第4話 山の中で②
ロッソは驚愕した。
まさか新成人とはいえ、年端も行かぬ女の子から世の中の仕組みを真っ向から疑う質問が出るとは思っていなかったのだ。
同時に恐怖と怒りに震えた。
教育係は何をしていたのか?
こんな疑問を口にしたところを万が一市民や貴族に聞かれたらただでは済まない。
ミコト本人は奴隷集落での生活を許されずに変態貴族の慰み者になって短い人生を終えることになるだろう。
更には連帯責任で集落全体で何がしかの罰を受けることになる。
暇を持て余している兵士達がここぞとばかりに乱暴狼藉を働くだろうことはロッソにとって自明である。
ここ最近は全くそう言ったことはなかったが、一昔前は奴隷達も反抗したことがあったことは口伝えに聞いたことがあったのだ。
そして、その末路も・・・
「ミコト、お前は子供部屋で何を習ってきた!そんなことは決して口にしちゃいけねえ!お前だけじゃなくて友達皆も酷い目に遭うことになるぞ!」
優しかった先生の豹変した空気に、私はただ震えるしかできなかった。。
ユイちゃんも私の隣で先生の雰囲気に圧倒されて動けない。
「いいか!奴隷が奴隷なのは先祖が大きな罪を犯したからだ!まだ罪を濯ぎ終わっていない!それだけだ!長生きしたかったらそこを忘れるな!」
これで話は終わりだと言わんばかりに言い捨てた先生は私たちに背を向けて火を熾して捌いたばかりの肉を焼き始める。
私はあまりの剣幕に圧倒されていたが、積年の想いが溢れるのを止められなかった。
「で、でも私達が育てた作物も加工した食べ物も殆ど取り上げられてしまうじゃないですか?山の中は危険なのに弓矢と山刀しか渡されないなんて、兵士さんは剣や槍や鎧があるのに・・・おかしいじゃないですか・・・・」
「いいか、俺たちが育てた作物は領主様の土地で領主様のために育てたものだ。だからその代わりに生きていくのに十分な食料をそこから分けてもらってる。それに、領主様はいざという時のための備蓄、他領への販売なんかしているらしい。俺も奴隷だから詳しくは知らないが、少し仲良くなった兵士がそう言っていた。そして、俺たちが強力な武器を持てないのは、武器の誘惑に負けないためだ。武器は人を罪に誘うからな。」
「そんな、先生!」
気付けば涙を流して叫んでいた。
それだけしかできなかった。
奴隷という身の上に至った歴史は子供部屋で散々叩き込まれたので理解していた。
でも、実際に鞭で打たれたり、裕福な人達を見て疑問が産まれ、それは次第に怒りに変わって私の体内で熾きのように燻っていたのだ。
研修を進める中で収穫の配分の少なさ、支給される武器の弱さに感じる理不尽さは怒りの炎に風を送り、さらなる大炎となって渦巻いていた。
ところが、先生から備蓄の話や私が今まで見えていなかった役割の話を聞かされて、私の感情は行き場を失ってしまった。
「全くお前はガキ過ぎんだよ。さっきからしょんべん臭くていけねえ。肉が不味くなるからさっさと水浴びでもしろい。」
先生と呼ばれた男は先ほどとは打って変わった優しい口調で振り向かずに川を指さす。
ミコトが驚いてユイを見ると、腰を抜かしたユイが涙目でへたり込んで失禁していたのだ。
「ご、ごめんね!ユイちゃん!私、その、つい・・・」
まだ口のきけないユイを助け起こして一緒に裸になり、川で体を清めた。
2人ともまだ胸も膨らまず、毛も生えていない綺麗な体だ。
ロッソは肩越しに少女の裸体を覗き見て、小さな子供に声を荒げてしまったことと、自分を含めて奴隷という身分で彼女たちも生きていかなくてはならないことを考えて、誰にも気付かれないようにそっと溜息を吐いた。
誰だって奴隷という身分に納得も満足もしている訳ないのだ。
ただ、現実として受け入れて考えないようにしているのだ。
だから、子供の素直な疑問は男の心の奥の柔らかいところを久しぶりに抉ってしまった。
ロッソの背からは、少女の川の冷たさにキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてきた。
(まったく、暢気なもんだぜ。人をこんな気持ちにさせておいて・・・)
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驚いた・・・まさかあの優しい先生があんなに怒るなんて・・・
やっぱり余計なこと言っちゃったのよね。
そんなことより、ユイちゃんには悪いことをした。
私が怒られるだけではあったんだけど、あんな剣幕を見たら自分が怒られてなくたって誰だって怖い。
私も実は少しだけお漏らしたことは内緒だ。
一緒に川に入って川の中でスッキリとしたのも内緒だ。
ユイちゃんは水に入ったらすっかり元気になってくれた。
冷たい水にヒヤリとしたけど、本当に気持ちいい。
「ユイちゃん、私のせいでごめんね。」
「ううん、もう大丈夫。先生も謝れば許してくれるよ。でも、あんな不敬なこともう言っちゃだめよ。私達はご先祖様の罪が消えるまで頑張らないといけないんだから。」
そう言えばユイちゃんは子供部屋でも大人しくて先生たちの受けも良い優等生だった。
でも、本当に私が間違っているのだろうか?
