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「さっさと出てお行き。そして、二度と帰ってくるんじゃない、女狐の娘」
奥様は冷たく暗い声でそう吐き捨てると、すぐさま踵を返した。
一秒でも私を見たくない、と、その背中がはっきり語っている。
すぐさま鉄の門が閉められて、ぼうっとしていたら守衛に蹴飛ばされた。
「早く行け!」
これ以上ぐずぐずしていると、もっと暴力を受けるだろう。
謝り続けて中に入れてもらおうとは、さすがに思えない。
鞄を手にとると、私はよろよろ立ちあがって邸をあとにする。
時刻はもう夕方、果ての空はすでに暗くなっている。
──きれいな夕焼けだった。なんだか、困るくらいに。
とりあえず守衛から見えない場所まで歩くと、ぱたぱたとスカートのホコリをはたく。
お古のお仕着せは、そうしたところで野暮ったさは抜けないけれど、少しはマシだろう。
こぼれてくるのは、ため息ばかりだ。
……これから、どうしよう。
今は春だから、最悪外でも一晩過ごせるけど、それじゃ問題は解決しない。
とにかく、どこか住みこみで雇ってもらえるところを探さなくちゃいけない。
ちょっとだけならお金はあるけど、何日ももたないだろうし、宿に泊まれるほどかは、よくわからない。
私は少し通りを進み、適当な邸の門番に声をかける。
でも、中に入れてもらえるどころか、門前払いをくらってしまった。
「それなりの紹介状がなければ、通すことはできないぞ」
渋い顔で追い返されて、当たり前だと思った。
にしても、蹴ることも罵ることもなくて、他のお屋敷の門番は優しいんだなぁ。
このあたりは貴族の邸が並んでいる地区。
身元のわからない人間を下働きとして入れるなんて危険なこと、考えたらするわけがない。
それでもなんでもしますと三軒ほど当たってみたけれど、結果は全滅。
一番身分の低いひとの邸ならもしかして、と思ったけど、外から見ただけじゃ、誰のお屋敷なのかなんてわからない。
そうこうしているうちにも、周囲はどんどん暗くなる。
と同時に明かりが点りはじめたけど、昼間のような明るさとはいかない。
あきらめて、私は下町のほうへ歩きだした。
そう何度も街に出たことがあるわけじゃないので、不安だったけれど、幸い街角には標識がついている。
それをたどっていくと、段々邸の大きさが小さくなっていく。
後ろに山を持つこの王都は、一番奥、山の麓に城があり、そこから貴族の屋敷、色々な建物……ときて、下町へと続いている。
しばらく歩いて、ようやく商店が並んでいるっぽいところへたどりついたけど……そこはとても暗かった。
どこの店も日暮れと同時に店を畳んでしまうから、明かりも少ないみたいで。
そのせいで、どこがなんの店か、暗くて全然わからない。
明日になれば手当たり次第に雇ってもらえるか頼みこめるかもしれないけど、今は無理そうだ。
教会に行けばとりあえず保護してもらえると聞いたけど、私はその場所を知らない。
道行くひとはいないから、誰かに聞くこともできない。
もう少し頑張って歩いて、下町の家が並んでいるところまで行くしかない。
誰か一人くらいは、物置とかに泊めてくれるかもしれないから。
でも、標識すら見えなくなっていて、進んでいる方向が合っているのかもよくわからない。
あてもなくふらふらと歩いていると、遠くに明かりのついている建物がいくつか見えてきた。
なんだろうと首をかしげてから、酒場か宿屋かもしれないと思い至る。
たしかそういうお店は、夜遅くまで、というか、一晩中明かりがついているはずだ。
あそこへ行って、皿洗いでもなんでもするからと頼んで、隅で寝かせてもらえないだろうか。
そうして朝になったら、教会の場所を聞けば、とりあえず安心できる。
少しだけ希望が見えてきて、私はくたびれた足を叱りつけ、がんばって歩きはじめる。
その時、
「なんだぁ? ガキがこんな時間になにしてる」
荒っぽい声が聞こえてきて、びくっと身体が震えた。
無視して通り過ぎたかったけれど、大柄な男性が横からぬっと出てきてしまった。
その横をすり抜けていく勇気は……私にはない。
ちらっと右を見ると、細い通りに、何人かの男のひとがたむろしているらしい。
「でかい鞄抱えて……家出かぁ?」
「な、なんでもない……です」
──恐い。
私は慌てて逃げようとしたけど、男のひとに腕をつかまれてしまい、そのまま細い路地の奥に連れこまれてしまった。
そこには全部で四人いて、じろじろと私を見つめている。
あんまり身なりもよくないし、なんだか酔っ払ってもいるみたいだし……親切から声をかけてくれた気がしない。
「そんなにビクつくなよ、なんか困ってるんだろ?」
その中の一人が、にやにや笑いながら近づいてきた。
困ってる……それはそのとおりなので、つい反応してしまうと、男のひとはさらに笑いながら、私の顎に手をかけて、顔を上むかせた。
なんだかすごく気持ち悪くて、顔を背けたいけど、力が強くてうまくいかない。
「カオはいまいちだが……まあ好き者はいるから、どうにかなるか?」
よくわからないことを呟きながら、他のひとと話している。
顔がいまいち、と言われて、ちょっと前に旦那様に投げつけられた言葉が蘇って、気持ちが沈んでしまう。
うつむく私に、最初に腕をつかんだ男性が近づいてきた。
「嬢ちゃんにいい仕事を紹介してやるよ」
「し……仕事?」
その言葉に、思わず声を上げてしまう。
本当に? ひとは見た目によらないっていうけど、もしかしていいひとなんだろうか。
期待して見つめる私に、そのひとはにやにやした表情のままで、なにかがおかしい、と思う。
「ああ、綺麗な服を着て、うまいものも食べられるぜ」
……そんないい仕事、ある気がしない。
あるとすれば、それってもしかして……
「ほら、来な」
ぐいっと手をつかまれて、引きずられるように歩かされる。
これって、すごくまずいはず。なんとかして逃げなきゃいけない。でも、どうやって?
力じゃかなわないし、悲鳴を上げたいのに、喉が焼けたみたいにひきつって、うまく声が出てこない。
……でも、私が変なところに連れていかれても、きっと誰もなんとも思わない。
それどころか、きっと気づかない。知らないままだろう。
万一知ったとしても、旦那様も奥様も、せいせいしたと感じるだけに決まってる。
私の味方だった母はもういない。友だちもいない。
……だったら、逃げる必要って、あるのかな……
なろう風タイトルにしてみました。
短編なので完結までまとめて投稿です。