日曜デート
「ねえ、サクちゃん、知ってる? 婦好さまの噂」
「噂?」
二限目の休み時間、サクは移動教室のためにシュウと廊下を歩く。
「婦好さまは、女の子からのデートのお誘いを絶対断らないんですって」
「それは……、どういうことでしょう?」
「女の子から誘うのは勇気がいることだから、無下にはしないって。だから、毎週土曜日。一人一日限定で、お誘いがあれば必ずエスコートをされるそうよ」
「そうなのですね」
「でもねえ。わたしたち新入生にチャンスはないの。すでに1年前に、ご予定が、卒業まで埋まっているんですって」
「に、人気なんですね」
「サクちゃん、残念ね……」
シュウに『残念』と言われ、サクは歩を止めた。
(『残念』……。なのだろうか)
心に、もやもやとした感情が芽生える。
(婦好さまは週末土曜日。彼女は誘われれば、誰とでもデートをなさる)
サクは胸元を、ぎゅ、と握った。
授業の間、サクは感情の正体を探る。
しかし、答えはでない。
サクは揺らめくような炎をぼおっと見つめていた。
「サクちゃん! 実験中! 集中して!」
「わわっ!」
サクは、目の前のアルコールランプを慌てて消した。
◇◇◇
放課後、婦好がサクの教室を訪れた。
「南乃はいるか?」
サクのクラスメイトが、きゃあ、という悲鳴を上げる。
教室入り口のドアには、ひときわ背の高い麗人が片手をつけて寄りかかっていた。
まるで、ドラマのワンシーンである。
クラスメイトの一人に「みなみのさーん、ふこうさまよー」などと呼ばれ、サクは廊下に出た。
「サク!」
婦好の瞳がサクを見つける。
上級生としての凛とした雰囲気から一転、美しい顔が、ぱっと華やいだ。
サクの胸がきゅう、という悲鳴を上げる。
「サク。今週の日曜日はあいているか?」
「日曜日でしょうか。はい、空いております」
「では、空けておきなさい。サクと日曜日をともにする。どこか行きたいところはあるか」
「しかし、婦好さまは、大丈夫なのでしょうか。お話だと、土曜日では」
「ああ。土曜日のことを知っているのか。日曜はわたしのために開けている曜日だ。問題ない」
「……だめか?」
すこしの沈黙のあとに、憧れの上級生が首を少し傾げる。
「わたしが、サクとともに出かけたいのだ」
卑怯だ、とサクは思う。
この上目遣いで見られたら、どんな人も敵わないのではないだろうか、と。
「では、……書道博物館に、行ってみたいです」
「書道博物館。わたしも美術館は好むが、行ったことはなかったな。調べておこう。連絡先を」
サクは未だ子供用の携帯電話を、制服のポケットから取り出した。
婦好は、無駄のない動作でサクの連絡先を入手する。
「のちほど、メールする」
◇◇◇
日曜日。
サクは、白い丸襟ブラウスに黒のリボンを付け、青色のニットを羽織る。
「これで、大丈夫かな……」
鏡の前で何度もチェックする。
膝下のふんわりと揺れるスカートに、お気に入りの、ぽってりとした黒靴で家をでた。
朝9時20分。鶯谷駅北口にて。
約束の10分前。婦好はすでにサクを待っていた。
「おはようございます、婦好さま。お待たせしました」
「サク。おはよう」
婦好は胸の大きさを隠さないVネックのシャツに、清涼感のあるジャケットを羽織る。
身体のラインに沿ったボトムスは、すらっとした長い足を強調していた。
嫌味のないアクセサリーがアクセントとなり、まるでモデルのようである。
普段の制服姿とは違い、完成された大人の女性の姿に、サクはドキドキした。
「行こうか」
婦好が手を差し出す。
「危ないから、しっかり、握って」
サクは美しい手を取った。
少しひんやりとした指は、見た目よりも柔らかい。
雑踏のなかを、手を握って歩く。
(ほかに、どんな女の子が同じような扱いを受けたのだろうか。そして、胸が痛むのはなぜだろう)
書道博物館は、鶯谷駅北口徒歩五分の場所にある。
書道の大家たる父は、なぜかなかなか連れて行ってはくれなかった。
ゆえに、サクもまた初めての訪れる場所である。
目的地までの道は、ホテルが多いことにサクは気づく。
「珍しいですね。このへんには泊まるだけでなく休憩もできるホテルがたくさんあります」
「……。サク。それは……」
婦好が珍しく口元に手を当てて、言いよどんだ。
そして、いじわるな顔でサクの瞳をのぞきこむ。
「……疲れたなら、どこかで休憩するか?」
「いえ、来たばかりで疲れてなどおりません。しかし、もし婦好さまが疲れてらっしゃるのであれば、わたしは構いません」
「それは、わかっていて誘っているのか? それとも、本当にわかっていないのか?」
「え……?」
「……サク。今日の相手がわたしで良かったな。いいか。二度と、ホテルで休憩しようなどといった誘いには乗るな。気をつけなさい」
サクは頭を、ぽん、と撫でられてしまった。
◇◇◇
書道博物館で書を堪能したのち、ふたりは上野の東京国立博物館へ向かった。
国立博物館の常設展示である東洋館は、休日でも人は少なく、サクは幼い頃からこの場所が好きだった。
「ここは落ち着くな。特別展はいつも混雑しているが」
「はい。文物も良いものが揃っておりますので、父によくねだって来ていました。わたしの遊び場です」
「サクは博学、だな」
「婦好さまほどでは」
その後ふたりは、上野精養軒でランチを食べ、上野動物園へ行き、不忍池のボートに乗った。
「今日は、楽しかったです」
「わたしも、楽しかった」
駅に向かう道が、寂しい。
もう一度、手を繋ぎたい。
そのように思った瞬間に、手をぎゅ、と自然に取られてしまう。
(他の方とも手を握って歩いたり、このようにされるのだろうか)
ずきり、と胸の奥が痛んだ。
「あの、婦好さまは、土曜日は誘われればこのような休日を過ごしていらっしゃるのですか」
「……そうだな。確かに、わたしは誘われれば断ることはない」
「そのときは、手も、握られるのでしょうか」
「? 嫌だったか?」
婦好の手が、ぱ、とサクの手から離れようとする。
「いえ! 嫌では、ありません!」
婦好の指をサクは両手でぎゅ、と握る。
サクの顔が紅潮した。
「ふふ……。サクは可愛いな。他の者と手はほとんど握ることはない。今日の人混みは危険だったから」
「婦好さま。今日はなぜ、わたしを誘ったのですか? 先日はあんなに、生意気なことを言ったのに」
「珍しい後輩のことを知りたかったからだ」
婦好の髪が夕陽の橙色に染まり、柳とともに風に揺れる。
「しかし、不思議だ。サクといると、今までになく居心地が良い」
婦好とサクの視線が交わる。
自然に持ち上げられたサクの手の甲に、婦好の唇が押し当てられた。
「また、誘ってもいいか?」
◇◇◇
「サク、どうした? やけに今日はぼおっとしている。熱でもあるのか」
その晩、家のダイニングで、父がサクを気遣う。
サクは婦好に買ってもらった土産のどら焼きを手に持っていた。
「あ……、どらやきがあまりにも美味しくて。お父さまも、召し上がってください。今日中に食べないと、怒られてしまうんです」
「怒られる……? 誰に?」と父は問う。
訝しむ父の顔に、サクは生まれて初めて肉親に嘘をついた。
「……味にこだわる、どら焼き屋の店長に、です」
小さな、嘘を。




