オッサン幼女を拾う
「わらわを助けるがよい!」
俺の目の前に、両手を腰に当てふんぞり返った女の子がいる。
ちょっとボロボロの麻のワンピースと、長めの金髪。
元々はクルクルヘアーだったのか、それが解けて半端なウェーブになっている。
歳は12歳ぐらいか?
腰に巻いた紐には、装飾が施された高そうな短剣が刺さっている。
すでに辺りは暗い。
ここはたくさん木々が鬱蒼と茂る、深い森の中。
川岸で獲った魚を焚き火で焼いて、オレンジ色の炎を眺めていたら――。
目の前に女の子が現れた。
なにを言っているのか解らねぇと思うが――突然のできごとに俺は困惑した。
「あ~お嬢ちゃん、迷子かい?」
「とある理由でここにいるが、迷子ではない!」
彼女が断言したのだが、ここは結構な森の奥だ。
女の子が1人でいるような場所ではない。
親とはぐれたのだろうが、彼女は迷子ではないと言い張っている。
あちこち歩き回ったのだろうか、かなり汚れている。
こんななりだが、風呂にでも入れば光輝く可愛い子なのではなかろうか。
「それで、助けるってのは、なにを助けるんだい? 迷子じゃないんだろ?」
「……」
彼女がふんぞり返ったままで固まっているのだが、そのときなにやら変な音が聞こえてきた。
腹が鳴った音だと思う。
俺の腹ではないので彼女の腹なのだろう。
「!」
赤い顔をして彼女が自分の腹を押さえている。
やっぱり、さっきの音は女の子の腹が鳴った音のようだ。
「あ~、腹が減っているのか……それじゃ、この魚を食うかい?」
俺は焼いていた川魚を差し出した。
もう焼けているだろう。
明日の朝飯の分まで焼いていたので、俺の分もあるしな。
「うむ!」
彼女が偉そうに串に刺した魚を受け取ったのだが、しゃがみ込むと、じ~っと食い物を見つめたまま固まっている。
「ん? どうした? 食べないのか?」
「これはどうやって食べるのだ? ナイフと皿は?」
「ああ、こうやってかぶりつくんだよ」
俺は困惑しつつも、川魚にかぶりついて見本を見せてやった。
焼いた魚も食ったことがないなんて、どこかの落ちぶれた貴族のお嬢様か?
まぁ、そういう連中もそれなりにいる。
諸事情で貴族ではなくなったのに、貴族のクセが抜けない連中だ。
貴族じゃないのに貴族を名乗れば、それは重罪である。
なのに貴族ヅラをするのだから、アホかと思う。
貴族嫌いの奴らもいるから、そういうのに見つかるとボコボコにされてしまうけどな。
この女の子がどういう出自なのかは知らんが、俺の真似をして魚を食べ始めた。
「美味い! これは美味いな!」
女の子が年相応に笑う。
「そうか――この魚は美味いんだ」
ワタを抜いて、塩で焼いただけだが、十分に美味い。
「ハグハグ!」
なんだか、一心不乱に食べているなぁ……。
「なんだ、どのぐらい飯を食ってないんだ?」
「2日ほど、食べておらなんだ」
「親は? 誰か一緒にいなかったのか?」
「一緒にメイド長がいたのだが、途中ではぐれてしまった……」
メイド長――メイド長か。やっぱりいいところのお嬢様のようだな。
まさか、捨てられたんじゃないだろうな。
「そうか~、そりゃ災難だったな……もう1本食うか?」
「うむ! そなたに百万の感謝を!」
しっかりと礼儀は心得ているようだ。
俺は追加で、魚を焼き始めた。
教育も受けているようだし、やっぱり貴族かなにかだろうか。
まぁ、詳しいことを聞くつもりもねぇ。
俺には関わりのないことだしな。
俺はカップに注いだぶどう酒を差し出した。
俺しかいなかったから、スープなどは作ってない。
生水は飲めないので、ぶどう酒を飲むしかないわけだ。
「飲み物はぶどう酒しかないぞ」
「ありがたい」
彼女がカップを受け取ると、ごくごくとそれを飲み干した。
「おいおい、そんなに飲んで大丈夫か?」
「数日、水も飲んでいなかったゆえ」
「そこら辺の水を飲んだりしてないか? 腹を壊すぞ?」
「うむ! 我慢できずに飲んだら、下痢をしたぞ」
「あ~、病気になることもあるから、火で沸かして飲まないと駄目だ」
「そうなのか? わらわは、外のことは何も知らぬゆえ」
やっぱり、深窓の令嬢がいきなり外に放り出されたか?
