見せたい私と、見せたくない本音
ハコ「やや騒がしい感じの集合住宅、か……」
集合ポストの名前シールに「花椿」の二文字が手書きで貼られていた。
その手前には、ワンポイントで星のシールも。
……ツバキ、こんなとこにもセンス出してんのか。
ピンポーン。
インターホンを押してから、5秒も経たずにドアが勢いよく開いた。
「いらっしゃいハコ~! 食事にする? お、お風呂にする? そ・れ……と……っ……」
最後の語尾は、見る見るうちに顔が真っ赤になって、しぼんでいった。
「……ツバキ。誰の入り知恵だ、それ」
「あ、いや、その……誰ってわけじゃないけど……ちょっと、悪ノリで?」
「……そういうのはやめとけ。自爆してたら、意味ないだろ」
俺が苦笑交じりに言うと、ツバキは「はうっ」と小さな声を出して、目線を逸らした。
「……うん、そだね。ありがと」
靴を脱いで中へ上がると、廊下には懐かしい感じの芳香剤の香り。
ちょっと強めの洗剤の匂いも混ざってて、生活感がある。
「いきなり失敗しちゃったなぁ~」と照れ笑いするツバキに、俺は肩をすくめながら言った。
「いいよ、いつも通りの方が落ち着く。
ツバキはツバキらしくしてくれた方が、こっちも助かるって」
「……へへ、じゃあ、いつも通りで」
ツバキはドアノブを握り、振り向いて笑った。
「遠慮しないで、ハコ。先入って~」
「おじゃまします」
そう言ってドアを開けた瞬間――
「…………」
俺は、固まった。
「……どした?」
ツバキも俺の後ろから部屋を覗き込み――次の瞬間。
「――あっ」
小さく叫んで、自分の頭を抱えた。
室内にずらりと並ぶのは、
何種類もの下着のセット。
室内にずらりと並ぶのは、何種類もの下着のセット。
レース付き、スポーティ系、子供っぽい花柄……横にはメモ書きまである。
『こどもっぽすぎ?』『無難すぎ?』『ハコは好きだろうか?』
俺は咳払いして、静かに言った。
「……片付け途中だったか、ごめんな。廊下で待ってるわ」
部屋を出てドアを閉めると、ツバキの声が扉越しにかすかに聞こえた。
「……あのさ、ハコって、男の子……だよね?」
「……まぁ、一応な」
「じゃあ、変なお願いかもなんだけど――
その……あたしのセンス、確認してもらってもいい?」
「……え?」
後ろで静かにドアの開く音が聞こえた。
「……見られて大丈夫なのか?」
俺が背を向けたままそう聞くと、ツバキは答えた。
「大丈夫じゃないかも。でも……どうしても気になってて」
「なんで俺に?」
「ほら、同性の友達とかに聞くのも……なんか恥ずかしいし……
クラブ以外での交友って、あたし少なくてさ。
その中で考えたら……ハコが一番、まともかなって……」
「まとも、ねぇ……」
苦笑しながら振り向くと、ツバキは小さく「ごめんね」と呟いて、床に座り込んだままだった。
その前には、先ほどの下着たちがきれいに並べられている。
「へぇ……ツバキのイメージと違って、けっこう大人しめで可愛い系、選んでるんだな」
「やっぱ、変かな?」
「いや、むしろ好印象。……ツバキ、元気で目立つから、“自分の見せ方”に悩んでるのか?」
「……バレてる?」
「まぁな」
ツバキは少し照れたように笑ってから、「実は最近、ちょっと胸のサイズ変わってきてさ……ブラのサイズ合わなくて苦労してんだよね」と話し始めた。
「Aだったのに、もう合わないんだよ。ちょっと嬉しいけど、地味に困る!」
「……えっと、その……Aって、何の単位なんだ?」
「え!? ハコ、それも知らないの!?」
「いや、男は普通知らないだろ……!」
「そっか。うん、それもそうか。じゃあ、参考までに言っとくと――」
と、ツバキは手でカップのサイズを示すジェスチャーをしながら解説し始める。
「つまりね、サイズってカップの容量で変わるんだけど……まぁ細かいことはいいか!」
「助かる……」
「でも、ハコもいずれ“大きくなる”と思うよ? 私のカンだけど、将来性あるし!」
「勘弁してくれ……!」
俺は小さく溜息をついた。
それからしばらく、
ツバキの“下着レビュー”と“ブラ事情”トークが繰り広げられた。
いや、男に聞かせていい話かこれ……
内心そう思いつつも、俺は頷いた。
「……大変なんだな」
「うん。……でも、聞いてもらえて嬉しい。
なんか、誰かに“女としての努力”見てもらえた気がしてさ」
