35.不思議の国と前哨戦
「回線が変わると、なんか世界も違って見える気がする!」
「実際そんなことはないのですが、そうですね。わからなくもありません」
ログハウス型のギルドホームで、そんな風に笑い合う。
「私はまだ慣れません。【不思議の国のアリス】に加入したこたも、まだ夢見心地なのに」
「いつまでも初心者気分禁止ー」
ココアがルナに後ろから抱きついて注意した。
「アリスみたいになりたいって人が、いつまでもフワフワしてるのダメだから」
「も、申し訳ありません…」
「まあまあ。明日のアップデートって何時からだっけ」
「朝の六時に始まり、昼過ぎには終わるはずですよ。Project Stormは時間を厳守しますから」
「じゃあ、今日はしばらく遊べるね。何しよっか」
みんなで考え、シズクが初めに提案する。
「《Golden Vacation》の練習がてら、制限時間を設けて、一番ゴールドを稼いだ方が一位というゲームは如何でしょう」
「個人戦?いいじゃんおもしろそう!やろやろ!」
「あの、それだと私が不利なのでは…」
ルナはおずおずと手を挙げた。
「そうですね…ルナさん以外は魔法とスキル、アイテムの禁止という縛りを設けましょうか。パッシブスキルは除くものとして」
「いいと思うよ」
アリスが楽しそうに賛同する。
すると、ココアがルールに一つ付け加えた。
「おけー。んじゃ、とりあえず二時間で。最下位の人は一位の人の命令を何でも一つ聞かなきゃいけない権利ねはいスタート!」
早口でとんでもないことを言い残し、ピューっとギルドホームから飛び出していった。
「ちょっとココアさん!もう!」
シズクも慌ててフィールドへと駆け出す。
「アハハ、じゃあお互い頑張ろっか」
「はいっ」
二人も少し遅れて、各々ゴールド稼ぎに出発した。
「ゴールド稼ぎかぁ。モンスターを倒してれば勝手に貯まるけど、意識すると難しいなぁ」
アリスは森の中を散策中。
出現したモンスターを狩って地道にゴールドを取得していく。
その途中のこと。
「スンスン…なんかいい匂い。スンスン、スンスン…なんだろこれ?」
中身をくり抜かれた切り株を見つけた。
その中には、何やら琥珀色の液体で満ちている。
「スンスン…お酒みたいな匂い」
指をつけてペロリと一口。アリスは両手で頬を挟んで表情を綻ばせた。
「あまぁい」
さらりとした見た目とは裏腹に、長時間煮詰めて甘みを凝縮したメープルシロップのような深い味わい。香りは樽で熟成したウイスキーそのもの。
「【鑑定】。…《百果木の生酒》…長い年月をかけて樹液が糖度を増し酒化したもの。希少性が高い好事家垂涎の一品。…高く売れるのかな?わからないけど、珍しいみたいだから空きビンに汲んでいこうっと」
【アイテムボックス】から空きビンを数本取り出し、いそいそと酒を汲んでいく。
濡れた手に舌を這わせて、頭が痺れるほどの甘味の快感に震える。
「せっかくだしみんなにも持って帰ってあげようかな。こんなにおいしいんだもん。売っちゃうのはもったいないよね」
ミニゲームは度外視し、仲間への配慮を優先する。
その後も適度にモンスターを討伐し、そのままタイムアップを迎えることになった。
ココアは炭鉱のエリアでモンスターを狩っていた。
このエリアでは、比較的ドロップゴールドが多いモンスターが出現する。その割にモンスターのレベルや攻略の難易度は低めに設定されており、イベント中はプレイヤーが集中することが予想された。
「っと、他のエリアよりは稼げるけど、モンスターの湧きを考えたらペースはイマイチかな?」
刃の翼を持つコウモリを中央から裁断し、これまで稼いだゴールドを確認する。
「しかもVIT高めのモンスターばっかだし。もしかして効率悪い…?」
んーと首を傾げていると、ズシン、ズシンと重い足音が炭鉱の奥から聴こえてきた。
ココアは嬉々とした反応を見せ、そっちの方へと駆けていく。
奥の通路で地響きを立てていたのは、純金の身体を持ったゴーレムだった。
