表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下魔術師 〜猫たちの時間3〜  作者: segakiyui
2.孤高一人
6/42

4

 嫌な夢だった。

 眠る前に見た満月の丸く白い面輪が、夢の中で膨らんだりしぼんだりする。

 夏祭りの風船よろしく、するすると月から下がる銀糸を持ったのはあの娘で、にっこり笑いながら『クレッセント』と口を動かした。クレッセント………と、俺は夢の中で繰り返しながら、自分が二つに分裂していくのを感じた。

 一人の俺がベッドから起き上がる。コートを羽織り、どこかへ出かける。どこなんだと別の俺が考えている間に、始めの『俺』は目的地に達したらしい。もやもやと白く淡い光が『俺』の回りを取り囲んでいて、視界はほとんどきかない。

 夢うつつで『俺』はある所まで来ると立ち止まり、靄の中に両手を差し入れた。

 何をする気だ、と俺が問う。『俺』は応えない。

 しばらく靄の中で探っていて、目当ての物に辿り着いたらしい。『俺』はその円柱状の生暖かいものをぐっと両手で掴んだ。じわじわと力を入れていく。

 『俺』の手の中のものがもがき始める。低く遠いうめき声……がっともやの中からいきなり手が飛び出し、俺の手にすがってぎょっとする。

(人間じゃないか!)  

 なんてことだ、『俺』は人の首を絞めているのか。

 狼狽して俺は『俺』を相手から引き離し、何とか止めさせようとした。

 だが、『俺』は強かった。

 あの娘の声のように、逆らい難い力で掴んだ首を絞め続ける。

(んなろくそ!)

 主人の命令に主人が逆らいやがって!

 俺は激怒して、『俺』を殴りつけ、蹴りつけた。だが『俺』は手を放さない。冷淡な殺人者になり切ったように首を絞め続ける。

 その感触が俺の手にも伝わってくる。被害者の腕から力が抜けてくる。するりとその手が『俺』の体を掠め、ぱたりと落ちる。 

(放せっ!)

 俺は渾身の力で『俺』を引っ張った。『俺』はようやく一、二歩後ずさりし、ゆっくりと歩き出す。途中でびっ、とコートが何かに引っ掛かる衝撃があったが、『俺』は構わず先に進んだ。

 再び気づくと俺は自室に戻っていた。

 俺も『俺』もベッドにのそのそ潜り込み……目覚ましの音が鳴り響く。


「……うえ……」

 起き上がってがんがんする頭に唸って抱えた。

 なんかとんでもない夢を見たぞ。

「うう」

 人の首を絞めた夢だったぐらいしか覚えていないが、生々しいことこの上なく、特に、あの絞めていく手の感触はひどい。夢に悪酔いした気分だ。

 カレンダーは休みの日だと告げていたが、もう眠る気にはなれなかった。

「うぷ…」

 口を押さえて吐き気をこらえつつ、部屋を出て食堂へ向かう。

「……これが唯一…」

 入ろうとする直前、ひそひそ声が聞こえた。

「手がかり…」

 てがかり?

「……一体誰でしょう」

 心配そうな高野の声に立ち止まる。

「それなんだ、ぼくの気になるのは」

 周一郎が静かに応じた。

「ぼくはあの時、何の殺気も感じなかった……いや、それどころか目覚めることもなかった…」

 不安げというよりは不思議そうな声だ。

「どうしてだろう?」

「………あるいは……」

 高野が何か言いかけたのに、ドアに近づき過ぎて思わず扉を押し開けてしまった。溢れ出た眩さに思わず目を細める。

「おはようございます、滝さん」

 その光の中から、周一郎が声をかけてきた。

 心なしか青白い顔、サングラスが染みのように黒々と沈んでいる。珍しく、白いタートルネックのセーターに焦茶のスラックスという出で立ちだ。

「あ、おはよう……どうかしたのか?」

「え?」

「顔色が悪いぞ」

「ええ、実は…」

「にゃああ〜〜〜ん」

 言いよどんだ周一郎の足下に、青灰色の光がじゃれついた。

 ルトだ。

「ルト」

 呼びかけて周一郎はルトを抱き上げた。気持ち良さそうにルトが一瞬目を細め、周一郎の腕に体をすり寄せる。その光景がまるで映画の一場面のように綺麗で、思わずぽかんとしてしまう。

 と、ルトがはっと首をもたげ、忘れていた、と言いたげに周一郎の膝から滑り降りた。

「ルト?」

 サングラスの奥の瞳を一瞬きらりと光らせ、周一郎はルトの後を目で追った。

 外へ走り出て行ったルトは、何かをくわえてずるずるひっぱって来、小猫には荷が重いのだ、さっさと手伝えと言いたげに数歩向こうで立ち止まる。

「にゃっ!」

「何だ?」

 警告するような鋭い鳴き声に、周一郎が緊張した声を返し、すらりと立ってルトの側へ近寄った。

「何をお前……」

 ふいに、こちらに向けた周一郎の背中がぴくんと強張った。ことばが宙に途切れる。周一郎がゆっくりとそれを持ち上げる。

「あれ?」

 思わず頓狂な声を上げてしまった。ルトが引きずってきたのは、他でもない、俺の一張羅のコートなのだ。

「……滝さん、これはあなたのものですか?」

 俺に背中を向けたままじっとそれを眺めていた周一郎が、低い声で尋ねてきた。声が微かに震えているように思える。

 周一郎の手の中のコートをもう一度見る。

 確かに俺のだ。

「うん……けど…上から三つ目のボタンは千切れてなかったぞ?」

「っ!」

 続けたことばに、周一郎は弾かれたように肩越しに振り返った。

 顔は蒼白、唇も真っ白だ。サングラスの奥で瞳が揺れている。何かを言いたげに開かれた口が、ふわふわ動く。

「どう…し」

「周一郎?」

 俺の声に周一郎は顔を背けた。そのまま、眩んだ視界をはっきりさせようとでもするように、二、三度首を振る。妙に幼い仕草だった。まるで、小さな子どもがいやいやをするような……やがて、妙に沈んだ表情でこちらへ向き直る。

「あなたの……なんですね…?」

 縋るような声、そう感じた。周一郎が縋ることなどあり得ない、そのはずなのに。下唇を小さく噛む、その動きもどこか頼りない。

「ああ、でも…一体ルトはどこから持って来たんだ?」

 俺は首を捻った。

「確か、昨日の夜はタンスに入れたし…」

「……っ」

 周一郎が俺を詰る、一瞬、そんな気がした。く、っと顔を振り上げた相手が体を強張らせたまま、俺を貫くように凝視する。

 それがあまりにも訴えかけるようで、そろそろと尋ねる。

「……どこかに落ちてた、のかな…?」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