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さよならは要らない。


「結局、九朗さんはいったいなんなんですか?」


 彩音は九朗が引く大八車に乗せられていた。

 相変わらず相撲の着ぐるみで動けないのだ。脱ぎたいのは山々なのだが、一人では脱ぐ事さえ出来ない。九朗に手伝ってもらえば可能だろうが、着ぐるみの下は汗びっちょりの下着姿なのだ。さすがにありえない。


「いつの間にかあの『刀』も持っていないし、どうしたんですか?」


あの後、正気に戻った彩音の目には倒れている万右衛門と、傍に素手で立っている九朗の姿しか見えなかった。


「……捨てた」


 月を見ながら言う九朗を、半眼で見つめる。

 詳しく聞いても無駄なのだろう、その事は彩音も身に染みている。溜息を一つ吐くと、気分を入れ替えた。


「まあ、いいか。証文も取り戻したし、助けて貰ったことには違いないや。感謝してます、ありがとう!」


 徳兵衛は証文などの書類を全部出した上で、土下座をしてきた。涙を流しながら「今まで悪どくしてきていた事は全て償います!」と訴えかけてきた。すごい変わり様である。

 今にして思うと、月の光が部屋を満たしてからは夢うつつだった。あの時、彩音の心には昔の悪戯した記憶などがめぐっていた。徳兵衛の心にも何か影響があったのかも知れない。

 彩音の感謝に、九朗は静かにうなずく事で答える。その事で九郎の肩まである髪が揺れ、それを見て彩音は叫んだ。

 

「ああ! 髪とひげだ! どうして切って来たの! 普段むさくしてたのは、額のアザが嫌で隠してたと思っていたんだけど?」


「……必要があったから。……アザはどうでもいい」


相変わらず質問に対する九郎の言葉は少ない。


「じゃあ、誰か知り合いに追いかけられているから変装のつもりで伸ばしてた、とか? だとしたら、名前適当すぎない? 幻九朗が九朗? ごまかしてないじゃない!」


「……名前は、変えると、呼ばれても分からなくなる」


 九朗は「追いかけられている」と部分は否定しなかった。大吉が九朗を指して、わけあり、と言っていたことを彩音は思い出す。自分から言わないという事は、言いたくない事なのだろう。そう彩音は結論づけた。

 

「そういえば、あの『侍』は死んじゃったの?」


「……いや、心を斬ったのだ。『朧月(おぼろづき)』は人の心を斬る『刀』。あやつの心を縛りつけていたしがらみを斬った。これからは強さ弱さに振り回されることもなく、普通の人として生きていけるだろう。永遠にとどまる霞はない。朧月(おぼろづき)の霞は晴れるものなのだ。菊五郎の遺言とは……そういうことだった」


 九郎が長くしゃべった! 驚き目を丸くする彩音。

 しかも何か良いことを言っている気がする。良く見ると九郎の口元がかすかに上がっている。もしかしたら微笑んでいるのかもしれない。


「だけどそれってすごく大変だよ。あちこちで恨みも買っているだろうし、親父さんだって今回のことは相当腹に据えかねてるだろうから、何かしらの落とし前は必要だと思うし……。ねえ、知ってる? 『刀』を持っていない『侍』はただのカモだ、って」


 彩音の口調は暗い。現実は綺麗事では収まらないのだ。一度悪事を犯した者が更生できる可能性は低い。いくら心を入れ替えたと言っても、社会がそれを許さないのだ。


「……それが『刀』を持つということ。……『侍』の宿業だ」


「……自業自得とはいえなんか可哀想」


 万右衛門に同情する彩音。大吉には同情は安易にするなと言われていたが、納得はしていなかった。辛そうな人を辛いだろうなと思ったり、可哀想な人を可哀想と思う。それは素直で普通な事だろう。大吉は不満げな彩音に「長生きしたら分かるさ」と言ってそれっきりその話をすることはなかった。

 ガタガタと大八車が揺れ、彩音の腰の『刀』も音を立てる。


「……ところでこの『刀』どうしよう? もう、呪われているようにしか思えないんだけど?」


 何故か自分の腰に差されているーー正確には着ぐるみのビキニパンツに挟まれているーー『刀』を彩音は気味悪そうに見た。放っておきたかったのが本音だが、こんな危険な物を放置するわけにはいかないだろう。万右衛門の人生も、この『刀』で狂わされたようなものだ。さりとて、こんな物を手元には置いておきたくない。もちろん誰かに譲るわけにもいかないだろう。

そんなときには?


