84.不思議の国と合縁奇縁
その翌日も、次の日も、雫は帰ってこなかった。
連絡の一つすら返してこない彼女に、アリスは心配と憤りを半々に抱きながら、一人モンスターを狩りに出ていた。
「【アルフィリアス】」
超高速の剣によって、赤い体毛の狼の群れが討伐される。
他のメンバーもそれぞれ別行動しているが、一人欠けた状態で海底神殿を攻略する気にもなれず、気分転換にと街周辺の森のエリアをブラついていた。
ゲーム始めたての初心者ならいざ知らず、今のアリスには低レベルの敵の動きなど止まって見える。
加えて【海神の胎】という高難度ダンジョンを攻略した経験は、少女を更なる高みへと押し上げていた。
「【覇気】」
地面から飛び出てくる角の生えたモグラも、木の上から音を立てずに降ってくる巨大な蜘蛛も、木に擬態するトレントも、アリスの身体に掠めることはおろか近付くことさえ出来ない。
周囲一帯のモンスターを制圧して、アリスは心中の不感情を加速させた。
「ううう…ダメだゲームに集中出来ない…。雫ちゃんの問題だっていうのはわかってるんだけど…。なんかモヤモヤするよぉ…」
頭をガシガシと乱暴に掻き回すアリス。
憂さ晴らしに次のモンスターを倒しに行こうとした、そんな折。
「うおおおおおおおおお!!」
「わあああああああああ!!」
巨大な虫型のモンスターに追われる二人のプレイヤーが、アリスの目の前を横切った。
少女と女性の風貌のプレイヤーたちは、見るからに初心者の装備。
それを追うモンスターは、全長三メートルほどの獣。鷲の翼と上半身に、ライオンの身体を併せ持ったグリフォンだ。
「エンペラーグリフォン!」
森のエリアに低確率で出現するレアモンスター。
飛翔能力と攻撃力の高さを誇り、魔法への耐性も高い。その強さは中堅プレイヤーをも苦しませるレベルで、初心者では到底太刀打ち出来る相手ではない。
少女たちを大木の元へ追い詰めると、グリフォンは鷲の翼で羽ばたきを一つ。急降下して二人へと襲いかかった。
少女たちは、やられると覚悟して目を瞑ったが、一向に何も起こらない。
「…?」
おそるおそる目を開けると、横から黒い影が飛び出し自分たちとモンスターの間に割り込んだかと思うと、両手の剣を振った。
「【魔法剣】!【クアドラプルエアロリープ】!」
剣が一瞬アリスの手元で消え、真空の刃が四枚同時に飛翔する。
翼が裂かれ胴体に傷が走り、最後に首が飛んだ。
赤いダメージエフェクトを撒き散らしながら、エンペラーグリフォンは粒子と消えていく。
何が起こったのか、近くにいた彼女たちにすら理解出来ない。
呆ける二人に、アリスは剣を収めて振り返った。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。すまないね…よっこいせと」
長い黒髪をした剣士の女性が、腰に手を当てて立ち上がる。
「ププー、よっこいせはババアすぎんか。まあ実際婆さんじゃしな」
「癖だようるさいね。おっと、助けてくれてありがとうねお嬢ちゃん」
「いえ、余計なお世話じゃなくてよかったです」
「余計なお世話なんてとんでもないぞ。危うく死ぬところじゃったからのう」
金髪ツインテールの魔法使いらしい少女が、老人然とした口調でかんらかんらと笑う。
「おっといかんいかん。助けてくれてありがとっ、お姉ちゃん大好ばっびゅっ!!」
顎の下に両の拳を寄せ、語尾にハートマークでも付けそうなトーンでそう言うと、隣の女性が無遠慮に少女の頭にげんこつを落とした。
「なにすんじゃ婆さん!」
「気持ち悪いんだよ!なーにがありがとっ、だい!もうとっくに還暦過ぎてる爺さんのやることか!」
「いいんじゃもーん!わし可愛いし!ゲームの中ならジジイだって魔法少女でキュルルンじゃい!見ろこの超スーパーウルトラ美少女!たまらんじゃろ!はーかわよ!ちゅきちゅきラブラブちゅっちゅーじゃ!!」
「キャラクター作るのに一週間もかけりゃそうだろうさ!気色悪いからそのポーズやめな!」
「うるっさいわきゃわたんじゃろうが!そういう婆さんだってなあ、めちゃくちゃ若い頃の容姿に寄せとるじゃろがい!出逢った頃を思い出して正直ドッキドキじゃわし!」
「バ、バカ…なに言ってんだい…もう、本当バカだね…」
アリス、キョトンである。
「度々すまないね。あたしは…っと、本名を名乗るのはマナー違反だったね。ツユと呼んでおくれ」
「私はケイちゃんってハボック!!」
げんこつ再び。
「わしのことはケイと」
ケイは頭を擦りながら渋々態度を改めた。