「……」
食べて飲んでいたと思ったら、女の子がいきなり静かになった。
座ったまま、ゆらゆらと揺れている。
腹いっぱいになったのと、酒の酔いが回ってしまい、眠気に襲われているようだ。
子どもに悪いことをしてしまったが、あいにくぶどう酒しかなかったからな。
オッサンが1人で森の中に入り、狩りや採取の仕事をする。
俺のは、そのための装備で、子どもの相手をするようにはできていない。
そのまま放置すると焚き火の中に倒れ込みそうだったので、俺の所に引き寄せて寝させることにした。
こんな子どもになにかする気も起きねぇ。
どうせ助けるなら、ボン・キュッ・ボンのお姉さんがよかったぜ。
彼女の話では、メイド長ってのが一緒だったんだろ? そっちが来てくれればよかったのに……。
少々気になることがあって、彼女のブーツを脱がせた。
服はボロだが、ブーツはよいものだ。
革の中から出てきた女の子の足は、豆ができてボロボロになっていた。
多分、ロクに出歩いたことがない真っ白な足が、真っ赤になっている。
俺は、荷物から硫黄の軟膏を取り出すと、足に塗ってやった。
そのままだと化膿する可能性もあるし、消毒したほうがいい。
包帯代わりに持っている、ボロキレを彼女の足に巻いてやる。
「ふう、これでいいだろう」
彼女を膝の上に乗せたまま、俺も焼けた川魚を食べて、ぶどう酒で一日の疲れを癒やした。
辺りはすでに真っ暗。
眼の前で燃える焚き火が弾ける音が響く。
自分が着ている革の鎧と、愛用の剣の手入れをする。
大切な相棒の手入れを欠かすことはできん。
ざわざわという森のざわめきの中に、様々な動物の鳴き声も聞こえてくる。
もちろん、魔物という厄介な存在もいるので、注意が必要だ。
そう考えると、女の子1人で森の深層をウロウロしていて、よく無事だったな。
運がいいのか……。
そういうガキを拾ってしまった俺は、逆にツイてねぇ。
狩りでちょいと飯代を稼ごうとしたらこのざまだが、これはどうしたもんかなぁ。
女の子を放り出して、死なれたら寝覚めも悪いし。
ちょっとだけ盗賊やら野盗の手先かと思ったが、どう見ても演技じゃないし、本物のどこかのお嬢様なんだろう。
もしも元貴族などとバレたら、奴隷狩りの格好の的だ。
なにも知らんこんなガキは、あっという間に奴隷商人に手玉に取られて、世間の吹き溜まりの中に堕ちていく。
あ~あ、イヤダイヤダ。
――かと言って、こんなの面倒みれんぞ?
