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76.不思議の国とラストステージ

 その"扉"は、開ける者を選びこそすれど拒むことをしない。





「レディースエーンジェントルメーン――――――――!!!」

 世界中に響くような声で、アリスが開幕を告げる。

「盛り上がる準備は出来てますかー!!」

「最後まで楽しんでいけー!!」

「オープニングからトバしていきますよー!!」

「最初の曲は【ナイトオブラウンズ】の代名詞!!Luminous Marginal!!」

 星空の下。

 この日のために用意された特別なステージの上で、【ナイトオブラウンズ】は圧巻のパフォーマンスを魅せ会場を沸かせた。

 音が駆け、光が走る。

 まるで花火のように一瞬を輝いた。

「皆さん!今日は【ナイトオブラウンズ】の解散ライブにお集まりいただき、本当に本当にありがとうございます!!」

 数万という観客がゲームの中で、あるいはリアルで雄叫びをあげる。

 時折、解散を惜しむ声や、涙の嗚咽が混じった。

 アリスに並んで、【ナイトオブラウンズ】リーダーのロロが。

「何度も話し合って、みんなで話し合って、私たちは解散することを決めました。応援してくれたファンの皆さんや、これまで支えてくださった関係者の方々に、厚く御礼申し上げますと共に、今回このような舞台を用意してくださった、【不思議の国のアリス】の皆さんに、精一杯の感謝を伝えたいと思います!!私たちはもうこの世界から居なくなってしまうけど…引退する私たちの代わりに、私たちの大切な仲間であるナッツちゃんを受け入れてくださったことも!!」

 ナッツにスポットライトが当たり、それに伴い前に出る。

「ナッツちゃん、今まで本当にありがとう」

「……私は、口下手だから何も言えない。だから、バトルの中で語るわ。私の思い、全部ぶつけるから覚悟しなさい」

「うん!……というわけなのでアリスさん、皆さん。最後のバトル、勝って私たちの最後を華々しく飾らせてもらうからね!生涯ずっと自慢してやりますよ!」

 それはどうかな、とアリスが不敵に笑う。

「最後だからって、花を持たせる気なんかないですよ。手加減もしないし、負ける気もありません。正々堂々、私たちらしく勝ちにいきます!」

 気迫を込めた返事に、再び会場が沸いた。

 それに気圧されることなく、【ナイトオブラウンズ】の面々も返す。

「最高のバトルで魅せてあげよう!」

「私たちの全力でクラクラせんようにね!」

「油断してると食ーべちゃうよー!」

「アイドルだって強いんだってとこ教えてあげる!」

 【不思議の国のアリス】も同様、譲る気など一切無い。

「かかってきやがれ!」

「脳天もハートも撃ち抜いてご覧に入れましょう!」

「勝つのは私たちです!」

「ええ!勝って…私がみんなの思いを背負う!」

 ボルテージはマックス。

 アリスは高らかに、バトル開始を宣誓した。

「世界の果てを目指して!!We are!!」

「「「「「Alice in WonderLand!!!」」」」」





 半径百メートルのステージをフルに使った、制限時間無しの5vs5。

 特に打ち合わせしていたわけでもなく、全員は各所に散らばり1vs1の形式を執っていた。

 ルナの相手は【ナイトオブラウンズ】五の席、リエルタ。

 悪魔族の双剣使い。ハサミを分解したような武器をジャグリングしながらルナの周囲を円を描くように駆け回る。

「【不思議の国のアリス】の魔法使いルナさん。強力な風魔法だけじゃなくて、槍も使える武闘派…だっけ」

 羽のように軽やかな足捌きで、ルナの死角から攻撃を試みる。

「自分で武闘派と名乗った覚えはありませんが…言ってしまえば、おそらく【不思議の国のアリス】は全員そうだと思いますし…私はまだまだ皆さんの中では最弱もいいところですから」

 自虐を交えつつ苦笑いするが、視界からリエルタを外すことはしない。

 数度と攻撃を仕掛けては距離を取るリエルタであったが、ルナを取り巻く風が邪魔をする。

(前情報だと、もっとアワアワした感じだと思ったんだけど。なんか落ち着いた雰囲気。最弱っていうのはリップサービスかな。全然そんなこと思ってなさそう)

