第8話 死闘と覚醒
ロッソがミコトの寝顔を見守りながら焚火に薪を追加していると、辺りの空気が変わった。
剥き出しの殺気を感じる。
これは動物でも人間でもない、魔物の気配だ。
熟練のロッソであるからこそ殺気の元に気付けたが、ミコトだったら普通の動物と勘違いして油断したかもしれない。
魔物とは、動物が何らかの影響で強力なスキルの力を得て進化したものだ。
かなりの種類が存在し、それぞれに強力なスキルを使うことができるので人類にとっては脅威だ。
ロッソも何度か遭遇したことがあり、条件が良い時は仕留めることも出来たのだが、多くの仲間が熊や猪に殺される以上に犠牲になっている。
こんな人里近い山の中に出ることは少ないのだが、たまに食料を求めて来たり、単純に迷ってくる個体がいるために常に守護の役目にとっては警戒を怠ることができない相手なのだ。
しかも、今回出てきたのはクローベアーという熊の姿をした魔物で、その名の由来は爪を揮うことで強力な斬撃を飛ばすことができることから来ている。
はっきり言って、遭遇したら運よく逃げ切れない限り死亡が確定するレベルの魔物だ。
「起きろ!」
ロッソがクローベアーを睨みつけながら足でミコトを小突いて起こす。
「ロッソ先生?ハッ!」
ミコトも山での暮らしが長いので目覚めはキリっと早い。
瞬時に弓に矢をつがえてクローベアーに対して警戒態勢をとる。
「逃げろ。こいつは俺が止めておく。お前だけでも逃げろ。」
「嫌よ先生、熊くらい一緒に戦えば倒せない相手じゃないわ。」
「アホか!こいつはただの熊じゃない、クローベアーだ!研修で言ったことを忘れたか?こいつらと戦うには俺ら2人じゃ勝ち目がない。強力な装備を持つ兵士の管轄だ。俺は前にこいつに1度だけ遭ったことがあるがな、その時は腕を一振りするだけで大木をなぎ倒した上に俺の師匠がバラバラになった。こいつは格が違う!若いお前は生き延びて次の世代に生を繋げる義務がある!早く行け!」
ロッソは目線をクローベアーから外さずにミコトを怒鳴る。
ほっといたらどうせ2人とも死ぬなら、子を沢山産める若い女を生かすのはロッソとしては当然の判断だ。
しかし、なかなか逃げ出さないミコトに焦燥が募る。
ミコトがようやく決心したのか、じりじりと下がり始める。
背中を向けると一気に襲い掛かってくるので、これは正しい方法だ。
『よし!行け!俺が注意を引き付ける!』
ロッソは声に出さずにクローベアーの注意を引き付けるべく、クローベアーの目に向かって矢を放った。
クローベアーはそれをあっさりと首を傾けて躱すと、慎重にロッソ達の強さを値踏みしていたのだが、大したことがないと判断して攻撃に移る。
クローベアーとロッソとの距離は5Mほどあったが、近付くでもなくだらりと下げていた腕を下から斜め上に振るう。
輝きだした4本の爪から振るわれた軌跡そのままに白く光る斬撃がロッソめがけて飛ぶ。
クローベアーの斬撃を飛ばすスキル『ホワイトクロー』だ。
ロッソは予測していたので大きくミコトの逆側に横っ飛びしてその斬撃を交わし、着地と同時に矢を放つ。
クローベアーは自分の必殺の一撃が躱されたことと、弱いくせに逃げもせずに反撃をしてくる男に激怒した。
ミコトには目もくれずにホワイトクローを乱れ打ってロッソを追い詰めていく。
熟練の守護の役目であるロッソだからこそ何とか躱し切れているが、足場の悪い山中ではいずれ限界がくるのは分かっている。
ミコトは本来ならクローベアーの注意が完全にロッソに向いたここで脱兎のごとく逃げ出すのが正しい選択だ。
しかし、ミコトはそれを良しとしなかった。
奪われ、虐げられ、ただ生きるために生きるだけなのはもう嫌だ。
自分を守って、鍛えて、いつでも心配してくれるロッソはミコトにとってはかけがえのない人だ。
そんなロッソが奪われて、この先の人生をダラダラ生きていたって楽しい訳なんかない。
だから、ミコトは下がりはしたが、逃げなかった。
ロッソに注意が向いている隙を利用して木に登り、木の枝に姿を隠して、そこから目一杯引き絞って矢を放った。
矢は狙い寸分たがわずクローベアーの耳の中に吸い込まれ、クローベアーは絶叫する。
突然の意識外からの攻撃に戸惑い、辺りを見回すが、もちろんミコトの姿は見えない。
「あの、バカ!」
ロッソは命懸けの時間稼ぎでスタミナをごっそり持って行かれていたので、正直後何回避けられるか分からないレベルだったので、一呼吸つけて助かったは助かった。
しかし、自分の言うことをきかずに逃げなかったミコトには怒りと、同時に自らの命を懸けてまで自分を救おうとしてくれた少女に対する愛おしさが混じった複雑な心境だった。
取り敢えず木の陰に身を隠して呼吸を整える。
ロッソにもミコトの隠れている場所は分からない。
