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74.不思議の国と揺れる心

 ギターの基本は、兎にも角にも音階とコードだ。

 テクニック以前の初心者であるアリスは、一つ一つのコードを丁寧になぞった。

「これがこうで…こうして…こうだ!」

「どこがどうなのよ。何そのコード。新種?何をどうしたらそんな音出せるの」

「うえぇ…難しいよぉ…」

 楽器入手からしばらく。

 独自に上達を見せる他三人に比べ、アリスはまだコードに悪戦苦闘していた。

 静けさの中に、たどたどしく光の弦を爪弾く音が渡る。

「指が動かない…」

「身体全体はあれだけ動くのに?」

「そう言われても…」

 アリスは説明に困った。

 運動能力由来の、理論に頼らない感覚派であるところの弊害だ。

「指先ってこんなに動かないんだなぁ…でも頑張らないとね。【ナイトオブラウンズ】さんたちのために。えっと、人差し指がここで…」

 細い指を拙く動かすアリスの対面で、ナッツは黙って見守った。

 音はまるでなっていない。慣れないことに指も硬い。

 けれど、ひたすらにひたむきで、目が離せなくなる。

「ほとんど関係ない人たちのために…」

 不意に小さく本音が漏れた。

「先生ー」

 ハッとする。

 どうやら誰の耳にも届いていないらしいが、数分呆けてしまったようだ。

「な、なに?」

「シズクちゃんがね、歌詞は出来ましたか?って」

「あ…ゴメンなさい。まだ…」

「慌てなくても大丈夫だよ。架純さんに訊いたら、しばらくは忙しくて無理そうだって言ってたし。夏休み前くらいになるんじゃないかな。あ、バトルは喜んでって言ってたよ」

「そう…」

「歌詞って書くの難しい?」

「そうね。どんな言葉なら響くのか、私にはまるでわからないから」

 ナッツの言葉に、アリスは不思議そうにした。

「ナッツちゃんの言葉をそのまま使うんじゃダメなの?」

 返され、ナッツもキョトンとする。

「私の…?」

「うん。カッコいい言葉とか、泣けるような言葉を使った歌詞はもちろんステキだと思うけど、ナッツちゃんの思いをそのまま歌った方が、【ナイトオブラウンズ】のみんなも嬉しいと思うな」

 自分の掌を見つめ、仲間と過ごした時間に思いを馳せる。

 少しだけ、自分が書きたいものが見つかった気がした。

「…ありがとう、姫」

 が、大した成果もなく。その日も、練習に時間を費やすに終わった。




 少女はいつも一人だった。

 時計の音だけが聴こえる家でも、騒がしい学校でも。

 いつだって一人。

 大人びていたからだろうか、誰もそれを不思議に思うことはなかった。

 教室の隅で、ぼーっと外の景色を眺めるだけ。

「夏宮さん」

 クラスメイトの女子が声をかける。

「今日クラスのみんなでカラオケ行こうって話になってるんだけど、よかったら夏宮さんも来ない?」

 腫れ物に触るような態度でない。純粋な好意だ。

 しかし、

「ゴメンなさい」

 女子生徒を一瞥して、すぐに視線を逸らす。

「ううん、こっちこそ急に誘ってゴメンね」 

 女子生徒は申し訳なさそうにして、友だちのところへ帰っていく。

「ダメだったよ。残念」

「夏宮さんいつも来ないもんね。たまには一緒に遊びたいけど」

「忙しいんじゃない。また今度誘ってみようよ」

 聴こえてくる言葉が刺さる。

「バカみたい」

 司は小さく嫌悪を吐き出した。





 アリスは一人、カフェのテラス席で突っ伏していた。

 みんなが上達している最中、一人だけまだコードの段階で躓いていることに焦りを覚え始めたのだ。

「もしかして私…音楽の才能が無いのかな…」

 これが音ゲーならフルスコアを出すことも出来るのに、目の前の手つかずのクリームソーダを眺めながら、そんなことを呟いた。

「溶けてしまいますよ、アイスクリーム」

 聴こえたその声に、アリスは反射的に身体を起こした。

「ノアちゃん…」

「しばらくぶりですね、アリスちゃん」

 真っ黒な竜人族、【LIBERTAS ZERO】リーダー、ノアがいつもと変わらない笑顔でそこに居た。

「こちら、失礼しても?」

「あ、うん」

 了解を経て向かいに座る。

 アリスのものと同じクリームソーダを注文し、やって来たそれに口をつけた。

「フフ、今日もクリームソーダはおいしいです」

 急な登場に身構えたアリスだが、すぐに警戒を解いた。

 戦う気というものを、まるで感じなかったから。

「どうですか?最近。調子の方は」

「ぼちぼちかな。もう左目が無いのにも慣れたし」

「何よりです」

 少しだけ意地を悪く言ってみるが、悪びれた様子はまったく無い。

 本人に悪いという意識自体ないのだから仕方ない。

「ノアちゃんの方こそ、変なことしてないよね?【破壊者】でプレイヤーに襲いかかったり」

「フフフ、ご冗談を。私より弱い人にそんなことをしたら、ただのイジメになってしまうではありませんか」

「でもノアちゃんは、そういうのを楽しいと思えちゃう人でしょ?」

「TPOを弁えられるくらいには常識人ですよ、私は。ですが、そうですね。相手が自分より強いか、せめて自分と同じくらい強ければ楽しめるかもしれませんね。無双系のゲームがいい例です。あれは雑兵を無造作に薙ぎ倒す快感こそ味わえれど、強敵を討ち取ったという達成感は味わえないでしょう?」