は~、教会にでも預けるか。
本当に元貴族なら、読み書き計算もできるだろう。
教会も拾ってくれるはず。
そうしよう――俺はそんなことを考えながら、荷物から取り出した毛布を巻いて、女の子と一緒に眠りについた。
------◇◇◇------
「起きるがよい!」
顔をペシペシと叩かれる感触で起きた。
「なんだ?!」
森の中で寝るというのは、安心できずに眠りも浅い。
夜中にも数回起きて、辺りを警戒しなければならない。
なにごともなく夜が明けて、逆に少々安心してしまったようだ。
突然の声で俺は飛び起きて剣に手をかけたのだが、俺の前には女の子が座っていた。
「大変なことになった!」
「なんだなんだ?! いったいどうした? 寝小便でもしたか?」
「そんなことをするはずがなかろう! 淑女の前でなんということを申すのじゃ!」
「あ~、はいはい。オッサンだから下品ですみませんねぇ――ふわぁぁ!」
周囲を見回しても、なにごともないようなので、気が抜けた俺は大きなあくびをした。
「なにをのんきな!」
「いったいなんなんだよ? 腹が減ったのか?」
「腹も減ったが――そ、そうではない!」
「それじゃいったいなんだ?」
「……」
突然、彼女が赤くなって、もじもじしている。
「なんだ? それじゃ、おしっこか? もしかして、ウ◯コか? いいぞ、そこら辺でしてきて」
「そ、そうではない!」
「それじゃ、なんなんだよ」
なんだかよく解らんガキの対応に、俺はちょっとイラついていた。
「わらわは、そなたの妻にならねば……」
彼女がボソリとつぶやいた。
「はぁ?!」
女の子が漏らした突然の言葉に俺が固まった。
「……」
「なんでそうなるの?!」
「……男と同衾してしまっては、その事実からわらわは逃げられぬ」
「同衾って――あのなぁ、なにもしてねぇから、そんな心配しなくても大丈夫だぞ? 元々、子どもの相手なんぞ、するつもりはねぇし」
「わらわは、子どもではない!」
まぁ、街ならこのぐらいの歳になったら働き始める。
そうすれば、立派な大人扱いだ。
でも、このお嬢様はどうよ?
「誰も見てなかったら大丈夫だろ?」
「そうはいかん!」
こいつはガキのくせに、なかなか強情だ。
俺は大きなため息をついた。
「とりあえず、俺の住んでいる街に戻る。このままガキ連れで仕事なんぞできねぇからな」
「承知した。そなたの妻となる、わらわの名前は、リリー・ララ・スカテナートである!」
「妻じゃねぇっての……あ? スカテナート?」
「うむ!」
彼女がふんぞり返った。
「スカテナートって、この前、政変でひっくり返ったとかいう、西の小国じゃねぇか?」
「その通りである! そのスカテナート第1王女、リリー・ララ・スカテナートとはわらわのことである!」
「え? マジで?」
「マジである!」
彼女が腰の短剣を差し出した。
紋章が刻んであるのだが、俺がそいつを見て本物かどうかなんて解らねぇ。
「うわぁ……どこかの落ちぶれた貴族かと思ったら、王族とか……」
彼女の話を聞いた俺は、頭を抱えた。
どう考えても、クソ面倒なことにしかならねぇ。
もう、このままガキを置いて逃げるか?
「フンス!」
お姫さまは、得意満面である。
「あのなぁ、お姫さま――俺は平民で、その日暮らしのオッサンだ。そんなやつといても、ろくなことにならんぞ?」
「それなら心配はいらぬ! わらわも、国を追い出されたゆえ、すでに王族でもなんでもない。すなわち、平民となんら変わらぬ」
「……その、同衾したから俺についてくるってのは、どうしても譲れないことなのか?」
「そのとおりだ!」
「そんなの誰も見てねぇし、とぼけりゃいいじゃねぇか」
「そうはいかん! 誰も見ておらぬでも、天におわす神を欺くことはできん!」
「あ~、お姫さま、信心深いとかそういう系?」
「無論だ!」
俺は神様とか信じてねぇんだよなぁ……。
熱心な信者は、たまに奇跡を授かったりするって話もあるんだが、どうにも眉唾だし。
この歳まで、そんな機会に恵まれたこともなかった。
「まぁ、王族なら近くに聖職者もいたんだろうなぁ」
ガキの頃からそういう教育を受ければ、そうなるか……。
「そなた! わらわの夫になる者の名前を知らぬ! 教えてたもれ」
「ええ~? 本気なんすか? お姫さま……」
「無論だ! そなたは、神に嘘をつけと申すのか?」
「そうは言いませんけどねぇ……ヴァンルーラー、ヴァンでいいですよ」
「ヴァンだな! 妻としてよろしく頼むぞ」
「マジで? 私がどんな人間か、解ったものではないんですよ?」
「それこそ大丈夫であろう? そなたが悪人であれば、わらわはすでに無事ではないはず」
