4.再演 貌のない男
「俺も君も、同じだ。間違えだと知っていながら選んだ。
――君は、自分が最後まで残ったことに疑問は感じないのか?」
疑問を感じないかと聞かれてもいったいそれはどういう意味なのかミストにはさっぱりわからない。
わからないはずだ。
イグニスのその言葉はミストに気づきたくない真実を伝えるものだった。
私が最後の1人として残ったことは単なる偶然じゃないとすれば、つまり、それは必然で、何者かの意志の下、私は最後まで後回しにされたということになる。
では、何者がどういう理由でそれを望んだのか?
ミストの狭い世界のなかで、候補者は絞られる。
「…囚人の誰かが?私を…?」
「1人2人じゃない。
囚人全てが、お前を最後にしろと俺に口を揃えて願った。
あの爺さんも、声のうるさい男も、お前より小さい子供もそう言った。
彼らはお前に希望をみいだし、お前に夢を見て、彼ら自身の命さえ捧げた。
最後に残ったお前が外の世界に出ることに彼らは賭けたんだ!」
嵐の中イグニスが告げる。
視界が光で染まる。
轟音が遅れて轟き、遠くで雷が落ちたことを知る。
足元から震えが立ち上ってくる。
記憶喪失のミストが密かに家族のように思っていた牢屋の仲間たちは、
自分達が外の世界に出ることよりもミストが外の世界に出ることに、そのための時間稼ぎのために自分達を犠牲にしたのだと目の前のイグニスは言っている。
そんなこと―――!
「私が最後まで残されたことになんの意味があるの!?
私が皆の希望?なんでそうなるのよっ?!
命を捧げた?そんなの私は望んでないっ!!
私は皆にそこまで思ってもらえるようなこと、何一つしてないわよっ!!!」
ミストは、叫び、イグニスの手を乱暴に振り払って、自分の震える身体を抱き締めるようにかがむ。
落雷の轟音に、ミストの慟哭はかきけされる。
こんなのは間違っている。
未来を託すならミストよりも年若い、最年少のディネを選ぶべきだ。彼女のバレエにかける思いがどれほどのものだったのか、ミストは知っている。
希望を託すならミストよりも遥かに上手な彼ら自身を選ぶべきだ。
ミストは、あの囚人たちの中で誰よりも下手くそだった。
演技力もない。台詞の抑揚も未熟。間の取り方も上手くない。表現力も全然足りない。技術もない。知識もない。
「私を選ぶのは間違っている―!!!」
その言葉を言った瞬間にイグニスに涙で濡れた頬をひったたかれた。
「人は時に間違えだと知っていながら間違った選択をする!
僕とお前は確かにそうだ。それで一生分の後悔を背負った!!
けど、彼らは違うだろうっ!!
お前を選んだ彼らは、自分の選択が正しいと思って選んだ!
自分の夢と命を預けたことが間違っているのだと、
お前自身が彼らのした選択を否定するのは彼らへの侮辱だ!」
落雷の光でイグニスの泣きそうな表情が見えた。
ミストの手に重ねられたイグニスの手が温かい。
「彼らに後悔させるような人間になるな!
自分達の夢を託したことは間違っていたなんて彼らに思われるような生き方をするんじゃない!