「装備とさっきの動きを見たところ、結構やり込んでるプレイヤーなんだろう?あたしたちは本当に今さっきゲームを始めたばかりのド素人でね。右も左も分からないであのざまさ」
「いきなりあんな強いモンスターに追われてまいったのぉ。正直ゲームじゃなかったらリアル心臓発作するところじゃったわい」
「年寄りのブラックジョークは笑えないからやめなよ。ああ、あたしたちは見てわかった通り、中身は爺さんと婆さんでね。このゲーム…NEOだったかい?孫がこのゲームで遊んでるっていうもんで、こっそり隠れて練習してびっくりさせてやろうって思ったんだよ」
「わぁ、すごくステキですね!お孫さんも喜ぶと思います!」
アリスは心底嬉しそうに、二人の新規プレイヤーに目を輝かせた。
見た目はのほほんとしたごく普通の小動物系少女だが、NEOの運営であるProject Stormと契約しているれっきとしたプロだ。
新規プレイヤーが増えることはそれだけで喜ばしさを覚えた。
「だといいんだけどね。しかしいいもんだねVRMMOってのは。目は良く見えるし腰も膝も痛くない。こんなキレイな世界を動き回り放題だ」
「見た目も声も変えられるしのう。周りも美少女ばかりで飽きんしゴホン!それになんといっても、この歳になってもファンタジーというのはワクワクする。見たことのない景色、未知の生物、怪奇幻想摩訶不思議の衝撃に心が躍る。まあ、出だしから挫けかけたが」
「だからまずは街の中を見て回ろうって言っただろう?考え無しに飛び出していくからさ」
「いやぁすまんすまん。そうじゃお嬢さん、もしよろしければこの老人二人に色々と教えてはくれんじゃろうか。何せ何をしたらいいかろくすっぽわからんもんでな」
「いきなり何言い出すんだい。こんな爺さん婆さんの相手なんて迷惑で退屈だろうに」
「そんなことないです!私でよければ、ぜひこの世界を案内させてください!」
突然の申し出にも関わらず、アリスは嬉々としてケイの提案を受け入れた。
「そりゃありがたいけど、本当にいいのかい?」
「はいっ!任せてください!」
イベント事や意識していない広告塔のような活躍ではなく、自分の意思に元づいたナビゲート。
アリスはプロとしての使命感に燃え、また嬉々を全面に押し出した。
「この世界のことをもっと好きになってもらえるように、一生懸命頑張りますから!」
気迫に押された。
というよりは、アリスの無垢な好意に良い印象を受けた。
二人は一度顔を見合わせると、笑みをこぼした。
「それじゃあ、一つお願いしようかね」
「頼むよ。そうじゃ、まだ名前を聴いとらんかったの」
「【不思議の国のアリス】ギルドリーダー、アリスです。よろしくお願いします」
アリスが奇縁を紡いでいた頃。
ナッツは砂漠の真ん中で一人、乾いた風を浴びながら佇み瞑想していた。
髪には五線譜の模様が走っており、【演奏者】を使用しているのが見て取れる。
こと【演奏者】においては、他のアドミニストレートスキルのような、スキルポイントの消費やレベルの低下といった主だったデメリットが存在しない。
強いて挙げるならば、過度な使用は文字通り身を刻むという程度。
本来のBGMの創作という用途とは別に、ナッツは戦闘向けではない【演奏者】を二つの用途で使用していた。
一つはエコーロケーション。
音の反響による探知能力で、敵や罠、創作物の位置を特定するというもの。
次に戦闘。
音を司る権能は、音を武器にするナッツと非常に相性がいい。
自身の耐久という限度はあるが、実質的には音の力を無限に増幅させることが出来る。
「【第一階位奏技・風読みの前奏曲】」
そよ風のように緩やかだった音波が、【演奏者】の力により砂塵を天に巻き上げる暴風へと強化される。
周囲一帯の砂を吹き飛ばしたとき、身体に赤い傷が幾つも走った。
「初期技でもこのレベルなのね」
【演奏者】を解き髪についた砂を払い【ポーション】を使用する。
たちまち傷が消えてHPが回復した。
「どの技でも【演奏者】で強化出来る上限は変わらない…。結局は私の耐久値次第なのね。一撃必殺…だけど、あまり多用には向かなそう」
余力を無視した文字通りの全身全霊。
アリスの【黒雷姫】、その奥義とも呼ぶべき技、【プリンセスストーム】に通ずるものがある。
「尤も一撃必殺を称して破られたんじゃ、一撃必殺とは呼べなさそうではあるけど。もう少し使い道を模索しないと……あら?」
考えに耽っていたナッツの目が、暴風によって作られた眼前の盆地を捉えた。
砂の中に何やら人工物らしい石片が突起している。
盆地に降りて試しに掘ってみたが、どうやらかなりの大きさらしい。