「強さに自信が無いなら、ラストバトルは譲ってくれたりしてくれると嬉しいんだけどなぁ」

「お断りします」

 ズバリと、柔らかく笑って返答する。

「私は最強のギルドで、最強のアリス様にお仕えすることを至上としているもので。負けるわけにはいかないんです」 

 【ROSELIA】戦を乗り越え、先のイベント中、トータル数百を超えるバトルを経験したルナに得たものがある。

 冷静に状況を判断する心の余裕。そして自信。

 ルナに欠けていたものが埋まった今、その実力はステータスを越える。

 リエルタは、早々に決めるべきであったと自分を責めた。

 自身を最弱と称する、目の前の脅威を知る前に。 

「ここでは迷惑になりますね。移動しましょうか。案内して差し上げます、私の領域に」

 槍を回し、先端を地面に突き立てる。

「【迷い家】」

 グニャリ。

 ルナを起点に空間が曲がる。

「?!」

 周囲の景色が変わり、リエルタが閉じ込められたのは、高い天井と、延々と襖と畳が続く空間。

「空間系のスキル…!こんな規模のスキル、初めて見た…!」

「ここなら誰にも見られません。思う存分、本気が出せます」

 バトルをするに当たり、たった一つ、アリスからメンバーに言い渡されていた指示がある。

 "最初から全開で"

 バトルを長引かせることで会場の熱を下げるのを嫌ったのと、もう一つ。

 【ナイトオブラウンズ】の忘れ形見であるナッツを引き受ける身として、不甲斐ないバトルを見せるなという意味が、そこには込められている。

 直接アリスの口から真意を聞いたわけではない。

 だが、彼女たちには充分その意味が伝わっていた。

 故に心に決めた。

 自分たちが持つ本気で、【ナイトオブラウンズ】に最大限の敬意を贈ろうと。

「私の本気はちょっと怖いですよ」

 燐光を帯びた糸がルナを包み、繭を作る。




「【逢魔ヶ時】!!」



 

 繭から姿を現した異形に、リエルタはただ戦慄した。

 蛍火色の髪に白が差し、顔の左半分を禍々しく輝く蜘蛛の眼の仮面が覆う。

 背中から生やした長い蜘蛛の足が嫌でも目を惹いた。

 ステータスを大幅に上昇させるこのスキルは、確率で制御不能の暴走状態となるデメリットを孕んでいる。

 しかし、

「行きますよ、リエルタさん」

 思いは時として確率を凌駕する。

 ルナは五指を開くと、伸ばした糸で薙ぎ払った。

 鋼鉄の強度を誇る、リーチと汎用性に富んだによる攻撃。

「気圧されてばっかりだけど…こっちも生半可じゃあないってとこ見せないとね!【アーストルペード】!」

 土壁が隆起し糸を防ぎ、岩石の槍が数本放たれ、更に床を衝撃波が伝う。

「【ロックフォール】!」

 リエルタは続けざまにルナの頭上から岩の雪崩を降らし、彼女の動きを封じた。

 それら全てが、ルナの風で阻まれる。

「【科戸・天羽々斬】!」

 何人をも拒み、万物を風化させる死の風域。

「っ!」

 畳を蹴ってルナの制圧圏内から遠ざかろうとした瞬間、床が消えた。

 正確には、畳であったはずの床が自身の側面にある。

「部屋が…回転して…?!」

 するとどうなるか。

 慣性のまま、リエルタは空間の底へと落下した。

「きゃあああ?!」

 【迷い家】は対象のステータスを低下させるだけでなく、ルナの意のままに内部構造を作り変える異界。前後上下左右を変更することなど造作もない。

 外部と隔絶された世界では、ルナに逆らうことは叶わない。

「もっと早くお知り合いになれていたなら、もっとたくさん戦えたかもしれません。同じ時間を共に出来たかもしれません。それが叶わないならば、せめて祈りましょう」

 ルナもまた、リエルタを追うように落下する。

 底が見えない落下の最中、ルナは一握の寂寥と慈しみを言の葉に乗せた。

「皆さんの未来に幸あらんことを」

 背中の蜘蛛足の先に糸玉を収束させて、居合の型のように槍を引き抜き払う。そこから生じた風は、【逢魔ヶ時】の禍々しいオーラを纏い、同時にレーザーのように放たれた糸を呑み込み前方を大きく薙いだ。