その言葉は、なんとなく胸に響いた。
◇◇◇
「さてと、そろそろお風呂のタイマー鳴ったな~」
ツバキが立ち上がり、明るい声で言った。
「ハコ、先に入っていいかな? それとも一緒に入る~?」
「……無理すんな」
「即答っ!?」
俺は苦笑しながら、浴室へと向かうツバキを見送った。
ツバキが入っている間、広げられていた下着類を丁寧に畳んでまとめ直す。
シワを伸ばして、置く位置も元どおりに。
見た目以上に、こういうの几帳面にしてないと落ち着かない。
ほどなくして、浴室の扉が開いた。
「ハコ、次入る~? バトンタッチ♪」
「――え?」
俺は思わず固まった。
ツバキは、肩に引っかけたバスタオル1枚。
……いや、引っかけてるだけで、前も横もほぼ全開。
濡れた肌がしっとり光ってて、胸元の谷間もおへそも、脚の付け根のギリギリまで――
ばっちり、見えてしまった。
「ちょ、おま――服は!?」
「え? あたし風呂上がりって熱いから、しばらく服着ないんだよ~♪」
その笑顔、悪気がなさすぎる。
やけに長く感じた沈黙の2秒……たぶん。
「……あっ!」
ようやく自分の状態に気づいたツバキは、
「忘れてたっ!」と叫んで顔を真っ赤にし、バスタオルを押さえながらドアをバタンと閉めた。
――俺は、呆然としたまま、うつむいた。
「……つい、じっくり見ちまった……俺、終わったかもしんねぇ……」
視界が脳裏に焼きついて離れない。
肌の色、ライン、濡れた髪が滴る首筋――全部、鮮明に。
しかも、ツバキは俺が男だってこと、ちゃんと理解した上での無防備さ。
……むしろ、わざとじゃねぇのか?
しばらくして、ようやくパジャマを着たツバキが部屋に戻ってきた。
ただし――
「……なんでボタン全部開けてんだよ」
「え? 締めると胸が苦しくてさ~、つい」
「わざとじゃないよな?」
「わざとじゃないよ?」
にっこり笑って言うツバキは、胸元をざっくりはだけたパジャマの前を止めずに、自然体で立っていた。
下着のラインは――どこにも、見当たらない。
軽く揺れる胸元からは、そのまま肌が見えていて、視線のやり場に困る。
思わず俺は顔をそらし、ため息をついた。
「……お風呂行ってくる。現実逃避してくるわ」
「いってら~♪」
◇◇◇
風呂に浸かりながら、俺はぼんやりと天井を見上げていた。
(……男の体だったら、落ち着かなかっただろうな)
女の姿であることに、奇妙な安堵を覚える自分に、少しだけ苦笑い。
だけど――
ツバキのあの姿が、ふと脳裏に浮かぶ。
タオル1枚だけで部屋に立っていた、あの無防備な姿が。
(……あれで平気って、やっぱり感覚ズレてるよな)
そう思いつつも、心のどこかであの光景を思い出しそうになって――俺は、慌てて湯に顔を沈めた。
(……やめとけ、俺)
◇◇◇
風呂から出て部屋に戻ると、ツバキが布団を指さしてにやっと笑った。
「見て見て~! 一つの大きな布団に、枕二個!」
「……もう一組の布団は?」
「一人暮らしだから無いって言ったじゃん♪」
そう言いながら、ツバキは布団の端にしゃがみ込んで手招きしてくる。
――パジャマの前ボタンは、相変わらず全開。
しかも、下着は――つけてない。
その証拠に、しゃがんだ拍子に、胸元がふわりと揺れて視線をさらっていく。
「……おい、せめてボタンくらい留めろよ」
「え~? 苦しいんだもん、締めたくないってば~♪」
その無防備な態度に、俺はますます頭を抱える。
「……確認しとくけどさ。ツバキって、朝起きたら服脱いでたりしないよな?」
「あー、それは大丈夫! だいたいパジャマ脱いでるから♪」
「……アウトッ!」
俺は反射的に猫化して、押し入れへダッシュ。
「え、ちょ、なんで!? ハコ~! 抱かせてよぉ~!」
「お互いのための処置だよ……っ!」
襖の奥へ奥へと身を潜めながら、ようやく落ち着いた。
けれど――
(前開けっぱのパジャマから、揺れてるの目で追ってしまった。しっかり見ちまってんだよ……!)
視線をそらす相手がいない押し入れの闇の中で、俺は顔を覆った。
(……やっぱツバキって、自分の魅力に無関心なのか? いやでも、それだと気にしてるのがおかしく、でもあれは……くっ、反応するな俺、そういうの一番ダメだろ……)
布団の中、猫の姿のまま目を閉じながら、俺はまた一つ、“恋”というやつがなんなのか、わからなくなっていた。