手作業では無理と再び【演奏者】を使用し、無理無い程度に技を強化。
砂を吹き飛ばすこと数分。
砂漠に埋もれた巨大な扉がナッツの前に顕になった。
「これは…隠しダンジョン?こんなところに未発見のダンジョンがあったなんて」
挑戦以外の選択肢は無しと、獅子の頭を象った像が付いた扉に触れる。
扉が音を立てて開くと、ダンジョンの中へと転移した。
【獅子王の御前】。
薄暗い通路に流れる冷え切った空気。
ナッツは静まり返ったダンジョンの中で、その異様さに面食らった。
「何よこれ…」
出合い頭にモンスターに襲撃された方が、まだ幾分かまともだったかもしれない。
豪奢な城の中、そこかしこに横たわる鎧を纏った兵士たち。
赤い絨毯が血溜まりに黒く染まっている。
NPCであるが、そこは命というものを感じないある種の静謐であった。
「全員が獣人…それもみんな一撃でやられてる」
重武装を施した者たちは、皆一様に鎧を砕かれている。
この凄惨たる凶行に及んだ者の力量が十二分に窺えた。
モンスターの出現は無く、一本道の通路を真っ直ぐに進む。
突き当たりには扉があったらしいが、その面影は無く板切れが無惨に転がっていた。
開けた空間である玉座の間もこれまでと同様、兵士たちが倒れている。
身なりが違う者はどうやら臣下らしいが、誰も彼も息はない。
玉座に座ったまま、胸を剣で貫かれている獅子の王もまた。
「これは…暗殺の現場に立ち会ってしまったっていうこと?」
ナッツは恐れという感情とは無縁口を開いた。
血塗れの玉座に佇立する者。白い鎧を返り血に染めた若獅子の獣人を見据えて。
獣人は王の胸に突き立てた剣を引き抜くと、血を払い鞘に収めた。
「要らぬところを見られたものだ。憲兵であったなら斬り捨てていたところだが。…いや、貴女が城の宝目当ての賊であろうと最早構わぬ。その扉の先に宝物庫がある。民から搾取した財宝だ。民無き今、ただの塵芥も同じ。好きなだけ手にして早々に去るが良い」
「くれるって言うならもらうことに躊躇いは無いけれど、はいわかりましたと頷くのも癪な話だわ。第一、王様殺しなんて凶行に及んだ人の言うことなんて、素直に聴く方がどうかしてる」
「フハハハハ。いや、そうだな。間違い無い」
若獅子は豪快かつ愉快そうに、笑い声を空間に響かせた。
「貴女はこの惨状を見てどう思う?」
「別に何も。私はこの人たちのことを何も知らないから。けれど、そうね。あなたが自分が仕えた王様を手にかけた理由くらいは気になるところね」
「何故、これが私の王だと?」
「最初はただの暗殺か国賊だと思ったけど、どうやら違うみたい。あなたの鎧。材質は違うけど、造りは倒れている兵士たちと同じでしょう?つまりは逆賊。これはクーデターっていうことになるのかしら」
「なかなかの賢女だ。周りがよく見えている。臆しない胆力も良い。この愚王も貴女のように賢しければ、国を滅ぼすこともなかっただろうに」
怒りと憂いが混じったような目が、肥えた王を射る。
「城の外を見たか?」
「外…と言っていいのなら、周りには砂漠しかなかったわ」
「かつてこの地は豊穣の神に愛されていた。緑に溢れ、水に潤った肥沃の大地が広がっていた。この地に住まう民は大地の恩恵を受けて、慎ましくも豊かな生活をしていたのだ。それをこの愚王が一変させた」
過剰な税。
労働による搾取。
階級制度による理不尽。
王は圧政を民に強いた。
その結果起こる国の腐敗。飢餓と貧困による枯渇は、瞬く間に大地を痩せ細らせた。
そして大地の実りを失った民たちは疲弊し、やがて弱い者から順に息絶えた。
強欲に富を蓄えていた王と上級貴族を除いて。
若獅子が立ち上がったのは、この地から民が消えた後のこと。
「民を思わなかった強欲な王様を倒した英雄。字面は立派ね。でも実際は、疲弊する民を王様と一緒に見過ごした同罪人。そんなあなたが王様に手を下せる道理があったのか、甚だ疑問なところだわ」
「愚王とはいえ、私が付き従え生涯ただ一人王と呼ぶと誓った方。忠誠も仁義も本物だ。私は王が違えた道を正すことが出来なかった愚かな騎士だ。……いいや、もう騎士ではないな。忠義に背き、誇りと信念に唾を吐き捨てた者に相応しい呼び名など無い。さあ、もう去れ聡明なる者よ。ここは貴女のような者が居るべき場所ではない。私の命の終幕を以て、この国は真に閉ざされる」
それは暗にこのダンジョンの閉鎖、二度と挑戦出来ないということを示していた。
ナッツがそれを知る由はないが、変わらず彼女に撤退の意思は無い。
