少年とエルフのジュブナイル
僕は息を呑んだ。
生まれてから見たこともない美しいものが、目の前に現れたからだ。
風に揺れてざわざわと揺らめく背の高い草の間に、目の覚めるようなそれは寝転がっていた。
「お、女の子?」
いや、もしかして、美しい男の子かもしれない。
背は僕より、少し大きい。
はっきりと自信が持てないのは、胸の膨らみがないからだ。
うす青いシワのないドレスから、細くて白い脚が伸びている。
太ももまで出ているので、思わず見てしまう……。
いや、気を失っている女の子の身体を凝視するなんて、人としてどうかと思う。
いやいや、男の子ならいいのだろうか?
いやいやいや、そういう問題ではないと思うし。
「でも、この子は本当に人なんだろうか?」
あまりに人間離れしている容姿をしている。
ありえない美しさだ。
それに――僕たちと違う、長い耳。
人間とは、まったく別の生物に見える。
「ふう」
辺りを見回すが、なにもない。
ひたすら背の高い草が揺れているだけ。
ここはハズレだ。
彼女――そう彼女としよう。
顔を近づけてみる――透き通るような白い肌に目がくらむ。
いやいや――そんなことより、息はしているし胸が動いている。
彼女は生きている。
外傷はないようだ。
病気だろうか?
「う~ん」
僕は腕を組んで悩んだ。
彼女は人間なのかは不明だが、ここに放置していくわけにはいかないだろう。
さりとて、女の子の身体に勝手に触ってもいいものなのか……。
自慢じゃないが、女の子の身体なんていままで触ったことがない。
まさか、こんな場面で触れることになるなんて。
いくら考えていても仕方ない。
僕は覚悟を決めると――とりあえず、彼女を起こしてみることにした。
「お~い! 大丈夫かい?」
彼女の頬に触れてみる――すこし冷たい。
今度は両肩に触れて、少々揺すってみた。
起きない。
「仕方ない……」
僕は覚悟を決めて、背中から背嚢を下ろすと、彼女を運ぶ準備をすることにした。
もったいないが、ここで拾った荷物を少々減らす。
用意ができた。
「ごく……」
息を呑んで、手を差し出す。
まるで触れてはいけない芸術品。
心の中で葛藤と罪悪感が渦巻く。
いや、決して悪いことをするわけじゃないんだ。
意を決して彼女を抱き寄せると、肌に感じる温かさと鼻腔に飛び込んでくる草の香り。
これだけ草まみれなんだから、しかたない。
女の子の身体は柔らかいと聞いていたのだが、想像していたのとは少々違う。
スラリとした身体は脂肪も少なく、薄い皮膚の下は意外と筋肉質だった。
「やっぱり、男の子なんだろうか」
男の子だとしても、綺麗すぎるなぁ――そんなことを考えつつ、彼女の上半身を起こした。
「よいしょ……」
女の子を背中に背負うが――当然、重たい。
いや、思っていたより重い気がする。
これだけの重量が、全部荷物だったら、それなりの儲けが出たに違いない。
今日はついていないが、女の子をこのまま放置するわけにもいかないだろう。
そんなことをしては寝覚めが悪いし、男としてどうなのか。
あとで後悔するかもしれないし、ここは選択の余地はない。
僕は、女の子を背負い、手に持った背嚢を引きずりながら、草むらを歩きはじめた。
ざわざわと長い草が、脚や手に生き物のように絡みつく。
顔に当たると切り傷になったりするから、本当にたちが悪い。
たいしたものが見つからない上に、こんな荷物まで……。
男が決めたことだ、愚痴を漏らすのはやめよう。
「ふう……」
休みながら出口を目指す。
ゆっくりと向かっても、出口が閉じるまでの時間は十分にあるはずだ。
額から汗が滴る――汗だくだ。
そりゃ、人を背負って歩いていれば、汗もかく。
帰ったら水浴びをしよう。
――そんなことを考えていると、出口が薄っすらと見えてきた。
ホッとしていると、突然草むらがざわつく。
遠方から草のざわつきが近づいてくる。
「やつらか?!」
ここには、僕たちの敵が潜んでいる。
正体は不明な、犬とも猫ともつかぬ黒い獣だ。
僕は背負っていた女の子を下ろすと、戦闘の準備に入った。
そうは言っても、剣術やら格闘術ができるわけじゃない。
僕の必殺武器――それは、腰につけていた鉄の塊。
火薬で弾を発射する、拳銃だ。
引き金を引くと、円筒の弾倉が回って弾が出る代物。
両手を伸ばして銃を構えると、敵を迎え討つことにした。
「どっちから来る?」
息を止めて身構えていると、突然長い草が揺れ、僕に向かってなにかが飛びかかってきた。
黒い影に白い牙が光る。
そこに向けて引き金を引いたのだが、弾が出ない。
不発だ。
「クソ!」
そのまま獣に押し倒されて、役立たずの鋼の塊を使ってかろうじてその牙を防いだ。
「ギャウウウ!」
獣の口から滴る唾液と、生臭いにおい。
ギリギリと力まかせにやってくる獣の口に拳銃を突っ込んで、引き金を引き続ける。
「クソクソクソ!」
何回引いても、弾が出ない。
弾倉は6発――そりゃ、安い弾を買ったのは事実だが、全部不発なんてひどすぎる。
「クソォォ!」
最後の一発なのか、それとも一回りして同じ弾を叩いたのかは不明だが――銃が大音響を発した。
耳をつんざく音とともに獣の頭を貫通して、赤いものが飛び散る。
流石に頭を撃てば、どんな獣も一発でダウンだ。
いきなり不動になった獣が僕に覆いかぶさってきた。
生暖くて酸い液体が、僕の顔にかかる。
「クソ重い!」
潰れそうになりながら、ジタバタ――多分、普通の大人より重い。
僕は、なんとか大きな黒い屍を腹の上から下ろすと、ため息をついて顔を拭う。
こいつを自分で仕留めたのは初めてだ。
毛皮に手を触れてみると、まだ温かい。
本当に全身真っ黒な毛皮に覆われていて、犬でも猫でもない奇妙な生き物。
獣でも可愛いとか格好いいとか、そういうイメージが多少はあるものなのだが、こいつにはない。
この獣は獣で、金になるのだが、どうしたものか。
女の子を背負って、獲物を引っ張って行くのか?
