7
「高野っ!!」
情けない、何もできない、俺にできるのは今、助けを呼ぶことしかない。
「高野ーっ! 周一郎がっっ!!」
力の限りの絶叫は届いた。屋敷のどこかで慌ただしい物音が響き、あっという間に視界にガウンを羽織った高野が全速力で駆け寄ってくるのが映る。
「高野、周一郎がっ!」
「水を!」
言い捨てて部屋に飛び込む高野と入れ代わりに、俺はつんのめりそうになりながら走った。洗面所に駆け込み、常時準備されている客用のコップに水を汲み、だばだば零しながら部屋に取って返すと、
「坊っちゃま!」
呼びかけて高野がベッドに体を乗せて上半身を押し込むように動くのが見えた。こふっと小さな咳をした周一郎が大きく息を吸い込み、むせ返る。
「く、ふっ、はっ、はふっ」
そのまま体をくの字に曲げて咳き込み続ける。喉元に当てた手が震え、シーツにすがりついた指先は真っ白だ。
「坊っちゃま!」
「だ…いじょ……」
激しく荒い息を吐きながら、周一郎は仰向けに寝そべった。額に数本、汗に濡れた髪の毛がへばりついている。整わない呼吸を繰り返しながら、何かを探すように彷徨った瞳が俺を捉えて、ふいに緩んだ。
「すみ…ません……滝さん……何か……僕……急に気分が…悪くなって…」
「へ?」
「びっくり…した…でしょう……?」
おい、待て。
周一郎の台詞にきょとんとする。
気分が悪くなった、だと?
「では、坊っちゃまは御気分が悪くなったのだ、とおっしゃるのですか」
高野が納得しかねるように尋ねる。
「そう…なんだ……。滝さんに…頼まれた……資料を……探していたら……ねえ、滝さん?」
きらりと周一郎の目が光った、はい、と言えと言うように。
「あ…あ」
掠れた声で何とか応じる。
「もう……大丈夫だ…。高野はやすんでくれていい」
「し、しかし」
なおも続けようとする高野を、周一郎はじっと見つめた。
高野はちらりと俺を見つめ、無言で頭を下げた。それから静かにドアの外に消えていった。
行くな、高野。
そう呼び止めたかった。不安に胸が揺れる。
だが、高野は戻ってこない。
「……周一郎」
口から零れた自分の声が重かった。
「俺は…」
違うよな?
「俺は、お前を…」
違うだろう?
「違います、滝さん」
「っ」
きっぱりした声に振り返った。
ベッドから俺を見上げる周一郎は、まだ呼吸が整っていない。微かに息を喘がせて、
「僕が気分が悪くなったんです」
そう、なのか。
いや、違う、よな?
「嘘をつくな」
振り向いて、周一郎の側に歩み寄った。
いつの間にか首のあたりまで引き上げていた掛け布団を、掴んで引き下ろそうとしたが、周一郎がぐっと布団を握って止める。
「滝さんは何もしていないんです」
「俺は」
そこまでぼけちゃいない。
自分が何をしていたか、この掌の感触が教えている。
「俺はお前の首を絞めていた」
引き下げることこそ叶わなかったが、一瞬見えた周一郎の首には、くっきりとした手形がついていた……おそらくは、俺の。
「僕、眠ります」
ふいに周一郎が微笑した。
「疲れました。おやすみなさい」
そのまますぐに目を閉じる。
俺の口の塞ぎ方を心得ていた。
「……おやすみ」
一言呟いて、部屋の外へ出た。
ドアを閉めると、中で周一郎が目を開けたのが気配でわかる。
「この前のも……」
俺なのか。
「どうして…?」
唇を噛む。
夢の中の自分の殺意を思い出した。
理由も状況も考えず、俺は周一郎を殺すことだけを考えていた。そして、それに何の疑問も抱かなかった。
ぞくり、と体を震わせる。
自分が自分でなくなってしまったような、暗黒の感覚。
それに。
「……どうして」
周一郎は抵抗をやめた?
振り向いたドアは開かない。開けられない。
のろのろと歩き出しながら、がんがんしてくる頭の中で理解する。
そうだ、まぎれもなく、周一郎は殺されるつもりだったのだ、気を許していると高野が評した、俺に。
(気を許している…?)
階段を下りる途中で立ち止まる。
もし、俺が周一郎の立場だったら?
唯一気を許している相手に殺されかけたとしたら?
(裏切りだ)
何よりも受け入れ難い罪。
形容し難い痛みが胸に走った。
「そんなの」
あるはずないだろ。
「俺が周一郎を殺すなんて」
急ぎ足に階段を下りる。
あるはずがない。
そう強く言い聞かせながら。