「……捨てればいい」 


「おいっ!」


 やはりこいつは違う、彩音は思った。


「九朗さんは、捨てた『刀』が拾った人の人生を狂わせるとか考えないの?」


「……それもまた運命。……なかには、そうして『刀』を拾い、のちのち立派な『侍』となった者もいる」


 妙に説得力のある話し方だ。話しぶりから推測するに、九朗は相当『侍』や『刀』の知識を持っている。


ーー色んな事を知っているみたいだけど、何処で学んできたんだろう? というか、そもそも歳はいくつなんだろう?


 思えば九朗は髪やひげのせいで、年齢不詳だった。いま改めて九朗の顔を見て判断すると、二十代後半から三十代前半くらいだろうか。だが、大吉のように還暦を過ぎていても四十代に見える例もある。


「ねえ、歳はいくつなの?」


 彩音の質問に、九朗は大八車を引くのを止めて腕を組んで考え始めた。もう夜が明けようとしている。着ぐるみで火照った彩音の顔を、風が撫でていくのが気持ちよかった。そのまま、時間が立つ。九朗さんはゼンマイが切れたのかな? と彩音が心配をし始めた頃にようやく九朗が返事をした。


「……忘れた」


「長い事考え込んで、それかい!」


 何事もなかったように大八車を引き始める九朗に、彩音は吠えた。


「九朗さんは本~当に、朧月(おぼろづき)って名前がピッタリだね! ぼやけていて、とらえどころがなくて、何を考えているのか分からない!」


「……そうか?」


 意外そうな口調で答える九朗。


ーー悔しいから言わないけど、綺麗なところも朧月(おぼろづき)って名前にピッタリだ!


 九朗が万右衛門と対峙する前にしてくれた微笑みを思い出す。あの顔は本当に綺麗だった。人の顔に()()()()なんて生まれて初めての経験をした。思い出すだけで顔まで赤くなってしまう。誤魔化すためについ強い口調で話しかける。


「九朗さんは無口だから、駄目なんだよ! 少なくとも、普段から思っている事をしゃべってたらいい! そしたら、何を考えているか分からないなんてことはないもん!」


「……なるほど」


 うなずく九朗を見て、彩音はホッとした。これで九朗とぐっと付き合いやすくなるだろう。


「ほら、試しに言ってみて。いま何を思っているの?」


「……旅に出る」


「えっ!?」


ーー失敗した! 思っている事をしゃべらせても、何を考えているのか分からない!


「旅に出るって、何で!?」


「……菊五郎の墓を作ってやろうと思う」


 どうして最初にここまで言ってくれないの? それに、墓を作ってやろうなど、こういうところは普通なのにいったいどこでずれるんだろう、と彩音は思った。


「九朗さんはこういうところは普通なのに、いったいどこでずれるの?」


 直接聞いてみた。


 すると九朗は空を指差し、沈みかけてる月を指差した。


 確かにいま()()()。それだけは分かった。


「だけど、旅に出るのか。残念だなぁ! 九朗さんといると結構面白かったのに!」


 それは彩音の偽りある本心である。もちろん、九朗といて面白く感じたこともあったし、顔は好みであるのも確か。だが、あまりにも九朗は宇宙人過ぎる。分かり安く言うなら異世界人だ。ずっとは流石に付き合いきれない。

 しかしこれで別れならば、一つ常識人の見本を見せてやろうと思う。社交辞令というやつを。


「こうして、大八車に揺られていると、旅もいいかもとか思ったりするなぁ!」 


「……そうか、良かった」


「この、のどかな風景とかもいいね! あ、あの山から、ちょうど日の出がみえるかな?」


「……そうだな」


 言っているそばから、朝日が山の間から顔をのぞかせる。もう完全に朝だ。


ーーって、おかしくない?


 門黒屋と茶屋は、離れているとはいえ大通り沿いにあるのだ。こんなに移動に時間がかかるハズなどない。

 彩音は何とか顔だけでも振り返ってみる。

 そこには、だんだんと遠ざかっていく町のすがたがあった。


「何で! どうして! ちょっと、待ってよ! どこいくの!」


「……旅にでる」


「ちょっと、旅に出るっていっても家で準備とかしないの! お金は!」


「……『刀』を売る」


「質屋が引き取ってくれるわけないでしょ! 『弱肉強食の御触れ』がどうやって出来たか知らないの!?」


「……着ぐるみを売る」


「私の汗が染み込んだ着ぐるみなんて、売れるわけないでしょ! こんなの買い取るなんて変態しかいないわよ!」


「……」


「私を指差してどうするつもりなのよ! 馬鹿!」


「……安心しろ、当てはある」


「安心できるかーー! 確かに私は旅もいいかもとかいったけど! そうじゃない! そうじゃないのーー!」


 そういいながら暴れる彩音に、不思議そうな顔をして九朗は言った。



「一生、なんでもするんだろ?」



 彩音の不運は、本当に終わってはいなかったのである。





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