「う~ん」
大変そうだが、このまま捨てていくのは、あまりにもったいない。
それに銃の弾を6発も消費してしまったのだから、少しは回収しないと……。
出口はすぐそこだ。
無理をすればなんとかなるだろう。
僕は背嚢からロープを取り出すと、獣の身体に巻きつけた。
幸いここは草むらの上。
地面の上を引きずるよりは抵抗がないだろう。
試しに引っ張ってみるが――大丈夫だ。
これならなんとかなる。
さらに女の子を背負って行けるかどうかが問題だが、あとほんのちょっと頑張るぐらいは僕にもできる。
僕は女の子をの抱き起こした。
「そうだ」
彼女の耳が問題だろう。
これからして、どう見ても人じゃない。
僕は背嚢から大きめのタオルを取り出すと、彼女の頭に被せた。
細い紐で結んで、取れないようにする。
「よし」
確認してから、彼女を再び背負った。
「う……うん」
後ろから声がする?
「もしかして、目が覚めた?! 言葉は解る?!」
後ろを見ると、彼女の目がうっすらと開いていた。
逃げようとしたりはしないらしい。
「……君は……?」
「言葉が通じるんだね?! 僕はマカゼ。ごめんね君の身体に触ってしまって。君が倒れていたから助けてあげようかと」
「……うん」
彼女からそれ以外の反応はない。
僕に任せてくれるということだろうか。
彼女の名前は聞けなかったが、僕はそのまま出口を目指すことにした。
出口と言っても、扉やなにかがあるわけじゃない。
白い板があるだけ。
女の子を背負い、自分で仕留めた黒い獣を引きずって、僕は白い板の中に飛び込んだ。
突然、激しいめまいに襲われて、つぎの瞬間には故郷に戻っていた。
青い空の下、白い出口の周りには、たくさんの人たちが集まっている。
ここで商売をしている連中だ。
僕が出てきた場所には白い門が鎮座している。
あそこは、様々な別な世界――異世界に繋がっており、いろんなものが落ちている。
そこから物資を発掘して帰ってくるのが、僕たちのような「発掘人」という仕事。
その次に集まっているのが、発掘人から物資を買い取る商人たち。
たくさんの物資が異世界から発掘されて、国中に輸出されていく。
たくさんの発掘人とたくさんの商人たち、異世界から出たありとあらゆる物資が取引される商業都市がここだ。
僕が使っていた拳銃なども、異世界で拾ったもの。
こっちでも簡単なものは作れないこともないけど、恐ろしく高い。
仕事の最中に拾えば、僕みたいな若いやつにも、このようなものをゲットできるチャンスがあるのだ。
「おい、黒い獣だぞ!」「仕留めたのか?!」
僕が引きずっている獣に対して、あちこちから声がする。
「背負ってるのは、なんだ?」「遭難者か?」「ああ……」
彼らが言う遭難者というのは、白い門から異世界に入ると、突然取り残されてしまう発掘人がでる。
そうなると普通は戻れないのだが――極稀に救出されることがあるのだ。
「おい、マカゼ!」
太って恰幅がよく、耳にはデカいイヤリング、手には指輪をたくさんしている男が近づいてきた。
いつもギラギラと派手だ。
「やぁ、アイゲン」
彼は、懇意にしている商人だ。
信用できるので、いつも僕が拾ったものの買い取りをお願いしている。
若い僕にも真っ当な取引をしてくれる、数少ない尊敬できる大人だ。
「黒い獣を仕留めたのか?!」
「もう、ギリギリだったよ。拳銃の弾を6発も使っちゃったし……」
「6発もか?! もっと狙いを定めて撃たないと――バーン! って感じで」
彼が拳銃を構える格好をしている。
「違うよ、6発全部不発だったんだ。かろうじて1発だけ出たんだよ」
「どうせ、他所から安物の弾を買ったんだろう?」
「そりゃ、そうだけどさぁ……」
「俺の所から買ってれば、そんなことにならなかったのにな、はは」
「……そんなことより、獣の買い取りを頼むよ」
彼の目が輝く。
「俺のところに卸してくれるのか?!」
「ああ」
「毎度あり~」
「肉だけ少しほしい。干し肉にしたいからさ」
「わかった――それで……? その背中に背負っているやつは? 遭難者か?」
「そう――みたいだね」
「わざわざ面倒ごとを抱える必要はないだろ?」
彼が、タオルをめくって、彼女の顔を見ようとしている。
「かなり疲労しているみたいだからさ」
身体を回転させて、彼の手から女の子を遠ざけようとした。
長い耳がバレたら騒ぎになるかもしれない。
「それだと、助からないかもしれないぞ?」
「そのときは、ちゃんと弔ってあげるよ」
「は、もの好きだねぇ……」
彼が、天を向いて手を広げている。
引きずっていた獣を商人に預けると、僕は歩き始めた。
見捨てることができないので、彼女を連れてきてしまったが、これからどうしようか。
