未来の王たる我が子の為に、揺籃(ゆりかご)や産着、果ては教師の選定まで行っている。その発言は正教を敵に回すと諫めても、聞く耳を持ちはしない。何度も嗜めた侍従に至っては、気に入らぬからと他所の部署に飛ばされてしまった。

――ほんとうに陛下の御子かも定かでないというのに。

国王が初めて侍女に手を出したのは、国王が13歳の頃だ。それから13年、好色な王は王妃のみならず多くの女性と関係を持ったが、誰ひとりとして懐妊した試しがない。子を作る能力がないのだろう、と5年前から言われていたのだ。今更子が出来たと聞いても、信じ難い。或いは国王自身も、自分は子を作れるのだと証する為に、この話を信じているのかもしれなかった。


「うむ。やはりこれだな! 息子にはこれが相応しい!」


ようやく満足のいく産着を見つけたらしい。ホクホク顔で産着を抱いて、国王は意気揚々と部屋を出ていく。行く先は聞くまでもなかった。


「陛下! 今日もいらしてくれたのですね!」

「あぁ。クララは今日もかわいいな」

「やだ、陛下ったら」


アーネット伯爵夫人は恥ずかしそうに顔を赤らめる。国王の前でだけ見せるアーネット夫人の気弱な顔に、国王はすっかり参っているらしかった。


「おおそうだ、今日は吾子(あこ)のために産着を持ってきたのだ!」

「まぁ、陛下ったらお気が早い」

「うむ、教師の選定も行っておるぞ。我が血を引く未来の王、立派に育てなければならぬからな!」

「まぁ、吾子のことをそんなに考えてくださるなんて、クララ、とても嬉しいですわ」


瞳を潤ませ、アーネット夫人は国王にしがみついた。身長差的に、国王を見上げる形になる。国王はごくりと唾を飲み込んだ。


「これ、離れんか。身重なのだぞ」

「きゃっ、ごめんなさい。陛下がかっこよくていらっしゃるから、つい……」

()いことを言うではないか」


国王の眦は下がり切り、締まりのない顔をしている。侍従は心の中で溜息をついた。

――王太子殿下を見習っていただきたい。

先立って立太子された国王の甥は、慣れないながらも精力的に働いている。現在も国王に代わり政務をこなしている頃だろう。

粛清を恐れ、もはや誰も諫めはしない。ただ溜息ばかりが募っていく。




***




「この書類は決済した。財務省に持っていってくれ」

「も、もうですか」

「あぁ。急ぎなのだろう?」

「あ、ありがとうございます!」


新人の官吏が目に涙を浮かべ、書類の山を抱えて飛び出して行く。

セオドリックはそれを見送り、深く椅子に腰掛けた。その顔からは、先程まで浮かべられていた笑みが抜け落ちている。


「……お疲れ様です、殿下」

「あぁ」


短く言って、セオドリックは差し出された紅茶を飲み干した。朝から紅茶を二杯しか飲んでいない。それもこれも、王が執務を放棄しているせいだ。

さっさと退位してほしい――セオドリックは心の底から思う。


「……裁判の手続きはまだかかりそうか」

「ええ。何分、王家絡みですので」

「面倒な……」


セオドリックは端麗な顔に苛立ちを滲ませた。


「……貴族たちの反応は」

「概ね予想通りです。アーネット派が揉み消そうとしておりますが、悉く失敗しています」

「だろうな」


アーネット夫人は密通の末に子を宿した。

今、社交界でまことしやかに囁かれている噂である。勿論流したのはセオドリックだ。しかしすぐにそれが広まったのも、多くの者が信じたのも、本人の挙動が原因である。


「裁判の前には平民の間にも広がるでしょう」

「それはいい。劇にでもしておけ」

「そのように」


従者が恭しく頭を下げて部屋を出て行く。ひとりになった部屋で、セオドリックは深々と溜息を吐いた。


「……王、か」


呟いた瞬間、鳥肌が立った。

――どうして、私に許されなかったものが、お前には許されるのかしら。

足が地面から浮く感覚。じわじわと首を絞められ、息が出来なくなり、狭窄する視界。その視界の中で唯一暗く輝く、黄金の瞳。すべてが鮮やかに甦り、セオドリックは首を押さえた。額に汗が滲み、呼吸が浅くなる。深呼吸を繰り返し、息を整えた。


「……儘ならぬ、ものだな」


望んだことは、一度もない。それでもこの手に転がり込んできた。

渇望し、足掻き、それでも手に入れられなかった母とは対照的に。

恨まれても、仕方ないのかもしれない。けれど、愛してほしかった。名前を呼び、頭を撫でてほしかった。

セオドリックは天井を見上げる。ふと、白い髪に赤い瞳を持つ妹の姿が浮かんだ。忌まわしい色彩を持つばかりに、周囲から嫌厭(けんえん)される哀れな子。

王嗣の座を突きつけられた時、あの子は、何を思うのだろうか。絶望するだろうか。セオドリックのように。或いは淡い期待を抱くのだろうか。この国の頂点の座が自分の身に降ってくることはありえない、と。

話がしたい、と思った。話したことなど数えるほどしかないし、今更過ぎる気はするが。

きっと、あの絶望を知っているのは、あの子だけであろうと思うから。


「――殿下? どちらへ?」


立ち上がった時、ちょうど侍従が戻ってきた。セオドリックは笑む。


「――少し、休憩をな。二時間ほど、いいか?」

「勿論でございます。本日の夜までの予定を調整しておきます」

「ありがとう」


セオドリックは頷いて、王宮を飛び出した。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