「【災縫(さいほう)禍ツ神之風(まがつかみのかぜ)】!!」

 風と鋼の糸による乱舞がリエルタの身体を防御ごと切り刻む。

 HPが尽きたリエルタは、空間の最下層に墜落した。

「あー…くっそ。悔しいなぁ」

 ルナが降り立って、最初に聴いた言葉がそれだ。

「もっともっと、やりたかったのになぁ…」

「……ですが、無念ではないでしょう?この先…」

 ()()は、自分にもいつかは来るのかもしれない。

 だから確かなことは言えない。

 それでも。

「私がこの世界から消えるときがきたとしても、この世界が私たちの前から消えたとしても…私は【ナイトオブラウンズ】の皆さんがいたことを、皆さんと戦ったこの瞬間をけして忘れません。いつか終わりが来たとしても……笑って最後を迎えたいと思います。最後まで美しく、自分たちらしく、そして誇り高く在った、皆さんのように」

 異形のままでも凛と、芯を通して。

「ありがとうございました」

 ルナは三つ指をついて深々と頭を下げた。

「……終わってみれば後悔ばっかりで、レッスンとか宣伝とかアンチとかつらいこともいっぱいあったけど」

 リエルタは涙を流して笑った。そして、

「うんっ。最高の時間だったかな」

 晴れ晴れとした表情で。

 自分たちが培ってきた経験を讃美した。





 弩号が飛び交う。

 シズクと、四の席、牛の獣人族のベルフォーレとの間で、弾丸の雨が穿ち合った。

「【オンラッシュシュート】!」

「【へカーティスロア】!」

 ベルフォーレがアサルトライフルを装備しているのに対し、シズクは慣れ親しんだスナイパーライフル、《サクリファイス》を装備。

 互いの距離は数十メートルほど。

 状況的優位を客観視するなら、ベルフォーレに軍配が上がろうところ。

 しかし、実際に圧されているのはベルフォーレの方であった。

(エイムエグい…!リロードはや…!なんでこの距離でスナイパーライフルがアサルトライフルに撃ち勝てるのぉ?)