病気なら病院かも……そう考えて、僕はハッとした。
そんなことをしたら、彼女が人間じゃないと一発でバレてしまうじゃないか。
珍しいものだと、この街の支配者たちに目をつけられてしまうかもしれない。
僕は、そんなことをまったく考えておらず、人助けのつもりで彼女を運んできてしまった。
「……うん……」
自分の浅はかな行動に落ち込んでいると、背中で声がする。
「気がついた? どこか痛い? 病気なの?」
「……どこか、木のある場所に……」
僕の質問に、返答があった。
「木? 森?」
「……うん」
なんだろう? 森の中で休みたいのだろうか?
あいにく、近くに森はないがいい場所がある。
僕は自宅に急いだ。
人を背負っていても、人々の視線は僕には向かない。
若い僕のやることなど、街の人々には興味がないのだ。
通りの人混みを縫うように、自転車が走っている。
あれも、白い門の中で発掘されたものだ。
「いいなぁ……」
あれがあれば、僕の行動半径も広がるのに……。
通りを歩いていると、目当ての場所が見えてきた。
正面にあるのは、天を貫くような巨大な木。
中には空洞があり、その隙間を利用して、住居を構えている者たちがいる。
その1人が僕だ。
まともな住宅ではないし、階段を上ったり下りたりする必要があるので、人気がない。
「ふ~」
いつも荷物運びをしているとはいえ、人を担いて歩くのは大変だ。
背中まで汗でびっしょり。
早く水浴びをしたい――などと考えていると、大木の麓までやってきた。
「よ~、マカゼ」
近所に住んでいる男が声をかけてきた。
ヒョロリとして浅黒い肌をしていて、ニヤニヤしている。
「やぁ」
「なにを背負ってるんだい? 門からそんなものを拾ってきたのか?」
「あはは、まぁそんなところだよ」
「ええ? 冗談だろ?? 本当だとしたら、もの好きにもほどがあるな」
「まぁ、僕の友だちだよ。気分が悪くなってしまったみたいなので、家で休ませようかと思って」
「へ~、珍しいなぁ。お前に友だちがいたなんて」
「そりゃ、僕にだって友だちぐらいいるさ」
この男は、いつもこうだ。
どうでもいいことをズケズケと言う。
ちょっと苦手だ。
「ふ~、ただいま~」
誰もいるはずもないのに、ただいまを言う。
背中に女の子を背負って、たくさんの階段を上り、やっと帰ってきた我が家。
木の板で作られた扉を開けると――そこは巨大な木のウロにこしらえられた小さな部屋。
これでも立派な住処だ。
ベッドと机もあるし、上にあるガラス窓から光も入ってくる。
このガラスも、僕が門から拾ってきたものだ。
少々湿気が多く、苔むしているのが欠点だが、壁をチョロチョロと伝ってくる水道もある。
生活に困ったところといえば――まぁ、トイレぐらいかな。
僕は、背負ってきた女の子をベッドに下ろした。
「ここは大きな木の中なんだけど、どうかな?」
「……素敵な所ね」
彼女が目を少し開いてそう言うと、大きく息をした。
「ここでいいの?」
「……うん……このままいさせて……」
透き通るような美しい声が、部屋の中に漂う。
それだけで、ここが別の世界になったみたいだ。
「いいけど……なにか欲しいものはない? 薬とか、食べ物とか……」
「大丈夫」
そう言うと、彼女は目を閉じたまま、動かなくなってしまった。
「……」
僕にはなにもできない――無力さに打ちひしがれるが、彼女が大丈夫だというのだから、そうなのだろう。
「……果物」
彼女の声が聞こえたような気がする。
「果物だね! わかった!」
このままジッとしていても仕方ない。
彼女のことは心配だが、僕は自分の仕事をすることにした。
とりあえず、生活しなければならないし。
僕は彼女をベッドに寝かせたまま、自宅をあとにした。
大木の脇に設置された階段を降りて、商店街に向かう。
さっき商人に預けた、獣の件だ。
通りの人混みの中を抜けて、知り合いの店に向かう。
見えてきたのは、白い塗り壁に大きな看板を掲げた商店。
それなりの客が出入りしている。
いるのは街の住民たちだけではない。
ここで商品を仕入れて、他の街や国で売る商人たちもいる。
僕は店の中に入った。
「預けた獣の肉ってできてますか?」
「よ~マカゼ、来たな。できてるぜ~ほい!」
奥から商人が出てきて、大きな葉っぱに包まれた肉の塊を置いた。
「ありがとうございます」
「これでいいか?」
「はい」
「それから、これが獣の買い取り分だ。それと、サービスで銃の弾をやる。確か、この口径だろ?」
彼から金貨1枚と、銃の弾を2発もらう。
弾の見た目は腐食しておらず綺麗だ。
「これって、品質はどのぐらいですか?」
「さぁな。この手の弾は使ってみないと解らんからなぁ、ははは!」
実際にその通りなのだ。