「そりゃ、そうですが……」
あ~、こんなの街のやつらに、なんて言われるか……。
そのあとも話してみたが、お姫さまは考えを変えるつもりはないらしい。
このまま放置するわけにもいかず――かと言って、仕事に連れて歩くわけにもいかん。
やはり、一旦街に戻って、教会に相談して見ることにした。
俺が仕事に出ている間は、教会で預かってもらうとかしてもらえないだろうか。
少々お布施を渡し、信心深い子どもだと言えば、無下にされることもないだろう。
とりあえず、朝食として小さな鍋に魚でスープを作った。
硬いパンを浸して食う。
予定では3日ほど森の中で過ごすはずが、1日で街にとんぼ返りだ。
「美味いな!」
「下賤な民の食い物で、申し訳ございませんねぇ」
「むう……夫婦なのだから、敬語はやめるがよいぞ?」
「え~? やっぱり考えは変わりませんか?」
「天地がひっくり返っても、変わらぬ!」
「そうすか……しゃーねぇなぁ……それじゃ、リリーと呼んでいいのか?」
「無論だ! わらわもヴァンと呼ぶからな」
「わかったわかった」
装備を片付けて背嚢に詰め込むと、撤収の準備をする。
「わらわも手伝ったほうがよいか?」
「まぁ、そういうのは徐々に覚えてくれ」
「承知した」
装備を背負い、街に向かって歩き始めようとすると、リリーに服を掴まれた。
「どうした?」
「足を治療してくれたのだな――感謝する」
ちょっと彼女がしおらしくなっている。
「そりゃ、子どもが怪我をしてたら治療もするさ」
「子どもではないぞ!」
「あ~、はいはい……ははは」
そうは言っても、やっぱり歩くと脚が痛いのだろう。
途中で馬でも捕まえられればいいんだがなぁ……。
背負ってやりたいところだが、背嚢の荷物があるからな――とはいえ、小さな身体をひょこひょこと歩いている姿は可哀想だ。
「よし、俺が背負ってやるから」
俺は背中から背嚢を降ろした。
背嚢を手に持って彼女を背負っても、ゆっくりとなら進めるだろう。
「いらぬ! 妻が夫の足を引っ張るわけにはいかぬ!」
「もうちょっと背が大きくて、胸が大きなお姉さんにそういうことを言われたら、グッときちゃうところなんだろうけどなぁ……」
「それなら心配いらぬぞ? 我が母、フレイ・ルル・スカテナートは、胸が大きかったゆえ、いずれわらわもそうなるはずじゃ」
「スカテナートのフレイ王妃といえば、辺境の超絶美人と誉れ高い」
「うむ!」
それは期待大だが、今はただの子どもだ。
「その王妃様はどうした?」
「……わらわを逃がすために……」
元気だった彼女の顔が、突然真っ暗になった。
いくら強がっていたとしても、これが普通の子どもの顔だろう。
「すまん……」
そんな美人が敵の手に落ちたとなれば――タダではすまないはず。
俺は嫌がる彼女を無理やり背負った。
背嚢を手に持って森の中を進む。
「そんなに心配しなくてもいいぞ。体力には自身があるからな」
「し、しかし……」
「子どもが余計な心配をしなくてもいいから」
「わらわは、子どもではない!」
「はいはい」
ゆっくりと進んでも、明日の夕方には街に到着できるだろう。
安全そうな場所を探して、早めに泊まる場所を確保しなくては……。
「そなた、魔法の袋はないのか?」
「そんな高価なもの、平民が買えるはずがねぇ」
「そうか」
魔法の袋ってのは、たくさんの荷物を入れられる便利なものだ。
魔法で袋の中を拡張してあり、見た目よりたくさんのものを入れられる。
お姫さまの言うとおり、そんなものがあれば、こんな苦労をしなくても済むんだがなぁ……。
――そのまま森の中を進み、次第に空が染まりだす。
「そろそろ降ろしてたもれ。だいぶ足もよくなったゆえ」
「無理しなくてもいいんだぞ?」
「大事ない」
彼女を降ろして、キャンプする場所を探していると、突然森がざわついた。
まるで森が鳴いているように震えている。
「これは……」
「なんじゃ?」
「これは魔法だ――多分、探知系だろう」
「もしや――わらわの追手かもしれん」
「追われているのか?」
「うむ――途中でメイド長が囮になって巻いたと思ったのだが……すまん、そなたを巻き込んでしもうた」
お姫さまが、しょんぼりしている。
「まったくもってツイてねぇが――うだつの上がらねぇ平民のオッサンが、マジな王女様守って、騎士ごっこができるんだ。こいつは気張るしかねぇだろ?」
「……ヴァン、これをそなたに……」
彼女が腰の短剣を俺に渡してきた。
「なんだ?」
「やつらの狙いはコレだろう」
「お姫さまじゃなくて?」
「違うな」
なにか訳ありってやつか。
こいつにお宝の隠し場所が記してあるとか、そういう系か?
