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序 私を殺す、婚約者

婚約者が2日ほど離れから出て来ていない――そんな報告を受けて、アイリスは食べ物を詰めたバスケットを片手に、侯爵邸に来ていた。取っ手に手を伸ばしたアイリスの目の前で、扉が内側に向けて倒れていく。


「――今度は何をしているの」


一瞬にして開放的になった部屋、その中央に佇む人影こそが、アイリスの婚約者――レイ=ウィンストン・サザーランドだ。その傍らには奇妙に歪んだ何かがある。何かとしか形容しようがない。黄色や赤、青、緑、全ての色が混じりながら渦を巻いている。黒に染まらないそれは、空間の歪みだと聞く。何度か見た。この部屋で、私室で、或いはお忍びデートの先で。

レイは視線を地面に落としたまま、淡々と告げる。


「転移の術式を、魔導具に刻もうとしていたのだが。空間の歪みの予測を、間違えたらしい」

「なるほど」


レイは瓦礫の山の中で微動だにしなかったが、程なくして、卓上の紙とペンを手元に招き、何かを書き込む。


「待たせてすまない。何か用だろうか」


アイリスは答えず、瓦礫の山を踏み越えて、レイに近付く。バスケットの中からサンドイッチをひとつ取り、レイの口元に差し出す。レイは躊躇わず、サンドイッチを齧る。瞬きの間に、瓦礫が元通りに収まっていった。


「ご飯にしましょう—―お茶を淹れてくださる?」

「あぁ」


散らばっていた紙が、ひとりでに机の上に並べられていく。バスケットを窓際のテーブルに置いて、アイリスはお茶を淹れる婚約者の後ろ姿を眺めた。


「わたくしを殺すのは、いつになるのかしら」

「……まもなくだ」


139回目の『まもなく』がいつになるのか、アイリスもレイも、まだ知らない。


***



悪魔公女と呼ばれるアイリスと、魔王と呼ばれるレイの婚約が結ばれたのは、4年前に遡る。

国王夫妻は永らく子に恵まれず、国王の甥にあたるアイリスの兄が立太子される運びとなった。繰り上がってアイリスが次期公爵に内定し、婿を取る必要が生じたのだ。アイリスが領地にいるため、顔を合わせることもなく婚約は決定した。


――この度は婚約の申し出をお受けくださり、誠に嬉しく思います。グランヴィル公爵が一女、アイリス=ヴィオレーヌ・ディア・グランヴィルと申します。以後、よろしくお願いいたします。

――ヴィノグラード侯爵が次男、レイ=ウィンストン・サザーランドと申します。この度は新たな縁を結べましたこと、誠に嬉しく思います。よろしくお願い申し上げます。


初めての手紙に記したのはそれだけ。それからも文量は増えることはなく、月に一度の手紙のやりとりで世間話以上の話をすることはなかった。好きなものも趣味も、一度として文に記されることはなかった。

初めての顔合わせを迎えたのは1年後、アイリスが14、レイが16になる年だ。アイリスの兄が立太子式をあげるため、アイリスは暫く王都に滞在することになった。


「……初めてお会いいたします」

「お会いできたこと、光栄に思います」


初めての顔合わせの際、それ以上の会話はなかった。沈黙の中で何杯の紅茶を飲んだのか、アイリスは覚えていない。初顔合わせとしては異例なほど、早く帰ったことは確かだ。

共に王都にいたが、双方忙しく、手紙は週に一度、お茶会は月に一度。手紙は短く、お茶会での沈黙は長かった。


「ようこそお越しくださいました、公女さま」

「お出迎えいただきありがとうございます、サザーランド様」


月に一度のお茶会はグランヴィル公爵邸とヴィノグラード侯爵邸で交互に行われる。今回は、アイリスが侯爵邸に足を運んだ。


「立太子式も、間もなくですね」

「はい――婚約発表は、荒れるでしょうね」


二人の婚約は、立太子式の後の宴で発表される予定だった。


「仕方ありません。差別の風潮は、未だ残っておりますから」

「サザーランド様にも、負担をおかけしてしまうことでしょう」

「承知の上です」


白い髪に赤い瞳。アルビノと呼ばれる人々は、かつて迫害の対象だった。今では大っぴらに迫害されてはいないが、後ろ指を指されることが多い。そのため、公女であるアイリスも、人目から隠すように育てられた。