ミスト!お前はこれから自分がどう生きていくのか、どう生きていったのかで、彼らに証明するんだ!」
イグニスは一呼吸おくと、自身が一番伝えたかったことを言うために口を開いた。
「だから、演じることを辞めるな。」
ミストは何も言うことが出来なかった。
過ぎた時は戻らない。
ミストの愛した彼らは、ミストの側から去っていった。
愛した人や、大切な友人たちに、
主人公がどれだけ切実に側にいてほしいと望んだとしても、
時間の流れや、突然の病、寿命、はたまた気持ちの変化で別れることはよくあることだ。
もうミストがどれだけ側にいてほしいと望んでも彼らはいない。
笑いあうことも、少ない食事を分けあうことも、言葉を交わしあうことも、出来ない。
「死者は生者が思い出すことで蘇る。
しかし、僕たちは日々の雑事や仕事で彼らへ想いを馳せることもなくなっていく。それは一種の救いだ。
大切な人を失ったとき、僕らは日々をただ過ごしていき、彼らを忘れていくことで、この苦しみを乗り越えるんだ。
けれど、君は、君だけは彼らを忘れるな。この苦しみを忘れるな。
彼らを忘れてしまった時、君はただのそこら辺の人間と同じになる。それは彼らが望んだ君じゃないはずだ。
君の愛した人たちがどんな風に笑い、何を思っていたのか。それがわかるのは君だけだ。」
「それと演技を続けることに…なんの関係が、…あるの?」
「演技をする度に彼らを思い出すだろう…?」
あなたは、とミストは口を開き。
「忘れたくない誰かがいるの…?」
その問いにイグニスは答えずに、ミストの手をとる。
手錠を外されて、手のひらに落とされたのは黄金色の宝石があしらわれたロケットペンダントだ。
転んだときに落としてしまったが、ペンダントの宝石にはヒビ1つ入っていない。
「エアリアルの魔石なんて曰く付きの宝石をどうして君が持っているのか…。こんな幸運があるなんてね。」
イグニスがミストの手に自身の手を重ねて、何かを呟く。
その途端、ペンダントの宝石が強く輝き出す。
「な、何?」
あまりの眩しさに片方の手で目を覆う。
イグニスの手がペンダントから漏れ出す光を覆い隠そうとする。
夜の闇のなかでこの光は目立つだろう。ガヤガヤと騒ぐ声が聴こえる。新たな追っ手かもしれない
「眠りし者よ。呼び声に答え、どうか長き眠りから目覚め、この者の道しるべとなりたまえ。」
イグニスが唱え終わると、宝石の輝きはおさまり、辺り一面に暗闇が戻ってくる。
途端に幾つかの足音と、「脱走者だ!!」という声が聞こえてきた。
「ここでのことは誰にも話すな。宝石も誰にも見せるな。」
ペンダントを握らされる。
イグニスに背を押されて一歩前に出る。
ミストの耳元でイグニスは囁く。
「さあ、走って。僕はここに残るよ。」
ちょっと待って!
と、ミストはイグニスを引き留めようとした。
(体が勝手に動いてる?!)
しかし、体はミストの意志など関係なく勝手に動き足をただ動かしていく。
振り向くことさえ出来ない。
獣のような雄叫びが聴こえたような気がした。
びちゃびちゃと水かさが増した道なき道をただ走る。どれだけ走ったのだろう。
ちゃぽんと何かが跳ねたような水音が絶えず聴こえる。クスクスと笑い声が遠ざかったり近づいたりする。
「――追っ手ね。」
ミストの口がまたもや勝手に動く。
「■■■■■■■■■ ■■■■■■ ■■■■■■■■■ ―■◾■■■!!」
ミストは自身の口にしている言葉が聞き取れなかった。
その言葉を言い終えた瞬間、ミストの何かがごっそりと抜け落ちていくようなそんな虚脱感に襲われた。そのせいかミストの意識がぼんやりと薄れていく。
次第に、地面から白いもやのようなものが立ち上ってくる。
辺りはどんどんと霧がかっていきミストの姿を隠していく。
そうして、赤髪の少女は姿を消した。
…
何人もの看守が呻き声を上げて床に倒れ混んでいる。
鞭の猛攻をくぐり抜けて、みぞおちに致命的な一発を叩き込む。最後の1人の看守の体がくず折れていく。
念のため、ジンは看守の首に手刀をあてて気絶させる。
ピクリとも動かなくなった看守を少しの間観察して、不意打ちを狙っていないか判断する。
ジンに殺しが出来たなら良かったのだが、ジンの気性的にも、立場的にもそれは避けるべきものだった。
増援を呼ばれたが、しかしジンはただの囚人ではない。
この程度の増援なら倒すのは容易い。
「この刀、少し借りるぜ。」
倒れている看守の刀を断りもなく奪う。
ジンは、これからどう動くべきか。
気にかかることは、ミストの事だ。
ミストは無事に逃げられただろうか?