 下手をすれば涙目だ。

 ただ、シズクは別段撃ち勝てているわけではない。

 アリスであるまいし、銃弾を全て避けるなんてことはまず不可能。

 シズクは要所要所で弾丸を躱しながら、針の穴を通すような精密さで射撃を繰り出し、避けられない弾丸は最初からダメージを度外視して受けているにすぎない。

 それもこれも、ユニークスキル【血の聖杯】による回復量のゴリ押しによるものだ。

 ただし、銃の腕前は自前だが。

「今、こんなことを言うのは場違いかもしれませんが」

「?」

「皆さんのライブ、昨今の音楽事情に疎い私の心にも深く響きました。もうあの感動が味わえないと思うのは、一ファンとしてとても寂しく思います」

「アハハ…嬉しいなぁ。私たちもねぇ、私たちのことを好きでいてくれるファンとバイバイするのは、とっても寂しいよぉ。でも」

「それが皆さんの選択。そして、未来を歩くためにした決断。私たちに止める道理はありません。であるなら、先行きを祝福せずして何がファンでしょう」

 シズクは銃身を地面に突き立て、胸に手を当て一礼した。

「皆さんに出逢えたことに、心からの感謝を。そして、栄光ある敗北を」

 粛々とした悪魔が、月の光に濡れる。

 髪が青く光る銀色に。

 瞳は透き通る蒼へ。

 薄い羽衣を纏い、胸に宝玉を、背中に月輪を背負う神の姿。

 名を、




「モード、【月読命(つくよみ)】!!」




 涼やかな鈴の音を体現したような神々しさを目の当たりにして、ベルフォーレはグリップを持ち直し、ニヤつきに口角が上がるのを堪えた。

「【不思議の国のアリス】の本気を味わえるなんて…こんなに名誉なことはないよぉ」

 ベルフォーレの銃口に新緑色のオーラが集中していく。

 幾重にも魔法陣が展開され、ただならぬ威力の攻撃を予感させた。

「全力には全力で返してくれるんだよねぇ?」

「ええ、もちろんです」

 二本指で円をなぞる。

 金の縁の中に、鏡面のような薄い水の膜が出来たものが複数。ベルフォーレとの間の空間に重なった。

 そこへ銃口を翳し、闇のエネルギーを集束させていく。

「心残りが無いように…全身全霊をぶつけてください!!」

「いっくよぉ…!!」

 引き金を引いて放たれた弾丸は、猛牛のオーラを纏って空を疾走る。

「【グラースガヴナ】!!」

 突き進むごとに強大に、相手との距離が空くほどに巨大さを増す、ベルフォーレの最大攻撃。

 シズクは押し迫るプレッシャーにものともせず、猛牛に照準を合わせた。

「戦いの愉悦も、勝利の喝采も、高潔なる意思も…全て私たちが受け継ぎます」

 射出された漆黒の閃光は、水の膜を通る度に力を増し加速。

 速度は一瞬にして亜光速に達し、軌道上の一切を浄化する。

「【エクスターミネイトムーンフォース】!!」

 さながら直線的な擬似ブラックホール。

 闇が自分を呑み込む刹那、或いは引き金を引かれたときすでに。

 ベルフォーレは、

「ありがとねぇ。強かったよぉ、シズクちゃん」

 思いを託すように敗北を悟った。

 祈りを捧げるように銃を抱いて、シズクはスッと瞼を閉じる。

「その言葉、永久に心に刻みます」





 ココアが相手をするのは、三の席シュカ。

 妖精族に似合わない怪力で等身大の斧を振り回し、ココアの大鎌と打ち合った。

「……あの子、ナッツってどんな子?」

 速く重い攻撃を打ち鳴らしながら、ココアはふとそんなことを訊いた。

「どんな子って?」

「べつに。【ナイトオブラウンズ】から見て、ナッツはどんな子だったのかなって。…ウチ今んとこ威圧しかしてないし。てか同担拒否だし。タメとか歳上の人相手は楽なんだけど、歳下はどう接したらいいのかイマイチわかんないから」

「仲間になるってなると、やっぱり不安なもん?フフフ、ありがとね」

 シュカははんなりとした物言いで感謝を口にした。

「なにが?」

「悩んで不安がってくれてるっていうのは、ちゃんとあの子を迎え入れてくれようとしてるからやろ。ナッツちゃんは幸せ者やね。いいギルドと、いい仲間に巡り会えて」

「それはそっちもでしょ」

 左腕を触手に変えて伸ばす。

「【フレイムスイープ】」

 炎を纏わせた斧で一閃。触手を焼き払った。

 炎を突き破り、ココアは大きく鎌を振りかぶる。

「【エンジェリックハザード】」

 光と炎が爆ぜる。

 パワーは拮抗し、二人は刃を押し合った。

「誰よりも…ううん、【ナイトオブラウンズ】だけがナッツの仲間だった。たった一つの居場所だった。ウチにもわかるよ。それがどんだけ嬉しいことか。どんなに救われたのか。だからこそ、適当な気持ちでなんか迎えられない。ウチらには責任がある。大切な仲間を受け入れる責任が」

