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「どうですか?」
男はお由宇の家の居間へ入ると、バッグの中の物を見せた。
それは、写真で見たモレリー・コレクションと寸分違わぬ十数作品だった。
「え…あ…本物?」
「ええ、本物ですよ。ただし、モレリー・コレクションではない」
「??」
訳のわからぬ俺に、アンリが続けた。
「デモ、彼ガ描イタナラ、ソレハ本物デス」
「???」
俺は頭の中のマーボードーフをまとめようとした。が、マーボードーフはますますぐっちゃぐちゃになっていく。見るに見かねて、お由宇が説明してくれた。
「つまりね、あのモレリー・コレクションを描いたのも彼なのよ」
そこで俺は、男が『ランティエ』と呼ばれる贋作造りでは有名な人間だと知った。モレリー・コレクションの無名画家の連作とは全くの嘘、全ては二十年ほど前に『ランティエ』が描いた作品群だったのだ。
「父ハ、世ノ知識人ガドコマデ鑑識眼ヲ持ッテルノカ、知リタガッタノデス。これくしょんガ、全テ売レタ時、父ハ大笑イシマシタ。美術関係者ト外国人ニ売ラナカッタノハ、父ノゆーもあヲ、ゆーもあトシテ終ワラセルタメデモアリマシタ」
アンリは、例の妙な笑みを浮かべた。
「もちろん、モレリー・コレクションが何の価値もないというのではないわ。無名画家『ランティエ』の技量をつぎ込んだ連作、世にも珍しい贋作家のコレクションとしてだけではなく、美術品としての価値も充分あるわ。だから、彼に綾野への罠の一つとして、自分の作品を完璧に贋作することを依頼したのよ」
「世界広しと言えど、自分の作品を贋作したのは、私ぐらいでしょうな」
『ランティエ』は含み笑いをしながら言った。
「タッチが狂っているかと思ったが、大丈夫だったようです」
「狂っているどころか、昔のミスまでまねたのはさすがね」
お由宇は『木影』の葉の影を一つを指差した。深緑のはずの影に、ほんの二、三粒と見える金色がついている。
「あの頃を思い出しましたよ。ほんの一瞬、自分の絵を描きたいと迷った筆遣いをね」
『ランティエ』は感慨深げに言った。
「それで? これをどう使います?」
「すり替えられた偽物のモレリー・コレクションとすり替える。そして、その偽物を綾野がすり替えた本物とすり替え、オークションの客にも偽物を提供しようというのさ」
それまで、黙って絵を眺めていた直樹が応じた。相変わらず、理香の肩に回した手で優しく彼女の髪を撫でながら『ランティエ』を見つめた。
「あんたの描いた『もう一つの本物』は、本物と改めてすり替えるまでの代役というわけだ」
「……ふむ、満足です。贋作の命は如何に多くの人を騙すか、ですからね」
『ランティエ』は、穏やかに笑った。
「それで?」
「あんたの出番は終わりさ。謝礼はスイスの銀行に振り込まれてるはずだ」
直樹は『ランティエ』をじっと見つめて言った。
「なるほど。私の安全を保障してくれるわけだ」
彼は笑み、少し頭を下げた。
「では、また御用がありましたらどうぞ。最近は仕事を選んでますから、御注意を」
それから、アンリに向き直り、
「モレリー・コレクションを気に入って下さってどうも。あなたの父上とは懇意でしたよ」
「父ニ伝エテオキマス」
きらっと二人の間に殺気が走ったようだった。コレクターと贋作家では、あまり仲がよくもないのだろう。
『ランティエ』は来た時と同じように、ゆったりとした足取りで家を出て行った。
「本当ニ名前ドオリノ奴デス」
「え?」
「『らんてぃえ』トハ、ふらんす語デ……『何モシナイデブラブラシテイル人』トイウヨウナ意味デス」
アンリは少し肩を竦めて見せた。
「さて、駒は揃ってきた」
直樹は絵を見つめ、続いて俺を見た。
「大丈夫かい、滝さん。ドジしたって、すぐに助けられないんだぜ」
「彼は私と一緒にパーティに出てもらうわ」
お由宇のことばに、一瞬舌打ちしそうな表情が直樹の顔に過った。きっと、また足手まといになると思ったのだろう。しかし、俺としても、ここまできて引くわけにはいかなかった。
「ま、せいぜい、ドジで陽動作戦をやらないようにしてくれよな」
直樹の遠慮のないことばに、俺は俺だって『それなりには』やれるつもりなんだぞ、と毒づいた。たとえ…ドジのオンパレードでも。