弾も門の中で拾われたものなのだが、作られてからどのぐらいの時間がたっているのか、まったく解らない。
信頼性からいえば、僕たちの世界で作られているマッチロック銃や、フリントロック銃のほうが、まだ確実だ。
ただし、操作が難しいし、マッチロックは水に弱い。
僕が使っている拳銃のほうが、遥かに使いやすい。
ただし、弾が出ればの話なのだが。
「ありがとうございます」
僕は商人に礼をすると、店を出た。
獣は結構いい値段で売れた。
これでしばらく余裕を持って食いつなぐことができる。
1人増えたけど、なんとかなるだろうが、彼女のことはどうしたらいいのだろう。
身体がよくなったら話し合ってみようと思う。
どこか行きたい所があるなら、協力してもいい。
帰りの途中で、果物を買った。
なにが好きか解らないので、色々と買い込む。
大木に据えつけられた階段を上ると、家に帰ってきた。
「ただいま……」
そっと扉を開けると、彼女はまだ横になっていた。
とりあえず、上半身裸になって身体を拭く。
「ふ~やっと落ち着いた」
今日は汗をかきまくった。
彼女の枕元に買ってきた果物を置くと、シンクからまな板を持ち出して外で肉の調理をする。
今日の分を切り分けてから、干し肉を作ろう。
鍋を持ってくると、つけ汁を作って肉を漬け込む。
明日、干せばいいだろう。
部屋に戻ると、かまどに火を入れて、肉を焼く。
煙は上の隙間から抜けていくから問題ない。
肉が焼けて、僕がパンと一緒に食事を始めても彼女は起きなかった。
心配になって顔を近づけてみると、息はしているし、眠っているようだ。
顔色はよくなっているように思えるし、苦しんでいるようにも見えない。
多分、大丈夫だろう。
暗くなってきたので、明かりを点ける。
これも僕が白い門の中で拾ったものだ。
樹脂の筒の中に金属製の円筒が入っていて、青白く光る。
光らなくなったら、円筒を交換すれば、また使えるのだ。
その円筒を拾えないとしばらく役にたたなくなってしまうが。
交換品が街にも売っているのだが、高いし買えない。
青白い光の中――ベッドに横たわる女の子は、本当に綺麗だ。
まるでおとぎ話の中に出てくる妖精のよう。
こんな美しい人が、いるなんて――。
僕は道具の手入れをしてから、床で寝ることにした。
背嚢に入っていた毛布を引っ張り出して寝る。
朝になったら、彼女がよくなっていればいいのだけど……。
――女の子を拾った次の朝。
「ねぇねぇ」
身体を揺さぶられて、僕は目を覚ました。
「う~ん……」
眼の前に、女の子の顔がある。
「おはよう」
そう言うと、彼女が微笑んだ。
「おは――!」
僕は彼女の格好に飛び起きた。
彼女はなにも着ていなかったのだ。
つまり、素っ裸――僕は光り輝くようなまぶしい身体から目をそむけた。
女の子か男の子か、いまいち解らなかったのだが――今、確信した。
女の子だった。
「どうしたの?」
彼女が不思議そうな顔をしている。
「な、なんで裸なの?」
「私たちは寝るときには、この格好だから」
「あ、あの、服を着てよ!」
「別に、見ても構わないけど?」
そう言って、彼女は僕に抱きついてきた。
やっぱり草の香りがする。
最初は、草の中に埋もれていたからそういうにおいがするのだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
これが、彼女の香りのようだ。
「いや――ぼ、僕が困るんだけど!」
「え~? どうして困るの?」
彼女が僕の身体をなで回してくる。
「止めてくれよ!」
なんとか彼女を引き剥がし、服を着てもらった。
いきなりのスキンシップで困ってしまったが、彼女はなんとも思ってないように見える。
これが彼女たちの文化なのかもしれないが……。
「果物をありがとう。美味しかったよ」
「口には合ったのかな?」
「うん――この部屋も素敵だね」
そう言うと、彼女が深呼吸をした。
まるで、なにかを吸い込んでいるように見える。
「身体のほうは大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。こんな素敵な所につれてきてくれて、ありがとう」
彼女が満面の笑みを浮かべた。
こんな場所を素敵と言われると、少々恥ずかしい。
死にそうになっていた昨日が嘘のようだが、本当に回復したみたいだ。
病気とか怪我じゃなかったのか。
「褒められるような場所じゃないんだけど――ああ、紹介がまだだったね。僕の名前はマカゼ」
背負ったときに名前は言ったと思うけど、彼女も意識がはっきりしていなかったし。
「私は、ルテラ」
僕は迷った。
彼女が人間か、それとも違うのか、聞いてもいいのだろうか?
