夜霧と星光_1
「教会領はともかく、カゥコイ領ですか?」
選択肢にもなりはしない、矛盾しているではないか。
メナはそう思って顔を上げ、彼女の瞳を見据えた。
平然と見返すその瞳には、メナの髪の銀がちらついている。
鏡のようにメナを見返す彼女の瞳は一切の揺らぎがなく、その内面は何も読み取れない。
「―――……それは、冗談ですよね?」
メナの問いに、鴉羽の使者は「どうでしょうね」と微笑んだ。
メナはそれを見て目を逸らしたくなった。見惚れるような微笑のはずなのに、なぜか刺すような冷たさを感じたからだ。
「ですが、そこまで馬鹿げた話ではないですよ。カゥコイ家の当主は知っていますね?」
言われてメナは、真面目でいつも不機嫌そうな顔をした男のことを思い出して、頷く。
「彼は別に、王族を殺せとは言っていませんでしたから……余計な抵抗さえしなければ、従者のお二人も助かるでしょう」
「―――……言っていた?」
メナが聞き返したことに対して鴉羽の使者が少しは戸惑うと、彼女は思っていた。
しかし彼女は、平然と返事をする。
「ええ」
メナはそのとき、ドゥカイの剣にかけられた手が、ぴくりと動いたのを見落とさなかった。
まだ聞きたいことがあったメナは、手を掲げてドゥカイを制する。
鴉羽の使者がカゥコイ家に連なる者であることは確かだったが、彼女がそれをうっかり話したのだとはとても思えなかった。
「なぜ、あなたは私に助言を?」
もしも鴉羽の使者がカゥコイの手駒なのだとしたら、助言と称して罠を張るより、直接メナを捕えるなり、殺した方が効率がよい。
そしていずれにせよ、彼女にならそれは可能なはずなのだ。
「物事には大抵、理由があるもの……たとえ他人にとってはくだらないものでも、自分にとってはそうではない、そんなことがほとんど、でしょう?」
唐突に問われ、メナは頷いた。特に否定する理由もない。
鴉羽の使者は言う。
「私には『鴉羽の使者』を名乗って姫様に助言を与える『理由』がある、それだけです」
「裏切り、と捉えても?」
彼女は微笑む。
「どちらでも。私が何を言ったところで、怪しいだけでしょう?」
メナはそれを暗に認めて一時黙り込む。
一陣の風が吹き、メナの銀髪を巻き上げた。
それが合図であったかのように、いつの間にか懐中時計を取り出していた彼女が呟いた。
「―――……時間ですね」
彼女が去ろうとしていることを察したメナは、それを呼び止める。
「待ってください―――……」
しかし彼女の姿は急速に薄れ、徐々に見えなくなっていく。
「時間はあまりありません。今は夜闇があなたを隠してくれますが、直に夜も開けるでしょう。どの道を選ぶのかはあなたの自由ですが、その先に彼の姿があることを、私は願っていますね」
それはどこか、予言めいた言葉だった。
「それはどういう……」
メナが問いかけた時には、彼女の姿は道から消えていた。
そして代わりに、何もなかったはずの道端に繋がれた馬と、それを繋いだ馬車が留まっていたのである。