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俺はきっと底なしのお人好しなのだ。
何度面倒ごとに巻き込まれているのかわからないのに、どうしても放っておけなくて、やっぱり面倒ごとに首を突っ込んでしまう。
今度だってそうだ。
京都の事件で、俺は綾野に敵対する無茶を十分身にしみて知っているはずなのに、こうやってまた、『周一郎まがい』とこんなカフェで顔を突き合わせている。
「何ぶつぶつ言ってんだい? 出て来たぜ、ほら」
直樹は、くい、と親指を立てて、通りの向こう、そびえ立つビルの入り口からゆっくり階段を下りてくるスーツ姿の男を示した。紺色のリクルート風な色合いだが、生地と仕立てがそこらで見かける類じゃない。
冷ややかな視線で相手をそいつを眺めながら、直樹は、左手に煙草右手にコーヒーカップを掴んで、冷めた中身を喉に流し込んだ。
「あれが…………誰だっけ?」
頷いたものの思い出せずに尋ねると、
「あんたもたいがい物覚えが悪いな」
頭の中に詰まってるのは何だよ、スポンジか、と直樹は呆れた。
「綾野の片腕とされてる大沢夏雄じゃないか。四十七歳、大沢産業の副社長だよ」
「あのパソコンの?」
「厳密に言えば『技術屋』、ソフトの方。ハードウェアソフトウェア問わず、腕のいいやつを他業種のIT部門に派遣してる。親父の明宏が社長で締めてるから、ちょっとやそっとじゃ動かないぜ……レポート読んだろ?」
「読んだぞ、日本語はちゃんと読める」
「いや、そこが問題じゃなくて」
「ただ、頭には入ってない」
「おい」
「自慢じゃないが、一度目を通して全部理解できたら、わざわざ追試には走り回らないぞ。最低でも三回ぐらい読まないと駄目だと思う」
「……自慢してないか?」
してるよな?
直樹はやれやれ、と小さく吐息をついた。
大沢はしばらく周囲を見回していたが、やがて昼飯を食べに行く人々の中に混じり込んでのんびりと歩き出した。弾ける女性社員の華やかな笑い声に目を細め、寛容な大人の笑みを浮かべている姿は、ごく普通の『立派な』社会人に見える。
「犯罪に関係してるようには見えないなあ」
「あんたはお人好しすぎる。行こうぜ」
直樹がレシートを放って席を立つ。慌ててレシートを掴んで会計に向かう俺を顧みることもなく、すたすたと人波の中に紛れ込んでいく。
俺より背の低い、やや小柄な姿が機敏な動きで人ごみを縫っていく。
勘がいい。
まるで周囲の思惑を全て知ってでもいるように、すれ違う人間に正確に一歩ずつの隙を空けて避けていく。眺めていると、今度は逆に、周囲の思惑など知ったことではないという気配で人々の体の中を通り抜けていくような奇妙な感覚を覚えた。革ジャン姿、整った容姿、滑らかな動きはけっこう人目を引くだろうに、まるで溶けていってしまうようだ。
(こういうところが周一郎と違う)
周一郎はあの年齢にしては不似合いなサングラスのせいだけではなく、いつもどこか人の目を魅きつけるものがあった。一つ一つの動作の絵画のような華やぎと、内側から滲む静まり返った緑の水をたたえる湖のような気配が、一人の人間に共存していて、知らず知らずに人の視線を吸い込んでいく。
集団の中に居ても目立つ少年と、集団とは違う動きをしても消えていく少年。
周一郎の代わりを務められる人間などいない。
けれど、たぶん、誰でもそうなんじゃないだろうか。
誰でも、自分なりに一所懸命生きてきたなら、その存在を代行することができる他の人間なんて、いやしないんじゃないだろうか。
「あれ?」
ぼんやり考えていた俺は、ふと、前に居たはずの革ジャン姿を見失ってどきりとした。
「え」
そう言えば、いつの間にか、大沢もいなくなっている。
「ちょ、ちょっと。そりゃ…やばいよ」
うろたえて辺りを見回した。
一体いつはぐれてしまったのだろう。今の今まで、まっすぐ俺の目の前を……。