「だからこそ、私が選ばれたのでしょう」


アイリスは目を伏せた。

レイの言う通り、同年代で随一の魔術師をアイリスの婚約者に選んだ理由のひとつには、護衛という名目があった。


「魔術に頼りきりになってはならぬ、と剣も習っておりますが、あまり腕には期待しない方がいい、と父に要らぬ太鼓判を押されております」

「サザーランド様が魔術を行使できない時など、滅多にないことでしょう」

「油断大敵と申しますから」

「……そうですね」


アイリスはティーカップを置いて、手袋に覆われた己の手を見つめた。この手袋の下の手は、あまり綺麗とは言えない。手の胼胝(たこ)が潰れるほどに鍛錬した弊害だ。忠実な公爵家の騎士は、アルビノに忠誠を誓わなかったから。


「……サザーランド様が魔術を使わずに済むのならば、それが一番でしょう」

「そうですね」


沈黙が落ちる。あと何杯、紅茶を飲んだら帰ろうか。


「近く、街で祭りが開かれるそうです」


唐突な言葉に、アイリスは意を図りかねながらも相槌を打った。


「何の祭りでしょう」

「冬が終わり、春の訪れを祝う祭りだとか」

「左様ですか」

「宜しければ、祭りの日、一緒に街に降りませんか」


ぱちくりと、アイリスは赤い瞳を瞬いた。互いの家の行き来、世間話、それ以上のことは、存在しなかった。


「……閣下にお願いしてみましょう」

「ありがとう存じます」


あっさり公爵()の許可は降りて、アイリスとレイは祭りの日に街に降りた。目立つ白の髪を鬘で隠し、赤い瞳が目立たぬように、分厚い眼鏡をかけた。レイも同じように変装していたが、美しさは隠し切れなかったようで、何度か女性に声を掛けられていた。


「御手をお借りしても宜しいですか?」

「構いません」


アイリスはレイと手を繋いだ。女性たちの嫉妬の眼差しがアイリスに注がれる。


「そろそろ、不細工に見える魔法を考えようと思います。それか、全世界の人を美しくしてしまうか」

「大変なことになりますね。歓楽街が役割をなくしてしまう」

「貴女の顔が大衆に埋没するのは、婚約者として喜ばしいことですが」


アイリスは首を傾げた。不細工だと貶されているのだろうか。


「先程から何度か、貴女に声をかけようとしている男がおりましたよ」

「勘違いでしょう」

「貴女は美しいですから」


美しいはずがない。この忌まわしい色彩を持つ限り、その形容詞がアイリスに向けられる日は来ない。

なのに何故、レイはこんなことを言うのだろう。アイリスは強く握られた手に視線を落とした。

祭りだからだろうか、随分と人が多かった。恋人という設定で、流行りの料理店に行ったり、大衆劇を観た。ひっそりと影と護衛はついてきていたが、大っぴらではなかった。

夜には花火が行われた。背丈の小さいアイリスが見やすいようにと、どこからかレイが台を取ってきた。横を見ると、レイと頭の位置がほぼ同じである。いつもと違う角度に、アイリスは背中がむずむずする感覚を覚えた。


「……公女さま。どうかこのままお聞きください」


花火と人々の歓声で、耳元で囁かれる言葉すらも聞き取りにくかった。


「私は、いつかあなたを殺します」

「左様ですか」

「……何もお聞きにならないのでしょうか」


アイリスは少し首を傾げた。夜空に色とりどりの花が咲いているのを眺める。


「わたくしを殺すのは、いつ頃になりますでしょうか」


長い沈黙の後で、まもなく、とだけ返答があった。同じ方向を向いて花火を見ていたので、その時レイがどんな顔をしていたかは、分からなかった。

これが、1回目の『まもなく』であった。






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