01:好き好んで悪役になりたがるやつはそんなにいないと思う。
「───私、リュカ・フールニエは、」
向かい合った男女の間を、サァ、と風が吹き抜ける。艶やかな黒檀の髪が舞うようにふわりとなびき、その中心で鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた美しい顔が、瞳がこぼれてしまいそうなほど大きく目を見開いて驚きを示す。
「あなた様のことを、心よりお慕い申し上げております」
どこか愛嬌のある顔立ちの青年から愛の告白を受けているのは、今年で20歳を迎えるシュザンヌ・ソルシエール・バルデュワン。シレーヌ王国の将軍の孫でありバルデュワン辺境伯の娘、優秀な魔法士に贈られる《ソルシエール》の称号を持つ才女。
そして、この世界がある青年を主人公としたBLゲームの世界であり、自身がゲーム内の悪役令嬢に転生してしまったと知っている───元・日本人である。
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『碧の雫』という、主人公総受けの長編BLゲームがある。R15指定版と18禁版で展開しており、発売当時すでに成人していた私は18禁版の方をプレイ。NLも乙女も嗜む雑食性のオタクで、生粋の腐女子というわけではなかったが、濡れ場までしっかりと楽しませていただいた。
このゲームはリュカ・フールニエという男爵家の青年が、王国軍の騎士として入隊するところから物語が始まる。そこで様々な美男と出会い、共に苦難を乗り越え愛を育んでいくわけだが、こと恋愛モノにおいて恋のライバルの存在はお約束というもの。例に漏れず『碧の雫』にもライバルに当たる人物が存在し、攻略対象に三名権力者が数名おり跡継ぎなどのお家問題がかかわってくるからか、全員女性となっている。
そんなライバルである女性キャラの一人、シュザンヌ・バルデュワンはいわゆる“悪役令嬢”だ。権力者の攻略対象三名のルートを進めていると、その攻略対象の婚約者として登場する。シュザンヌは誇り高き辺境伯家の人間でありながら、悪役令嬢らしく傲慢で高飛車、階級主義で平民を見下すだけでなく、その生死すら軽んじるような外見は美しくとも最低の性格をしている、“バルデュワン家の汚点”と囁かれる存在。そんなシュザンヌが婚約者と仲のいい下級貴族にいい顔をするはずもなく、暴行や冤罪といった妨害行為を行い続けた。果ては主人公の命まで狙おうとするので、攻略対象と結ばれるハッピーエンドでは全ての悪事が露呈し、最終的に終身刑で投獄されてしまう。ハッピーエンド以外でも貴族としての身分を剥奪され平民に落とされてから、終身刑とまでいかないながらも懲役を科せられシナリオの最後には投獄されてしまう。バッドエンドですらノーマルエンドと同じ結末だ。・・・・・・察しのいい人なら、ここまで言えばもうお気づきだろう。
私はその、悪役令嬢シュザンヌに転生してしまったのだ。
元日本人・鳴海汐音は32歳にして正月に餅を喉に詰まらせ窒息死するという、いい年してしょうもない理由で短い人生に幕を下ろした(皆はよく噛んで食べようね)。記憶を保持したまま転生した私が、この世界が『碧の雫』であると気づいたのは孫の誕生を祝いに母方の祖父がやって来た時だ。
「ほお、白百合のように愛らしい子ではないか。でかしたぞ、我が娘よ」
そう言ってベビーベッドを覗き込んできた、記憶より幾分若く見覚えのある顔を見て、赤ん坊らしく血色の良かった私の顔から一気に血の気が引いた。突然顔色の悪くなった乳児に一同騒然としたが、当の私はそれどころではなかった。自分につけられたシュザンヌという名前、家名であるバルデュワンと辺境伯という父親の肩書、そして今しがた目撃したばかりの祖父の顔――ゲームに何度も登場し、脇役でありながらスチルも用意され「何故この人を攻略できないんだ」と多くのファンから嘆かれた通称イケオジ、王国軍のバルデュワン将軍。彼を見るまでは「ん?まさか、いやでも・・・」と疑惑にとどまっていたが、ここにきて確信してしまった。
(私、どうあがいても絶望しかない、悪役令嬢のシュザンヌになっちゃった・・・!!)