「真摯やねぇ」

「あんまガラじゃねえんだけど、ねっ!」

 【詠唱破棄】から放たれる【陽光魔法】中位呪文、【ヘヴンバラージ】。

 光の集中砲火がシュカを焼く。

 至近距離から撃たれた魔法は、発動者であるココアをも傷付ける。

 命を複数持つが故の自虐的な戦闘方法。

 降り注ぐ光の中で、シュカは笑った。

「重ね重ねお礼を言わんとね。【不思議の国のアリス】なら、安心してナッツちゃんを送り出せる。みんなあったかくて、優しくて。ほんま幸せ者や」

「頑張るっていうのは変だけど…【ナイトオブラウンズ】に負けないくらい、ウチらはこの先も輝き続けてみせる。ナッツが心から笑えるような居場所になってみせる」

「その言葉、嘘は無い?」

「うん」

 シュカは小さく笑うと、じゃあ、と後方へ跳び炎を唸らせた。

「その覚悟、見せてもらうね!」

 【眷属召喚:炎精】。シュカは、全身が炎で構成された二本角の悪魔を呼び出した。

 さらに、ユニークスキル【降霊術】により、召喚された炎の悪魔をその身に降ろす。身体が燃え盛り、周囲の空気を灼熱で焦がした。

 【ナイトオブラウンズ】のナンバー3。シュカの本領発揮を目に、ココアもまた笑った。

「覚悟なんかとっくにしてんよ」

 鎌を横薙ぎに一度振るい空へと翳す。

「この先の未来は、ウチらが照らす!!」

 烈光。

 太陽が夜を掻き消した。




「モード、【天照(あまてらす)】!!」




 炎化した髪、紅玉のように深い赤の瞳。

 胸の宝玉を煌めかせ、背に日輪を背負う、聖なる太陽神が降臨する。

「キレイやねぇ。ずっと見てたい。この瞬間が永遠ならいいのに。……けどそうもいかんもんね。決めよっか、どっちの炎が熱いか」

 太陽と獄炎。

 紅蓮の炎と深紅の炎がせめぎ合い、火炎の旋風を巻き起こす。

「負けねぇよ誰にも。熱さも強さも。未来永劫その先まで、ウチらが至上で最高だ!!」

 ココアの感情に呼応するように、聖なる炎が輝きを増した。

「【イグナイトデスブレイザー】!!」

 炎の副腕が二本。合計四本の腕それぞれに持たれた炎の斧がココアに襲いかかる。

 敵を煉獄へと誘う死の猛攻を受けながらも、ココアは揺るがない。

 真っ直ぐにシュカを見つめ、意思を込めた鎌を振り下ろした。

 太陽神の炎は原初にして、炎すらも焼き尽くす灼熱の極点。

「【クリアバースサンシャイン】!!」

 天壌から注がれる業火。

 身体を灼かれながらも、シュカは自分を抱く至福を全霊で堪能した。

「任せたよ」

「任せろ」

 シュカの、【ナイトオブラウンズ】の思いを然と受け止め。

 ココアは差し出された拳に、そっと拳を当てた。





「ゴメンね」

 アリスに対し、黒樫の杖を手にする妖怪族、二の席クズハが最初に口にしたのは謝罪だった。

「なにがですか?」

「ナッツに一の席(ロロ)を譲ってくれたこと。私じゃさすがにアリスを相手取るのは役不足だけど、最後のバトル楽しませてもらうよ」

 言われ、アリスは不思議そうに首を傾げた。

「皆本気なんですから、役不足なんて思いませんよ?」

 真剣で、真摯であるが故の認識の齟齬。

 これがゲームの中に生きる【不思議の国のアリス】と、ゲームの外で生きることを選んだ自分たちとの違いなのだと、クズハは直感した。

 そして、意識の高さに引け目を覚えた。

「プロだね…。プロ…そういう選択肢もあったのかな」

 自分だけに秘めるように、小さな言葉を口にする。

 もしもプロになる道を選んでいたら。それならもっと仲間たちと共に過ごせたのだろうかと。

 そんな、あり得たかもしれない未来が脳裏を過ぎった。

 クズハの呟きを耳に、アリスは自分なりの答えを返す。

「何を選ぶかは人それぞれで、何を選んでもそれが正解かどうかはわからないと思います。私は皆さんに比べたらまだ子どもで、まだまだ何にも知らないけど…後悔しないことが大切だってことは知ってます。私は、自分たちの未来を歩くことを決めた皆さんのことをスゴいと思います」

