1.全てはこれから始まる
プロローグ【貌のない男】
データが消えないか不安になったので投稿します。
メモ代わりなので、突然大幅に修正することもあるかもしれません。演劇要素は技量不足で稚拙だと思います。
「…全てがもう遅い。しかしながら、全てはこれからです。」
静まりかえった牢のなかで、突然少女が明朗に話しはじめた。
それは、何かの舞台台詞のようで、いとけない少女自身の声色ではなかった。
少女と同じ牢に押し込められていた数十人が、おもむろに少女の方へと顔を向ける。
俯いていた少女は、牢屋の壁に手をついて自身の重たい体を起こそうとしていた。
その間にも彼女は舞台台詞を話すことをやめない。
あまりにも突拍子もない少女の行動は、もはや奇行と言った方が正しいだろう。
囚人たちは、自身の重たい体をやっとの思いで起こすと、鈍い思考のなかで少女へと注目した。
少女はそんな彼らの様子にさえ気にも留めずに話を続ける。
「私は、しがない南の果樹商人でありまして、商売がてらに噂話を耳にする機会がございます。
そこでこんな話を聞いたのです。
…顔のない男を目にしたことはありますか?
男は妖精に気に入りの顔だと気紛れを起こされて顔を失ったのです…。」
台詞を口にする赤髪の少女は、これが一体何という名前のお話なのかを知らなかった。そもそも自分自身が誰なのかもおぼえていなかった。
ただ、口が台詞を諳じているのでそれを続けているだけだ。
けれど、それがどこか楽しかった。
物語の登場人物たちは、感情豊かで怒ったり悲しんだり笑ったりと実に忙しそうであった。
おそらく記憶のあった頃の自分は、演じることが好きだったのではないだろうか?
そう思った理由は、台詞に熱が入っていくのが自分でも分かったからだ。
そう思った瞬間、体に力が漲るように活力が湧いた。
少女は思い切り立ち上がると身振り手振りで登場人物を演じていく。
囚人たちは、思い思いにヤジを飛ばした。
「下手くそ」だの、「大根役者」だの、「もっとやれ!」だのと…
隣の牢屋やそのまた隣の牢屋の囚人たちまでもが、彼女の牢屋の格子ぎりぎりまで近寄り話の続きを促す。
ただただ珍しいものみたさで格子へと近寄ったのだ。
…
御話の内容は、妖精に相貌を喰われた男が、そのせいで自身の姿形を忘れ、あらゆる物に姿を変身させていくという珍道中だった。
物語のなかで主人公の男は魅惑的な女の踊り子にも、空を飛ぶ鳥にも、言葉を発しない草木にさえ姿を変えた。
そして悪しき妖精を打ち倒し自身の相貌を取り戻しといった所で物語が終わった。
…
演じ終えて、少女は魂が抜けたかのように
「私、演じるのが好きなんだ…。」
とドクドクといまだに高鳴る胸に手を当てて目を閉じた。
自分の名前を思い出そうとしても霧がかかったように曖昧で、なぜ牢に囚われているのかという理由さえも思い出せなかった。
何日ここに囚われているのか、時間の感覚は曖昧で何ヵ月もここにいるのかもしれないとも思ったりする。
牢から引きずり出されると待っているのは謎の注射で、それが何の効果を示すのかと聞いたけれど無視されてしまった。
牢の中にいる日々は退屈で怠くて仕方なかった。けれど、注射を何回も打たれていくと、次第に全てがどうでも良く思いはじめた。
牢の中にいる囚人たちは皆同じで、冷たい床に体を横たえて死んだように動かなくなる人はその末期だろうことがうっすらとわかった。
自分がどこの誰なのか、なぜこんなところに囚われているのか、心配してくれる家族はいないのか…?
ぼんやりと隣の牢屋の格子に体をもたれながら考えていたら、
ドンッと音がして、見ると隣の牢屋の囚人が壁を憎々しげに殴った音だった。
「くそっ!」
壁を殴った囚人は、自分と比べると少しだけ年上のような見た目で青年というよりはまだ少年さが残っている風貌であった。
褐色な肌に、腰の後まで伸びた黄金の髪は三つ編みで綺麗に束ねられており、埃と煤で汚れた牢屋にふさわしくない輝きだと感じた。
少年の服も糸のほつれ等はあるが、まだ汚れておらず、おそらく新しく囚われたばかりの人なのだと予想がついた。
ずるずると壁に背を押しつけながら座った少年に、
「どうしたの?」
と格子越しに聞くと、ヤバい薬打たれてお前らみたいに無気力になるなんてまっぴらごめんだね!と勢い良く言われた。
少年のあまりの勢いにポカンとしていると、
「お前にだって叶えたい夢ぐらいあったんじゃないのかっ!?」
と言われた。
どうなんだろう…。
自分には記憶というものが無いのだ。
果たして、自分には夢があったのだろうか…?