「忠誠も仁義も本物…ね。主に最後までついて行こうとする、まさに騎士の鑑だわ。だけど、本懐を遂げようと思うなら尚更、あなたは王様を止めるべきだった。命を以て償わせるんじゃない。自分の言葉で咎めるべきだったと、私は思うわ」
「もう遅い」
「人の騎士道だもの。赤の他人の私が口をだすことじゃないってわかってる。まして済んだことだものね。それで?あなたは王様を討って満足したのかしら。自分の命で区切りを付ければあなたは満足するのかしら。しないわよね。だって、騎士っていうのは難儀な生き物だから」
自分よりも主君を優先し、尊重し、敬愛する。
それこそが矜持。本懐。否、宿命だと。
自分を捨てられる覚悟を持った者だけが騎士足り得ると、ナッツは考える。
「では、貴女ならばどうする。無能な王の下で最後まで騎士として殉じるか。それとも王を捨てて己も消えるか」
「その質問には答えられないわ。だって」
ナッツは後ろ手を組んで、優雅に微笑んだ。
「私の王様は無能じゃないもの。世界一強くて、可憐で。どんな私でも受け入れてくれる…最高で最愛の王様だから」
呆気取られて騎士は目を丸くし、しばらくして豪放に笑い声を上げた。
「ククク…ハハハ!フハハハハハ!!そうか、貴女の王は。それは最上の誉れだな。比肩する者無しの騎士と自負していたが、いやはや落雷に打たれたような思いだ。騎士にとって王とは唯一にして無二。そんな当然を忘れたから、私は騎士で在ることを辞めてしまったのだろうな。貴女……否、この期に及んで女子ども扱いは失礼であろうな。改めて問おう。貴公、名は?」
「【歌姫】、ナッツ」
「私は…いや、名を名乗るのも烏滸がましいか。ナッツ殿、無礼を承知で申す。この無能の最後の頼みを叶えていただきたい。私の騎士道ははたして正解だったのか。どうか貴公の手で証明させてほしい」
自身を無能と呼んだ騎士が刃の厚い剣を抜いたのを見て、ナッツも同じく《オルフェウス》を手にする。
「正解も正義も所詮後付けよ。それなのに卑怯ね。そんな顔をされて断るほど、私は冷血じゃないっていうのに」
「恩に着る」
どちらからでもない。
二人は示し合わせたように同時に血の滲んだ絨毯の上を駆けた。
視界に互いの姿しか映さず、最速を以て最高の剣を向ける。
剣が打ち合う音すら置き去りに、両者はすれ違い立ち位置を入れ替えた。
「見事」
若獅子は満たされた風に口角を上げると、そのまま前のめりになって倒れた。
「王よ、今参ります」
穏やかな表情で目を伏せる若獅子に向け、ナッツは礼拝さながらに剣を一度掲げた。
ダンジョンの攻略に伴いリザルトが表示されたが、じつはこのダンジョンの攻略法は幾つかのルートに分岐している。
一つは一番最初に若獅子が提示した通り、城の財宝を得るだけのルート。
一つは若獅子の問いに対し、若獅子が満足しない答えを示すルート。これは彼の不興を買い、強制的に負けイベントに突入する。得られる報酬は何も無い。
若獅子の問いに対し、満足する答えを示したならば、一対一のバトルに持ち込まれる。
その際掛かった時間、魔法の使用、ダメージ量などで更に分岐は広がるが、奇しくも彼女が辿ったのはトゥルーエンドとでも呼ぶべき最良のルート。
ナッツが得たのはゴールドやアイテムが大量に納められた城の財宝。
そして強力な装備とスキルであった。
《アイテム《姫騎士のドレス》を取得しました》
《アイテム《神撃のブーツ》を取得しました》
《アイテム《追憶の十字架》を取得しました》
《称号【託されし者】を取得しました》
《スキル【眷属召喚:円卓の騎士】を習得しました》
《スキル【獣の剣】を習得しました》
《スキル【叛逆】を習得しました》
《ユニークスキル【英雄王】を習得しました》
「【託されし者】…ね。何も託された覚えは無いのに。勝手な人」
ナッツはリザルト画面に表示されたスキル名を指でなぞった。
「【円卓の騎士】…そしてユニークスキル【英雄王】…。これが私の所へ来たのは、いったい何の因果なのかしら」
【ナイトオブラウンズ】のメンバーであった頃を思い出し、クスリとする。
新たに得た装備に換装し、ドレスの裾をヒラリと翻した。
「ありがとう。さようなら、名無しの騎士さん」
古都の西の果て。
風が吹き荒び魍魎が跋扈する魔境をルナは一人行っていた。
目的はレベル上げの他、掲示板で噂になっている高難度クエスト。
何人ものプレイヤーが挑戦し、未だ一人として攻略出来た者はいない。
が、古都のNPCから得た情報によると、そのクエストをクリアすると強力なスキルを手に入れられるらしいことが判明している。