「ちょっと失礼なことを聞いちゃうかもしれないけど……」
「うん、なに?」
「ルテラって、僕たちとは違うよね?」
僕は、自分の耳を触った。
「そうねぇ。私たちの世界にも、あなたがたと似たような人たちがいて、只人と呼ばれていたわ」
「それじゃ、ルテラのような耳の長い種族は?」
「私たちは、エルフと呼ばれていたけど」
「エルフ――それって、やっぱり人間じゃないの?」
「ちょっと違うかも」
「そ、そうなんだ……」
やっぱり、どこか別の世界から、白い門の中に紛れ込んできたらしい。
あそこは、別の世界にも繋がっているということか。
彼女が僕たちの世界にやってきたように、僕もルテラの世界に行けるのかもしれない。
エルフという種族のことを色々と聞く。
男も女もあまり違わず、ルテラのような容姿らしい。
それはつまり、全員がすごい美男美女ってことだ――羨ましい。
肉はあまり食べず、鳥や魚は少し食べる。
野菜やパンは大丈夫みたい。
代りにこちらの世界のことを説明して上げた。
「へ~、そういう仕組みで経済が回っているんだ。変わってるね」
「う、うん」
経済とか言われても、学校にも行ってない僕にはよくわからない。
彼女はそういう知識もあるみたいだ。
「白い門というのは、誰が作ったの?」
「神様だって言われてる」
「あ~、なるほどぉ。誰かが魔法を使って開いたわけじゃないのね」
「魔法?」
「そう、魔法」
「……」
僕は突然魔法なんて言い出した彼女の話を聞いて、困ってしまった。
そんな僕を見て、彼女も困った顔をしている。
「ここに魔法はないの?」
「そんなのないよ」
「そうなんだ」
彼女は少し考えてから、なにかをするようだ。
いったい何をするんだろうと見ていると、彼女がなにかを唱えた。
「光よ!」
彼女の言葉で、目の前に光の玉が浮かぶ。
「え?!」
「なんだ、魔法がないのかと思ったけど、使えるじゃない」
「そ、それはなに?」
「魔法だよ」
まさか、本当にそんなものが、この世に存在するなんて。
「魔法……」
ルテラがニコニコしている。
「ここには精霊がたくさんいるから、魔法が使えると思ったんだ」
「精霊?」
「君たちには感じないと思うけど、ここは精霊で満ちているんだよ」
「そ、そうなんだ」
その精霊というものの力を借りて、魔法を使っている感じみたいだ。
「洗浄!」
彼女が次の魔法を使う。
青い光が周りに溢れて染み込んでいくと、なにかがパラパラと落ち始めた。
「こ、これは?」
「これは洗浄の魔法だよ。汚れが綺麗になる」
汚れが下に落ちるから、掃き掃除をしなくてはならないが、水浴びや湯浴みをしなくてもいい。
これは便利だ。
でも、こんなものを人に見せるわけにはいかない。
多分、大騒ぎになるし、この街の支配者たちの耳にも入る。
彼らは、どんな手を使ってもルテラを手に入れようとするだろう。
「お願いだから、人前では魔法を使わないでほしい」
「魔法がない世界なら、それを手に入れて、独り占めしようとする輩が絶対に湧くよね」
「そ、そうなんだ」
彼女は僕の心配を察してくれたようだ。
頭もすごくいいみたい。
読み書きもできるし、難しい計算もできるという。
すごい。
彼女から色々なことを教えてもらう。
世の中は、知らないことばかりだ。
彼女は、可能ならば元の世界に戻りたいようだ。
僕もできるだけ、彼女の願いを叶えてあげたいと思う。
今の段階だと、いったいどうすればいいのか、さっぱり解らないけど。
白い門の中をさまようとなると、大量の物資が必要になるだろうし。
――そんなわけで、エルフという種族であるルテラという名前の女の子と、一緒に暮らすことになった。
共同生活を始めて、まず困ったのは、彼女が裸で眠ること。
最初は戸惑った僕だが、すぐに彼女と一緒に裸で抱き合い眠るようになってしまった。
肌を重ねるたびに、彼女を守らなければ――という、想いが強くなる。
僕の勝手な思い込みだが、実際は彼女のほうが絶対に強いし、魔法という強力な武器も使える。
情けないが、これでは僕は守ってもらうほうだ。
次に困ったのは食事。
種族が違うのだ――メニューが僕たちと違うのは致し方ないと思うのだが、彼女が僕の食事を食べたがるのだ。
なん回もされて困ったので、最初から食事をあげると、ニコニコして彼女の食事を僕に差し出してきた。
それで理解した。
僕の食べているものを欲しがるのは、彼女たちエルフの愛情表現なのだ。
それを理解したので、なんでも彼女と共有することにした。
するとそれに応えるように、彼女も返してくれる。
最後には口移しの食事もするようになってしまう。
