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恋の定義と、ドキドキの正体

最初の訪問先は、保健委員ことナズナの家だった。

インターホンを押すと、ものの数秒で扉が開いた。


「ようこそ、“教育の館”へ。ハコくん専用サンプル確保完了済みです」


開口一番、笑顔でそう言い放ったナズナは、白衣を着ていた。


「いやもう“教育の館”って時点で怖いからな!? 拷問される系のネーミングだろそれ!」


「大丈夫です。倫理的配慮と観察記録は万全です」


「その発言が倫理的じゃねぇんだよ!」


部屋に上がると、整頓されすぎた室内が広がっていた。

本棚には解剖図や心理学、恋愛行動学といった本が並び、中央のローテーブルには何故か記録用の三脚カメラとメモ帳が整然と並べられている。


……この女、マジで準備してやがる。


それでも妙に可愛いクッションが一つだけ置かれているあたり、必死に“普通の女子”を演出しようとした痕跡があるのが、逆に愛しい。


「ちなみにそのクッション、今日買いました」


「即バラすんじゃねぇ!」


ナズナはまるで悪びれもせず、キッチンへ向かっていった。


「では、まずは食事です。本日のテーマは“栄養と好意の関係性”」


「まぁ、料理は愛情か……」


◇◇◇


テーブルに並んだのは、バランスの良い和洋折衷の家庭料理だった。


「これ全部ナズナが作ったのか? うまそうじゃん」


「もちろん。栄養価は各品目ごとに最適化されてます。ご飯の水加減も、ハコくんの咀嚼力に合わせて調整済みです」


「調整されてたのかよ!? 俺、そんなデータあったっけ!?」


「昨日のクラブ活動中に測定しました」


「なんかされた記憶あるけど、まさかそんな用途だったとは……」


箸をつけてみると、驚くほど味がよかった。

栄養重視かと思いきや、ちゃんとした“家庭の味”がする。


「うまいな、これ。家庭的っていうか、なんか懐かしい感じ」


俺がそう呟くと、ナズナは一瞬だけ手を止めた。


「うまいな、これ。家庭的っていうか、なんか懐かしい感じ」


俺がそう呟くと、ナズナは一瞬だけ箸の動きを止めた。


「……あの人が、好きだった味なんです」


「え?」


「昔、私が好きだった人。女の子でしたけど……」


ふと目を伏せて、ナズナは続けた。


「私、彼女と一緒に委員会で植物の世話をしていて。朝の水やりを一緒にするのが、すごく楽しみだったんです。一度だけ、指先が触れたことがあって――そのとき、心臓がバクって鳴って……あとからその子に『なんか今日、変だったね』って笑われた時、すごく恥ずかしくて、でも嬉しかったんです」


