5
「でね」
突っ込みかけた俺の気配を察したのか、お由宇は直樹を放ってくるりとこちらに向き直る。
「日本へ帰ってきたのは、フランスの方と合同の仕事に取りかかるためなの」
「へ?」
フランスの方?
「綾野の組織はトップの復活で再び蠢き始めている。放っておけば、また国家間貿易を揺さぶる被害が出てしまうでしょう。もちろん『SENS』の被害も広がる」
そうだった。単に密輸どうのこうのではなくて、薬剤がらみもあるんだった。
「だから、表立っては動けないけれど、日仏合同で壊滅しておくことにしたの」
「かいめつ?」
隣の猫が喧嘩してうるさいから、ちょっと怒ってくるわ、的な軽さで続いた内容に瞬きする。
「かいめつってあの、破壊するとか、徹底的にやるって、あれだよな? 新種の浜辺に居る生物とかじゃなくて」
「どんな生き物だよ、それ」
直樹が突っ込み、お由宇が微笑む。
「今回はいろいろな『協力者』が居てくれて」
直樹と理香に視線を送り、にっこりと笑ってから、ゆっくりと俺を振り向く。
「きっちり始末がつけられそうよ?」
「あんたは止めとけ、ドジそうだから」
直樹がにやにや笑った。
「足手まといになるぜ?」
「足手まとい…」
ああ、そうだろう、いつだって俺は、碌に何もわかっていなくて、何もできなくて、しなくていいことをしちまったり、言わなくていいことを言っちまったりする。そして、その結果、しなくちゃいけなかったことをしなかったり、伝えなくちゃいけなかったことを伝え損ねたりして……今もこんなに後悔してる。
「俺は…」
理香が妙に光る眼で俺を見据えながら、直樹の腕にすがりついてぴったり身を寄せた。きつい表情、さっきまでの手荒い言動に反して、何だかいじらしい仕草だ。黙り込んで視線を落とした直樹がぽつりと呟く。
「コイツだけは、もう狙わせたくねえんだ、オレは」
突っ張った表情が消えると、やっぱりどこか周一郎に似た寂しさが過る横顔だった。
「お由宇…」
「ん?」
「俺は何もできなかった。周一郎をほんの少しも助けてやれなかった」
コーヒーカップを両手で包んだ。
脳裏にマジシャンの死に顔、周一郎の死に顔、日記の、永久に埋められることのない白いページ、目が痛くなるほど磨き上げられた白い墓標が交錯し、重なり、また離れていく。口には出さないけれど、みんな悲しんでいる、周一郎のいない朝倉家を……それを、あいつは本当はわかってなかったんじゃないか?
目を閉じると、それらの映像の奥に、燻り続ける燠火のようなものが風を得、空気を得て、再び燃え出していくのが見えた。
願いは何だろう?
周一郎を失った俺が、今真実願っていることは?
「……それでも、俺に何かできることがあるなら」
気づくと口は勝手に先を続けていた。
「手伝わせてくれないか、お由宇」
「…そう言ってくれると思ったわ」
微笑んだお由宇は空になったカップを、俺の掌から持ち上げた。
「お代わりをいれてくるわね」
カップがなくなった掌は、まだ空間を包んでいる。
周一郎という名前の、友人を。
「…代わりなんかいない」
俺の呟きに直樹が反応した。
「次のが来るさ」
「代わりなんかいらない」
見上げた視線を受け止める相手に、繰り返す。
「俺はまだ、あいつと出会ったことを終わらせてない」
「…」
直樹は一瞬大きく目を見開いた。