確信するまでは悠々自適の貴族生活を満喫したいと思っていたが、奈落の底へ片道切符終点まで一直線!!な結末を迎えたいはずもなく、そんな未来を回避するため、ゲームのシュザンヌが面倒くさがってしなかったであろう自己研磨に励むことにした。
・・・・・・と、私の頑張りの内容を紹介する前に、今更だが改めて『碧の雫』の世界観とストーリーに触れておこう。
『碧の雫』はシレーヌ王国という架空の国を舞台とした、ファンタジー要素ありのBLシミュレーションゲームだ。そのシレーヌ王国には、シナリオに関わる《人魚伝説》と呼ばれるものがある。内容は“初代国王が人魚の姫と恋に落ち、人間との婚姻を許さなかった人魚の王によって二人は引き裂かれた。別れの際、人魚の姫は「愛しい人を護るように」と加護の込められた宝玉を渡し、初代国王は宝玉を誰にも奪われないようにと虹の終わりへ隠した”というものだ。元の世界でも虹の下には財宝が埋まってるというような伝承があるが、恐らくはそれらの話をもとに作られた設定だろう。ゲームでは主人公のリュカが攻略対象と絆を深める以外に、どのルートでも共通して扱われるシナリオがある。それが今話した《人魚伝説》であり、宝玉だ。
無事にゲームを終盤まで進めることができると、正しいとされていた《人魚伝説》の真相が明らかになる。人魚の姫と初代国王が恋に落ちたのは本当のことだが、宝玉は初代国王に渡されたのではなく、人魚の姫から騙し取ったものだったのだ。当時まだ王子だった国王は恋人のいる身でありながら、兄と婚約話の持ち上がっていた隣国の姫に一目惚れしてしまう。誰も成し遂げられなかった功績を上げなければ彼女を手に入れることできないと思った初代国王は、人魚の姫にこう囁いた。「王太子になれなければ、君との結婚を許してもらえそうにない。君の国の宝玉を献上することができれば、きっと父上も頷いてくださるだろう」と。宝玉とはゲームのタイトルにもなっている『碧の雫』のことで、持つものに幸福をもたらすとされている不思議な力の宿った石だ。人魚の国の国宝でもあった。初代国王と添い遂げたかった人魚の姫は、持ち出せば二度と国には帰ることを許されないことを知りながら、彼の元へと宝玉を届けた。そして待った。「父親である国王の許しを得て、必ず君を迎えに来る」という言葉を信じて。しかし、待てども待てども初代国王が迎えに来ることはなく、耳に届いたのは彼が王太子となり、隣国の姫と結婚したという話。騙されたことを知った人魚の姫は、当然怒り狂った。国宝に手を出した自分は故郷へ帰ることすら叶わなくなったというのに、お前は一人だけ幸せになろうとしている。許しがたい初代国王への怒りと憎しみでその身を魔物へと変じさせた人魚の姫は、国王軍との激闘の末に封印されてしまう。嫁いできた隣国の姫も戦いに巻き込まれ、跡継ぎの王子を残して死んでしまったそうだ。自らの行いを後悔する初代国王。その懺悔の綴られた手記を、リュカと共に調査していた最も好感度の高い攻略対象が発見するのだ。ちなみに騙し取った宝玉は別に隠されてなんかおらず、王笏(王様が持っている杖のこと)の先端に飾られている。それを攻略対象と共に人魚の姫の封印を解き、返しに行くのだ。身もふたもないことを言うと、先人の尻拭いである。
そして封印された人魚の姫、これがまた厄介な存在で。弱まった封印から漏れ出した怨念によって、王国内の魔物が活性化してしまうのだ。ゲームのシュザンヌは面倒ごとを嫌い、勉強も鍛錬もサボってばかりいたが自分の欲求を満たすことに余念がなく、自分で操れもしない魔物を利用してリュカを害そうと企む。無論、その企みは失敗するわけだが、その過程でシュザンヌ自身も含め、結構な人的被害が出てしまうのだ。
