53.不思議の国と相まみえる強者たち
「ルナさん…」
カウンターと表示されたログを見て、シズクは驚き半分、称賛半分といった風な表情を浮かべた。
カウントは現在10対10。
どこかで【ROSELIA】のメンバーがモンスターを倒したらしく、10対11に変動する。
「相討ちは本意でなかったでしょうが…さすがですね。いつまでも新参と油断していては、すぐに追い抜かれてしまいそうです。私も負けてはいられません」
背後から忍び寄る巨大なトカゲ。それが口から毒液を垂らしてシズクに飛びかかった。
「【グリーフィングハウル】」
鬱陶しいと言わんばかり、見向きもせずにトカゲの眉間に銃弾を撃ち込む。
カウントは11対11。再び同点に。
トカゲが消えたタイミングで、小広い空間の奥から足音が一つ聴こえてきた。
「あ、ひ、人…こ、ここ、こんにちは…」
手を長い袖で隠したキョンシーのような格好の少女が、妙におどおどした様子でシズクの前に現れる。
「こんにちは。【ROSELIA】第三部隊隊長のウタさん」
「ひゃうっ!な、名前…」
「有名どころのプレイヤーはひとしきりチェックしていますから。そうでなくてもあなたは有名ですけれど。【ROSELIA】…いいえ、全プレイヤー屈指の格闘術の使い手だと」
微笑みに僅かな敵意を混じらせるシズク。
「そ、そんなことない、です…。私より…強い人は…たくさん…います…」
「謙遜は美徳でしょうが、それで実力が隠せるわけではないでしょう。不躾を承知で、ここで出逢ったのも縁と、どうか私と手合わせをお願い出来ませんか?」
「え、えっと…私、PvPはあまり、得意じゃなくて…だから、その…」
シズクは有無を言わさないと、ウタの髪を掠める程度に、頭の左右に一発ずつ弾丸を走らせた。
「返事はYES or はいでお願いします。時間が惜しいのはお互いさまでしょう?」
「うぅぅ…」
(物怖じしているのは本気のよう…ですが、銃を撃って微動だにしませんでしたね。当てる気が無いのを見透かされた…?もしくは弾すじが見えていた…)
「まったく、心を躍らされますね」
ハンドガンでも扱うかのように片手でアサルトライフルを構え、不敵な眼差しでウタを見射った。
「【不思議の国のアリス】参謀、シズクです。お見知りおきを」
「た、戦うのは怖い…けど、負けたくないので…が、頑張りますっ」
腕を前で組み深々とお辞儀をし、頭を上げた刹那、
「ッ?!」
パァン、と乾いた破裂音と共に、何かがシズクの顔面を叩いた。
鮮血の飛散を思わせるダメージエフェクト。
頭部が失ったかのような錯覚さえ覚えていた。
シズクの身体が仰反ったところへ、ウタが素早く距離を詰める。
「【幽炎拳】…【紫苑霊蹴撃】」
跳んで繰り出される上方からの蹴り。まともにくらえば首を狩られかねないそれを、シズクは自分とウタの間に銃を挟むことで免れた。
が、衝撃までは受け止めきれず、地面をバウンドし後方五十メートルの壁へと全身を打ち付けた。
「なんて重い…」
陥没した壁から身を離し、残りの体力を確かめる。
「これだけで三割ほど削られるとは…」
油断も慢心も無ければ侮ることもしていない。
異常なのは、常に警戒し注意を払っていたシズクの意識をすり抜け、【回避】はおろか【鷹の眼】でさえほとんど捉えきれないウタの動きの方だった。
「ご、ゴメンなさい…今ので…決まると思ったのに…」
「謝られるのは癪ですね」
「ひっ、ゴメンなさいゴメンなさい…!」
「結構ですよ。これはバトルなのですから。勝者は全てを肯定されるのが条理です」
と、強気を翳すも、シズクは内心の焦燥を抑えきれずにいた。
(スキルが通用していないのは、それを上回るスキルを使われている証拠…)
「つ、次は…仕留めます…ね」
地面を陥没させるほどのダッシュ。
眼前に現れ、シズクの顔面に右の殴打を繰り出した。
「何度も何度もくらいませんよ」