少しでも移動しようと、荷物を捨てて走り始めたのだが、ガキが一緒じゃ限界がある。
「わらわを置いて、その剣だけ持って逃げるがよい!」
「なに言ってんだ、夫婦なんだろ? 妻を置いて逃げるはずがねぇだろ?」
「そなた……」
――などと、夫婦ごっこをやっていると、馬の蹄の音が近づいてきた。
さっき魔法を使った連中だろう。
相手が馬じゃどうやっても逃げられねぇ。
「くそ! やるしかねぇか!」
俺は大木を見つけると、そいつに背をつけて後ろの姫を隠す。
こうすれば、回り込まれる心配はなくなる。
「ヴァン!」
彼女が指した方向から馬がやって来て止まると、くるりとその場で一回転した。
「どうどう!」「見つけたぞ!」「ほら、あたいの言ったとおりだったろう?」
やってきたのは3人。
革の鎧と、茶色のローブを着た男たちと、緑色のローブの女。
この女がさっきの魔法を使ったのだろう。
ローブの影で見えねぇが、多分中年の女だ。
「騎士じゃねぇな」
「暗殺者どもじゃ」
「物騒な連中をよこしやがって」
俺とお姫さまが話していると、相手のリーダーらしき男が話しかけてきた。
ローブを脱ぐと、黒い頭で顔に大きなキズがあるゴツい男だ。
浅黒い肌をしている。
「おい! そのガキを寄越せ! そうすりゃ、命は助けてやらんこともない」
「そりゃ、確約じゃねぇんだろ?」
「ははは!」
男が、大口を開けて笑った。
「お姫さまは国を捨てたんだぞ?! なぜつけ狙う!」
「そのガキが持っている短剣を回収しろという命令なんでなぁ……まぁ、正直ガキはどうでもいいんだ」
彼女から渡された短剣にはなにか重大な秘密が隠されているようだ。
「そうだねぇ、元王族のメスガキなんて奴隷商に高く売れそうだしねぇ――おほほ」
後ろにいる魔導師の女がとんでもないことを口走っている。
「くそ、人でなしどもが!」
「ヴァン! 奴らは手練じゃぞ?! 勝てるのか?」
「あ~、見ればわかるが――多分、無理だな」
「おい! どうするんでぇ?! ガキを引き渡すのか?!」
男たちが剣を抜くと、その後ろに控えている女も魔法の準備を始めた。
こりゃ、万の一つの勝ち目もない。
俺は、その日ぐらしのしがないオッサンなんだよ。
「くそ!」
それでも俺は、剣を構えた。
子どもを差し出すなんてできねぇ。
「あまり賢くはねぇようだな」
まぁ、敵の言うとおりだ。
こんな場所で命を張っても、1銅貨の得にもならねぇ。
「く……」
俺と敵の緊張が高まり、今にも弾けそうになったとき――。
「姫様!」
突然の女の声とともに、敵に向かって刃物らしきものが投げつけられた。
「うおっ!」
思いもよらぬ方向からの攻撃に、敵が馬上でバランスを崩す。
「今だ!」
その機会を逃さず、俺も攻撃に転じようかと思ったのだが、お姫さまに身体を掴まれた。
「待つがよい」
振り向くと、彼女の身体が光の粒子に包まれていた。
「なんだ?! 魔法?!」
『古より連なる王家の血筋を使い、リリー・ララ・スカテナートの名において、聖なる契約を結ぶ』
彼女は俺の首に飛びついて、唇を重ねてきた。
『聖なる契』
まばゆい光が辺りにあふれる。
まるで光の洪水。
光だけではない。
光のうねりには、手触りがあるように感じる。
それが俺の中にも流れ込んできて、身体中を駆け巡るようだ。
オッサンになって体調が完全になることはなかったが、久々に溢れる若さのようなものを思い出した。
「なんじゃこりゃ?! 力が溢れている?!」
「そなたは、今から神に仕える聖騎士になった」
「聖騎士!?」
「虚仮威しがぁぁ!」
バランスを崩していた敵が、なんとか態勢を立て直して、馬ごとこちらに向かってきた。
敵が馬上から振り下ろした剣が白い軌跡になって光る。