挑戦者の話を纏めた点が次の通り。
四色あるうちの白い鳥居をくぐった先の分かれ道、火の灯っていない灯籠を左に進むと、ある一定のゲーム内時間のみクエストが発生する。
砂利道を真っ直ぐに。道中にある地蔵に古都の和菓子を供え拝む。
すると青白い火の玉が出現し、その後を追うとしめ縄と呪符にまみれた空間に出る。
瞬間、バトルとも言えないバトルが発生する。
敵の数は不明。
攻撃方法も不明。威力が高いのか、即死効果が付与されているのかもまた不明。気付いたときにはクエストが終了しているらしい。
敵の姿も不明。そもそも敵を視認すら出来ない。
プレイヤーたちは多種な攻略法で臨んだが、未だ何もわかっていないアンノウンクエストだ。
(【海神の胎】では、ノアさんの急襲にやられてしまいました。問答無用の不可避攻撃…あれを卑怯と呼んでしまえば、私はそこまでです。今のままじゃ、アリス様の役に立つなんて夢のまた夢。私はもっと強くなります)
誰も攻略出来ないのなら自分が。
勝機も勝算も持ち合わせてはいないが、ルナは確固とした意思でここにやって来た。
白い鳥居をくぐり、灯籠が立つ分かれ道を左へ。
風に煽られながら砂利道を進み、道中の地蔵の前に膝をつく。
古都の名産である饅頭を二つ供えて手を合わせると、前方に青白い火の玉が出現した。
不気味に揺らめくそれを追うこと数分。
妖しさが増した空間に到着した。
火の玉が消えたのと同時、不可視の何かが風と共に駆ける。
ルナはバトルの開始を察しすぐさまスキルを発動させた。
「【迷い家】!」
ルナが任意で発動出来る異界。
レベルアップにより更に広さと複雑さを併せ持った空間は、外部との繋がりを完全に遮断する。
如何に不可視、不可避の攻撃であろうと例外ではない。
様子見で一分ほど【迷い家】に籠もり外へ出る。
ルナが立っていた地面には三本の線が刻まれ、そのどれもが深く抉れていた。
「やっぱり【迷い家】で正解でした…」
安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間。
『ほう。やるじゃねえか、妖怪の小娘』
豪胆な女性らしいその声は、ルナの脳内に直接響いた。
風に混じった吐息。
ルナは振り返り、暗がりに浮かんだ二つの月に身を萎縮させた。
周囲に下がっていたしめ縄が千切れ、呪符が次々と燃えて灰になっていく。
音も無く大地を踏みしめる脚。
人の身体など容易に引き裂いてしまいそうな爪。
岩をも噛み砕く牙。
満月のような黄金の瞳。
そして、淡く発光し白銀を思わせる白い毛並み。
大型トラックよりも一回りほど巨大な虎が、ルナの前に姿を現した。
『オレの爪を躱せる奴がいたとは驚きだ。異界を生み出す術か。珍妙にして奇天烈だな。今まで数多くの雑多が此処に足を踏み入れては命を落としていったものだが。誇れ小娘、オレの姿を拝謁出来たのは後にも先にも貴様だけとなろう。…しかしだ、それとこれとは話が違う。生憎眠りを妨げられて見逃す寛容さは持ち合わせちゃいねえ』
生物を生物とも思っていない眼光が身を竦ませる。
言葉を発そうにも口が動かない。
それがゲーム的演出なのか、心の底からの恐怖なのか、ルナには判別がつかなかった。
動かなければ死。
その直感が彼女を突き動かした。
『死に様を晒すことを赦そう』
虎の前脚がゆっくりと持ち上げられる最中、
「【風刃】!」
ルナは風を渦巻かせ自分の左肩を斬りつけた。
真っ赤なダメージエフェクトを滴らせ無理やり硬直を解き、身体を後方へと跳ばす。
虎は上げた脚を下ろし改めてルナの姿をまじまじと見やった。
『自らの刃で気付けるか。物見遊山の小娘というわけではねえようだな。戦闘経験の高さを窺わせる』
「これで少々、腕に覚えはあるもので」
『戯れるなよ小娘。腕に覚えがある者が、こんな僻地に足を運ぶものか』
ルナは唇を結んだ。
『ああ、いい。ここに来る連中は皆同じだ。オレの力を欲してやって来る。ハッ、どいつもこいつもくだらねえ。自らの無力を嘆き、弱者であることに抗おうとする。いじらしく尊く憐れなまでに滑稽だ。生という性を持ちながら定められた天命を知らねえ。知ろうともしねえ』
「身の程知らずの愚か者だと?」
目を離したつもりはない。
それでも虎はルナの前から姿を消し、彼女の背後を取っていた。
『図に乗るな小娘。愚かという形容すら愚かしいわ。お前如きの尺度で、オレと同列に語ろうなどとは露程にも思わねえことだ。お前と言葉を交わしてやっているのは紛れもねえ神だぞ』
遅れて突風が一つルナを過ぎ去り、身体を三つに分けた。