 自分もそう在りたいと願うからこそ。

「こんなにたくさんの人に惜しまれるくらい頑張ってきた皆さんのことを尊敬します」

 アリスの言葉は、クズハの胸に深く刺さった。

 目頭が熱くなるのを、唇を結んで堪えて笑ってみせる。

「ありがとう。アハハ、どうしようかな。ナッツには悪いけど、私も好きになっちゃいそう。この世界から居なくなっても、私は推し続けちゃうよ。【不思議の国のアリス】も、アリスのこともね」

 ウインクを一つ。

 アイドル然とすぐに態度を改める。

「推しに推されるなんて、ファンとしてこれ以上の喜びはないです。でも、勝ちは譲りません!」

「うん、こっちだって譲らないよ。私は最後までアイドルでいたいから!」

 アリスの足が突如としてぬかるんだ地面に沈んだのと同時、クズハの周囲に銀の粒が浮かんだ。

 【土魔法】の上位種である【沼魔法】と、【水魔法】の上位種、【水銀魔法】。

 二つの上位魔法を使いこなす、【ナイトオブラウンズ】きっての魔法使い。それが彼女だ。

「【ボトムレススワンプ】!」

 広範囲に及ぶ地面の沼化。

 底無しの沼が、みるみるうちにアリスを引きずり込む。

 攻撃性は無いもの、対象を捕らえ動きを封じることに特化した【沼魔法】。

 ただ、アリスは身体が地面に沈むのを事前に察知し、逃れることが出来た。

 そうしなかったのはクズハへの礼儀。或いは強者たるが故の、勝利を望む者で在るが故の矜持だった。

「【シルバーレイン】!」

 銀の粒が流動し、鋭い鏃へと形を変える。

 足膝から下を拘束されているアリスは、襲い来る銀の雨に手を翳した。

「【ブラック――――!!」

 【ブラックホール】。アリスは得意とする魔法吸収の防御を使用しようとして、咄嗟に剣を抜いての防御に切り替えた。

 高速の剣戟が攻撃を阻み銀を落とす。

 その判断は完全に勘によるものであったが、それは正解という他ない。

 【ブラックホール】は魔法攻撃()()を吸収し無に帰す魔法。

 対して、【水銀魔法】は【水魔法】の流動性と、【土魔法】の頑強さ、そして特有の物理性を併せ持つ、全魔法の中でも随一の自由度の高さを持ったものだ。

 もしも【ブラックホール】で受けていたなら、闇の渦を貫通してダメージを受けていただろう。

「【ヒュドラリアス】!」

 魔法での防御は無いと、クズハは更に手数を増やしての攻撃を繰り出した。巨大な銀の球体が波打ち、蛇の如くうねる銀の槍を幾十と射出する。

 足を封じられた状態では、技に必要な動作も執れない。

 アリスは上半身を捻って剣を振った。

「ぜぇりゃあっ!!」

 一閃。

 たったの一振りによってクズハの魔法は真っ向から掻き消され、彼我の差を実感させた。

 攻撃が効かないとわかって、敵わない勝負とわかっていて、彼女はそれでも攻撃の手を緩めなかった。

 自分に向き合ってくれている、小さな強者の思いに応えるために。

「やああああああああ!!」

 クズハの頭上に銀が集い、直径約十メートルほどの巨大な球体が宙に浮かぶ。

 波紋が一つ広がると、それは荘厳な女神像を象った。

「【タイダルウェーブメルクリア】!!」

 女神が腕を一つ薙ぐと、それに沿って銀の津波が発生した。

 【水銀魔法】による最大呪文。対象を圧倒的質量で押し潰す銀の奔流。クズハが繰り出せる渾身だ。

「力強くてキレイで、私好きです。クズハさんの魔法。本当ならもっと…」

 その先の言葉を呑み込んで、アリスは《ヴォーパルソード》に闇を纏わせた。

 今までのどの闇よりも深く黒いそれは、澱んでいるようでもあり、清流のような清廉さも垣間見える。