返答に窮していると、
少年は、
「俺には果たすべき使命がある!何としてでもやり遂げるんだ!」と声高らかに宣った。
少年の声は牢屋の鬱々とした空気さえも吹き飛ばしてしまうほどの力強さがあった。
少年の黄金の瞳は決意でキラキラと煌めいているように思えた。
夢。使命。
それを持つ人間はこんなにも眩しいのか。
私は少年がひどく羨ましく思えた。
自分がかつて記憶を失う前に持っていた夢はどんなものだったのだろう?
自分は何を使命にして生きていた人間だったのだろう?
自分への疑問が頭を埋め尽くす。
少年の黄金の瞳は、私に夢を語れとそらさずに見つめている。
ふと、
私は、台詞を思い出した。
それは昔、記憶を失う前の自分が知っていた物語の1部分だと思われた。
――そして、そういうわけで私は突然台詞を話し始めるという奇行をしたわけなのであった。
隣の牢屋の少年は最初は呆気にとられていたものの、最後には満足そうに手を叩いてくれた。
「ミスト!やるじゃん!」
ミスト?と首を傾げる私に、ほらよと手渡されたのはロケットのペンダントだ。
狭い牢屋の鉄格子に無理やり手を突っ込んだ少年はいてて…と手を軽く振った。
金色の宝石があしらわれたロケットペンダントを開くと、金髪の穏やかそうな女性の写真が埋め込まれていた。
よくよく見ると、その女性は赤毛の赤ん坊を抱いており小さく「ミスト」と読むことができた。
ミスト。
口にすると不思議なほどにしっくりきた。
「俺が牢屋に放りこまれる前、看守が取り上げた囚人の持ち物が机の上にまとめられてたんだけど、隙だらけで思わず盗り返しちまった。
ここら辺で赤毛の囚人は幸運にも1人しか居なかったからおまえであってると思うんだけど…。」
「あってたか?」と、少年はイタズラが成功した少年のような笑みを浮かべた。
「ホントは、皆のもの全部盗り返したかったんだけどさ、隠せる場所が服や靴しかないし、全部盗り返したら流石に怪しまれるしなぁ…。
そんでもって全部盗り返したところで元の持ち主が誰か分からないからミストの分しか盗り返さなかったんだ…。」
少年は、ミストのペンダントに視線を落とす。
「もう失くすなよ…?自分の宝物も、自分自身も」
「っ!うん!」
ミスト、ミスト、ミスト。
それが自分の名前なんだ。
記憶を失ってしまって思い出せたのは物語の台詞だけだけれど、それでも今は名前が刻まれたこのペンダントが戻ってきてくれたことが嬉しかった。
「ありがとう、その、えっと、あなたの名前は?」
「ジン。ジン・シムーン。」
ありがとう、ジン。と、私は初めて牢屋の中で笑みを浮かべたのだった。
②
「嬢ちゃん、面白かったよ!」
「なんか元気出てきちゃったわ!私も何かしたくなってきたわ!」
ミストによる拙い即興劇に、囚人たちはにわかに活気づいたようだった。
突如として歌い出す者や、踊りだす者など、あれほど静かだったはずの牢の雰囲気は一変した。
ミストの頭を撫でてくれた大男がその次の瞬間には牢に響き渡るほどの太い声で讃美歌を歌いはじめる。
やつれていた細身の女性はふらりと立ち上がると、その歌声に合わせてくるりと踊りだす。
それをみて老人はおもむろに靴を脱ぎはじめると、脱いだ靴でジャグリングのようなものをはじめる。
牢屋の囚人の殆どがよろよろと立ち上がると、彼らの思い思いの芸を始めた。
それは誰に見せるためのものでもなく、ただ、自分が自分自身であることを証明するためのものだった。
ミストはそのあまりにもカオスな光景に一瞬ポカンとしたが、そのつぎにはお腹から笑いが込み上げてきたので大声で笑った。
隣にいるジンを見ると、ジンも目に涙を浮かべ、腹を抱えて笑っている。
飛び込んできた看守二名は呆然としておろおろしているのがさらに笑いをうみだしていた。
我を取り戻した看守の一人が、囚人に落ち着くように叱責して鞭を床に叩きつけると、ひとまず牢屋は落ち着きを取り戻していった。
しかし、どこか浮き足立つ雰囲気は残っている。
叱責した看守はイライラとしながら足早に出ていったが、残ったもう一人の看守はクツクツと思い出し笑いをしている。
あの看守はイグニスと言って、無愛想で右の片目に眼帯をしているせいでミストはちょっと怖いなと思っていた看守であった。
しかしそのイグニスは、
「いやー、最高だったよ!」
と、常の無愛想さを消して、目に浮かんだ涙を拭って愉快そうな笑みを浮かべながら囚人全員に視線を一通りやると手をひらひらさせて帰っていった。
ドアがパタンと重たげな音を立てて閉じた瞬間、囚人たちはにわかに活気づいた。
「この俺が、こんなに歌えたなんて…っ!」
「躍りがこんなに楽しいってなんで忘れてたのかしら?!」