彼女に聞くと、これもエルフだと普通らしいのだが、僕はどんどん彼女の虜になっている。
――彼女との親交も深まったある日。
深いローブを着て、外に出た彼女が、なにか拾ってきた。
「なにを拾ってきたの?」
「これ」
彼女が黒い石を差し出した。
「石だけど」
「これは魔石だよ」
魔石というのは、精霊によって魔力を蓄えて変質した石らしい。
僕たちは魔法というものを使えないので、そこら辺にある石と区別がつかない。
ルテラの話では、僕たちが住んでいる大木の間に挟まっていたという。
大木の成長とともに石が取り込まれて、魔力というものを長年蓄積してきたみたいだ。
貴重なものらしいのだが、僕たちには使い道がない。
「なにか使い道があるの?」
「うん」
彼女の話では、魔法の補助に使ったり、魔導具というものを動かすのに使えるらしい。
僕が拾った照明道具の中に入っている、円筒のアレみたいな感じか。
魔石は貴重らしいので、2人で拾い、合計で100個ほどの石を手に入れた。
彼女がいた世界なら、これだけの魔石があれば一財産らしいのだが、ここでは無価値。
誰も振り向かない――文字通りの路傍の石。
その価値を知っているのは、僕たちだけだ。
魔石が集まったので、彼女に魔導具というものを作ってもらうことにした。
針金を曲げて形を造り、明かりが灯るところには螺旋の金の糸を使う。
金は僕が門の中で拾った金貨があるので、それを提供した。
いざというときのために取っておいたものだが、役に立つなんて。
見ていると誰でも作れそうである。
作るためにも魔法を使うので、魔導具の専門の知識がないとだめらしい。
彼女のいた世界には、そのための専門の業種があったという。
「いい? 動かしてみるよ」
「本当に明かりが点くの?」
「もちろん」
彼女が笑って魔導具の一番下に魔石を置くと、金の螺旋に青白い光が灯った。
「ええ?! す、すごい! これを使えば、いつでも明かりが使えるね」
「明かりなら、私の魔法でもいいんだけど」
「だって、これなら魔法を使えなくても誰でも明かりを使えるんだろ?」
「そうだね」
「すごいよ!」
これを売りに出したら、大儲けができる!
一瞬そんなことを考えたのだが、こんなものを人に見せたら、すぐにこの街の支配者の耳に入る。
そうしたら、全部を取り上げられて、僕は放り出される。
有力者に知り合いでもいれば――僕にそんなツテがあるはずがない。
いや、放り出されるぐらいならまだマシで、もしかして殺されてすべてを奪われてしまうかもしれない。
いざとなったら魔導具なんていらないけど、僕はルテラを失いたくない。
もう彼女との日々が、僕の生きるすべてになっていた。
――魔導具という便利なもので生活が楽になってしばらくすると、ルテラがまたなにかを作ったらしい。
「これは?」
「これは――魔法の袋だよ」
彼女が腰につけるような、小さな袋を差し出した。
「魔法の?」
「そう」
彼女に使い方を教えてもらってびっくり仰天。
見かけは小さな袋なのに、ものがたくさん入るのだ。
大きな部屋2個分ぐらいの広さがあるらしい。
大きなものが、小さな袋に吸い込まれる不思議。
「これが魔法……」
「そう、便利でしょ?」
「ルテラがいた世界では、これが普通に使われていたの?」
「普通ってわけじゃないかなぁ。これは一部の魔導師にしか作れない高価なものだからね」
「それじゃ、金持ちの商人が使うような……」
「そうそう、それと貴族とか王族って人たちね」
僕らの世界にも貴族はいるが、政治には関わっていない。
それぞれの地方には議会があり、選挙で代表者が決められている。
投票ができるのは、ある程度収入がある市民に限られているけど。
「でも、これはすごいよ!」
「君の商売にも使えるでしょ?」
「もちろん!」
今まで門の中で物資を拾っても、運べなくて捨てたものもたくさんあるのだが、これがあればそんなこともなくなる。
可能な限り物資を集めて、街で売ればいい。
もちろん、こんな便利な袋を持っているなんて、バレたら絶対にマズいので、あちこちでちまちまと卸す――などの対策が必要になるだろう。
彼女から魔法の袋をもらった僕は、門の中で物資を拾って稼ぎまくった。
蓄えができると自転車を購入して、物資を隣街で売るようになった。
この街から少し離れるだけで、なん倍もの値段でものが売れるのだ。
魔法の袋があれば、たくさんの物資を持っての移動も苦にならない。
僕の収入も倍々で増えていった。
収入が増えても僕らの住処は同じだ。
精霊がたくさんいるあの部屋を、ルテラが気に入っていたからだ。
僕だって、彼女さえいれば他のものはなにもいらなかった。