 ひたすら純粋に、破壊という概念のみを研ぎ澄まし凝縮した、【冥獄魔法】の真髄。




「【タルタロス】!!」




 斬撃でも打撃でもない。

 与えるのは不可避にして絶対的な死。

 闇に触れた端から崩壊させていく。

 水銀の女神は脆く朽ち果て、闇に触れたクズハもまた、体力ゲージを尽きさせていた。

 舞い散る銀を全身に浴びながら、クズハは地面に身体を横たわらせた。

「強いね」

「はい」

「どこまで強くなる?」

「世界の果てまで」

「私たちはもう当事者じゃなくなる。舞台に上がることもない、ただの一人の観客になる。アリス……光り続けてね。そして、強く在り続けて。それでこそ」

 銀に混じって雫が一つ。

「私たちは……この世界に確かに居たんだって、ちゃんと思えるから」

 感謝と敬意をめいっぱいに込めて。

 肺いっぱいに空気を吸って。

 拳を握り、アリスは声を張った。

「はいっ!!」

 約束だよ。

 クズハは小さく言って、満ち足りた風に目を閉じた。





 各々が激戦を繰り広げる中、エルフ族のナッツと天使族のロロは静かに対峙していた。

 同じ剣。同じ構えで。

「懐かしいですね」

「ええ…。ロロ、あなたが教えてくれたんだもの。この世界のことも、戦い方も」

「アイドルの楽しさも」

「……それに、大切な仲間との別れもよ」

「あらあら、皮肉な子になっちゃいましたね。そんなところも可愛いからいいですけど。……勝手に誘って、勝手に解散して、最後までナッツちゃんを振り回してしまいました。彼女たちとは、仲良くやっていけそうですか?」

「無理って言ったら、解散を取り止めてまた楽しくやれるのかしら」

「無理ですね」

 ロロはクスクスと笑った。

「私たちは人間ですからね。過去には戻れないです。吐いた唾を飲み込むのも潔さに欠けますし。何よりアイドルらしくありません。教えたつもりはありませんよ私は。未練がましく過去に縋り付く生き方なんて」

「……そうよね」

 先輩と後輩で、先生と教え子で、ときには家族で在り、アイドルの仲間。

 自分に光を当ててくれた、かけがえのない恩人。

「ロロ」

「はい」

 伝えたいことがたくさんある。

 けれど言葉が詰まった。

 寂寥がそれを邪魔をした。

 自分でも混乱するくらい、感情の波が怒涛のように押し寄せる。 

「ロロ…」

 ロロは、母親のような笑みでナッツを迎えいれた。

「おいで、ナッツちゃん」

 砕けそうなくらい歯を軋ませて、ナッツは吼えて地面を蹴った。

 ロロも同じく前へと駆け出す。

 流麗かつ華麗な舞いを思わせながら、重く鈍い音を鳴らす剣戟。

 それが数分と続いた最中のこと。ほんの一瞬で勝敗は決した。

 高速の剣と剣とが空中ですれ違いざまに火花を散らし、それぞれの胸を貫いた。

 ナッツの目から涙が溢れる。

 彼女の顔を隠すように、ロロは剣から手を離し、頭に手を回して自分へと抱き寄せた。

「強くなったね」

「私…私…」

「うん…」

「みんなのこと……大好き……っ!」

「私たちも大好き」

 細い身体が砕けてしまいそうなくらい強く。熱く。

 回した腕に力を込めた。

「もう二度と逢えなくなるわけじゃない。死ぬわけでもない。ただ少し、歩く道が違うだけ。だから、泣かないで」

「泣いて…ないわよ…っ」

「笑った顔が好き。クールで無愛想なとこも好き。心に響く歌声が好き。ナッツちゃんの全部が好き。私たちの大好きを受け取って、どうか素敵な未来を歩んでください。私たちが共にした、奇跡とも呼べる時間が不変となるように」