「ゴールドゴーレム、レアモンスター見っけ」
ゴーレム目がけて鎌を振りかぶる。
ゴーレムもまたココアをターゲットに、バランスボールほどの大きさの拳を振った。
鈍い音が一つ、大気を震わせココアの耳を揺らした。
「硬っ…!手痺れる…!」
高い攻撃力と防御力。だが、それだけだ。
身体を密着させるほどの距離。ゴーレムにピタリと貼り付き、体勢を入れ替えながら鎌を各関節に滑らせる。
「遅い遅い」
力任せに拳を振ったところに、鎌で足を引っ掛け転倒させ、がら空きの頚椎に鎌を振り下ろす。
「はい、おしまい」
ゴールドゴーレムはあえなく撃沈。光と消え、金塊の素材とゴールドをドロップした。
「ん?」
ドロップアイテムの中に、装備品が混ざっていることに気が付いた。
《ハイブレッシングブーツ:両足:MP+1100 AGI+90:レアリティA:【幸運】【強運】【激運】》
「ウチがつけてるブレッシングブーツの上位互換じゃん」
白いブーツに金の意匠が眩しいそれだ。
「【幸運】はドロップアイテムが増えるスキルだけど、こっちの【強運】は…レアモンスターに遭遇する確率が高くなるスキル?!んで【激運】はモンスターがドロップするゴールドが倍になる?!マジで!超タイムリーじゃん!やったぜ!」
ココアは早速装備を変更した。
「おお可愛い。この調子で狩り続けるぞー、おー」
「効率良くゴールドを集めるとなると…やはりゴールド増加系のスキルがマストになるのでしょうか」
シズクはショップの棚の前で悩み呆けていた。
「となるとやはり【金運】のスキルなのでしょうけれど」
とりあえず、と【金運】…モンスター討伐時のゴールドが少量増えるスキルのスクロールを購入し習得する。
「これでイベントに勝てるようになるなら、皆さんが習得するはずですし。やはり、イベント限定モンスターの討伐をメインに考えた方がいいはず。特にレアリティの高い金豚…それを見つけることがイベント攻略の鍵です」
準備を整え訪れたのは、湖の真ん中に建つ古城。
炭鉱と並び、モンスターがドロップするゴールドが多い場所である。
炭鉱が鉱石や昆虫系のモンスターなど、多種多様なモンスターで溢れているのに対し、古城は幽霊、悪霊系のモンスターが出現する。
実態を持たないため物理攻撃は意味を成さず、魔法での攻撃のみが有効な相手だ。
白いフワフワした幽霊や、血まみれの髪が長い女など、次々と【魔弾】で撃ち抜いていく。
防御力が低い分、炭鉱のモンスターより討伐効率が良いようだ。とは言ってもその分素早く、回避率は高く設定されているのだが、シズクの目と銃の腕前はそんなもの意に介さない。
スキルに頼らずともこの有様。純粋にゲームスキルが高いココアとは、まさに対象的な存在だ。
「しかし、こう」
部屋の四方八方から壁をすり抜けてくる幽霊を、全弾ヘッドショットで作業的に撃ち抜くシズク。
「ただのシューティングゲームは飽きるからいけませんね」
そうこうしているうちに【血の聖杯】が満ち、シズクは【吸血鬼】へと姿を変えた。
「自動発動はこれがあるからネックですね」
真紅のドレスを着飾った様を鏡で見やり肩を落とす。
シズクが【吸血鬼】になった途端、それまで騒がしいほど現れていた幽霊たちがなりを潜め、静けさの帳が降りた。
「?」
ギィ、と部屋の本棚が動く。
「階段?」
どうやら隠し通路のようだ。
兎にも角にもと階段を上ると、窓も何も無い小さな部屋。真ん中には宝箱が置かれている。
訝しみつつ中を確認。
光り輝く金貨と宝石、それに甲の部分に赤い石が嵌められたオペラグローブが入っていた。
「《幽霊令嬢の手袋》…」
《幽霊令嬢の手袋:両手:MP+500 STR+80 DEX+600 LUK-100:レアリティA:【霊化】》
「十秒間あらゆる攻撃を無効化する代わりに、自身も攻撃出来ず、更に感知されなくなるスキルですか…これはいいですね。LUK値が下がることで弾道補正が減少してしまいますが、私には関係ありませんし。しかし、何故隠し通路が開いたのでしょう。ここには今までも訪れたことがあったのですが」