それでもお金を稼いでいたのは、彼女が生まれた故郷に戻る手助けをしたいと思っていたから。
白い門の中を旅するために、可能な限りの食料などを集める。
ルテラに魔法の袋をもう一つ作ってもらい、その中に旅に必要な物資を溜め込んだ。
彼女も自分の袋を作って、必要な物資を集めている。
2人の楽しい日々が続いた。
――僕たちの旅立ちが近づいてきたある日。
街の支配者から呼び出しを受けた。
怖そうな男たちが、なん人もやってきて、支配者の屋敷に来いという。
銃も持っているし逆らえない。
僕は、ルテラにローブを着せると、部屋のものを全部魔法の袋の中に入れた。
ついに、長年暮らしたこの部屋ともお別れのときがやって来たのかもしれない。
彼女と一緒に部屋から出ると、僕にいつも嫌味を言っていた男がニヤニヤしていた。
身体が大きな男から、なにやらもらっている。
あいつが告げ口をしたに違いない。
大木の下に停めてあった馬車に乗り込むと、僕たちは街の中心に向かった。
馬車の中では、数人の男たちに囲まれて隙がない。
その男たちの1人が、ルテラのローブをめくった。
「おっと! こいつがそうか? こりゃ確かに、この世のものとは思えんなぁ……」
こいつらはルテラの正体を知っていたようだ。
「やめろ!」
彼女を抱き寄せて、ローブを被せた。
「このガキ!」
「おい、手を出すなと言われているだろ?」
「ち!」
リーダーらしき男から注意を受けて、男が引き下がった。
「ルテラ、大丈夫?」
「大丈夫、私たちの秘密を聞き出すまでは、手荒なことはしないと思うから」
「うん」
なんとか隙を見つけて、彼女と逃げ出す算段をしなくては。
正面から戦ったとしても、武装しているやつらに敵うはずがない。
自転車も魔法の袋の中に入っているので、機動力は問題ないはず。
ルテラの自転車も購入して、人のいない場所で乗る練習もしていた。
乗り物は門の中を旅するのも役に立つと思う。
パーツや工具も集めておいた。
街の中心には、大きな塀で囲まれた地区が作られており、金持ちなどが住んでいる。
馬車が境界線である門を超えた。
そこは僕たちが住んでいた地区とは別世界。
僕も初めて入ったところだ。
「降りろ!」
馬車が石造りの白い屋敷の前で止まる。
正面も大きいが、屋敷は奥にも続いているようだ。
男たちに連れられて、屋敷の中に入った。
中に入るとホールで、天井は吹き抜けになっている。
全部石造りで床には赤い絨毯――豪華絢爛で両脇には階段。
僕たちが住んでいた木のウロとは雲泥の差だが、あそこには僕の幸せが詰まっていた。
もう戻れないかもしれないけど、ルテラと一緒なら平気だ。
幼いころ母が言っていた「人は異郷に生まれて故郷に帰るんだよ」
そうだ――僕もルテラと一緒に、故郷に帰るんだ。
連れられて階段を上り、長い廊下を歩く。
生まれてから見たこともないものばかりだ。
しばらく歩くと一番奥の部屋に案内され、黒塗りで大きな木製の扉が開く。
大きな部屋には、明るいガラス窓。
赤い絨毯の上には、革張りのソファーとりっぱな木の机。
そこには、ちょっと太って恰幅のいい、ヒゲを生やした男が座っていた。
周りには子分らしきたくさんの男。
武装しているのが解る。
「お前が、マカゼか?」
「そうだけど」
「お前は、色々と便利なものを持っているそうだな?」
「なんのことか解らないな」
僕がとぼけたセリフを言うと、いきなり横から殴られた。
「このガキが、とぼけやがって! お前の近所に住んでいた連中から、タレコミがあったんだよ!」
やっぱりそうか。
「おいおい、暴力はやめろ。なるべく平和的にいこうじゃないか」
「申し訳ございません」
手下が支配者に頭を下げた。
こういう連中の手口だ。
子分が暴力を振るって、偉い人がなだめる。
今度は、男がルテラのローブを脱がせた。
「「「おおっ!」」」
部屋にいた連中が、一斉にルテラの美しさに声を上げた。
「こいつはすげぇ」
支配者の男も、彼女の美しさに目を見張っている。
「……」
彼女は黙ったままだが、僕と同じようにここから逃げ出すチャンスを狙っているはず。
「どうだ? 俺の女になれば、いい暮らしができるぞ?」
男がそう言うと、こちらに近づいてくる。
僕は、魔法の袋から銃を取り出すと、いやらしく笑う支配者に銃口を向けた。
「ルテラに近づくな!」
「おっと! 武器のチェックはしなかったのか?!」
「いえ、武器など持っている様子はありませんでしたので……」
こいつらは、魔法の袋の存在をしらない。
こんなものが袋の中に入っているなんて夢にも思わないだろう。