クローベアーは突然死角から攻撃を受けたことで周囲を警戒している。
既にロッソのことはいつでも倒せる雑魚と認識しているのか、全く見向きもしない。
そこへ、再び木の上から矢が放たれた。
今度は矢がクローベアーの左目を貫いた。
再びクローベアーが咆哮を上げて逆上する。
怒りのあまり、全方位にホワイトクローを放ちまくる。
周囲の木が薙ぎ倒され、あらゆる方向に倒れていく。
ミコトが登っていた木も例外ではなかった。
幸いなことに倒れた方向はクローベアーのいる方角とは違い、丁度ロッソの隠れている近くだった。
2人はアイコンタクトでお互いの無事を喜ぶと共に、お互いの無茶を責め合った。
木があらかた倒されたところで、クローベアーからのホワイトクローの乱撃は止まり、辺りにはクローベアーの荒い息遣い以外は静寂が漂っている。
動物たちもクローベアーの存在を察知した瞬間に遠く離れたところに避難したのだ。
流石に強力なスキルであるホワイトクローを乱発してしまったクローベアーは、消耗してしまっていた。
いくら魔物とはいえ、強力なスキルを使用するのに何の代償もない訳ではない。
単純に体内にあるエネルギーを使用するので、疲れるし腹も減る。
あまり使い過ぎると意識を保てずに倒れてしまうこともある。
もちろん、そんなことを知らないロッソとミコトにとっては何時また斬撃が飛んでくるか分からない状態のままだ。
その上でミコトは初めての狩りではない『戦闘』にすっかり高揚していた。
ロッソを救うという強いモチベーションに、自分たち奴隷の置かれている一方的に搾取されて抑圧されている状況への強い怒りがクローベアーの攻撃に重なり、それに対して自分の攻撃が通じたことの喜びが相まって異常な興奮状態に陥っていたのだ。
永年夢に見た町の人に対して反撃を加えているかのような高揚感に酔った危険な精神状態だ。
若い守護の役目が陥りやすいハイテンションになっているミコトに経験豊富なロッソはいち早く気付き、落ち着かせようとジェスチャーで深呼吸をさせようとするが、ミコトはその意図に気付かない。
木の陰からまたクローベアーめがけて矢を放った。
矢はクローベアーの後頭部に当たったが、暑い毛皮と硬い頭蓋骨にあっさりと弾かれてしまう。
「!」
そして、攻撃のきた方向を即座に振り向いたクローベアーに残された右目はハッキリとミコトを捉えた。
「グァ~~~~~~~~~~~~~!」
咆哮と共に四つん這いになったクローベアーが突進してくる。
既にホワイトクローは使えないし、疲労のため突進の速度も本来のものではないが、巨体を活かした単純な体当たりや爪や牙での攻撃は一撃で致命傷になる。
むしろ、距離を詰められてしまうと、遠距離で相手の攻撃を避けながらのヒットアンドアウェイ戦法が使えない分、弓での攻撃が主体のロッソやミコトにとっては最悪の状況に持ち込もうとしていると言える。。
咆哮と突進してくるクローベアーの迫力に完全に硬直してしまっていたミコトは、体当たりされる寸前に横に吹っ飛んだ。
回転するミコトの視界には、自分の代わりにクローベアー吹き飛ばされているロッソの姿があった。
一瞬2人の目が合った。
ミコトの目はショックで見開き、ロッソの目は穏やかながらもハッキリとした意思をミコトに告げていた。
『生きろ』と。
全身の骨を砕かれて着地と共に息絶えたロッソにクローベアーは近付くと、おもむろにその腹に齧り付いて咀嚼し始めた。
ホワイトクローの乱発で失ったエネルギーを補充しようと食事を始めたのだ。
ミコトは敬愛するロッソが魔物に食べられる姿を見て本当の意味で理解した。
自分たちの住む世界は弱肉強食の世界なのだと。
強いものは弱いものを自由にできる世界なのだと。
自分が狩ってきた獲物も自分より弱かったから食べられたのだと。
自分たちは弱いから奴隷なのだと。
自らの生殺与奪を他者に握られないためには、強い力がいるのだと。
理を理解し、ミコトはその理に対して怒り、力を願った。
その理を含めて全てをぶち壊す力を。
ミコトの腹の中に鬱積していた理不尽に対する怒りのエネルギーが爆発した。
その時ミコトは己の中に変化と新たな力を感じた。
何の変化かは分からなかったが、その力に引っ張られるようにして歩み始めた。
意識はあるが、体を動かしているのは頭ではなく衝動だった。
そして、自分を無視して食事をするクローベアーに近付いて言った。
「お前になんか私の何も奪わせない!お前の全てを私が奪うんだ!」
そう宣言すると、ミコトは左手の手の平をクローベアーに当てがった。
掌底で叩くのではなく、単に当てがっただけだ。
すると、何かが凄い勢いでミコトの左手からミコトの体内に流れ込んでくるのを感じたと同時にクロウベアーはロッソに覆い被さるようにドスンと倒れた。