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「え」
あ、も、う、もない。助手席に引きずり込まれたとたん、近くの電柱にぶつかるような勢いで車が発進、加速する。
「なっなっなっ…」
「本当に聞いた通りの人だな」
運転席の男は苦みばしった笑みを唇の端に浮かべ、横目で俺を見た。
東洋系にも見えるが、どこの国出身ともわからない、四十過ぎの男だ。カラーシャツにジャケット、ループタイにシャツに合わせたポケットチーフ、よく見れば嫌みがない程度に整った顔で、仕草も滑らかでスマート、かなり上流階級なんじゃないだろうか。ちらちらとバックミラーを見ながら、
「ちょっと振り回しますよ」
告げられたとたん一気に、安全ベルトを掴んだまま、ドアに押し付けられる。
「後ろの車、オオサワの手の人ですね」
流暢な日本語だったが、大沢という人名に微かな異国訛りがあった。ぎょっとして体を起こし、得体の知れぬ紳士然とした相手を見つめる。
「私が気になります?」
「はいとっても!」
「私の事はすぐにわかりますよ」
俺の元気のいい返事にくすくす笑った相手が続ける。
「それより、今はあの人達を何とかしなくてはね……何をやって、あんなに怒らせたのかな? 警告でも無視しましたか」
「なんでそれを…っ」
つい尋ねかけて、慌てて口を塞ぐ。こいつだって、敵か味方かわからないのだ。
ふふふ、と妙な含み笑いをした相手は、小学生を諭すように首を軽く振った。
「あなたみたいな素人が、こんな無茶をするのはいけませんね。大変、危険です」
(わかってるよ)
思わず心の中で反論する。
(それでも、俺があいつにしてやれるのはこれぐらいしかなかったんだから、仕方ないじゃないか)
「佐野さんが言ってましたよ。あなたは時々、ひどく『無邪気な』考え方をして行動に移すから目が離せないって。本当に、そう、です、ね!」
きりっ、と歯を噛み締める音がした。ハンドルがぐるっと回され、ヘアピンカーブを一息で回ってしまう。横滑りしかけたと思った次の一瞬に、弾かれるようにカーブを抜けて飛び出していき、後ろの車が突き放されるように後じさった。
「やれやれ、少しは話ができそうだ」
男はにっと笑って煙草を咥え、高級そうなライターで火を点けると、無造作に後ろの座席に放った。
「オオサワ達の脅しに妙な意地で反発するところなんか、実に『無邪気な』人ですよ、怖いもの知らずだ」
「あんた、誰なんだ」
上機嫌で話し続ける相手にようやく口を挟めた。
「誰ねえ……あっとまずい」
男は煙草を窓から弾いてハンドルを回した。裏路地に車を斜め駐車したまま、ドアを開けて降りる。
「お、おい!」
「手伝って下さい。この車はあの人達にあげましょう」
男はトランクから幾つかのバッグを出した。俺に二つのバッグを持たせ、悠々とした様子で尋ねる。
「佐野さんの家、この近くでしたっけ?」
「あ、ああ。そこの角を曲がって…」
「ああ、あそこか」
男は背後を振り返ることもなく、すたすたと歩き出した。荷物持ちよろしく、俺はその後に続く。
「あ、でも車…」
あんな所に置いたままじゃ、と思う間もなく、鋭いブレーキ音の一瞬後、ぐわっと凄まじい音が背中を押した。
「っっ!」
思わず半身振り返ると、俺達を追っていた車が置き去った車にまともに突っ込んでいる。うろたえたようによたよたと男達が逃げていく。
(上げるって…こういうことか)
わけもなく、後部座席に放られた高級そうなライターが思い浮かんだ。あれ一つでも、けっこうな値段のものだと思うが、車まで『あげる』状況においては、ささいなことなのかもしれない。
「滝さん、早く!」
「あ、はいはい」
男が親しげに呼ぶのに、重いバッグを必死に持ち上げ、俺は駆け寄っていった。