あのイグニスという眼帯をした看守がミストを追いかけていった。
すれ違うとき、ジンはイグニスに撃たれると思った。
しかし、撃たれなかった。イグニスからは殺気を感じなかった。
イグニスがどういう思惑なのかは分からないが、職務に忠実ではないという噂には真実味があると思えた。
そもそも、ジンが牢に囚われた初日に脱走出来たのは、あのイグニスという看守の怠慢さがあったからだ。
脱走してからの数日をジンは思い出す。
脱走してすぐ、ジンは看守にバレないように隠密に活動し、
連日、この場所で何が行われているか突き止めるために各部屋に忍び込み資料を漁りを繰り返していた。
そして優先的に知りたかった情報である「用済みとなった囚人をどうするのか」が記載された資料を見つけた。ただちに殺されないことが分かり、ジンの中であの牢屋の囚人たちを助けることを後回しにすることに決めた。
薄情ではあるだろう。
しかしここに潜入するのはそう容易くなかったのだ。
リスクを払っておいて、人助けのみで終わることは出来なかった。
ジンはここで情報を収集し、事態を収めなくてはならない。その義務がある。
今このとき、ジンの優先順位は、
刀の所在、兄の行方を掴む、悪魔に寄生された人間の特定、
そしてその次が、囚人たちの救出だ。
そう考えて、自分の薄情さに少し嫌気がさした。
脱走した初日にジンは脱出するための経路を既に突き止めていた。しかし、囚人たちを救出するためにはいくつかの障害がある。
1つ、囚われた人間たちの数。
あまりに多すぎる。
途中で追っ手との交戦状態になったとして戦闘を出来るのがおそらくジンのみである。
2つ、緊急性の無さ。
これはジンの個人的な理由だ。
確かに劣悪な環境で、そして注射には記憶障害が併発されることが分かっている。
しかし用済みとなり、連行された後、殺されるのには約数年の時差がある。
だが、脱走を強行した場合はその限りではない。運が悪いとその場で殺される可能性が高い。
3つ、気象条件
なんとも運の良いことに、今の気象は非常に良いと言える。
この時期に珍しくも長く続いた乾期、そして近々来るはずの嵐。
入国してすぐの頃、確かに、ジンの従者が数日後に天候が乱れると言っていたはずだ。
干上がった道から逃走する。それがこの場所での唯一の逃げ道だ。
以上のことから、ジンは、囚人を脱走させるにしても嵐が来る日だと決めていた。
そして、その間、この数日間を秘密裏に情報収集することに費やしていた。
思考を戻す。
ミストの救助にジンが向かうべきか?
イグニスの勤務態度と周りの噂話や評価から、おそらくそこまでの脅威はない可能性が高い。
そして増援を倒した自分がこのままミストと合流することは果たして良いと言えるのか?
新たな増援を引き連れていくのは得策ではない。
ジンがこのまま逃走した、ただ1人の囚人として、
この場所で留まり注意を引き付けておいた方がミストは安全に逃げきれる確率が高い。
そういう思考の結果、このままミストとは別行動をする方が良いとジンは判断した。
そして、ここであることにジンは気がつく。
「この騒動なら、探索できなかった最深部が調べられるかもしれない…。」
ジンは敵の増援を派手にぶっ飛ばしながら、下へ下へと、階層を降りていく。
途中で姿を眩ませて、「囚人はどこに行った!?」と喚く男たちを横目にさらに下へと降りていく。
そして、ジンは最下層へとたどり着いた。
壁の蝋燭の火がジンの動きで揺らめく。
人の気配がまるでしない。
注意深く息を圧し殺しながらジンは歩みを進める。
そこは灯り1つさえない真っ暗だった。
大広間の中央に、塊のような何かがいる。
生臭い息。呼吸で静かに上下する身体。
ジンは産まれて初めてこの生き物を見た。
―――龍。
かつて魔法生物の頂点に位置付けられていた、龍。
魔法大戦中に、その多くが姿を消したと云われているソレ。
それがこんな場所に眠っているとは…。
ジンは暫し絶句していたが、最奥に石碑のようなものを見つけそれを調べる。
(これは…墓か?こんなところに?)
魔法で火の玉を浮かべて碑文を照らす。
碑文は恐らく古代語で書かれている、しかし、古代語の知識がないジンには読めそうになかった。
この石の棺には誰が眠っているのだろうか?