 ノアは嬉々としてアイスを一匙口に運んだ。

「私は弱者を排他したいわけでも、暴れたいわけでもありませんからね。そんな人たちを壊したところで、得られるものはありませんよ」

 ソーダで喉を潤し、まあ、と続ける。

「アリスちゃんが百人居たら、もしそれを全部壊してしまったら、それはそれは楽しい気持ちになれるでしょうけど」

 アリスは笑顔でそんなことを言える彼女に、恐怖するというよりは呆れた。

 



「つくづく怖いんだよなぁ、ノアちゃん」

「心外です。人を悪役か何かみたいに」

 小さく頬を膨らませて、ノアは二杯目のクリームソーダを注文した。

「私はこんなにもアリスちゃんを愛しているというのに」

「ほえぇ…」

 普通に照れた。

 言っているのは理性ある狂人だが。

「とりあえず安心してください。無闇やたらに【破壊者】の力を使うことはしません。今はまだ、その価値がある方が少なすぎますから。こんな世界で最強になったところで、私の心は満たされない」

 グラスを見つめ、ノアは思いを吐露した。

 アリスが、

「まだ、ゲームは好きじゃない?」

 ふとそんなことを訊くと、

「どうだと思いますか?」

 ノアは意味深に笑んで、忌憚ない意見を述べた。

「この世界がもっとおもしろくなれば、少しは私も生きやすくなるかもしれませんね」

「なるよ。私たちがそうする」

 一拍も置かない、自信を持った発言に、ノアは別の笑みを浮かべた。

「創る者と壊す者…いいですね。お互いの立場が明白で。言うなればあなたたち【不思議の国のアリス】は、この世界のラスボス…魔王ということになるのでしょうか」

「魔王…?」

「終わりのない世界の最果て。強さの頂点。この世の全てが行き着く場所。不変の象徴。そこに君臨する者を喩えるには、幾分か言い得て妙でしょう?」

「…そっか、魔王…うん。なるほどね。いいねそれ。じゃあノアちゃんは、魔王を倒そうとする勇者だ」

「勇者…フフ、悪くありませんね」

 魔王と勇者。

 その名前は、ゲームに生きる彼女たちに、なんとも甘美な響きを与えた。

 世界を創り色づかせようとする魔王と、破壊を司る勇者という歪んだ構図ではあるが。

「それで?勇者様は、今は何してるの?やっぱり新エリアを目指してるとか?」

「ですね。私としてはあまり興味が無いのですが、クイーンがそうしたいようなので。私は私でやりたいことがあるのですけど。ああそれから、仲間を集めたりもしていますよ」

「仲間?ギルドメンバーを増やすの?」

 アリスは、少し意外そうな顔をした。

 仲間意識というものを、ノアが持っていたということに対してだ。

「ええ。今は数名ほど増えましたね。他にも、目ぼしい方を勧誘しているところです。そうそう、レイさんにも声を掛けましたよ」

「レイさんに?」

「自分に勝てば…と、にべもなく断られましたが。実力のある方ほど御しがたいのは世の常のようです」

「言っておくけど、レイさんを先に倒すのは私だからね。じゃあ、ノアちゃんがやりたいことって、レイさんとの決着とか?それとも、やっぱり種族進化?」

「それも捨てがたいですが。差し当たって、アドミニストレートスキルを探してみようかと」

「アドミニストレートスキルを?!」

「おかしなアリスちゃん。何も驚くことではないでしょう?その力の強大さや意味を知るからこそ、私たちはそれを求めるのですから。その内の一つは、必要性を見出せず私が破壊しましたが」

 【再生者】。

 今は失われたアドミニストレートスキルを思い出して、アリスは眉根を寄せた。

 アドミニストレートスキル自体を破壊するなら、それもまたいい。

 全てはアドミニストレートスキルの所有者に委ねられる。

 他でもない志郎が定めた方針だ。

 だが、

「もしも私たちの他にアドミニストレートスキルを習得してる人たちがいて、その人たちが持ってる力がノアちゃんにとって要らないものなら、ノアちゃんはその人たちを斬る?」

「その人と、その力次第と言っておきましょう」

 最後の一口を啜りグラスを空にすると、ノアはスッと立ち上がった。

「では。またお逢いしましょう」

 簡素な別れを告げてアリスの横を過ぎると、背後から呼び止める声が届いた。

「ノアちゃんは、自分のことを悪役じゃないって言ったよね」

「ええ」

 背中越しに、お互いを見ずに。

「全員が自由なのがNEO…でも、誰かの自由が誰かにとっての不自由になるなら、私はそれを止めなくちゃいけない。誰かを悲しませようとするなら、私はそれを赦しちゃいけなくなるよ」