と、ナイフを抜き防御に転じようとして、ゾワリと嫌なものを感じた。
受けてはいけない、咄嗟に見を捻り跳んで拳を躱す。
空を切ったウタの拳は、シズクの背後にあった壁の手前で止まるが、触れていないはずの壁が再度大きく陥没し、洞窟に大きな亀裂を生じさせた。
「衝撃を増幅させた…【浸透勁】のスキルですか…」
「【幽虎絶爪】」
出現した虎の爪が、薙いだ腕の動きに合わせて空間を抉った。
「【へカーティスロア】!」
シズクもなんとか銃撃で抵抗し相殺するもの、身体能力に特化したウタは、容易にシズクの動きを上回る。
「くっ!」
狙いを定め速射を放つのに対し、
「【円舞】」
流れるような動作で銃弾を受け流しながら距離を詰めたウタ。
「【崩浄火拳】」
一撃で岩盤を砕く威力の拳と真っ赤な炎が唸りをあげ、シズクの身体を貫いた。
「終わり…です…」
「敵もモンスターも全然いねー」
はぁ、と大きくため息をついて、ココアが鎌を肩に担いだ。
目の前で軽自動車ほどのサイズの蜘蛛が、光の粒子へと消えていく。
「時間が経つごとにモンスターの湧きが増えんのかな。だーれもいないしフラストレーション溜まるわ。サゲみざわ卍」
それに加えて通路も行き止まり。
舌打ち混じりに来た道を戻ろうとして、
「ココアちゃん」
奥からアリスが姿を現した。
「おー?どしたしー?」
「全然誰とも接敵しないから、どうしようかなってみんなのこと捜してたんだよ」
「マージで見つからんしね。もうザコ狩りも飽きたー」
「一緒に捜しに行こ。二人なら何があっても安心だし」
「おけおー」
軽く返事しアリスの脇を抜け、振り返りざまに鎌を振り、刃を少女の首すじに添えた。
「こ、ココアちゃん?!なに?!どうしたの?!」
慌てふためくアリスに対して、ココアはひどく静かで冷めきった目をした。
「てか誰?アリスじゃないっしょあんた」
「な、なに言ってるの?!私だよココアちゃん!」
「いや、そういうのいいわ。何となしにわかんだよね。ウチ、アリス単推しだから。見た目だけはそれっぽくても、なんかイマイチ刺さんないっていうか。これっぽっちも欲情しねーのよ」
数拍キョトンとし、アリスは…もとい、アリスの姿をしたそれは、クスクスと笑って剣で鎌を弾き、バック宙で距離を空けた。
「お見事。これは【変装】だよ。ガワだけとはいえ、そんな山勘で見破られるスキルじゃないんだけどなぁ。最初からわかってた感じ?」
「まあ。ホントになんとなくだけど。捜してたってので確信したよね。アリス方向音痴だから。マップ見てちゃんとウチらのこと捜せるわけねーんすわ」
「化ける相手を間違えたかな」
「困るってんなら、ルナに化けられるのが一番だったと思う。普通に斬りづらいし。シズクに化けてなかったのが幸運だったと思えば?こんなとこで油売ってんじゃねーっつって、思わずブチやりそうになっただろうし」
「アハハ、なるほど。次からはそうするね、っと」
クルリと回ってみせ、女性は狐の耳と尻尾を顕にする。
メルティア。【ROSELIA】のNo.2にして、第二部隊隊長を務める獣人族だ。
「あのときアリスとしてた握手?そのスキルの条件」
「まあね。油断させて後ろから…って思ってたんだけど、まさかこんなに早くバレちゃうなんて」
「アリスに化けんなら、ココアちゃん大好きラブラブチュッチュくらいのこと言ってみせんだったね。んーで?まさかそんな姑息な手が通じなかったからって、逃げるわけないっしょ?」
鎌を翳すと、メルティアは腰の双剣を抜き逆手に構えた。
「もちろん。正々堂々戦うよ。そんでもって勝たせてもらうね」
「そうこなくちゃ。やっと始まった感あるわ」
鎌の柄を足蹴にし、バトンを回すように遊ばせる。
「プロのレベル、しっかりと味わって養分にしてやんよ」
「生意気なルーキーだね。そっちだって同じプロのくせに」
「同じ?経歴と実績が違い過ぎんじゃん。こっちは新米。そっちは第一線で活躍してる本物。そこをおざなりにするのは、失礼通り越して草も生えん」
