脳細胞のキモチ
僕は人に喜びとか楽しさを伝える脳細胞だ。
ご主人様はすごく泣き虫だった。子供の頃は転んで泣く。青春時代はドラマや小説で泣く。中年期は子供のために泣く。そして今…おじいちゃんになったら、人のために泣く。
人のために泣くって、意味わからないかな?
例えば借金返済に苦労してる仲間。少しばかりの年金をはたいて
「足しにして。大変だけど頑張れよ!」
ってさめざめと泣く。
例えば事故や病気。いいかげん体にガタがきてる仲間に力を貸したり介護したり。そうそう、現役バリバリの頃は看護士だった。
昔は看護婦ばかりだから、精神病院の看護士やってた。
脳細胞仲間に、なんでご主人様は介護士にならなかったの?って聞いたら、若いネーチャン見たかったから…って思わせといて、本当は、自分もいつかこうなるんだな…って思うとまた泣いちゃって、介護士がご老人を不安にさせるから。って。
「優しいだけじゃダメなんだよ」
先輩に言われて、ショックだったらしい。けど、競争社会に戦いを挑むような仕事は競争心の無さのためサラリーマンはダメ。
結局保育士か看護士で、保育士は女性の職場。身の置き場がなさそうでまだ男性いる所にした。それが看護士。
それじゃぁ、僕の仕事が無い。ちっとも喜んでくれない。
これじゃ商売上がったりだ!
僕は役立たずなのかな?
否!あえて言おう!笑わせると!
「ねえ、”興味”の脳細胞さん!お笑いに興味持たせてよ!笑点とか」
興味の脳細胞は抗議した
「やだよ!疲れるよ!僕の仕事が増えて”泣き”の脳細胞さんみたいに疲労困憊しちゃうよ!」
困った…確かに”泣き”の脳細胞さんは疲労困憊だ。でも、勇気を出して聞こう
「あ…あの…泣きの脳細胞さん?」
「なんじゃね?」
泣きの脳細胞さんは穏やかで優しく、賢者のようだった。
実は、ネットワークが複雑なんだ。だから初めて会った
笑いと泣きは全く別。
医学的には、感情のタイプと脳内の部屋の間取りは関係ないかもしれないけど、考え方が対局的で、繋がり低い。脳細胞から送られる感情さんにとってはシナプスという道が遠く険しい。
だから初めて会った。でも、なぜだか普通の道のりでお隣さんだった
「そなたは”笑い”の脳細胞殿か」
泣きの脳細胞さんは、更に続ける
「泣くと、おぬしは哀れんでいたのか?」
書類来て無かったことを哀れんでいた
「泣くということは、ストレス解消になる。喜びは最小限で良いのではないかね?」
仕事には、鼻歌唄って出ていった。
僕はそこで活躍してた!
だから仕事したんだ!
でも、僕気づいちゃった。僕自身は嬉しいことも楽しいことも、喜びも与えてもらってないんだ。
一番不幸なのは、疑問は浮かぶけど、感情を神様から授からなかった僕なんだ。
「それは違うぞよ」
「泣きの脳細胞さん!」
「その気持ちこそが感情じゃ!早く気がついて良かったのお」
ふと周りを見ると、皆さんフラフラ
僕のご主人様の息が止まった…
もう、終わりだね…
だからご主人様…
僕は先に行って待ちます。いつ…ま…でも…
今回は冒険作です。厳密にはシナプスの形成でネットワークが広まる脳細胞。それを一つの人格にしました。楽しんでいただけたでしょうか?