傾聴の通り
夜闇市に辿り着いた隈と私。
暗闇の先に響いた声に耳を傾ければ、おぞましい叫び声。
視界を失う夜闇の中、その門は嗤っていた。
「夜闇市」の名を掲げる大門は、市の喧騒を称えてそこに立っている。隈がぼそりと呟いた。
「さぁ、門をくぐりましょう。『傾聴の通り』が貴方を迎えます」
「傾聴の通り?」
「文字通りです。何も見えないからただ耳を傾ける。溢れる喧騒から聞き出した声を頼りに店を巡るんです」
私は耳を澄ます。暗闇の中に無数の声が犇めいていた。呪詛、酔っ払いの歌声、優しい囁きに、虫の鳴き声。その中に1点の叫び声。
「今の叫びはなんだ」
叫び声は私の耳にこびり付いて離れない。女の物にも男の物にも、怪物のそれにも聞こえる叫びが騒ぎの中に何度も何度もこだましていた。おぞましいそれに、肌が粟立った。
驚きと共に振り返ると隈はきょとんと首を傾げる。まるで聞こえなかったかのように。
「叫び?貴方は叫びを聞いたのですか?」
「あぁ、無視できない、断末魔のような叫びが聞こえた」
隈はくすりと笑った。そして、暗闇を呑んだような黒く澄んだ目を開いて、慌てふためく友人に演技めいた口調で語り掛けた。
「あぁ、私の貴方。正義感の強い貴方。ならば、その叫びを探してこの暗闇を往きましょうよ。貴方の探すものが必ず、必ずそこに」
私は彼の言葉に苛立ちを覚えて、少し語気を強くする。
「店とか探し物とかじゃないだろ、叫びの主が心配だとは思わないのか」
「大丈夫、夜闇市はおかしい場所ですが決して危険じゃない。その盲目な正義感も、欲しいものを渇望する気持ちも、どっちも強くお持ちください。ささ、叫び声の主を探しに参りましょう」
そう言って隈が歩き出す。私は何の感情も御しきれないままに隈の後ろを歩き出した。
闇の中に彼の背。その背中が、あのお調子者の背には見えなかった。黒いワイシャツが闇に溶けて、輪郭だけが浮かんでいる。その輪郭の左右から伸びる黒が、彼を大きな翼を持つ悪魔のように見せた。
そんな妄想を振りほどいて、隈は隈だと、3年間連れ添った友人のそれだと信じ込む。
傾聴の通り。その暗闇から、全ての喧騒が溢れ出し、その中に鮮明に叫び声が響き続けている。目はきっと、ここでは役立たずの代物だ。信じてはならないのだ。
「お、私にも聞こえましたよ、叫び。近いようですね」
隈が指を指す先に一層濃い叫びが響き渡った。叫びの果て、やはり闇。一歩進めば、匣の前。建物だ。
四方を黒い布で囲まれた異様な匣。 その先からまた叫び声が漏れ出した。暗室をまんま施設から切り出したようなそれの中、布の先に隈は歩を進める。
「あぁ、ここでしたか、貴方が最初に呼ばれたのは」
赤い札の貼られた引き戸を開けば、久々の光が灼くように私の目に入り込む。
光に眩む頭の中、囁くような店主の声が、叫びと共に明瞭に響き渡った。
「見慣れぬ御方とお馴染みの隈の方。ようこそ、我が『叫び屋 閉じ幕』へ」