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「……大沢さんの人たちかな?」
妙な沈黙の漂う中、ぽつりと直樹が尋ねた。不敵な笑みを浮かべて、ぐるりと回りを見回す。男達は無言で一歩、詰め寄ってくる。チンピラ風、というのではない、どこにでもいそうなサラリーマンのように見えるのが、一層凄みがある。
「!」
無言で飛びかかってきた一人を、直樹が平然と躱す。
「うわ!」
流されてたたらを踏んだ男がこっちへ来るのに、無我夢中で両手を握って突き出すと、幸運にもどちらかが当たったらしい。げ、と呻いてよろめきながら、それでも脚を振り回してくる。飛び退くなんて器用なことが俺にできるわけがない。もろに蹴りをくらってひっくり返り、踏まれかけて危うく避けた時には、既に乱闘まっただ中だった。
「ひゅ!」「わ」「ぐっ!」「ひえ!」「ぎゃっ!」「うわわわ…」
男達の苦しげな悲鳴はもちろん直樹が生み出したもの、続いた情けない声は、巻き込まれかけて必死に逃げている俺の声、よく時代劇の殺陣で主人公に一人ずつ斬り掛かってくるという光景を見るが、あんなふうに順序良く来てくれるわけもなく、地面を這いずり回りながらただただ必死に逃げているのが、時々直樹への攻撃をしかけた男の脚を狙って突っ込んだ状態になったりする。
けれど、それももうぼちぼち限界だった。
「滝さん!」
凛と直樹の声が響いたのは、左頬に見事なストレートをくらった時で、ぼやけて揺れる視界でそちらを見やると、直樹は魔法のようなフットワークで男達の攻撃をかわしながら、じりじりこちらへ近づいてきていた。
殴り掛かった男の拳を身を沈めて避け、背後から殴り掛かった相手の鳩尾に肘鉄を入れて倒し、斜めから突進してきた男は寸前に身を翻し、重い音が響き渡った後には三人同時に地面に倒れこむという華々しさだ。しかも、呻いて体を起こそうとした最後の一人の顎を靴の踵で蹴り飛ばす、というおまけまでつけている。
猫科の野生動物が二足歩行していたら、こういうやり方で自分からほとんど仕掛けず、相手の力だけで相打ちに持っていって擦り抜けてくるんじゃないか。
「すげえ…」
「だいじょう…」
紅潮した頬に薄笑いを浮かべて呼びかけてきた声、最後のぶ、は雷のように轟いた爆音に消えた。背中からいきなり照らされたシルエットになった直樹の姿、振り返って相手を確認していたわけではないだろう、それでも駆け寄ってきた直樹が的確に突っ込んで来たバイクの進路から俺を突き飛ばす。
「危ないっ!」
「ひえいっ!」
今の今まで俺が立っていた場所を削るようにバイクが通り過ぎていった。だが、少し前方ですぐにターンして、再び戻ってくる。
「走るんだ!」
俺と一緒に転がった直樹が服を掴んで怒鳴った。
「わかった!」
慌てて起き上がるが、かたかた震えた脚がなかなか言うことをきかない。先に立って走る直樹の革ジャンをヘッドライトが白く灼き、視界を眩く光らせた。すぐ後ろから来る重量感、耳を叩きつける轟音、追ってくる、追ってくる。
「こっち!」
直樹に続いて細い路地に飛び込んだ。一瞬だけ遅れて、俺の踵の外側をタイヤが駆け、気配を唸りで断ち切っていく。直樹はなおも走り続ける。ずきずき痛む左頬、何だか歯がぐらぐらするのは気のせいか。まっすぐ前に見えてきた路地の出口、直樹が安心したように飛び出しかける、だが。
「っっ!」
体を半身出しかけた直樹が歯を食いしばり、片目を閉じて精一杯の早さで身を引いた。ウワァン、と叫んだバイクが、直樹の髪の毛を掴もうとするように伸びた腕とともに、路地の出口の外を駆け抜けていく。あっ、と小さな悲鳴が上がって、直樹が腕を抱えて壁にもたれた。
「直樹!」
「擦っただけ」
に、と笑った顔は白い。
「囲まれちまったみたいだな」
静まり返っていた路地に、大型バイクの重い唸りが響いていた。どの方角からとも言えない、逆にどこからでも聞こえてくるような、腹を抉っていく爆音。
直樹はだらりと垂らした左腕を軽く右手で押さえている。
その袖口から一筋、赤黒い糸が下へと滴り落ちるのにはっとした。
「直樹!」
「え?」
「どこが擦っただけなんだ!」
「…ああ」
今は擦っただけさ。
「それで傷がちょっと開いて」
青ざめた頬にふてぶてしい笑みを押し上げながら、直樹は応じた。額に浮いた汗が次第に範囲を広げる。
「! 事故の、か!」
思い出した。
こいつはバイクで事故ってたのだ。
慌ててポケットを探り、一、二週間洗ってない気もするハンカチを見つけた。
「手を貸せ」
「いいよ、すぐ止まる」
「貸せったら貸せ!」
思わず怒鳴る。
どうして、この手の顔の奴はすぐ意地を張るんだろう。
(ああ、こいつは整形してたんだっけ)
そうだ、もう一人の意地っ張りは、もうとっくに。
脳裏を掠めた思考に胸が詰まった。革ジャンから腕を抜き、渋々差し出した直樹から目を伏せ、歯をくいしばる。
革ジャンの下のカッターシャツとセーターが赤黒く濡れている。セーターを脱がせ、カッターシャツの上からハンカチを縛りつける。
「痛むか?」
「慣れてっから、どうってことねえよ」
低く答え、直樹はセーターと革ジャンに手を通した。
「どうする、かなあ」
バイクの音はぐるぐると周囲を囲みつつ響き続けている。
この騒ぎを聞きつけて、警察が来てくれないだろうか。
「冗談じゃねえよ」
漏らした呟きに、じろりと直樹は俺を睨みつけた。
「あんた、俺達のやってること、わかってんのか? 法律の内か、外か、ぎりぎりのところでやってんだぜ」
「…」
そりゃそうだ。
突っ込まれるとこちらは一言もなかった。
社会的には綾野は死んでしまっているのだし、周一郎の仇討ち気分になっているのは、俺ぐらいのものだろう。
「ほんとにおかしな人だな。マジで人のことを心配するくせして、自分のことにはいい加減でさ」
皮肉めかして肩を竦めた直樹の顔色は、時折閃くバイクのライトに交互に染められ、以前より青くなってきているようだ。このままではいずれ身動き取れなくなる。いっそ、もっと派手な騒ぎになってしまえばいいのかもしれない。
(騒ぎになって、警察を呼ばずにはいられなくなるような……?)
警察に捕まって困るのはお互いさま、けれど奴らの方が早く逃げるんじゃないか?
周囲を見回して、水色のポリバケツが幾つか目についた。周囲にある飲食店のゴミをいれておく類だろう。
「おい…何を…」
生ゴミがぎっちり入ったポリバケツは結構重い。臭いを堪えて、ずるずると引きずり集めてくる。直樹の声を無視して、路地の入り口に陣取る。ポリバケツを蓋をしっかり閉めて、横に寝かせ、一方の壁がヘッドライトで照らされた矢先、力の限り道路に向かって蹴り出した。