山に入って思ったのだけど、私達が動物を好きに狩って肉にするのは人間の方が強いからだ。
動物は人間の作った作物を狙い、人間は動物を狙う。
強く勝った方が相手の犠牲の上に望んだものを手に入れる。
魔獣が私達を襲って食べるのは魔獣の方が強いからだ。
だから貴族や市民が私達奴隷を好きにするのは単に強さの問題なのではないかと思うのだ。
子供部屋で習った『罪を償うため』というのは何か違うと思っていた。
なんて言うか・・・気持ち悪い。
『罪』なんて目に見えないし、どれ位濯いだのかも分からないで延々と代々奴隷の身に甘んじるのはおかしいと思う。
貴族は、兵士は、本当にそんなに強いのだろうか?
確かに鞭は痛いし、何度も叩かれると死んでしまうと聞いているから強いのだろう。
兵士は武器を使いこなして戦いの訓練をしているからきっと強いのだろう。
でも、先生の弓だって大きな動物を遠くから仕留めるだけの力があるのに。
先生が言った、強い武器を持たせないのは『奴隷に罪を重ねさせないため』じゃなくて、『奴隷に自分たちに歯向かう力を持たせないため』なのじゃないだろうか・・・?
正直、疑問は尽きないし納得もいかないけど、これ以上ユイちゃんを巻き込むのも良くないし、私にはそもそも先生みたいな力もない。
だから、また心に蓋をして静かに生きていこう。
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川から上がった私たちは洗った服を焚火の近くの枝に引っ掛けて乾かしながら夜用の油紙を体に巻いて温まりながら焼いてもらった肉を食べた。
干し肉と違って柔らかいし、噛むと肉汁が溢れてきて美味しかった。
川岸ということで水もたっぷりあるし、途中で採ってきた山菜もあったのでスープも付くという豪華な食事だった。
そのお陰か、流石に言葉は少なかったが、先ほどの緊張状態は脱して和やかな雰囲気で食事が終わった。
服も乾き、再び山を回る。
今回は幸か不幸か動物たちには遭遇したけど、魔物には遭遇しなかった。
「先生、魔物はいないんですね。」
「あのなぁ、魔物なんていないに越したことはないんだぞ。動物よりもよっぽど強いし、変な力を持ってる。それに何より攻撃的だからな。お前たちを守りながら戦うなんてとてもじゃないけどやりたくない。」
「そ、そんなに強いんですか?」
「ああ、何人も仲間が犠牲になってる。兵士だってやられることがある位だ。だから、新人を連れてこうして山に入るのは滅多なことでは魔獣に出会わない時期と場所を選んでやってるのさ。」
「ちょっとミコトちゃん、なに微妙に残念そうな顔してるの?私は魔獣に食べられるなんで真っ平ごめんよ!」
「や、やだユイちゃんったら~。私はそんな好奇心旺盛な命知らずの子供じゃないのよ・・・ちゃんと弁えてますぅ!」
こうして、最後の数日間は終始和やかな雰囲気で山中の見回りは終盤を迎えた。
「さ、久しぶりに町が見えてきたぞ。」
「わ~畑が綺麗!」
山をいくつも登って降りて、最後の村側の山の中腹からは畑や集落、町が一望できた。
広大な畑には麦が黄金色に実り、果樹園には沢山の木々が実りを付けている。
町には大きな白い石造りの建物が軒を連ね、一際大きなものは町長である領主の家だろう。
普段見ることが出来ない光景は辛い山の見回りを終えたことへのご褒美のように感じられた。
先生も何度もこの景色は見てきたはずなのに、感慨深そうに眺めているのは、この景色を見る度にこの美しい町と仲間達を守るために頑張ろうと心に誓うらしい。
ひとしきり景色を堪能した後、無事に山から降りることができた。