「プロとして…ですか?」

「ううん。一人のゲーマーとして」

「そうですか。……フフフ、肝に銘じておきましょう。アリスちゃんは怒らせると怖そうですし。それを機に始まる斬り合いも、一興かもしれませんが」

 そよぐ風と共に、ノアはその場から消えた。

 いつか起こる戦いを想起させるような、神妙な言葉を残して。





 また数日。

 夏休みまで残り僅かに差し掛かったとき。

「…………」

「…………」

 アリスとナッツはそれぞれ机に突っ伏し生気を失っていた。

「ギター…弾けない…」

「歌詞…出来ない…」

 すでに三人は既存曲で音を合わせられるところまできているが、まるで進歩のない二人は、自分で自分に辟易していた。

「そんなにかね」

「ギターは弾けない人はとことん弾けませんからね」

「歌詞も、言葉を綴るというのは簡単ではないでしょうし…」

「あーね。でも、もう日付けって決まったんでしょ?向こうが揃って時間取れるの、一週間後とかだっけ」

「それを逃したら、次はいつになるか…。実質これが最後のチャンスですが、こればかりは急かしてどうにかなるわけでもありませんからね」

「才能が無いのがツラい…」

 アリスは弱々しく呟いた。

「ナッツの歌詞はともかく、アリスはなんで弾けんかね」

「DEX値はけして低くありませんし…」

「コードが拙いというか…音の繋ぎがたどたどしいというか…プレイヤースキルではどうにもならないこともあるのですね…」

「ううう…!」

 その辟易ぶりたるや、自己嫌悪に陥るレベル。

 と、そんな折だ。

「プレイヤースキルでどうにもならないのなら、いっそスキルで思い切り補正をかけてしまえばいかがですか?」

 ルナがハッと提案した。

「スキルで?」

「確かに【演奏】など、音楽に関するスキルはありますが、ナッツさんの音はその範疇外です。生半可なスキルで補正したところで…」

「普通のスキルならそうかもしれません。ですが、存在しないまったく新しいスキルならどうでしょう」

「まったく新しいスキル……それって!」

「アリス様なら、それが出来るでしょう」

「うんっ!わかった!ありがとうルナちゃん!」

 アリスもまた、自身の可能性に気付き、すぐに習得可能なスキルをチェックする。

 ついていけていないのは、ナッツだけだ。

「【演奏】、【調律】、【歌唱】…スキルポイントで習得出来る音楽に関係してるスキルはこれだけか…。ちょっと少ないかもだけど、これだけあればなんとかなるはず!お願い、【原初の叡智(メーティス)】!」

 アリスの髪と両目が虹色に輝く。

 神秘的な光景に、ナッツは目を奪われた。

「なに…?スキル…?」

 【原初の叡智(メーティス)】によるスキルの統合と強化。

 時間にして数秒。

 不要アイテムの消費を代価に、アリスは新たなスキルを得た。

「やった!出来た!」

 歓喜のままスキルを発動し身を任せる。

 その手から放たれた音は、一瞬でその場の四人を震わせた。

「おお!」

「なんてキレイな音」

「痺れてしまいます…」

 弾いているのは、耳に覚えのあるゲーム内BGMだ。

 曲としてはおそらく簡単な部類だが、当然技術が稚拙ではおざなりな仕上がりになる。

 先程までのアリスなら弾くことは出来なかったであろうその曲を、なんとも軽やかに弾いてみせる。

「?!!」

 ただ一人、ナッツだけが理解出来ない。

 スキルで技術の補正を行ったことだけは、なんとなくわかった。

 しかしそれだけだ。

 指の動きも、音の質も深みもまるで違う。

 ナッツは知らない。

 まるで天性のプレイヤースキルを付与するかのようなスキルなど。

「スッゲーじゃんアリス。ちゃんと弾けてる」

「フフン」

 ドヤ顔だが、スキルの力である。

「さすがです、アリス様」

「問題なく完成したようですね」

「うんっ。【ミューズの心臓】っていうらしいんだけど。自分が覚えてる音を奏でられるスキルみたい。さすが【原初の叡智(メーティス)】だよ」

「ちょ、ちょっと待って!」

 クールさは何処へといった風に、ナッツはアリスに詰め寄った。

「今何をしたの?!【ミューズの心臓】…?そんなスキル聞いたことないわ!それに自分が覚えてる音って…プレイヤースキルに由来するスキルってこと?!いったい何がどうなって…」

「あー…えっとね」

 仲間といえどスキルの内訳は秘密だ。

 手の内を晒すことになる。

 特に重要なスキルほど尚更。

 だが、()()()だけは別だ。

 仲間であるが故に伝えなければならない。

 この世界に在る理外を。

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