 レッドゾーンから減少するHPを尻目に、ロロは安らかに目を瞑った。

 先を行く仲間の安寧を祈り、仲間を受け入れてくれる新星に謝辞を述べる。

「これ以上無い幕引きでした」

 ナッツは一度鼻を鳴らして目元を拭い、まだ、とロロから身体を離した。

「まだ、最後じゃないから」

 手を空へ翳すと、光が、音がステージを煌めかせた。

 アリスが、ココアが、シズクが、ルナが。ナッツの元へと集う。

 ロロは自分たちの曲でないのをすぐに理解したが、何が起ころうとしているのかと呆けた。 

「これは…」

「ロロ、みんな。観てて…」

 さながら、初めて一人で遊びに行く子どものように足取りは軽やかに、気持ちを弾ませる。

「最高のステージを魅せてあげる!」

 一瞬の暗転の後、光の下に現れた彼女たちは装いを変えていた。

 それぞれ楽器を手にした様に、観衆は今から何が始まるのかを直感し、悲鳴や絶叫にも似た大歓声を上げる。

 ナッツはスッと手を伸ばし、始まりを告げた。

「聴いてください。Nameless Symfony」





 その瞬間は、伝説となった。

 だが、誰もそのときのことを語りたがらない。

 口を開けば、言葉にすれば、感動が薄れてしまいそうだったから。

 音の煌めきも、世界を越えて響いた歌声も。

 全てが夢幻のよう。

 その中で、【ナイトオブラウンズ】は沸騰する血潮に、熱い心臓に、目から溢れる大粒の涙に現実を実感した。

 アイドルらしからぬくしゃくしゃな泣き顔で、輝きの中の彼女たちを目に焼き付けた。

 【不思議の国のアリス】も、全身全霊で音を奏で詞を歌う。

 【ナイトオブラウンズ】が、確かにこの世界に存在したという証を。誰の心にも刻むかのように。

 たった一曲。

 五分にも満たない短い時間は、彼女たちにとっての永遠となった。





「ねえ姫」

 拍手と喝采と盛大な賛美に送られながら、【不思議の国のアリス】と【ナイトオブラウンズ】のバトルは幕を閉じた。

 これは最高の結末の後談である。

「私を」

 言いかけたとき、ナッツの前にパネルが一つ浮かんだ。




《称号【光の歌い手】を取得しました》

《二つ名【歌姫】を取得しました》

《アドミニストレートスキル【演奏者】を習得しました》




 この世界の音を司る権能。

 最も長く音を奏でた者に与えられる神の力。

「アドミニストレートスキル…」

「姫と同じ…」

 それは自信か、それとも勇気への後押しだったのか。

 ナッツは意を決して言った。

「私を仲間に入れてくれる?今度は本当に。心からあなたに忠誠を誓うわ。命令されれば何でもする。だから」

「もうとっくに仲間だよ」

 言い終わる前に、アリスは手を差し伸べた。

 唇を結んで手を掴むと、ナッツはアリスの前に膝をついた。

「どれだけ感謝したらいいのかわからない。私の全部を姫に捧げるわ。この心も、身体も、一生も。愛してるわ、姫。この世界の誰よりも」

 本気で。

 本心で。

 本当で。

 ナッツは手の甲に唇を当てた。

 心を開き通わせた少女がまた一人、最強へと至る扉の先へと足を踏み入れたのだった。


 いつもの教室。

 いつもの風景。

 代わり映えのない日常。

 まるで無関心かのように頬杖をついて窓の外に目をやった。

「今日も疲れたー。てか宿題多すぎてマジでダルいー」

「それな。でもテス勉しないと赤点確実でヤバみが深いんだが」

「どっか寄って勉強してく?」

「図書館?ファミレス?」

「カラオケ」

「勉強する気なくて草」

 自分には関係のない世界。

 だった。

「よっしゃ行くべ。喉潰してやる気出す」

「絶対出ないのが目に見えてる」

「ほんそれ。他にも誘おうよ。人多い方が楽しいし」

「いいね。じゃあ」

 変わりたい。

 変わらなければならない。

 いつまでも殻に閉じ籠もってなれる何者など無いと知ったから。

「あ、ねえねえ夏宮さ――――――――」

「あの」

「?」

「私も…行っていい…?一緒に…」

 クラスメイトのポカンとした顔は、おそらく一生忘れない。

 早鐘を打つ心臓の音も。

 火が出そうなくらい熱い顔も。

 頬を綻ばせて嬉しそうに、目を逸らしていた自分を迎えてくれた友人…になってくれた人たちも。

「もちろんっ!」

 いつだって踏み出せた一歩をやっと踏み出して。

 私の世界に、新しい音が増えた。

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