【裁縫術:形代】による死亡代替が無ければ、この時点で敗北は喫していただろう。
涼しい顔で平静を装ってはいるもの、内心冷や汗ものだ。
『避けるだけならまぐれでも出来る。受けても死なねえとくれば偶然じゃなくなるか』
虎の姿が再び風と共に消え、前方に現れる。
『オレを前に恐れぬ胆力。不敬、しかし称賛に価する。名乗れ小娘。それが虚勢であれ蛮勇であれ、お前はその資格を得た』
ルナはあくまで挑む者として、胸に手を当て頭を垂れた。
「【不思議の国のアリス】、ルナと申します」
風が渦を巻き始め、燐光を周囲に散らす。
空には厚い雲がかかり稲光が走った。
『オレの名は白虎。西方を司る聖獣。神の力を欲せし者よ。お前に試練を与えよう。せいぜい足掻け。全霊を賭して尚足りぬ身で』
それは勝負などとはとても呼べない、一方的な暴虐であった。
絶えず満身創痍。
一瞬の気の弛みも許されず、回復アイテムの消費も激しい。
ステータス差は言わずもがな、スピードは初速から最高速度を誇り、移動はおろか攻撃モーションすら目に映らない。
初見殺しどころでない現状。
それでも戦闘が数分と経過して終了していないのは、ルナが必死に策を巡らせているためであった。
「【裁縫術】!」
糸の強度では白虎の攻撃を止められないが、周囲に張り巡らせることでいち早く動きを察知し回避が可能となる。
とはいえ【裁縫術】にも限界はある。
その際に用いられるのが異空間スキル、【迷い家】。
【迷い家】は一度訪れたことのある箇所ならば、システム上侵入不可の地点のどこにだろうと異界の入り口を開くことが出来る。
距離が遠ければ遠いほど消費するMPも増加するが、転移時間は一瞬。
速度という概念を無意味と化す、必殺ならぬ必避のスキルだ。
『逃げ回るだけか』
「攻撃させる暇すら与えてくれないのに、よく言いますね」
並の相手であったなら【迷い家】に取り込み弱体化を狙うところだが、それは叶わない。
(【迷い家】の中なら少しは歯が立つかもしれません…しかし、取り込もうとすると事前に距離を空けられる…。【迷い家】を発動する気配を完全に読まれているとしか思えません。そもそもすでに【天風】や【異界の逆風】を発動させているのに、まったく影響されている気がしませんし…)
勝ち筋が見えない、というのがルナの正直な見解だ。
白虎の攻撃は回避で手一杯。
こちらから攻撃するタイミングも窺えずジリ貧が続くとなれば、近い未来追い詰められるのは目に見えている。
何をしても、何もしなくても、彼女の敗北は確定事項だ。
このまま逃げ続けるだけならば。
(もう少し…)
対して白虎も攻め手を緩めない。
苛烈かつ熾烈な量の風の刃を、天から降る槍を、一帯を押し潰す槌を、耳を劈く咆哮を。これでもかと浴びせ続け、糸を使っての攻撃予測を徐々に無意味と化していく。
『神とそうでない者の力の差。それはけして覆らねえ絶対の理だ。抗うことに意味などねえ。だというのに、何故お前は天命に逆らう』
問われ、この危機的状況の中でルナは可笑しくなって、尊大に言ってみせた。
「たかだか神に、私の思いが理解出来ようはずはありません」
風が脚を掠め、脇腹を裂き、左腕を千切る。
それでもルナの目は光を失わない。
「愚かでも、滑稽でも。抗って、逆らって、歯向かって…その先の強さに繋がるのなら、それが私の意味で意義です」
『神に挑まなければならねえほど、お前は強さを求めると?』
「それくらいでなければ、あの方の隣には立てませんので」
『あの方?』
「神よりも崇高で、世界で最も強い御方です」
『!』
ルナが指を一本動かしたときはもう遅く、突如として白虎の身体が止まり宙へ浮かんだ。
『これは…!』
目を凝らしてやっと見えるような極細の、それでいてルナが生み出せる最高硬度、最高粘度の糸が白虎の全身に絡まっている。
『馬鹿な…いつの間に!』
「見える糸ばかり警戒していただいて助かりました」
ルナは糸を張り巡らせながら、張り詰めた糸の中に、力無く弛んだ糸を紛れさせていた。
気取られないようゆっくりと。幽かに。
来たるべき一瞬を狙う蜘蛛のように。
『弛んだ糸は切れねえか。なかなかの策士だ。だが所詮は児戯の域を越えねえ。一瞬の足止めにもならねえぞ』
「ええ、でしょうね。なのでこの一瞬に全力を費やせていただきます。覚悟してください。私の思いは神をも越えますよ」
愚か者と呼ばれたとて、それ以上にルナは慕う者だ。
思うほど強く、焦がれるほど熱く心を滾らせる。
愛する気持ちを止められる者など、この世の誰も存在しない。
