鴉羽の使者_2
「―――……『鴉羽の使者』?」
聞いたこともない名称にメナは首を傾げる。少なくとも公の何かを指すものではない。
メナの疑問を汲み取ったのか、彼女は言葉を付け加える。
「あだ名とでも思ってくださいな。―――特に意味はありませんから」
「意味はない、ですか」
メナが呟くと、彼女はニコリと微笑む。
まるで子供に向けた笑顔のようで自分が脅威と見られていないのだということが、ひしひしと伝わってくる。
(当然か……)
彼女はドゥカイをあっさりと打ち負かした。
それはメナが知る限り、この国の兵士では彼女を止めることができないということを意味する。
「―――……助言、とは?」
メナは恐る恐る訊ねる。
下手に刺激して気が変わる、などということがないようにしたかった。
「この先、貴女が無事に生き残る道筋について、これに尽きます」
「このままでは助からないと?」
「まず間違いなく」
「何故です?」
メナが鴉羽の使者の瞳を見据えるが、彼女は自然にそれを見つめ返し、それから何かを考えるように上向いた。
「―――カゥコイ、山の民」
「はい?」
「あなたの敵の名前です。要は叛逆という訳ですね。他にも協力者はいると思いますけど……まあ細かいのは気にするだけ無駄でしょう、あなたが追われていることに違いはありませんから」
「そんな―――……」
メナはその両家が敵と聞き、血の気が引いていくのを感じた。
カゥコイ家とイカコ家はそれだけ大きな力を持った氏族だった。
とは言え、イカコ家に関しては、叛逆を起こすことにさして意外性はない。
祖父が彼らを併合してまだ二十余年、彼らの中にまだ反感が燻っていることは、メナも把握していた。
(ですが―――……)
「カゥコイ家が謀反を?」
悲鳴のように呟いたのはギノーだった。
彼女はカゥコイ家の分家筋の家柄を持つ。
何かの事情で疎遠ではあるようだが、少なくとも分家本家の関係である以上、今回の件で衝撃を受けるのも無理はない。
そうでなくてもカゥコイ家は王家にとっては影のような存在、叛逆などとても考えられなかった。
(―――……あるいは、単に機会を伺っていたというだけなのでしょうか)
メナが半ば納得して考え込んだのに対して、ドゥカイは強気に食い下がった。
「それを信じる根拠がどこにあるというのだ」
弾き飛ばされた剣を鞘に戻しつつ、彼は鴉羽の使者に問いかける。
その声音は彼らしくもなく、あまりにも刺々しい。メナには彼のそんな声に記憶はなかった。
しかし当の鴉羽の使者がそんなものには一切怯みもしなかったのは皮肉なものだ。
「そうね、根拠は―――」
彼女はそう言っていたずらっぽく笑ったかと思うと、ドゥカイをひたりと見据えた。その冷たい視線は、彼女の笑みを貼り付けたもののように感じさせる。
「あなた方が生きていること」
その瞬間、メナの背筋を冷水がなぞったかのような悪寒が走った。先ほど背後から聞こえた声が頭の中で反芻され、時間が経つに連れてなおさら恐ろしいものに感じられた。
「―――と言うのは冗談。けれど、助言を持ってきたのは本当ですよ」
冗談。彼女はそう言うが、それが冗談では済まされないということは、その場の全員が肌で感じていた。
先まであれほど強気だったドゥカイですら、すぐには切り返すことができない様子だ。
そしてそれらが「冗談」でないのならば、それは彼女たちが新たな問題に直面したことを意味している。
(城から逃れたところで、その後の逃げ場がない、ということですね)
包囲を抜けたかと思えば、新たな包囲に囚われている。
仮に外国の兵が城まで攻め込んできたのなら、どこから来たのかは判断できるので、そのままどこか「安全な氏族」の元へ逃げ込めば良い。
国の存亡はともかく「敵が誰か」その輪郭は比較的掴みやすい。
だが、叛逆ともなると話は変わってくる。
そもそも、敵の輪郭が見えない。
内から食い破る以上、ある程度の根回しは済ませているはずで、そこを見極めない限り自ら檻に逃げ込むことにもなりかねない。
どこからどこまでが敵で、どこまでが味方なのか、それを調べる時間も労力も、今の彼女たちは持ち得なかった。
(それなら―――……)
メナは目の前で微笑む黒い女性を見上げる。彼女は、メナの言葉を待っているようだ。
「―――……あなたは、この状況を打破しうる何かを持っている、そう考えていいのですね?」
メナの問いかけに、彼女は待っていたと言わんばかりに微笑んだ。
「ええ」
鴉羽の使者はメナに背中を向けた。首を傾げるメナに対して、彼女は言う。
「私が示せるのはあくまで選択肢ですけれど」
それが付いてこいという意味だと判断したメナは、その後に続いて小走りに洞窟の出口へと向かう。
ドゥカイが隣に追いすがり、何かを言おうと口を開いたが、それを横目に見て首を振る。
「何もわからない以上、話だけでも聞くべきです。判断はそれからでも……」
言いかけ、メナはその後の言葉を飲み込んだ。
実はすでに、後戻りできない岐路に自分たちは立たされているのではないか。
そんな予感がしたからだ。