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月下魔術師 〜猫たちの時間3〜  作者: segakiyui
8.夜に還れ

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36/42

3

 客達の好奇心に満ちた視線がお由宇と、隣で突っ立っている俺に向けられる。

 一作も買わなかった? 声もかけなかった? どうしてだろう?

 訝しげな目の色が、俺とお由宇をじろじろ検分する。

「…して…ご存知ですか」

「…には見えない…あの方達は…」

 不安そうに、或いは不審そうに、あからさまに眉を潜め、警戒を見せる女がいる。囁きを交わしながら、実力排除を依頼しようか、そんな雰囲気の男もいる。

(どうする、お由宇)

 身構えて、足下を確かめる。

 いざとなれば俺だって。

(全力で逃げる!)

「仮面を取って頂こうか、佐野由宇子さん、滝志郎君」

 綾野は冷笑しながら命じた。お由宇が静かに仮面を外す。俺も続いて外していくと、周囲の不穏そうな気配がざわめきになって広がった。

 何だあれは。誰だあれは。ひょっとして、余計なことをどこかに吹き込んだり漏らしたりする類の? おお嫌だ。

「さあ、何をしに来たんだ? このオークションにただ見物に来たとも思えんが」

 綾野の嘲りに、お由宇は唇を綻ばせた。鮮やかな微笑を浮かべる。

「見物? ええ、その通りよ」

「はっ」

 綾野は上品そうに呆れてみせる。見回す周囲に、仕草で吹き込む、申し訳ない、不愉快で下品なネズミが入り込んでおりました、ただちに始末いたしますので、もうしばらくのご容赦を。

「ただの見物だって? まさか」

「ただの見物じゃないわ」

 お由宇はにっこりと笑った。光が灯ったような明るい笑みだ。

「偽物を売りさばく、三流悪人のオークションを見物に来たのよ」

 偽物? 偽物だって?

 ざわり、と客がざわめいてふいに静まった。誰もが警戒心を満たしてお互いを、綾野を見やる。

「お由宇?」

 呆気にとられたのは俺ばかりではない。綾野も、だが、真っ先に我に返ったのは綾野だった。

「ふ、ははっ…偽物だって?!」

 呆れ果てたような高笑いを響かせる。

「君らしくないね。私が何をやったか知っているはずだ。なのに、偽物だって? 私が何のために、そんな危険な賭けをする必要がある?」

「もちろん、モレリー・コレクションを手に入れるためよ」

「馬鹿な!」

「では、お客様に確かめて頂きましょう」

 お由宇は作品があるという別室へ手を振った。

「たった今オークションにかかった品物と、本当に同じものがあそこに準備されているのかどうか」

「…見せてくれ」

 一人の男が思い切ったように顔を上げた。

「ええ、もちろん、どうぞ」

 一瞬不愉快そうな顔になった綾野は、すぐに笑みを取り戻した。

「ご確認下さい。確かにモレリー・コレクション、そのものです」

「失礼する」

 でっぷりした白い道化師の仮面を被った男が、綾野の配下に連れられて続きの部屋へ入る。固唾を呑んで見守る客達、自信ありげにお由宇を見下ろす綾野の顔が、続いて響いた声に固まった。

「…どういうことだ、これは!」

 うろたえたような宥め声、だがそれよりも大きく響く声は怒りも露に言い募る。

「全くの偽物じゃないか!」

「え…っ」

 綾野の顔が蒼白になった。

「まさか!」

「私のも見せて!」

 きんきんした声の婦人が隣室へ駆け込む。悲鳴に似た叫びが上がる。

「これは、何なの!」

「おい! どういうことだこれは!」

 先に入った男が怒り狂いながら、片手に絵を掴んで戻ってきた。

「こんなおかしなものとすり替えたのか!」

「いえ、そんな馬鹿な」

「返してちょうだい、あたしの絵よ!」

 きんきん婦人が戻ってきて涙ながらに叫ぶ。

 うわ、っと客達は一気に隣室に押し寄せた。唸る蜂の大群のような状態を呆然と見ていた俺は、そろそろとお由宇を振り向く。

「そうか……もうすり替えが終わっていたのか…」

「そう、『木影』の影の金粉がなかったでしょ?」

 そうだったか?

「実はあの技法は『ランティエ』しかできないのよ」

 一瞬奇妙で切ない笑みをお由宇は浮かべた。

「どんな天才画家でもできなかった技法……けれど、技法で絵が描けるものじゃないから」

 誰も再現できない絵を描けるのに、それは感動とかイマジネーションとか、つまり芸術の持つ力とは関係のないところで成立してしまっているの、哀しいわね、とお由宇は目を細めた。

『あの頃を思い出しましたよ。ほんの一瞬、自分の絵を描きたいと迷った筆遣いをね』

 ランティエの声が耳の奥で響く。素晴しい技法を持ち、けれど、それでは駄目だと見切りをつけたのだろうか。

「待て、待って下さい!」

 押し寄せる客を止め切れずにいる綾野もまた、素晴しい才能と人を動かすカリスマ性を揃えながら、それでもある一点でどうしようもなく潰れるしかない運命にある。

 そこへ、最後の断罪のような声が響く。

「見たぞ! 綾野の手下が金と本物の絵を積み込んで逃げた!」

 閉ざされていた入り口を開け放って叫んだのは直樹、だが、それが誰であったか確認する余裕は客達にはなかった。

「何だって!」「まさか!」「ああ!」

 我先に、今度は入り口から飛び出していく、その激しい動きの彼方に、ただただ白い顔になって立ちすくんでいる綾野の姿がある。俺とお由宇の凝視に気づくと、がちりと音が聞こえそうな顔で歯噛みし、次の瞬間、身を翻した。

「綾野も逃げるぞ!」

「捕まえろ!」

 今度の怒号はもはや直樹でもなんでもない、突然の展開に我を失った客達の叫び、うろたえ怒り狂って走り回る中を、目立たぬようにそろりと俺とお由宇は部屋から逃れた。


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