囚人たちは忘れていた自身の特技を思い出したことをただただ喜びあっていた。
ミストも胸の鼓動がドクドクと聴こえるほどに自分が演劇を好きだという事実に興奮していた。
その興奮を隣のジンと共有したくて、視線を向ける。
ジンはミストの予想していた表情と違って、眉をひそめていた。
「…ジン?」
ジンは腕を組んで手を顎に当てている。
「…いや、おかしいなと思ってさ。」
「おかしい?」
ジンは眉をひそめて、落ち着いた様子でこの牢屋を観察するために周囲をぐるっと見渡した。
「これだけ多くの人間が囚われていて、
囚人の多くがここまで芸に秀でているというのは、少し奇妙だ…。」
「一芸に秀でた人たちがここで囚われているってこと?何のために?」
「それがわかんねぇんだよな…。」
牢屋の壁に背をもたれながら二人で、にわかに活気づく囚人たちを眺める。
眺めるミストに数人の囚人が近づき、ミストの手を引っ張る。
次の御話をせがまれている。
ミストはあっという間にジンから離れて囚人の喧騒のただ中に放り込まれる。
ミストはチラッとジンを見るがジンは思考中でこちらには視線をくれない。
ミストの心の中には、さっきまであれほど強く感じていた興奮がまだ心に燻っているというのに…。
漠然と、ミストはジンが自分達とは何かが違うのではないかと感じていた。
「お姉ちゃん。次のお話しして?」
ミストよりひとまわりは幼いだろう女の子がミストの腕を引く。
「よーし、今度は俺が途中で歌を歌うぞ!」
「いいわね!歌と踊りと演劇が揃ってる方が楽しいものね!
私も踊るわ!いいでしょう?」
ミストは彼らの熱に浮かされたような瞳にあてられて
期待してくれる囚人のために再び別の物語を物語り始めた。
…
ジンは考える。
「何かしらの芸に秀でたものたちだけを集めて捕えてるということなら、あの犯人たちの目的は芸をみたかったとでもいうのか?」
「いや違うはずだ。もし芸を秘密裏に見せてほしいだけなら、注射で記憶を忘れさせるという過程はいらない。」
ジンはこの場でただ1人、静かに状況の分析を行っていた。
そう。自分には「やり遂げるべき使命」があるのだ。
群衆のなかにジンの隣にいた少女が紛れていく。
ミストには悪いことをした。
記憶喪失がどれだけ辛いのかはジンには分からないが、せっかく取り戻した情熱を、
ジンの思案に付き合わせてしまったせいで水を差してしまう形になってしまった。
牢屋に入れられたときジンは、暗く沈んだ囚人たちを見て
およそ10年前になる過去のトラウマを思い出してしまった。
情交特有のすえた独特のにおい。横たわる無数の女性たち。その瞳は既に生きる意思をなくしている…。
2番目の兄の使命に無理やりついていった結果、目撃することになったあの光景は幼いジンにはトラウマとなるには充分だった。
13人いる兄弟の中で一番精神力が強い2番目の兄が選ばれたのにはきちんと意味があったのだと当時のジンは深く考えられなかったのだ。
ミストに発破をかけたあの時、
この地下牢の陰鬱とした囚人たちに堪えかねて、発破をかけて煽ったのはジンだが、
ミストのもたらした影響はジンの予想を遥かに超えていた。
今、囚人たちの目には生きる意志が宿っている。
彼らの瞳は、ミストの拙い一人芝居が彼らに生きる意思と希望を与えたのだと雄弁に語っている。
技術でもなく経験でもなく、ミストの拙くも情熱に満ちた演技でなければおそらく彼らは何も思い出すことなく忘れていっていただろう。
それはきっと、ここにいる全ての囚人たちが何かにひたすらに情熱を注いできた人間であるからだ。
ミストは、先程の演技が、彼らを暗闇から救ったのだと自覚してはいないだろう。
しかし、囚人たちはミストが自分たちにどれほどの救いを与えてくれたのかを知っている。だからこそミストの周りに人が集まっていく。
…この囚人たちの熱意も心地よい喧騒も長くは続かないだろう。と、ジンは予測した。
彼らの両腕両足に枷がはまり、注射を打たれれば打たれるほど体調は悪化していく。
この熱気の中でも起き上がれない者が数人いることにジンは気がついた。あれはおそらく末期症状なのだろう。
そして記憶喪失は、その1つ前の段階だと予想できる。
――何とかして助けてやれないだろうか?
「履き違えるなよ。」と、ジンの冷静な思考が囁く。
ジンの使命は、ここにいる哀れな囚人たちを救うことではない。
失敗すればここにいる囚人の数以上に犠牲者はでつづけるだろう。ただの偵察なのだ。ここで全力を出しきるべきじゃない。
けれど、
「知っちまったら、救いたいよなぁ…。」
ジンは計画を修正することに決めて、努めて明るく、努めて冷静にこれからどうするべきかを考えていく。
夜は更けていく。