「まぁまぁ、そんな物騒なものを引っ込めろ。建設的な話をしようじゃないか。お前だって大金を掴めるんだぞ」
僕は近づいてきた男に向かって引き金を引いた。
轟音と閃光が部屋の中に響く。
いつも買っていた銃の弾は粗悪品だったが、最近準備していたものは、かなり上等な代物ばかりだ。
一発目から弾が出た。
「「「うお!」」」「ボス!」
部屋にいた男たちが、ざわめいた。
「このクソガキがぁ~!」
男が鬼の形相になる。
これが、こいつの本性だろう。
こんなやつらが、最初から信じられるわけがないのだ。
どうやら、ビビって撃った弾は、男には命中しなかったらしい。
「「「!」」」
周りの男たちが、一斉に銃や剣を抜いた。
「あ~あ、お金になるんなら、利用しようと思ったんだけどなぁ……」
黙っていたルテラが、つぶやいた。
「なんだと?」
「光弾よ!」
彼女の周りに光が現れると、まばゆさで部屋の中が照らされる。
ルテラの魔法だ。
「な、何だ?!」
「我が敵を撃て!」
敵のボスと数人の男たちが、彼女の魔法を食らって身体に大穴が開いた。
千切れた身体から、赤い液体と内臓が飛び散る。
「うわぁ!」
突然、目の前で行われた殺人で、僕は少しパニックになった。
「ボ、ボス!」「クソガキがぁ!」「やっちまえ!」
大勢の敵が武器を構えたところで、彼女が僕を抱きかかえる。
「聖なる盾!」
僕らの周りに透明な壁が現れて、悪意を持った銃弾や切っ先を跳ね返す。
「くそ! なんだこりゃ」「チクショウ!」
ルテラは僕を抱えたままドアに突進すると、そのままぶち破って廊下に飛び出た。
敵はまだ部屋の中だ。
「それじゃみなさん、ごきげんよう――火の壁!」
彼女の魔法で、部屋の中に突然火柱が上がる。
一面が炎で包まれ、ドアから炎が噴き出すと、外では窓が割れる音がした。
「ぎゃぁぁぁ!」「ひぃぃぃぃ!」
男たちの叫び声が聞こえる。
これじゃ丸焼けだろう。
突然目の前に現れた地獄に僕はその場にへたり込んだ。
「あ……あう……」
「マカゼ! 逃げないと!」
「う、うん」
彼女に手を引かれて、僕は走り出した。
屋敷の住民たちは突然の火事にてんやわんやになっており、僕たちのことなんてどうでもよくなっているらしい。
集まってくる人たちの間を抜けて、外に出た。
「マカゼ、自転車を!」
「わかった」
魔法の袋から、自転車を2台取り出した。
2人でそれにまたがると、目指す場所は決まっている。
異世界につながる門だ。
この街の支配者を殺して、屋敷に放火――重犯罪のお尋ね者だ。
当然もうこの街にはいられない。
もともと、門の中に入ってルテラの故郷への道を探すために準備していたのだ。
それが、ちょっと早まっただけ。
2人で門の場所に到着して、自転車から降りた。
自分たちのやったこと、目の前で起きた惨状に、僕はその場でへたり込んだ。
「ごめんね私のせいで」
騒ぎを起こしてしまったのを後悔しているのか、ルテラがしょんぼりしている。
「いや、いいんだ。本当なら――僕があいつらを倒して、君を守らなければならなかったのに、なにもできなかった……」
自分の無力さに、涙が出てくる。
彼女を守るとはこういうことだったんだ。
まったく覚悟が足りていなかった。
そんな僕を彼女は抱きしめてくれた。
「私は門の中に入るけど、マカゼはどうする?」
僕は涙をぬぐった。
「もちろん、一緒に行くよ! そのためにずっと準備してきたんだから」
「よかった!」
彼女が喜んでいる。
僕もルテラにふさわしい男にならないと。
2人で手を繋ぐと、自転車を押して門の中に入った。
突然、僕たちの前に現れた、巨大な建造物。
追加の物資を集めるのに、最適だ。
――ここから、僕とルテラの物語が始まるんだ。
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――あれから20年以上の月日が流れた。
結果的には、俺たちはルテラの世界にたどり着くことができた。
彼女が言っていたように、たどり着いたのは魔法がある世界だった。
俺も数々の仕事や戦闘をこなして、彼女にふさわしい男になれたか――。
ガキの頃よりは多少はマシになったかもしれん。
俺はすっかりとオッサンになってしまったが、ルテラは初めて出会ったあのときの少女の姿のまま。
周りから聞くには、エルフってのは1000年以上生きるらしい。
多分、20年かそこらでは、見た目は変わらないのだろう。
俺が爺さんになっても、彼女はそのままかもしれない。
果たして――俺が死ぬときに「君と一緒に暮らして楽しかった」
彼女にそう言ってもらえるだろうか。
俺はただ、そのためだけに今を生きている。
END