三箇月早く生まれた特殊個体の俺は、娯楽の申し子でした。
どうも皆さんこんばんは。毎度おなじみ、吹けば時空の彼方まで飛ぶような軽さの文章の規格GUY、ぷちミントです。
初の形式の書き物なので、勝手が分からず 文体が定まっておりませんが、まあ ぬめーっとした生暖かい視線でごらんいただけると幸いでございます。
俺の妊娠がわかった。半年ごろまでは順調に育っていたらしいです。
兄が元々ちょっと早く生まれたので、早く生まれる可能性があると医者から言われてて、子宮口を縛る手術を勧められたそうです。
そんな手術あるのか、と感心しつつ聴いてますと。兄の世話の手配など いろいろ決めないといけないことがあって悩んでたら、それなら なるべく安静にしてること、と先生が譲歩してくれたそうです。
父上のなにもしなさと、俺すらひくような自己中っぷりへの不満を愚痴りつつ続きます。そういう不満ばっかり芋づる式に出て来るから、どこまで話したものか、と考えてました。
ので、その辺は俺が隠すから続きを、と促して続きを聞く息子の図。別に赤裸々に書いたところでどこの誰かなんてわからんのになぁ、と思いつつ。
こんなギャイギャイするばっかりの二人(表現は脚色)じゃ子供がかわいそうだろうと思って、子供産まない方がいいんじゃないか と母上は思ったそうですが、父上がほしがってたそうです。
夜中に破水し病院に行って、即座に入院。小雨が降る日曜日の朝、外を眺めながら「今日は国政選挙だなぁ」と考えてた時に、急激な陣痛が来て俺が生まれたそうです。これはちょこちょこ聴いてる話でしたが、案外となにもない時はそんなもんなんでしょうかね?
で、ジャスト三箇月早く生まれてしまった俺は、ずっと|ICU(集中治療室)におり、その状態でもいろいろあったんだそうで。
体内生活の時に開いてる必要があった動脈弁が開きっぱなしで、閉じる手術をしても、生存確率50%だと言われてたらしいです。
ICUの様々な子供たちを見て、心配になったりしてたらしく 不安だったようで。一般病棟にいてもおかしくないような赤ちゃんでもICUにいたり 駄目だった子がいたり、いろいろだったんだとか。小さかった俺なので余計不安だったんでしょうね。
しかしまったく手術の話をしない先生に訊いたら 自然に閉じてしまったとのことで、「いやー、生命力が強いですよ」と言われたそうな。不安なんだからそこは告知しろよ先生、とその話を聞くたんびに思うわたしです。
命の危機はこれだけにとどまらず。気胸を起こして空気を抜くためにチューブを入れたらしく、胸からかかとから頭から 俺の各所にはその時のチューブの跡がしっかりと残ってますし。
他 そのせいで肺がないような見た目で、皮のすぐ奥が肋骨ってぐらい胸 腹に比べてそこだけ薄いんですよね。まあ他の人がどういうふくらみ具合なのかわかんないんですけど。
母乳推奨派だった病院から、毎日母乳を届けるよう言われてたらしいです。で、そんなこんな三箇月後、ちょうど誕生予定日に 一般病棟、他の新生児たちと同じ場所に移されたそうです。
ああ、やっぱりしっかり入ってないといけないんだなぁ(体内に)、と母上は思ったそうです。ありがたいことに、そんな生まれ方した俺は、おかしい部分が視覚のみで済んでくれました。母上もその辺は感慨深い様子で語ってましたね。
まともな赤ん坊になって暫くのこと。誕生日を迎える前に肺炎になりそうになって死にかけ、一日三 四回薬を飲む生活を、俺はしてたらしいです。
……どんだけ生死の境、さまよいまくってんだ一歳未満の俺?
そんなんだから霊感めいた現象にそこそこ遭遇するんかなぁ? 近くにいたから的な。
これは母上ではなく 叔母が見た光景なんだそうですが。母方の祖父が入院中に俺といっしょに寝てた時、俺の手と自分の指を握手させていたそうで、
叔母はこれで橋渡しが終わったんだな、と思ったそうで。母上がトイレに行ってる隙に起きた命の橋渡しだったそうです。
そして俺が十箇月のころに、俺と競うように入退院をくりかえしていた母方の祖父は亡くなったそうです。
一箇月検診に行くたんびに大きくなる俺に、医者がびっくりしていたそうな。真偽はわかんないですが、10cmぐらいずつでかくなってったらしく、もう赤ちゃんとは呼べませんね とかコメントしたそうな。そして赤ちゃんころから足だけはでかかったらしい。
後冗談みたいな話として一ネタ。俺はハイハイする時、仰向けでハイハイすることが多かったそうです。絵面を思い浮かべると自分で吹く、なんだ仰向けって? 逆にやりづらいだろ?
でもビデオにおさめたいのに 録画してるとやらなかったそうです。俺はどうやら昔から、自分とわかる状態でかわったところを保存されるのがいやだったようだ。赤ちゃん時代からとか揺るがなすぎる……。
おまけで。なんで娯楽の申し子なのか。俺が誕生して二週間ほど後にかのファミコンが発売されました。それを知った時、母上から「○○(本名)はファミコンの申し子だ」と評されました。
更に誕生予定日は、国民的RPGのドラゴンの方の、嫁を天空に助けに行く奴の初代版発売日でした。これを思い返すと、なんだか運命的な物を感じてしまう厨二心溢れるわたし。
それならゲームの申し子でいいだろ、とお思いでしょうがそれがそうでもないのです。それは、T京Dズニーリゾートとも同い年で、更には今大人気の声優さんに同い年が何人かいますからです。
面子は「俺がガンダム」だったり「ぼくと契約して魔法少女になってほし」かったり、「いつもあなたの隣にニコニコと這い寄」ってたりと豪華。俺がガンダムさんに至っては誕生月まで一緒と言う。知ってびっくりしたのは言うまでもない。
誕生予定日は同い年ではないですが、某運命偽典のアストルフォ君の人の誕生日です。アストルフォ君大好きなので、知って密かに喜ぶオタクの姿があったとかなかったとか。
さて。ちょいと妊娠出産からは離れてしまいましたが。以上が、母上から聞いた俺が生まれるまでと生まれてからの一年ほどのエピソードでした。
他の皆さんは体験記ってことで、もっと上手にまとめて もっと心に来る物を描かれているので、聞いたことをほぼ丸写ししただけのインタビューみたいな内容で、連なっててもいいんだろうかと思いますが。
このために母上に話を聞いたんだし、と言うことで ここに残しておこうと思います。
最後に。未来のお母さまお父さま方、特にお父さま方へ。
お母さまになる相方には優しくしてあげてください。
特に身重の体に自己中な理由でぶち切れてはいけないと思います。いや、身重関係ないけど。
そして胎児たちよ。
焦るな。焦っても生まれる前から母上様に心配と不安を与えるだけだ。三箇月も前に出て来た俺が言うんだから間違いない。
動けないその空間は、窮屈で我慢ならんかもしれんが。光を抱えた時に、その全てをあますことなく受け止められる身体であるのは、その場の全てを幸せにする。
ゆっくりと己の形を母の中で育てるのだ。
……誰だこれ?
こんな生まれた時からの未熟者(物理)ですが、皆さんの心になにか 小波程度でも起こせればいいなと思っています。
ご清聴、ご読了、ありがとうございました。