雫の前にパネルが出現する。
「【令嬢の寝所】。隠しエリア…解放条件は一定スキルの所持。なるほど、私の【吸血鬼】がこの一定のスキルに引っかかったのですね。思わぬ幸運です」
予期せぬ収穫に喜ぶ一方、これがイベント中なら尚更良かったのですがと、タイミングの悪さに肩を落とし、財宝を【アイテムボックス】に収納するのであった。
その頃、ルナは金策に迷い当てもなく街の中を彷徨っていた。
「ゴールドを稼ぐ…やはり働くのがいいのでしょうか。どこかお手伝いを募集しているといいのですけど」
他三人と比べステータスが低いことを気にしていたルナは、同じようにモンスターとバトルするのでは、さすがに分が悪いと踏み、べつの方法でゴールドを稼ぐことにした。
ひとまず、目についた食堂に入ってみる。
NPCの威勢のいい店主が出迎えた。
「らっしゃい!ご注文は?」
「人手に困ってはいませんか?もしよろしければお手伝いさせてください」
「あいにくだけど人手は足りてるんだ」
「そうですか…失礼致しました」
丁寧にお辞儀をし退店する。
「ここで働かせていただけませんか?」
「ごめんなさいね」
「何でもします」
「すまないが誰も雇わないよ」
「お願いします」
「帰った帰った」
悉く断られる始末。
すでに制限時間の三十分が経過している。獲得したゴールドはゼロのままだ。
「これでは…」
「ちょっとあんた」
急に呼びかけられ、声の主を探す。
「あんた、あんただよ。ほらこっちだ」
とある一軒家の前で、腰の曲がった老婆が手招きしている。
「は、はい。なんでしょう」
「ちょっと頼み事をしたいんだ。悪いけど手伝っておくれ」
(NPC…クエスト、でしょうか?)
誘われるままルナは老婆の家へと入った。
「お邪魔します。お手伝いというのは…」
「こいつさ」
老婆は杖で、部屋の隅の糸車を指した。
「あたしは針仕事を生業にしてたんだが、肝心の糸の材料が切れちまってね。ご覧、最後の仕上げが出来ていないだろう」
視線を移すと、テーブルの上のキルトが未完成のままだった。
「この歳だ、材料を取りに行くのも一苦労だ。そこであんたには糸の材料を取ってきてほしい」
「糸の材料?」
「森には蜘蛛と蚕のモンスターがいる。そいつらを倒せば材料が手に入る。どうか頼めないかい」
ゴールド稼ぎは一旦置いてと、ルナは思考を巡らせる。
「ようは糸があればいい、ということですよね?それなら」
ルナは糸車横の台に乗った糸巻き棒を手に取ると、呼吸を整え意を決す。
「【裁縫術】」
アリスとともに討伐したユニークモンスター、アラクノフォビアから入手したユニークスキル【裁縫術】。
STRとVIT値に由来した糸をレベル×5メートル分だけ生成、操作し、無生物同士をVIT値を無視して縫い合わせることが出来、一度生成されたものは、ルナ本人が解除するか、ログアウトするまで残り続ける。
のみならず、糸そのものを手繰ることも可能で、汎用性に富んだスキルとなっている。
見る見るうちにルナの前に光り輝くような白糸が紡がれていく。
「これでどうでしょうか」
老婆に糸を見せると、大変満足そうにしわがれた顔を笑わせた。
「これはいい糸だね。ありがとうお嬢ちゃん。ついでといっちゃあなんだがね、すまないがこのキルトを仕上げてはくれないかい」
「お任せください」
指揮者がタクトを振るように指を振ると、それに合わせて糸が踊った。
色違いの布を針も無しに縫い合わせ、ものの十数秒でパッチワークを完成させる。
「出来ました。これで如何でしょう…か?」
出来上がったそれを見せようとして、老婆が姿を消していることに気が付く。
先程までそこに居たはずなのに影も形もない。
糸車も家具も、年月が経ったように朽ち、手にしたキルトだけが真新しい輝きを帯びる。
ありがとうよ、耳元で老婆の声が聴こえた気がした。
《ドロップアイテムを取得しました》
《称号【感謝の針子】を取得しました》
《スキル【刺繍】を習得しました》