そう。神でさえも等しく、少女の前ではただの一つの障害だ。
「【逢魔ヶ時】!!」
闇に濡れた黒い糸が螺旋を描き、槍となって白虎を撃つ。
好機を見据えて残しておいた余力、全てを注ぎ込んだ渾身の一突き。
「【祀縫・神穿一衝】!!」
黒い衝撃が天に穴を空けた。
曇り空が晴れ月明かりが差す。
銀の光を浴びてルナは脱力感に膝をつき、悠然と構える白虎を見上げた。
ほんの少し不機嫌そうに頬を膨らませて。
「本気、だったんですけれど」
『オレとお前じゃ次元が違う。初から勝負のつもりもねえ』
負けイベントだとルナが気付いたのは最後の瞬間。
攻撃を当てて一ミリも減少しないHPを見たときだ。
「試練めいたものと考えるのが妥当なのでしょうね。攻略ポイントはHPを減少させるのでなく、一定時間の生存といったところでしょうか」
『やめろやめろ、終わったことを蒸し返すこと以上の無為はねえ。とはいえだ、オレを相手に生き残った栄誉を噛み締めたい気持ちはわからんでもねえが』
褒美とばかり白虎は淡い光を放ち、ルナの体力を回復させた。
『未だ脆く小さく、吹けば飛ぶほど弱くか細い。幾星霜に渡り栄枯盛衰を繰り返し、数多蔓延る有象無象の中の一に過ぎん。だがルナよ、お前の牙は確かにオレに届き得た。それを称しお前にオレの力の一端と、【白の聖女】の名を授けよう』
ルナの前にリザルトが表示される。
《【風魔法】が【暴風魔法】へ進化しました》
《アイテム《天下布武》を取得しました》
《アイテム《天喰の爪》を取得しました》
《アイテム《天穣の具足》を取得しました》
《称号【白虎の御使い】を取得しました》
《二つ名【白の聖女】を取得しました》
《スキル【西風の眼】を習得しました》
《スキル【乾坤一擲】を習得しました》
《ユニークスキル【四聖王:白虎】を習得しました》
「これは…」
『活かすも殺すもお前次第だ。が、オレの力で無様を晒してみろ。いつでもお前の頭を噛み砕いてやるぞ』
「どうでしょう。次にお会いしたときは、私は神を越えているかもしれませんよ」
聴いて、白虎はその笑い声で大気を震わせた。
『おもしれえ女だ。ならば越えてみせろ。お前の信念が本物ならば、その力で』
世界に君臨してみせろ。
それだけ言い残して、白虎は風となって消えた。
残った光の残滓をそっと握り天を仰ぐ。
「言われずとも。私の力は、アリス様のために」
灼熱が体力を奪い、地熱が身を焼く。
絶えず活動し火を噴き上げる火山のエリアに、猛獣たちの叫び声が木霊した。
溶岩を泳ぐ巨大魚。
岩肌に擬態した蠍。
火山岩の鱗を持ったドラゴン。
火を吐き土砂を巻き起こすモンスターの群れの中心で、ココアは鎌を振っていた。
溶岩の津波を浴びては突き破り、爆発するブレスを受けては突き破る。
受けては狩り、受けては屠るを、何度も何度も。
【ライフストック】というスキルが無ければ、到底あり得ない戦闘だ。
ただ、ココアにはそれを避けることも出来た。
思考から除外しただけだ。
「チッ」
舌打ちを何回したか、本人にもわからない。
ここに来たことに意味があるとすれば、人気の無い場所を求めて渡り歩いていたくらいのものだ。
誰かに話しかけられでもすれば、プレイヤーキルをしてしまいそうなくらいには苛立っていた。
理由は明白。
雫のことだ。
帰ってこないのではなく、帰ってこられない。
家庭の事情であることは重々承知していて、それでも腑に落ちない。
「あのクソバカが…」
正面から突進する小型の四足竜の鼻先に、怒りを十二分に込めた拳を撃つ。
左腕はなんてことなくひしゃげたが、モンスターは地面を抉って昏倒した。
「あーくっそ!うっぜー!なんでウチがあんな奴のことで頭抱えなきゃなんねーんだよ!ふざけんなクソビッチ!!前髪全部抜け落ちろよ!!」
モンスターを狩り尽くし、近くの岩を蹴って八つ当たりすることしか出来ない。
そんな自分にまた腹が立った。
我関せずを唱えれば済む話だ。
毛嫌いして馬が合わなくて、そんな相手に気を揉む必要がどこにあるのか。
俯いて肩を上下させるココアの背後で、ズシンと低く響く足音が鳴った。
火山を一つ背負った巨大な竜――――火山食いという名の怪物が、獲物を前にマグマの唾液を垂らした。
出現率小数点以下。
遭遇の談など数える程度のレアモンスターだ。
いつものココアならば、スクショを挟む余裕もあった。
「近寄るんじゃねー」
自分でもわかっていながら敵意を全面に。
噴炎を撒き散らす火山食いへ、鬼気迫る表情で鎌を振り下ろした。
「失せろっつってんだよ木偶の坊がよぉ!!」