俺は黙って耳を傾けた。


「でも、いつからか“おかしい”って思われてるのを感じて、怖くなって……。だから、彼女には想いを伝えることもできなかった」


ぎゅっと、彼女は湯呑を握った。


「その子が転校するときに、最後に教えてくれたんです。“この味、好きだったな”って。だから、私はずっと、この味だけは忘れないようにしてきました」


ナズナの声は穏やかだったけど、その中に宿っていたのは、たぶん未練でも後悔でもなく――“尊重”だった。


ただ好きだった、その気持ちをちゃんと胸に抱えている、そんな感じ。

ただ、ナズナがその味を残し続けていたことが、少しだけ胸に刺さった。


そして、そんな彼女の料理を今、自分が食べていることも――


なんとなく、意味がある気がした。


食後のティータイム。


ナズナはハーブティーを淹れると、湯気が上がるティーカップを両手で包みながら、俺の顔をじっと見つめた。


「ハコくんにお願いがあります」


「……なに?」


「……私は、また“あの時の気持ち”を感じてみたいんです。胸の奥が、ぎゅっとなるような……あの瞬間を」


ティーカップがカチャリと揺れた。俺の手が震えたせいだった。

ナズナは、両手を膝の上でぎゅっと握りしめていた。


「……少しだけ、笑わずに聞いてくれますか? 私は今、“恋”という感情について――検証中です」


その声は少し震えていた。けれど、その目はまっすぐだった。


「もし、男の子であるハコくんが私に“ドキドキ”を与えられるなら、それは……」


声がかすれた。けれど、次の言葉は確かに届いた。


「……それは、きっと、“恋”なんだと思います」


見つめられて、息をするのが少しだけ苦しくなった。


「……ごめん。俺じゃ、ナズナをドキドキさせられないと思う」


視線を外したのは、彼女の真剣さに応えられない自分が、どこか情けなく感じたからかもしれない。


ナズナの肩が、ほんのわずかに揺れた。けれど彼女は、優しく笑って言った。


「違うんです。私は――ちゃんと知りたいんです。

どうして、人は異性を好きになるのか。それを、ちゃんと、感じてみたいんです」


その声が、胸に刺さった。


「……俺も、わからないことだらけだよ」


ぽつりと呟くように、俺も語り始めた。


「記憶をなくす前の俺が、本当に“男”だったかなんて、確かな証拠はない。

でも、そう“思いたい”から、今の自分をそう名乗ってる。

そう信じることで、自分の形を保ってるだけなんだ」


「……なるほど」


「でもさ、もしそれが違ってたら――もし俺が女だったら。

たまに感じるこの“ドキドキ”は、いったい何なんだろうなって」


「“わからないもの”だから、“恋”なんじゃないですか?」


「……うまいこと言うな」


「言いました」


「素直かよ」


二人で、ふっと笑い合った。

空気が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。


「でも、やっぱり――自分と向き合ってるお前は、すごいと思うよ。逃げないで、ちゃんと知ろうとしてる」


「それは……ハコくんが、そう言ってくれるから、かもしれません」


「……ナズナ」


「はい」


「もし、認めたかったら、認めていいんじゃないか。お前のその気持ちを――恋って、呼んでも」


ナズナの頬がわずかに紅く染まり、そして――


「ハコくん。私……気持ちに応えられるかわかりませんが、ニャニャニャしましょう!」


「なぜそうなるんだっ!?」


即ツッコミを入れた俺に、ナズナは平然と答えた。


「理論的には、“行為”の中で芽生える感情もあるとされていて――」


「その理論の使い方間違ってるからっ!」


「実地検証、だめですか?」


「だめだ!」


それでもナズナはにっこり微笑んだ。


「じゃあ、“その時”が来たらお願いしますね。迷走するのも、ちょっと楽しそうですし」


「……お前、ホント真面目なのか、天然なのか、わかんねぇな」


「“その答え”も、いつかきっとわかります」


そして俺は、笑った。


「……じゃあ、俺にも“ナズナのこと”教えてくれよ。たくさん知ったら、何か変わるかもしれない」


ナズナは、迷わず親指をぐっと立ててきた。


夜も更け、布団を敷いた俺たちは隣同士に並んで横になる。


部屋の明かりが落ちると、不思議と距離が近く感じた。


「……今日は、来てくれてありがとう」


「いや、こちらこそ。無事でよかった。いろんな意味でな……」


「ふふっ。なにも起きてませんよ?」


「お前が言うと安心できねぇんだって……」


俺が枕に顔を沈めてつぶやくと、隣から小さく笑い声が聞こえる。


しばらく、静寂が部屋を包んだ。


その中で、ナズナの指先がそっと俺の手の甲に触れた。


「……これは、データではありません。たぶん、気持ちです」


俺は何も言わずに、その手を受け入れた。


ただ、静かに目を閉じる。


……その直後だった。


「……ドキドキは……もう少しで……とれる……はず……」


「え?」


寝言。


完璧な発音で、寝言。


「お前、夢の中でもデータ取ろうとしてんのかよ……」


吹き出しそうになって、なんとか笑いをこらえる。


隣を見ると、ナズナはすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。


表情は穏やかで、どこか幸せそうだった。


(あいつは、きっと本気で知ろうとしてるんだな)


それが、誰かを好きになるってことでも――

自分がどんな存在かってことでも。


“あいつは、たしかに俺の知らない感情を見せてくれる”


“……それって、なんだろうな”


恋、かもしれない。


まだわからないけど。


でも、そういう風に思えたことが――

ちょっとだけ、嬉しかった。

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