その軌道も動きもはっきりと見え、どう対処していいのか、今の俺にはすべて理解できていた。
光る刃を躱し、馬の下をくぐり抜けて反対側に出ると、男の足首を掴まえる。
そのまま力まかせに敵を引きずり落とす。
以前の俺なら、こんな力技は不可能だったが、今ならできる。
俺の身体にはそのぐらいの力が溢れていたのだ。
「うげぇ!」
地面に這いつくばった男の胸を踏みつけて、喉に剣を突き立てた。
白い刃から鮮血が噴き出し、男が苦悶の表情を浮かべる。
手応えを確認しつつ辺りを警戒すると、敵の魔導師が叫び声を上げた。
「アドゥシール! おのれ! 我が内なる力から生み出されし灼熱よ~!」
馬上にいた女の魔導師の前に、光が集まり始める――魔法だ。
「ヴァン! 魔法じゃ! 聖なる盾を!」
「ええ?! 魔法?! 俺が?!」
お姫さまの声に俺は戸惑ったのだが、それは当然だ。
俺は魔法など使えない――そのはずだったのだが――頭の中に呪文が湧いてきた。
「地の精霊よ! 敵の憎悪から我を守りたまえ! 聖なる盾!」
「憤怒の炎!」
魔導師から打ち出された魔法の炎は、俺の前に現れた透明な壁によって阻まれた。
障壁にぶつかった炎が、大きな音を立てて引き裂かれて空中に四散する。
「おお! 俺にも魔法が使えた?!」
「あっ!?」「おおっ!?」
魔法の大きな音に驚いたのか、敵の馬が馬上の男女を振り落とした。
「残りは2人――」
「畜生!」「やつは魔導師だったのか?!」
地面に膝をついた敵が、悔しそうな表情を浮かべている。
魔導師の始末を先にしなくては――そう考えて剣を構えると、敵の後方に黒い影が忍び寄っていた。
「!」
剣を構えて警戒をしたのだが、相手は俺ではないらしい。
「ぐあぁぁ!」
敵の男が悲鳴を上げる。
滑るようにやってきた黒い影は、いつの間にか長剣を持ったメイドの姿に変わり、敵の胸を貫いていた。
革の鎧といえど、容易に貫通するなどありえない。
使い手はかなりの手練だということだろう。
彼女が、お姫さまが言っていたメイド長という女性だろうか。
戦闘に入る前――牽制で刃物のようなものが投擲されたが、あれもこの女性の仕業なのかもしれない。
「おのれ! 光の矢よ――」
俺は剣を下段に構えると、次の魔法を唱えようとしている女魔導師に迫った。
魔法の威力はすごいが、使うまでに時間がかかることが欠点だ。
迫ってくる俺に、女は魔法を諦めて短剣を抜いたのだが――そのときには俺の剣が下段から切り上げていた。
「ぎゃぁ!」
剣を持った腕ごと身体を逆袈裟に両断されて、女は叫び声を上げた。
切断面から、赤い臓物をはみ出させて女が地面に倒れる。
人間も魔物も、このぐらいじゃ即死はしない。
止めが必要だ。
「ま、待って!」
俺は剣を振り上げると、命乞いをする女に止めを刺した。
最初から殺すつもり満々でいた敵に、手加減するほど俺は甘くねぇ。
最後っ屁で魔法を撃たれることもあるし、油断はできん。
「ふう……!」
深呼吸をした俺だが、ハッとして辺りを警戒する。
敵を倒したと、ホッとする瞬間が一番あぶねぇ。
そのまま剣を構えて、しばらく待ってみたが、敵の気配も追撃もない。
追手はこの3人だけだったようだ。
相手が女2人なら、この手練だけで十分だと思ったのだろう。
実際そのとおりだが、俺という変則的な因子が絡んだ結果が、コレだ。
それに、お姫さまのあの力――魔法ではないと思うのだが。
俺は剣を拭うと、鞘に収めて、リリーの所に向かった。
彼女には、さっきのメイドが寄り添っていた。
黒い髪を後ろでまとめてメガネをかけており、長いスカートのスリットからは太ももが覗いている。
「お姫さま、怪我はないか?」
「うむ!」
「!」
