第十六話 焦燥
シビル軍の眼前にいるヴァニエ軍は準備を着々と進めていた。元々自国内である上に、兵士の数はイフラ平原の戦いの時に損害を被ったとはいえまだ数ではヴァニエのほうが勝っている。
「偵察終わりました」
「どうだった?」
急ごしらえの幕舎の中、柔らかなクッションを敷いてくつろいでいたアポストラーチェは報告に来た兵士の話を聞くために起き上がった。
「敵兵の配置がない場所はどこも水量が多く、渡河は難しいかと」
「なら敵の守りが薄い所はどこかにないのか?」
「水量の少ないところでも腰の高さまであります。そのうえどこも数百規模の敵兵がいます。後ろに何が控えているとも限りません。我々が纏まって動けば敵も動くでしょう」
「なら分けて動かせばよい!」
「その場合我々がかなり不利です。渡河する間は我々の攻撃ができないのですか──」
兵士がそこまで言ったところで、アポストラーチェは近くに置いてあった銀の盆を投げつけた。
「本国へ使者を送れ、追加で3千兵士を連れてこいと。使者が戻ってから3日以内にな」
「そ、それは無理な話で」
「黙れ。この私を誰だと思っているのだ! シビル公国の大公アポストラーチェ・ルチェスク・シビルだぞ! 自国の戦力は把握している、まだまだ兵力は残っているはずだ」
無理な話だった。シビル公国は開戦時点でほぼすべての兵士をこのヴァニエに投入している。この戦いの為に多数の傭兵団、農民達も雇い、武器もありったけ供出させていた。
「これ以上兵士を出すのは無理です! 農民から出そうにもこれ以上出せば畑が回らなくなります! 加えて3日以内も無理です! 武器も鎧も持っていく食料すら用意できません!」
「そんなもの敵の物を奪えばよい! 勝てば全てが解決するのだ! そもそも勝つ以外に道はない! この戦いで負ければどうなるか貴様とて分かるだろうが!」
そもそもこの戦いはもっと増援が来るはずだった。ヴァニエに潜む異教徒を殲滅するためとアポストラーチェは教皇に書状を送っていたのだ。
本当なら教皇の声の下、雲海のごとき大軍勢でもってヴァニエ軍を蹴散らせるはずだった。だが教皇はなんの反応も見せず、シビルは単独で戦う羽目になった。
「ここで勝たねば、我々は破門される危険すらあるんだぞ! そうなれば貴様等は揃って地獄行きだ! そうなりたいか!?」
銀盆を投げつけられた兵士はただただその場に項垂れていた。
幕舎の外では……
「一応数は今のところ向こうが上とはいえまだどうにかなるくらいだ。確かにこの河を越えられれば勝機はある」
「けどなぁ、勝ったとしても。あの大公に付いていかなきゃならんのか」
「滅多なことを言うんじゃない。殺されるぞ。ただでさえ気が立ってるんだからな。繁殖期の熊みたいなもんだ」
言われたい放題だった。