「案外慎ましいんだ。やんちゃな印象だったから意外」
「うっさいなぁ。これでマジメちゃんな優良児だよウチ。……あ、めちゃめちゃ学校サボってた時期あったわ。ゲーセンとか超行ってた」
「おもしろい子って言われない?」
「おもしろくて頭良くて可愛い、神史上一の最高傑作、パーフェクトガールココアちゃんって言われる」
ウィンクを一つ決め舌を出してみせた。
「それじゃそろそろ。パーフェクトガールココアちゃんのお手並み拝見ってことで。どこからでもかかっておいで」
「余裕こいてると負けるけどいーの?メルティアさん?勝っていいバトルなんてヌルすぎんぜ」
白刃が二つぶつかり合う。
生じた火花に照らされた両者の表情には、戦うことに対しての愉悦がそのまま貼り付けられていた。
その頃。
アリスは迷宮の最下層。
静けさが宿る地底湖にいた。
「あれ?おかしいな…こんなとこに着くはずないのに…。迷った…?上階の大広場って…ここじゃないよね?」
と、マップを確認する。
「こっちが北で…こっちが南だから…右が東だよね?」
自分が向いている方が北だと思い込む典型的方向音痴。アリスは西側を見やりながら、
「このマップ…もしかしてバグってるのかな…」
ついにはマップのせいにした。
「早く接敵しないと足手まといになっちゃうよぉ。みんな頑張ってるのに…」
急いでモンスターの一匹でも倒さなければ。
そんなアリスが向かおうとした先に、一つの影が。
「おかしいわね」
【ROSELIA】リーダー、ホロウがマップを見ながら辺りを見回している。
「上階の大広場を目指していたのに、何故こんなところにたどり着いたのかしら。……もしかして、このマップはアップデートがされていないんじゃ」
そんなわけはない。
マップもフィールドも正常だ。
ただ、本人のスペックが壊れたコンパス並みということに尽きる。
「早く接敵しないと足手まといになるわね。こっちが北で、こっちが南……ということは、東はこっちね」
と、北を見ながら。
凛とした美貌の持ち主が右往左往している様は、どうにも不似合いが拭えない。
見当違いの方向へ進もうとして、ふと二人の目が合った。
「…………」
「…………」
「あ、えっと」
「迷っていないわ」
「いや、あの」
「迷っていないわ。ここに来れば誰かしらがいると確信して来たのだから」
「私は何も…」
「絶対に迷っていないわ」
「は、はい…」
無機質な表情の圧に、アリスはたじたじ。
二人の方向音痴は、予期せぬ対峙をした。
ポチャン
天井から落ちた水滴が、地底湖の表面に波紋を広げる。
気まずい沈黙の時間が続く。
「あ、あの」
「今のところ」
「あ」
「…ゴメンなさい。先にどうぞ」
「い、いえいえ!ホロウさんこそ先に!」
喋ろうとして被る。
一番気まずいやつである。
コホン、と咳払いを挟み、勧められるままホロウが開口した。
「今のところ、カウントはほぼ同じね」
「そうですね…まだモンスターもあんまり見かけないですし」
「それとは別に、こちらのメンバーが倒されるなんてこと、まったく予想していなかったわ」
水面に視線を落としてホロウは更に言葉を紡ぐ。
「あなたたちを甘く見ていたわけじゃない。あなたたちの強さを踏まえて、それでも私たちの方が実力が勝っていると。そう思っていた。だって、私たちは最強だから」
「最強…」
「心のどこかに隙があったのか、あなたたちの強さが予想を越えていたのか」
ホロウは青薔薇の意匠をあしらった、身の丈以上の大剣を右手に出現させ空を切った。
「その強さ、確かめさせて」
圧倒的強者然とした佇まい。
無言ながら身を裂く張り詰めた空気。
アリスはそれに覚えがあった。
「レイさんと同じ…」
強者のみが纏う、冷たく鋭い、息苦しくなるようなプレッシャー。
微かに身震いするも、アリスの表情には確かな笑みが溢れていた。
「よろしくお願いします!」