メイドが俺のことを警戒している。
「心配いらぬ。その者は、ヴァン――わらわの夫じゃ」
「姫様――あまりおもしろくない冗談ですが?」
「冗談でも戯言でもない。神の下で同衾して2人は夫婦になったのじゃ」
「……」
メイドが黙ったまま剣を抜くと、俺に迫ってこようとしている。
「おい! 待て待て!」
「問答無用」
目がマジだ。
「待つがよい」
「にゃぁ!」
お姫さまがメイドの背中を触ったので、彼女が変な叫び声を上げた。
かなり不意打ちだったようだ。
「夫婦だけではないぞ。神との契約を交わし、ヴァンは聖騎士となった」
「ひ、姫様のお力を?!」
メイドは、お姫さまの力がなんなのか、知っているらしい。
「仕方あるまい。そうしなければ、この場を切り抜けることが叶わなかった」
「し、しかし……」
「なんぞ、そなたはわらわのやったことに不満があるのか?」
「い、いいえ――姫様のお心のままに……」
「ならばよい!」
話がついたようで、俺の命が狙われることはなくなる――のかな?
「チッチッチッ……」
メイドが、こちらを睨んでずっと舌打ちをしている。
マジで大丈夫か?
闇討ちとかされそうで怖いんだが……。
「それでお姫さま――聖騎士ってのは……」
「聖騎士は聖騎士じゃ! そなたも聞いたことあるじゃろ?」
「ええ――そりゃまぁ。騎士の中でも特に選ばれた存在で、神への信心も深いとかなんとか……」
「そのとおりじゃ」
「俺は別に信心深くもなんともねぇが……」
「そこは、わらわの力を使って、強制的に神との契約を結ばせたのじゃ」
「それは神の奇跡ってやつで?」
「そのとおりじゃの」
「は~」
こうなってしまっては、嫌でも付き合うしかねぇだろう。
神の力で結ばれてしまっているのだから、強引に離れたりすれば、なんらかの揺り戻しがあるかもしれん。
「能力もかなり嵩上げされているじゃろ?」
「ええ――魔法も使えるようになったしなぁ……他にどんな力があるのやら……」
「聖騎士というぐらいじゃ、回復も使えるはずじゃぞ」
「え?! 回復って、マジか?」
「うむ!」
「本当なら、それだけで飯が食える……」
病人やけが人を治療して、金を巻き上げればいい。
「むう」
皮算用をする前に、その力を試してみねぇと。
「お姫さま、ちょっと足を見せてくれ」
「……なるほど! フロリア!」
彼女も俺がやろうとしたことが解ったようだ。
「はっ!」
お姫さまがメイドの名前を呼ぶと、目にも止まらないスピードで飛んできて人間椅子になった。
それはいいのか? ――と思ったのだが、メイドはお姫様の尻に敷かれて恍惚の表情で喜んでいる。
おそらく、こういう人間なのだろう。
リリーが腰掛けて、ブーツを脱いだ。
彼女はよくなったと言っていたが、1日かそこらでよくなるはずがない。
赤くボロボロになっている彼女の白い足を手に取った。
「さて――」
彼女の足をジッと見つめると、精神を集中する。
頭の中に呪文が浮かんできた。
「回復」
白い足が光の粒子に包まれると、皮膚の傷が修復されていく。
なるほど――以前、金を払って回復をかけてもらったときと同じものだ。
「あ……う……」
お姫さまが顔を赤くしてもじもじし始めた。
「痛いのか?」
「いや――違うのだが……」
「それじゃ、反対の足も――」
「い、いや、ちょっと待つがよい!」
彼女が逃げようとしているのだが、足を掴まえて強引に回復をかけた。
「んぁぁ!」
どうやら、普通の回復と少々違うらしいが、能力的には問題ない。
彼女の足は綺麗に治った。
「ほら、綺麗な足に戻ったぞ」
「はぁはぁ……う」
お姫さまがプルプル震えているのだが、その震える尻の下になったメイドが、鼻血を出している。
なんだこいつは――ただの変態女か?
