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数日後。
お由宇の所へ行こうとした俺に、高野が一通の手紙を差し出した。
「?」
「滝様宛でございます」
「あ、どうも」
白い封筒、宛名には『滝様へ』と書かれているのみ、住所も郵便番号もない。裏返してみたが、差出人の名前もやっぱりない。恥ずかしがりの娘から来たラブレターにしてはあまりにも殺風景な代物だ。
「…これはやっぱり……」
何となく不安を感じつつ、封を切る。
(あ・た・り、だ)
『出かけられないことをお勧めする。その家が君にとって最も安全な場所だ」
白い便箋にそれだけの文章が印字されている。何となく、大沢を思い出した。
「高野、これはいつ?」
「申し訳ございません、いつの間にか郵便受けに入っておりました」
監視カメラの映像を探せば、誰が投函したかわかるだろうが、身元がわかるような人間は使っていないだろう。ましてや、差出人が入れるわけもない。
「ありがとう。ちょっとお由宇の所へ行って来る」
「かしこまりました」
手紙をポケットに入れかけ、思い直して破り捨てる。
もし、大沢が俺を見張っているなら、俺がうろうろすることはそのまま陽動作戦の一部になる。あれやこれやと手配しているお由宇や直樹から、少しでも敵の目がそらせるかもしれない。だが。
(お由宇のところへは行けないな)
相手が直樹達の存在や居場所をどこまで知っているのかわからないが、わざわざはっきりさせてやることもないだろう。
門扉を出て、レンガ塀が遠ざかるに従って心細くなってくる。やあめた、と言って駆け戻りたくなる。
大体、俺はハード・ボイルド向きじゃない。敵の追及を知りながら平然としていられるほど図太くない。怖けりゃ震え、痛けりゃ泣く、普通の人間なのだ。断じて、お由宇やアンリや直樹や……周一郎のように、危険の中に飛び込んでいくのを日常生活や趣味にしたりしているんじゃない。
俺はいつも逃げ回っているのに、厄介事の方が挨拶をしにやってくる。俺はウィンクさえ投げないのに、事件が引き寄せられてくる。加えて、より面倒なことに、俺はその厄介事を完全に無視できるほど器用でも強靭でもない。毎度毎度、こてんぱんになるのを知っているのに、なぜか『俺も手伝いましょうか』なんてへらへら笑いながら応じていってしまう。
(マゾなんだろうか)
泣きたくなってきた。
またその厄介事というのが、電信柱にぶつかることから国際犯罪まで、品数の豊富なことこの上ない。そのうち惑星直列とか、世界の破滅とかまで引っ掛かってくるに違いない。
(そうなったらもう普通じゃないよな? 呼吸する天災とか? 動き回る迷惑とか? 災難発生能力とか言われるんじゃないか?)
「はあ…」
深く溜め息をついた俺は、すうっとふいに側に寄ってきた深緑の外車にきょとんとした。するすると助手席の窓が開く。
「あの…」
「はい?」
呼びかけられて立ち止まる。窓からこちらを見上げた男は、俺の顔を眺めた後、
「失礼ですが」
「はい」
「滝さん、でしょうか?」
「は?」
通りすがりに道を尋ねられるんだと思っていたのに。
「な、何か?」
引き攣った笑いを浮かべて見下ろすと、相手はにこやかに笑みながら、助手席のドアを開けた。
「道を教えて下さい。佐野由宇子という人の家なんですが」
「佐野? ああそれなら…」
言いかけて戸惑った。
今こいつは俺のことを『滝さん』かと確認したよな? なぜ知ってるんだろう、俺はこいつを知らないのに。しかも、お由宇の家を知っているとも確信してて、そこへの案内を頼んでいる。なぜこいつは、俺にそこまで『詳しい』んだ?
脳裏を掠めたのは、白い封筒、そういや、こいつがあの手紙の差出人だということもありえるわけだ。朝倉家を出てきた俺をずっと尾行してたってことも…。
途中でことばを切った俺を、なぜか面白そうに見ていた男は、ちらっとバックミラーに視線を投げたとたん、きびきびと命じた。
「こっちへ!」