《スキル【運命の糸車】を習得しました》
「《思い出のキルト》…これは売却用のアイテムなのですね」
どうやら高額のものらしいが、思い出と名のつくものを売るのは忍びないと【アイテムボックス】へ。
称号【感謝の針子】は、自分のDEXを+1000、LUKを+200するというもの。
今セットしている【白糸の紡ぎ手】よりも合計値は高いが、魔法攻撃力であるINTを優先し、セットするのはやめた。
そしてメインのスキルだ。
【刺繍】
相手の装備に攻撃が命中したとき刺繍をあしらい、内包されたスキルを封印する。制限時間一分。刺繍は最大一つ。
【運命の糸車】
【刺繍】中の相手の攻撃を高確率で逸らし、自分の攻撃を高確率で命中させる。
「【刺繍】と【運命の糸車】…おそらく強力なスキルなのでしょうが…そもそも攻撃を当てることを前提としたものですよね。私に使いこなせるでしょうか…」
そうこうしているうちにタイムアップ。
ミニゲームとしての成果は出せずに帰路につくことになったルナである。
二時間が経過。
四人はギルドホームに戻り、各々の成果を報告した。
「んじゃー、ウチからね。ウチは合計21万ゴールド。ゴールドゴーレムが何体か出てきたのが熱かった」
「私は20万ゴールド…あと一歩及びませんでしたね」
想像以上に稼いでいる二人に、ルナは申し訳無さそうに額を提示した。
「0ゴールドです…素直にモンスターを狩りに行けばよかったです…」
「ですが新しいスキルを手に入れたんですよね?所詮はミニゲームですから、成果としては上々だと思いますよ」
「そうそう。ルナも慣れれば稼げるようになるって。で、アリスは?」
「ちょうど3千ゴールド。ずっと森の中ウロウロしちゃってたよ。あ、これみんなにお土産。一本ずつあげるね」
と、ビンに入れた琥珀色の液体をテーブルに並べる。
「《百果木の生酒》っていう珍しいお酒なんだって。森の中で見つけたから持って帰ってきた」
「お酒ですか?」
「匂いはお酒だけど、味はメープルシロップみたいだったよ」
「どれどれ?ん!あまー!」
「本当、なんて芳醇な香りでしょう」
ココアとルナが舌鼓を打つなか、シズクは、
「これ、かなりのレアアイテムでは?売ればお金になりましたのに」
「それも思ったけど、どうせならみんなにも味わってほしいなーって」
この笑顔。
三人はメロメロである。
「はー好きぴ」
「可愛さにステータス全振りしてるんですかあなたは」
「一生幸せにしたいです」
「エヘヘ」
ミニゲームはココアの勝利。最下位のルナに与えた罰ゲームは、お風呂上がりのマッサージに落ち着いた。
その後は軽くダンジョンへ潜り、その日はゲームを終了。
四人は大人しく眠りにつくことにした。
深夜。
Project Stormの社長室では、キーボードを叩く音が鳴っていた。
志郎がモニターに視線をやっていると、部屋の扉がノックされる。
「お疲れさま。進捗はどう?」
姿を見せたのは瑞希だ。
手には袋を提げている。中身はエナドリと軽食だ。
「朝には間に合う。向こうはどうだった?」
「楽しかったわよ。作業もスムーズに終わったし」
「そうか」
「どんな気分なのかしらね。自分の家に年頃の女の子を住まわせるっていうのは」
瑞希は意地の悪い言い方をして、ソファーに腰を下ろした。
「監視カメラとか盗聴器とか仕掛けてたら私が通報するわよ」
「ああ、その考えはなかった」
志郎も冗談交じりに返す。作業の手は止めない。
「あとどれくらいで終わるの?」
「スキルの最終チェックだけだ。すぐに終わる。アリスが作ったスキルがな、どうにも難しいところだ。習得どころか発見も出来るかどうか怪しいが」
ふと、瑞希は志郎が心なしか楽しそうなのに気が付いた。
徹夜続きでハイになっているのかとも思ったが、それも違う。
「何かあった?なんだか嬉しそうだけど」
「ん?ああ」
エンターキーを叩いて、眼鏡を外し前髪を掻き上げる。
子どもっぽく笑って志郎は言った。
二つ目の種が発芽した…と。