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月下魔術師 〜猫たちの時間3〜  作者: segakiyui
6.法の網の目

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3

「大丈夫デスカ? …血ノニオイ……ケガデスカ?」

 アンリがバックミラーを見ながら尋ねてくる。ほっとしたのと、車の振動で眠くなりかけていた俺ははっとした。

「あ…あ、そうなんだ、直樹が」

「救急箱、借りてるぜ、アンリ」

 直樹は既に革ジャンとセーターを脱いでいた。車の後ろにあった箱から、包帯とガーゼを取り出し、手慣れた様子でまくり上げたシャツの下の傷に巻き付け始める。生暖かい血の匂いに軽く眉をしかめたアンリは、ぽつりと呟いた。

「ヤッパリ…大沢デスカ」

「うん、大沢だ。モレリー・コレクションのことは本当らしいぜ」

「トイウコトハ…」

 アンリと直樹の、よくわからない会話を聞きながら、俺は車の側を擦り抜けて先へ走り出していくバイクを眺めた。

(あれは…お由宇だったのか)

 周一郎と和野岬へ行った時、二台のバイクの背後から追ってきていたライダー、止まれ、と合図を送ってきていると運転手が言った。それを、周一郎は振り切るように命じた、おそらくはお由宇だとわかっていただろうに。

(お由宇は周一郎のやろうとしていることを知っていた…だから止めに来た……でも)

 周一郎はその手を振り切った。

 笑みが脳裏を横切っていく。切ないような、淋しいような……薄々殺されることを予想しながら、救いの手を振り切っていった者の笑み。

(そうせざるをえないように……俺が、追い詰めた)

 シートにもたれる。

 あの日、周一郎は何を考えていただろう。今の俺と同じように車のシートにもたれ、窓の外に近づく救いを拒否して、隣に自分の命を狙う男を置き…。

「滝さん」

「ん?」

 呼びかけられて我に返る。

 手当を終えたらしい直樹が肩を竦める。

「悪いけど、肩貸してくれよ。疲れちまった」

「あ、ああ」

「ふぅ」

 ためらいもなく俺にもたれかかり、疲れ切っていたのだろう、やがて微かな寝息をたて始める直樹を見つめる。

 この事件が始まった日、お由宇からの手紙が来た日を思い出す。高野の声……「よっぽどあなたに気を許していらっしゃるんですね」……背中を向け合ったまま、けれども同じ場所に居て、一つの事件に立ち向かうはずだったあの日……あの場所に居た周一郎を、俺は永久に失ってしまった。

(何が…間違っていた?) 

 俺の自覚、だろうか。

 俺が、周一郎にとって、どういう存在なのかがわかっていなかったから?

 いや、周一郎が俺にとって、どういう存在なのかがわかっていなかったからだ。

「…ん…」

 直樹の安らかな寝息に涙ぐみそうになった。

(もっと、ゆっくり眠らせてやればよかった)

 寝起きの慌てる顔を見たいなぞと思わないで。

 せっかく得た安眠を、守ってやればよかった。

「……ちぇ」

 情けない。

 ああしてやればよかった、こうしてやればよかったばっかりだ。

「アチラモ、ナリフリ、カマワズデスネ」

「え?」

 響いたアンリのことばに視線を上げる。

「『彼』ニシテハ、強引ナヤリ方ダト、由宇子サンガ言ッテマシタ」

「ふうん」

「イツモ、法律トハ上手クヤッテイタノニ、今回バカリハ、ミダスシカナクナッタヨウネ、ト」

「へえ…」

 で、お前はお由宇とどういう関係なんだと尋ねようと思ったが、ただでさえ落ち込み気味のところにダブル・パンチの気配濃厚、それ以上は突っ込まないでおく。

「……コワイ人デスネ」

 しばらく黙っていたアンリが再び話し出す。

「お由宇が?」

「彼女モ、コワイ人デス。敵ニシタクアリマセン。コッチノ意図ヲ伝エル前ニ、ソレニ応ジテ行動サレマスカラネ……刃物ミタイデス」

「そうかあ…?」

 確かに不思議な女で、悪魔のように頭がいいとは思うが、こわいと思ったことはない。

 と、アンリがバックミラーの中からくすりと笑った。

「ボクガ『コワイ』ト言ッタノハ、アナタノコトデスヨ、滝サン」

「え?」

 余りにも意外な応えに驚く。アンリがくすくすと楽しげに笑った。

「アナタハ、何ノ意図モナシニ、コチラノ本音ヲ引キ出シテイッテシマウ。ツイ、本音ヲ言ッテシマウ。アナタト話スノハ、大変ウレシイ……ケレド……人ノ裏バカリ見テイル人間ニトッテハ……大変コワイ人デス……味方ニスルニハ、不安……」

 アンリの顔が愛想良さを捨てていた。酷薄に光る青い瞳、鋭い視線をこちらに向ける。

「……カト言ッテ、敵ニナッテホシクハナイ……モシ、アナタガ敵ナラ、ナントカシテ、助ケタクナルデショウ……ナントカシテ、自分ノコトモ心配シテモライタイ……ケレド、ソノ代償ハ本音……大変、困リマス…………周一郎君ノ気持チ、ワカリマス」

 アンリは一転、柔らかで渋い苦笑を見せた。

「モシ、許サレルナラ……友人ニナッテホシイト思ッテシマウ。コンナ、自分デモ、許サレルナラ…」

 憂うような表情が、にっと笑みに崩れた。

「アア…ホラ、ネ…ツイ話シテシマウデショウ?」

「友人って……俺は特に友達を選ばないけど」

 そのせいで宮田なんかがやってくるんだろうな、きっと。

 溜め息をつくと、ふっとアンリは笑った。その笑みが、どこか周一郎の微笑に似ていてぎくりとする。

「ソウ……デモ、自分ハダメジャナイカト……思ウ時ガアルンデス、アナタミタイイナ人ニ会ッテシマウト、ネ」

 きゅっ、と目元に軽く皺を寄せて、アンリはウィンクした。魅力的で華やかな、女性ならばくらりとするような笑顔、けれどどことなく、何を考えているのかわからないような笑みに戻る。

「由宇子サンハ、本格的ニ綾野ヲ追イ詰メルツモリデスヨ。大丈夫デスカ? 滝サン」

 大丈夫かと確認されるのは、これで何度目だろう。それでも。

(何とかなるさ)

 胸の中で呟く。

 踏み込めば、変わるものがあるのを、俺は知っている。踏み込んで、終わらせなくてはならないものがあるのも知っている。

 だから。

(これが終わったら)

 俺は朝倉家を出て行こう。

 時々墓参りに行くことは許してもらって、俺は俺の生活を始める。

(淋しいだろう)

 亡くしてきた大事な人同様に。きっと数ヶ月は、周一郎の姿を探しちまうことだろう。

 それでも、俺はもう一度、自分の生活を始める。

(「滝さん」って呼ぶ奴がいなくなる)

 バイトを始めなくちゃならないな……幾つ掛け持ちするかな。

(あのレンガ塀ともお別れだ)

 しばらくはお由宇の所へ転がり込んでいようか。

(墓の下は寒いだろう…)

 下宿を探そう……コートをカタに取られないような所を。

(ルト…どうするんだろ)

 大丈夫だろう、何とかやっていくだろう。

 そして俺は新しい生活を始めるんだ。

 窓の外の流れ去る景色を見つめた。

 直樹は眠っている。アンリも黙って運転し続けている。

 そして俺は、これからの生活を思い。

 俺は。


「…くそっ」


 そんな風に割り切れりゃ、誰も厄介事に巻き込まれるもんか!


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