番外 セレストの記憶
かつて少女だった角と翼が生えた少年の最も古い記憶は、人間に保護されていた時から始まる。
彼女らは、北の少数狩猟民族で、雪嶺鹿という、鹿型の魔獣を信仰する一族だった。
とはいえそこに居たのはかなり短い期間になった。
というのも。
忘れもしない、雪がはらはらと空から落ちている日だった。
悪夢のような、噎せ返るような血の海が雪上に広がり、そこに夥しい数の死体が浮かんでいた。
いわゆる鏖というヤツだった。
当時できたことといえば、生き残るためより強者に従うことのみで。
不思議と涙は出なかった。
それは幼さゆえの不理解ではない。
皮が幼子なだけで、中身の方は今しがた起こったあらましを理解出来ないほど子供ではなかった。
しかし全て飲み込んでしまえるほど大人でもなかった。
ぼたぼたと。
涙の代わりに零れたものが、少女の心と魂を滲ませた。
魔物と人とが曖昧になり、淡いがない混ぜになった。
少女は人間の自分を保てるほど大人ではなかったのだ。
別に記憶が消えたわけでは無い。
唯、本質として裡に巣食う獣が貌を覗かせられるようになったのだ。
生まれ持った魔族の本能が、詳らかに、鮮やかに。
人が殺して、それでも駄目で、そうして理性が封じていた部分が甦ったのだ。
冷えていく心の内に、かつて少女だった魔族の少年はそのままされるが儘にした。
少年を連れ去ったもの達は、翼のある魔族の一族だった。
長の前に放り出され、土産物だとナハティガルを連れ去った男は言った。
「親父、どうですか、この餓鬼は」
「まア、肝はそなたより座っとろうぞ。カカ、どうした、童微動だに出来ぬほど儂が恐ろしいかえ」
「しね」
分かりやすい罵倒に、泡を食ったのは族長よりも少年を連れてきた男であった。
「おっ馬鹿!お主っ、なんちゅーことをいうてくれた!不敬だぞ!!」
「五月蝿いな、殺すならさっさとやれよ。手前らの玩具になるつもりなんざさらさらねえ。やるならやれ、首でも心臓でもくれてやるよ」
「カッカッカッ、善きかな善きかな、なんとも良い声で囀る小雛鳥か。首でも心臓でもくれてやるとな。なれはそなた、儂の子になれ」
「はっ??頭沸いてんじゃないのおまえ」
「活きがいいのは良きことじゃが、分別は付けられるようにならねばならぬな。良いか童、力が欲しいか」
唐突になんだこのジジイ、とは思ったが。
「欲しい」
考えるよりも先に、少年はこの言葉を口走っていた。
「なればこそよ」
クックっと長は喉の奥で笑ったが、なにが面白いのか分からなかった少年はより一層目の険が強くなった。
「かような目で見るでない。要するにそなたを儂が鍛えてやろうという話じゃ、悪い話ではなかろう」
ばさりと扇を拡げて、外見は三十から四十路位の歳経た魔族は、少年を唆すこのように語りかけた。
「それさあ、あんたになんのメリットがあるわけ?」
「久方ぶりに気骨のある男を見たからかのう?」
「あっそ、まあいいよ、俺、あんたの養子になる」
「お主さては事の重大さををわかっとらんな??」
ついにこの無法者の子供に堪えきれなくなったのか、横から出てきたのは少年を連れ去った男であった。
「まあよいよい。さて、話は決まったな!」
「しかし!!」
尚も男が長に食い下がろうとするも、今度は男がジロリと長に睨まれる。
「失礼仕る」
流石に閉口するより他無かった男は当てつけにじろりと少年を睨みつけて部屋を退出していった。
「ったく、ピロメラのヤツめ、もうちいとばかり堪え性というものを身につけねばならぬものを。嗚呼、話が逸れたな。して、そなた名はあるか?」
「もう少しで名前を貰える儀式でもらうとこだった」
「ああ、お主、その服から見るに霊鹿を祀る一族で育てられたのであろう?かの一族もそうであるが、北では真の名、即ち魂を現すもの、これ転じて真名と呼ばうものを賜るのは成人の儀じゃからなあ、しかもあの一族は幼名を付けるのもある程度育ってからじゃからのう…」
成る程なるほどとひとり納得した長はハタハタと扇を扇ぐ。
「なれば儂が付けて進ぜようか、そなたにプロクネの名を授けよう。成人の義迄はそう名乗るようにせよ」
「は??」
やはりこいつは頭が沸いている。
そうプロクネは思ったが、それからあれよあれよと服を剥ぎ取られ身を清められ飯を口に突っ込まれ、気が付けばご丁寧に寝床で寝かされていた。
「は??」
ほうほうと、遠くで梟が鳴いていた。
泣きたくなるほど閑かな夜に、少年はごろりと寝返りをうって瞼を閉じた。
パチリと目を開けると、さっきまで青かったはずの空に紫が混じり、夜の気配が差し迫っていた。
ああ、昼寝ついでに随分懐かしい夢を見ていたと木の上から夕空になりかけのの空を見上げた。
あの閑やかな夜から幾年かが経った。
未だ真名を貰える程では無いものの、幼子らしいふくよかさは何処かえ消え、青年に差しかかろうという格好で、ばさりと両翼を震わせた。
飛び立つ時の音はしなかった。
すっと空気に解けるように止まっていた木から飛び上がる。
折り重なった筋肉か跳ねる。
軽やかに翼を躍動させ風を切る。
関節の滑らかな作動を確認するとさらに大ぶりな動きへと変化させてゆく。