マグマで身を焼きながら硬い外殻を容易く切り裂く。
一撃で絶命した火山食いは、その場に大量のレアドロップを遺して消えた。
ココアはまた一つ舌打ちして、灼けた大地に座り込んだ。
「ダッサ…」
苛立つ自分に嫌になって雑に前髪を掻き上げる。
横目にしたリザルトには気を惹かれる内容も羅列されていたが、いつもよりは感動も少なかった。
「帰るか」
気持ちは晴れないまま。
ココアはゲームの世界から立ち去った。
《アイテム《火の山の大鎌》を取得しました》
《称号【火山の制覇者】を取得しました》
《スキル【炎熱無効】を習得しました》
《スキル【噴火】を習得しました》
《スキル【溶岩遊泳】を習得しました》
《スキル【破壊の一撃】を習得しました》
《スキル【憤怒】を習得しました》
NEOの名所や隠れた絶景を巡りながら、モンスターとの戦闘、スキルや魔法などについてレクチャーすること数時間。
現実世界の時間は夕暮れに差し掛かっていた。
「いやぁ、本当におもしろいねゲームってのは」
「そうじゃのう。どこへ行ってもワクワクハラハラ。後はもう隠居するだけの人生じゃと思うとったが、如何せんこれはハマるのう。残りの人生はゲームに費やすのも悪くない」
感慨深い風に、ケイは若いアバターの向こうの老練さを滲ませた。
「どうでしたか?楽しんでもらえましたか?」
「ああ、もちろんさ!ゲームも楽しかったが、何よりあんたが良かった。何を教えるにも懇切丁寧でわかりやすいのは元より、あんたがプレイしてるのを見てるとこっちまで楽しくなってくる。まるで若返った気分だよ」
「魅力的というのかの。正直婆さんと出逢ったときや、孫を初めて抱いたときのような感動を覚えた。動きも笑顔も目を惹かれて、孫がもう一人出来たみたいじゃった。ありがとうの、アリスちゃん」
ツユとケイに裏表無く褒められて、アリスは素直に照れて頬を紅潮させた。
「いやぁ、エヘヘ。喜んでもらえたならよかったです」
「また一緒に遊んでくれるかい?」
「もちろん!今度はお孫さんも一緒に」
「今日は本当にありがとう。孫に自慢するよ。素敵な子と知り合ったってね」
説明しながらフレンド登録を済ませると、二人はログアウトすることにした。
「長い間付き合わせて悪かったね。今度何かお礼するよ」
「そうじゃの。次までに何か考えておこう」
「いえいえ。二人が楽しんでくれたなら、それが何より嬉しいです。こちらこそありがとうございました」
「良い子じゃのうアリスちゃん。どうじゃ?うちの孫の嫁に来んか?」
「ほえっ?!」
おちゃらけるケイの頭に、またツユの拳骨が落ちた。
「何言ってんだいこのジジイは。まああたしもそうなったら嬉しいまであるが」
「じゃあなんで殴ったんじゃ!運営に報告するぞ!」
「え、えっと、あの…」
「フッフッフ、まあ半分冗談さ。気にしないでおくれ。それじゃあねアリス。また」
「あ、はい!また!」
「まったねーアリスお姉ちゃぶふっ!!」
拳骨の音を残し、ツユとケイは去って行った。
「楽しい人たちだったなぁ。二人ともパワフルで。お年寄りだったみたいだけど、新しく人が増えるのってやっぱり嬉しい。私たちがもっと頑張って活動したら、もっと人が増えて、そしたらもっともーっとNEOが盛り上がるよね。それでもって、そんな世界で一番になるんだ」
街の高台から暮れゆく夕陽を眺めつつ、う〜っと唸って両手を突き上げる。
「やるぞー!おー!」
期待と高揚。前進への意欲。
瞳をキラキラさせるアリスに、背後から声が掛けられた。
「いつも元気ですね。アリスさんは」
聴き慣れた声だ。
間違えようはずもない。
アリスは反射的に振り返って名前を呼んだ。
「シズクちゃん!」
後ろ手を組んで、その悪魔は佇んだ。
「お変わり無いようで安心――――」
シズクが言い終わるより早くアリスは詰め寄った。
「もうっ!なんで何も連絡してくれないの!心配してたんだからね!今日は帰ってくる?明日は?ちゃんとご飯食べてる?元気?風邪とか引いてない?」
怒りより心配が全面に表れ、シズクは苦笑いを浮かべた。
が、矢継ぎ早に訊かれた質問には一切返さない。
どこか寂しげな様子は、アリスの目にもすぐにわかった。
「あまり時間は無くて。すぐログアウトしなければならないんです」
「そう、なの?」
頭上に耳があったならペタンと垂れただろうほど、アリスはしょんぼりしてみせた。
「どうしても自分の口で伝えたいことがあるんです」
「伝えたいこと?」
「アリスさん」
日が沈み、夜の風が二人の間を駆け抜ける。
「私と…バトルしてもらえませんか」