婦好戦記 解説(その2 コラム)
時代考証編を書こうと思ったんですが、
あれこれコラムになってしまいました。
まあ、いいですね。こんな辺境ですし。
------目次------------
⑤「狂」は褒め言葉に近い
⑥白川静先生の学説について
⑦名前の音について
⑧敢えて書かなかったものの話
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【「狂」は誉め言葉に近い】
作中に「狂」という概念がたびたび出てきます。
古代中国の「狂」は、今の感覚とはちょっと違います。
現代はともすると蔑視の対象ともなりがちですが、
古代においての「狂」は、現代よりも神聖みを帯びます。
狂うのは、神懸かるから、という感覚です。
日本人であれば、なんとなくわかってくれると思います……!
「霊力が誤って作用するものを狂と称するのであろう」
「孔門では特に狂簡・狂狷の士を愛した。清狂・風狂など、みな一種の狂で、日常性の否定の精神に連なる詩的狂気をいう」
(白川静『字統』平凡社、1984年より抜粋)
なにが言いたいかと言うと、理由もなく病的におかしくなるというものではなくて、行きすぎた精神性と言うんでしょうか。
言い換えれば、呪術や儀式等の知識を持った上で踏み外せる人、体に神を宿すことのできる人にしか「狂」うことはできないのです。
【白川静先生の学説について】
婦好戦記では白川静先生の学説をもとに物語を組んでいます。
白川先生といえば呪術的な思考をもとにした漢字研究ですが、昨今は否定されつつあります。
しかし歴史家でもない小説家がその流れに阿ってはならぬと考えます。
「白川の研究にも多くの問題があり、最も重大なものが呪術儀礼を重視しすぎたことである」
(落合淳思『甲骨文字辞典』朋友書店、2016年より抜粋)
わかります。呪術儀礼。認め難い。証明できない。
しかしどうかんがえても、殷代のひとはぶっとんでいて、
呪術とか巫術に重きを置いていました。
せっかく白川先生が生涯をかけて学術的に取り込んだのに、これを軽視してはいけないと考えます。
殷代の祭祀の有名な故事といえば、酒池肉林です。
出典は『史記(殷本紀)』。
「以酒為池、懸肉為林(酒を以て池となし、肉を懸けて林となす)」
(読者のみなさま。もし微王が、酒池肉林してても違和感ないですね?)
彼らは神様のためを思い、神様が喜んでくれると信じて一生懸命儀式としてやっていたのです。
部外者からみたら、「狂っている」と思われるだけで。
漢代の出土史料の竹簡などを見ても、その大半が占いの書だったりして、
研究者を泣かせていることもあります。
科学教の広まった現代人ですらいまだに占いを信じている人が多いです。当時の人はいわずもがなです。
だから、白川静先生の学説は再度見直される日がくるとわたしは思います。
こんな辺境だから言えます。
ツイッターでは怖い先生方からフルボッコに遭うのが目に見えているので怖くて言えません。(チキンハート)
【名前の音について】
いまの中国語は北京語なので、ピンインを名前の音として採用はしませんでした。
古代中国の漢字の音は、なんと日本の漢音のほうにも強く残っているのです。
ロマンがありますねぇ。。
女性の名は上古語に存在したであろう音を漢音で使用しています。理由は美しいから。
サク策、リツ律、シュウ周、レイ令、キ箕+ビ備、セキ石、セイ井+ラン蘭
この解説書いていて、ひとつ重大なミスをみつけてしまいました。
まあ、ミスはひとつじゃ足りないのでもういいや。もう謝ろう。ごめんなさい。
ハツネはハツ発+ネイ寧でお許しを……(土下座)
(参考と答え合わせ:落合淳思『漢字の音 中国から日本、古代から現代へ』東方書店、2022年)
【敢えて書かなかったものの話】
婦好戦記で徹底的に書かなかった描写があります。
会盟の祭壇にチラっと出しましたが。
犬のあれこれです。
殷の人たちはめちゃくちゃ犬を犠牲にするし、食べます。
ドン引きするくらい、ありとあらゆる場所に犬を埋めます。
霊的な呪術のためです。
いま、それを小説として取り入れるにはそれ自体を主題にするしかなく
「ワンちゃんかわいそう」となるのでノイズとして避けました。
「馬ちゃんは、羊ちゃんはいいのか」
馬ちゃんと羊ちゃんはいまも畜産してるから……。
でもそれって完全に現代の価値観ですよね。
殷代の犬だけで論文書けるし、小説も書けちゃうけど
わたしは書きたくない。
現代の読者さんの感情まで責任をもてない
というのが正直なところです。