風切羽で思いきり空を切り裂けば、ヒュウヒュウと僅かに音が鳴るそれが堪らなく心地よかった。
村の近くに降りて、歩いて村まで戻ると待っていたのはピロメラであった。
「遅いっ日が暮れるまでには帰れと言うとろうが!」
「だから今丁度帰ったじゃないか」
「ええい言い訳無用、大体今日の夕餉の当番は誰だと思うとる!?」
それを聞いて顔が青くなったのはプロクネの方だった。
「ひえっ、俺じゃん、やっば父上に怒られる…!!」
「ったく、取り敢えずそんなことだろうと思うたから今日のところは俺か作っておいたが、以後気を付けるように」
「わあ、有難うねえ最高だよピー兄ぃ!!」
「ピー兄はやめろ!!」
ギャンとピロメラは吠えるがのらりくらりとプロクネはそれらを躱してゆく。
家族を殺されて思わないところがない訳では無い。しかし、衣食住といごこちがよい新しい家族。それでもう、だめだった。
プロクネとて莫迦ではない。
何をされたか忘れた訳では無い。ましてや、赦した訳でもない。
しかし燻る復讐心とかに類するものがないのだから仕方がない。
火種はある。
だが燃えるための炭も無ければ薪もない。
彼らにとって、人は獲物なのだ。だから殺すし喰らうのだ。
言うならば、熊の食害に近いだろうか。
そんなものだ。
道徳も、道理も、尊厳も、そもそもの物差しが違う化け物に説いた所で無駄骨なのだ。
獲物に敬意は抱けども、罪悪感や躊躇などない。それが魔族だ。そういう生き物なのだ。
その上適当な性も相まって、全てがもはや億劫になっていた。
プロクネの心には常に天秤があった。
利益と不利益を掛けて居る天秤である。
仕方ないとは思わない。
けれど。
復讐と今の生活を掛けると、何時も傾くのは今の生活だった。
だから。
悪い悪いと思いながらも。
復讐したいとは思わなかった。
復讐する資格も最早ないと思う。
そして、思えないという薄っぺらい罪悪感を胸に、日々を過ごした。
それが、日常になっていた。
そんな時分である。
いつになく神妙な声色で長が口を開いた。
「お前たちや、よく聞いておくれ。昨日、魔王軍の伝令がこの村を訪れてたのは知っておるな?その内容なんじゃが、なんでも儂の長子を軍に来させないかと言う話での」
「体のいい人質ではありませぬか」
ピロメラの眉間に皺がよる。
「そうじゃ。奴らに何とか取り込まれるのは免れておったが、もはや時間の問題かも知れぬ」
「あの、もし行った場合、生きては帰れるのでしょうか」
「…、わからぬ」
「返答の期限はいつ頃までに」
「明後日の午前中までじゃな」
プロクネの問いに答える族長であったが、先に堪えられなくなったのはピロメラだった。
「全くもってふざけている!!奴らは我々をなんだと思っているのだ!」
「着実に勢力圏か、支配下に置こうとしているようですが、一先ず何故今更このような要求が?」
「指揮官が変わったのじゃよ。いままでは上手く付かず離れずの良い関係を保ってられたのじゃがな」
「なるほど、こうなると指揮官の思惑が知りたいところですが、はっきり言ってこれ、下策では?」
「支配者は気が荒く高圧的であることが常なのだよ、プロクネ」
それに首を傾げたのはプロクネであった。
「何故に。良好な関係を築くことは良きことではありませんか?」
「いいや、そういう訳でもないのだよ。彼らは常に上のものとしての振る舞いかもとめられる。それは彼らが群れのリーダーとしての格を保つためであり、舐められないためでもある。舐められてしまったら、終わりじゃからな」
プロクネを諭すように長は言った。
「彼我の差も弁えられない阿呆をも部下として扱わねばならないとは、中々あちらも大変なのですね」
「お主発言が完全にサイコ系の悪役ぞ??さっき迄の良好な関係云々は儂の空耳か??それともそういう意味じゃった…??」
「父上、メタ発言はお控えくださいませ。大体雑魚はいくら集めたところで雑魚ではありませんか、何を恐れると言うのでしょう」
「数は力だ、悪戯に兵を減らす訳にはゆかんのだろうよ。ふふ、兵を減らす、なかなか良い駄洒落じゃなかろうか」
「「いえ全く」」
「ハモらんでよろしい。しかし一体何処でそなたの教育を間違ったのか。プロクネよ、儂はそなたをそんな子に育てた覚えは、…有るな」
「私が責任を持って再教育致しましょう」
ピロメラがずいと前に出た。
「お前は人間の村をホイホイ滅ぼすからダメじゃ。絶対悪化する」
「何故です、あの様な下等生物いくら滅ぼしたところでまた増えるではありませぬか」
「うーん、そういうとこなんじゃがのう」
此奴ら血は繋がっとらんが紛れもなく兄弟じゃなと長は思った。
これなら魔王軍に送っても大丈夫かもしれん。
「兄様、あんまり魔王軍の魔族を困らせてはいけませんよ」
「はんっ、貴様にだけは言われとうないわ」
その光景に、長は思わず目を抑えて言った。
「全く、頼むから二人とももう少し堪え性を持ってくれ」
そして何事もなく帰ってきてくれないか。
長は密やかに願った。
読了ありがとうございました。
ブックマーク、いいね、感想宜しくお願い致します。
名前がややこしくなってまいりましたが、プロクネという名前はこの番外編のみなので、ご安心ください。