そう思った刹那、龍の身動ぎする音が聴こえた。
雌龍の閉じていた瞳がゆっくりと開いていくのが見えた。
龍の黄金の瞳と目があった瞬間、ジンは数多の、幾千人もの人間の声を聴いた。
「逃げられない。」「ドウシテ?」「私たちも人間でしょう?」
「所詮壊れるまで使い潰されるんだ。」「殺されるっ!」
「お姉ちゃん」「化け物だから何してもいいってふざけるな」
「生きていたい」「ジッケン イタイカラ シナイデ」
「「私たちを忘れて」」
途端に、ジンの頭に割れるような痛さが走り、涙が溢れていく。
「な、なんだこれはっ!」
龍は、そんなジンの様子をただ見つめ、口を大きく開ける。
龍の長い舌が伸びてくる。そして、
べろり
龍はジンの顔をひとなめした。
それは端から見たら人間の涙を龍が拭おうとしているかのような和やかな光景だった。
しかし、その実、それが起こしたものはあまりにも乖離している。
ジンの顔に、その瞬間焼けたような熱さが広がると、遅れて今までに味わったことのない猛烈な痛みが襲ってくる。
「グッ!ウワァァアアアアア!!!!!!」
ジンは顔を抑え、地面をのたうちまわる。顔からは出血なんてしていないのに、これは一体…
目の前の化け物から離れようとなんとか立ち上がり思い切り後退る。ふと何かに背中が当たる。
それはあの墓で、手を思い切りついたせいで墓の蓋が外れた。
重々しい音を立てて蓋は落ちて、墓の中身を顕にさせる。
その時ジンには碑文の字が何故か読めた。
<初代王、ここに眠る>
ジンは墓の中にあったそれを咄嗟に掴んだ。
刀身が持ち主に応じるかのようにキラリと輝く。
バタバタと足音がこちらに向かって降りてくる。
「侵入者か!?アルシャナっ!!」
駆け降りてきたのは奇妙な見た目をしていた。
血の気のない能面のような顔、シルクハットを被り、燕尾服のような服を着ている。
それはまるで人形のような見た目をしており、声は男性のようだった。
人形は雌龍に傷がないかを神経質なほど確認し、ジンに殺気をぶつけてくる。
「こんなところに鼠が紛れ込んでるなんて…ぶっ殺してやる」
ジンは臨戦態勢をとることが出来なかった。
それはあまりに顔が痛かったためでもあるし、なにより、
ジンの体が燃えていたからだった。
ジンには何が起きているのか分からなかった。
ジンの足がなかった。
足先から立ち上った火はくるぶしを燃やし、膝を燃やし、太ももを燃やし、腹を燃やし、胸を燃やし、あっという間にジンの顔を燃やしていく。
何も物を考えることが出来ないほどに顔が痛い。
だからジンは自分の体が燃えていくという狂気を奇跡的に直視しなくて済んでいた。
きっとマトモだったら狂っていただろう。
掴んでいた刀、――石棺から取り出した刀さえも燃やされていく。
そんな光景を、人形は呆然とみていた。
「はっ?何が起きてるんだ?!」
あまりに予想外の光景に人形は、一瞬怒りを忘れていたが、すぐに我に返ると、トランプをジンに向かって投げる。
このトランプは鋼鉄でできており、当たれば首を簡単に落とせるほどの鋭利な武器である。
しかし、そのトランプは壁に刺さった。
壁に刺さった血の付いていないトランプは、侵入者に逃げられたことをただ示していた。
ジンの全てが燃えきった。
ジンはその瞬間自分の貌を忘れた。
それは奇しくも、ミストが語ったあの<貌のない男>を再現していた。
ジンはあらゆる全てに姿を変えた。
ジンはまず、壁に立てかけられた蝋燭の炎に姿を変えた。
またたきの後、ジンは風になった。人間の髪を揺らし、草木をそよがせる。
そのつぎは名前のない花に姿を変えた。ジンはこれが自分の本来の姿ではないかと思った。
しかし、すぐに貌が変わりだす。
それは水に、人間に、木に、雷に、変わる。
シムーン・ジンは、こうしてしばらくの間自己を喪うことになった。
ミストに名乗ったジン・シムーンは偽名です。
シムーン・ジンが母国での彼の名前です。
シムーンが名前、ジンは型番みたいなものです。
作者がシムーンって書くよりジンって書いた方がしっくりきたのもあってジン呼びにしてます。