ここで、絶望的な未来を回避しようと私が意気込んだところまで話を戻そう。ゲームのような人間にならなかったとして、ゲームと同じように活性化した魔物に襲われないとも限らないことから、自衛の手段を身に着けることは優先事項だった。痛い思いはしたくない。将軍の身内なんだから情報を話してシナリオが始まる前に解決しちゃおうぜって?馬鹿野郎!ゲーム通り初代国王の手記を見つけられる保証もなければ、そんな話したところで信じてもらえないし、笑い飛ばされるか精神を病んでいるとして生涯軟禁生活になるのがオチである。私は変にシナリオの先回りをして掻き回すよりも、シナリオに沿いつつ被害を最小限に抑える方法を選んだ。願わくば、私が転生したことによるバタフライエフェクトで、ゲームのような展開にならず、事件も事故も起こらなければいい。まあそれはそれとして、いざ何かあった時、私の言葉を多少なりとも信じてもらうための下準備は必要だろう。そのための自己研磨だ。ファンタジー世界に生まれたんだから魔法が使ってみたいとか、そんな動機もあるけれど。
未来のための行動は、祖父と出会って確信を得た次の日から始めた。おもちゃをにぎにぎして握力を鍛え、高速ハイハイでの走り込みもどきを欠かさず行った。絵本の読み聞かせで文字に興味を持つそぶりを見せれば、通常の貴族の子供より本格的な勉強を早めることができた。体の造りがしっかりしてきてからは元騎士の母に頼んで体術や剣術の鍛錬を、元王国軍の魔法士である父(子爵家出身で婿養子)に頼んで魔術に関する教えを乞うた。貴族令嬢が習うべき淑女教育も受けたし、せっかく整った容姿で生まれてきたのだからと美容も怠らなかった。もちろんその過程でゲームのシュザンヌがしていたように身分で差別をすることもなく、なんならWEB小説で多くの転生者達がそうしてきたように孤児院や貧民への支援なんかも行ってみた。やることが多すぎて目の回るような毎日だったけれど、仕事ばかりの日々を送ってきた日本人の性か、そこらの令嬢と同じようにのんびりとお茶会やおしゃべりに興じるよりは、忙しくしている方が楽しかった。悪役令嬢らしくきつめの顔つきのせいか、それとも忙しさにかまけて社交を必要最低限にしているせいか友達は少ないが、頑張った甲斐はあって、世間での私の評判は上々だ。なんなら頑張りすぎて、国立学園の在籍中に優秀な魔法士に贈られる《ソルシエール》の称号まで賜ってしまい、“王国きっての才女”とまで言われる始末だ。優秀になってゲームのシュザンヌとは違う結末をとは思ったが、これはちょっとやりすぎたかもしれない。
「王子の伴侶ともなればこの上ない栄誉ではあるが、お前は騎士としても魔法士としても優秀だろう?なら、ワシとしてはこっちの二人の方が・・・」
学園卒業を見計らったようなタイミングで、将軍が嬉々として縁談話を持ってきたからね・・・。
シュザンヌとして生きるようになってからおよそ18年。ゲーム本編でそうであったように美しく成長した私は、しかし物語の彼女のように愚かな振る舞いはしなかった。心身共に自分磨きは怠らなかったし、元のスペックがいいこともあって頑張れば頑張るだけ成果を出してくれるこの体での人生に途中から楽しくなっちゃって、しかし、この状況を思うとやはりやりすぎた。ゲームではとうにシュザンヌを見放していた将軍が、孫である私を気に入りすぎてしまったのだ。