お姫さまの足は治ったし、メイドは放置っと。
出発の準備をしなくてはならない。
「さて、襲われていいこともあったぞ? 馬が手に入った」
「ふう……その通りじゃな」
「これで歩かなくても済む」
――とはいえ、馬を飼うとなると結構経費がかかるなぁ。
まぁ、その経費も、回復があれば、簡単に稼げるだろうが。
「フロリア、馬を捕まえてくるがよい」
「かしこまりました」
リリーが立ち上がると、素早い行動で馬を集め始めた。
仕事はかなりできるらしい。
そりゃ、王家のメイドの長となれば、並の女では勤まらないだろう。
お姫さまの護衛を兼ねているはずだから、武術にも優れているはず。
その証拠に、暗殺者の1人を仕留めた腕は、タダ者ではなかった。
馬はメイドに任せて、俺は死体漁りだ。
このまま捨てていくのは、もったいねぇからな。
馬がいれば、多少の荷物は問題じゃねぇ。
お姫さまは、ちょっと離れた場所で俺のやることを見ている。
流石に、王族が死体漁りを見たことはねぇだろう。
男の死体のほうは――金になりそうなのは、多少の金貨と剣――ぐらいか。
革の鎧は、新調すれば高いが売ろうとすれば二束三文。
運ぶ手間賃で赤字だ。
次に俺が切った女魔導師の所に向かった。
「こいつは、短剣に――お?!」
俺は魔導師が持っていたお宝に気がつく。
女が持っていたのは魔法の袋だ。
魔法で中を拡張した袋――つまり、みかけよりたくさんの荷物を入れることができる。
多分、袋の中にも色々と価値がありそうなものが詰まっている可能性もある。
男たちの荷物が少ないが、この女が運び役になっていたのかもしれん。
あとで、袋の中を調べてみよう。
とりあえず、魔法の袋を持って、剥ぎ取りした装備などを中に入れた。
「魔法の袋かえ?」
「ああ、いいものを手に入れた」
面倒ごとに巻き込まれて、こいつはついてねぇ――と、思ったのだが、多少はいいこともあるのかもしれん。
「……ヴァン」
俺はウキウキだったのだが、お姫さまが少々しょんぼりしている。
「なんだ? どうした?」
「そなたを、面倒ごとに巻き込んでしもうた」
「こいつらみたいな追手がまだ来るのか?」
「……」
彼女が黙ってうなずいた。
「まぁ、さっきも言ったが、夫婦だから仕方ねぇ。女房は守らんとな」
「……」
俺がその言葉を口にすると、またメイドが剣を抜いてこちらを睨んでいる。
冗談じゃない殺気がこちらにも伝わってくるのだが……。
「ヴァン!」
お姫さまが走ってきて俺に抱きついてきたから頭をなでてやる。
それを見たメイドは、剣を鞘に収めてため息をついた。
どうやら諦めたらしい。
まぁ、乗りかかった船ってやつだ。
神様と契約とやらもしちまったようだし、いくところまでいくしかねぇ。
――そのあと、お姫様の短剣に絡んだとんでもない事件に巻き込まるのだが――。
それはまた別のお話。
END