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月下魔術師 〜猫たちの時間3〜  作者: segakiyui
2.孤高一人

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10

「滝さん?」

 周一郎は正面から俺を見つめた。サングラスを通しても、その瞳に宿る深い憂いと絶望は、とても十八、九で浮かべられる凄さがあった。

「他の誰かなら、僕はむざむざ殺されはしない……でも………あなたには……」

 ぐっと眉根が寄せられた。端正な顔立ちが苦しげに歪む。閉じた瞼の睫毛が震え、深いところから声が漏れた。

「僕は死にたくはない」

(それなら『こいつ』を何とかしろよ!)

 胸の中で地団駄踏んだ。

(殴るかどうにかして病院送りにしろって!)

 俺だって嫌だ、こんな状態で訳もわからず、人殺しになるなんて。

(周一郎!)

 助けてくれ。

(周一郎っ!)

 俺の煩悶に応じるように、ふ、と周一郎は薄く目を開いた。

 風が吹き上げ、周一郎の髪をなびかせる。噛みしめていた唇に淡く血が滲んでいる。どれほどの激情と戦っていたのか、こちらを射抜くように捉えていた瞳が、急に生気を失った。

(おい?)

 背中を氷塊どころではない、もっと寒い、ぞっとしたものが滑り落ちていく。

(どこかで、これと同じ場面を)

 そっくりな、この競り上がる不安感、溢れていく、満ちていく、奇妙な確信。

 オレハコイツヲ、タスケラレナイ。

(周一郎?)

「でも……」

 甘い、とさえ言えるような声音。

 微かな笑み、今にも消え去りそうな、気弱な。

(京都)

 そうだ、あの橋の上、川面へ周一郎が呑み込まれていく一瞬前の。

(あのとき、俺は間に合わなかった)

 場面が重なる。

 仰け反り落ちる周一郎、水面にあがる飛沫、寸前綻ぶ、幻のような笑み……。

(冗談、じゃ、ね、えっ)

 俺は死にものぐるいになった、『俺』を内側から殴りつけ、ぶちのめし、淡い靄を突き抜けようともがく。

 だが。

「僕はあなたを殺人犯にしたくない」

 淡々と周一郎はことばを続けた。同時に、まるで後ろにも地面があるかのように、平然と空中へ一歩、後じさりした。

 がらっと音をたてて、周一郎の足下の岩が砕ける。

「周一郎!!!」

 俺の口を絶叫がついた。

 瞬時に靄を突き抜け、周一郎へと精一杯手を差し伸べる。

 はっとしたように、一瞬、周一郎の顔がほころんだ。いいんですか、と言いたげな、妙に痛々しい表情が空に舞う。

「っ!」

 周一郎が腕を伸ばした。俺の手を掴もうと、岩と一緒に崩れ落ちながら、こちらへ手を差し伸べる。

「くそぉっ!」

 両手を差し出す。手と手、スローモーションのように近づいていく。地面に倒れて叩きつけられ、一瞬視界が眩んだ。

「ち、いっっ!」

 強打した胸の痛みにふっと緩んだ意識の中で、這い寄ってきた『俺』を蹴り出す。微かに鈍っていた視界が晴れ渡る。

 体を伸ばす、もっと、もっとだ。

 がっ、と腹のあたりでのしかかっていた岩が崩れる。均衡を失って前へのめる。一緒に落ちるかもしれない。

(んなもん、構うか!)

 もう、二度と、あんな想いはごめんだ。

 なのに。

「…え?」

 周一郎の唇が何かを紡いだ。

「なに……?」

 もう少しで届くはずの手を、周一郎がいきなり自分の体に引き寄せて驚く。 

「ばっ…!」

 緩やかに流れていた時がいきなり加速される。

「おいっっ!」

 俺の目の前で、周一郎は見る間に黒い点となって遠ざかっていく。何が起こったのか信じられなくて見開いた目に、波が意志あるもののように大きく盛り上がり、周一郎を包み込み呑み込むのが映った。

「どう…して……?」

 落ちた?

 なぜ?

 十分に俺の手を掴める距離だった、今度は間に合った、なのに、なぜ?

「なんで…? ……っ」

 体を起こそうとして、地面についた手の下でざくり、と砕けた岩にぎょっとする。改めて気づけば、俺の体はかろうじて岩盤に乗っている状態、もう少し力が加わって岩が砕けていれば、きっと支えを失って落ちていただろう。

「まさか」

 閃光のように答えがわかった。

 周一郎の視界に、この俺の状態は見えていただろうか?

 ああ、もちろん、見えていただろう、あの全てを見通す瞳は、自分を掴んだ俺がこの後どうなるのかも、はっきり見て取っていたに違いない。

(俺も落ちると、思って…?)

 この岬を熟知していた。端に近寄れば、踵の軽い一撃で崩れるほど脆い基盤だということも。だからこそ、ここを選んだ周一郎、ならば当然。

「……どうして……お前はそう…なんだよ…」

 悔しさが募る。腹立たしさに変わり、怒りに変わる……またもや助けられなかった無力、それは周一郎と俺の、どうしても埋め切れない立ち位置の落差を思わせて。

 周一郎が俺を助けるということは、周一郎が死ぬしかないこと。

 俺か、お前か。

 そういう選択肢しかない厳しさを、俺はまた読み損なったということか?

 けど。

「どうして…一人で、決めちまうんだよ!」

 ざぶっと海が穏やかな音をたてた。

「どうしていつも!」

 俺にその才能があれば、お前を追い詰めずに済んだのか?

 俺にその覚悟があれば、お前を守ることができたのか?

 けど。

「どう、して……っっ!」

 どうして、お前はいつも、俺を対極に置くんだ。

「く…そおおおっ!」

 ざわざわと人が集まる気配も気持ちにはなく、がくがく震える体と過熱した頭が、今の俺の全てだった。


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