立つ鳥跡を濁さず 水鳥の事です 丘の鳥をディスる言葉ではありません
猿たちと戯れ、塩や保存食を作り、修行や装備の補修をしながら約一か月、秘境での生活は瞬く間に過ぎて行った。猿たちに囲まれる日々は楽しかったが、楽なものじゃなかった。作った塩や保存食をつまみ食いされ、装備を弄られ、髪を引っ張られ、筋トレをしていれば組付かれ、…楽なものじゃなかった。
何度かこの楽園にも襲撃者が来たが、幸いにも影虎の様な強敵でもなく。残念ながら魔石は取れなかったが俺のいい修行相手にはなった。塩のある生活はやはり魔力の消費を抑えてくれたのだろう、日に日に身体の調子が良くなっていく。超人とは言わないまでも、野人と名乗れるくらいには力強くなった。名乗らないし名乗りたくはないが、このままでは俺はターザンだ。そうすればヒロインから来てくれるかな?
しかし俺は野性を手に入れたいのではない、欲しいのは人の技だ。肉体の強化には限界があるだろう、魔力があれば何処まででも強くなれるわけじゃない。これは魔法ではない、魔力と肉体の作用だ。影虎の様な爆発する生命力は感じない。なら、魔法を使えない俺は人間にしか出来ない技で対抗するしかない。ナマケマジロの盾を持ち、嘴の槍と爪の鉈を構え、日本で見た映像を思い出しながら振るい続ける日々だ。しかし出来れば罠で仕留めたい…危険なのは御免だ。
そうこうしている内に、段々と寒さが和らいで来た。冬が春に追われ始めた。……旅立たなくてはならない。冬は別れの季節だ。
「………ごねんな。俺、行かなきゃいけないんだ。お別れだ」
「「「…ウキャ?」」」
悲しい事だが、猿は友、ヒロインは嫁だ。なら嫁を選ぶだろう?
しかし、奴等は風呂友で恩人で俺の仲間だ。こいつ等との日々は異世界へ来て初めて、心から笑えた時間だった。もう二度と会う事が出来なくとも、それは変わらない。
「元気でな~~!!」
「「「ききっ!」」」
まだ雪の積もる山林に手を大きく振り上げた。………あいつ等、野性を忘れてないよな? 火が無い生活に戻れればいいんだけど。
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『猿の秘境』は広い。俺は温泉近くでしか過ごしていなかったが、そんな狭い地域ではない。切り立つ岩山と、その間を縦横無尽に奔る渓谷、それに寄り添う山林。それがなだらかに、時に険しく下へ上へ続いている。そして今、少しずつ溶け始めた雪や氷が、優美な渓谷を力強く変えようとしている。もうカエルも流れていない。
そんな中を歩く俺に、厄介な奴が襲い掛かって来る。空からの襲撃者だ。
「!? っ!!?」
その存在を感じた瞬間、盾を眼前へ構えて跪く。声を上げる暇などない。身体中に力を溜めて押し負けないように踏ん張りを効かせる。そうすれば、スタートの合図も待てないフライング上等な特攻が激しく盾を打ち据える!
「――――ッ!!」
「ぐうっ!!?」
衝撃に顔を顰める、盾が額にぶち当たる。ガツンッ!! と激しい音を残して後ろへ流れていく羽ばたきは、すぐに聞こえなくなった。痺れる腕を押さえて振り返れば空高くに消えてゆく黒い影。
素早い、一瞬の犯行だ。「あ~ばよっ! とっ〇ぁ~ん!」とセリフでも決めないのなら、ヤツなんてスクーターに跨った只の引ったくり犯だ。しかし奴は盗人ではない、卑劣なひき逃げ野郎で凶悪な通り魔だ。楽園を襲った猿たちの天敵、人間の子供程もあるデカい鷹、いやハヤブサかもしれない。空の狩人だなんて呼びたくはない、俺はヤツを許しはしない。
難敵だ。感知の外から、一瞬で150m以上を翔るスピード。激突も厭わない頑丈さ。盾には浅くだがしっかりと掴み掛った鋭い爪痕が刻まれている。逃げ足も速い。ヤツは獲物を攫う強奪者だ。空へ消える友の姿を見送るしかなかった時の想いを、忘れた事は無い。しかし今回ヤツは獲り損ねた、また必ず戻って来る。俺は美味しい獲物だろう? わざわざ森から出て、のこのこ一人で目立つ場所を歩いているのだから。
「さあ来いっ!! 焼き鳥にしてやる!!」
盾を掲げ身を隠し、その横に槍を添えて突き出す。角兎作戦だ、突っ込んで来たなら今度はお前が喰われる番だ。
空を黒い点が泳いでいる。サメの様に獲物を恐怖で甚振るつもりか、俺の周囲をグルグルと舌なめずりして見下している。悪趣味な、今すぐその羽毟ってやる!
「――――ッ!」
泳ぎが止まった、いや点が描く線が、感じるはずのない殺意で俺とヤツとを繋げたのだ。互いの視線が互いに獲物を狙う目で一直線に結ばれた。
(来るっ!)
一体どれ程の距離を離れて飛んでいたのか分からないが、空の点が点でなくなるは本当に瞬きの間だ。突撃を感じ身構える俺を待たず、ヤツは感知を突破した!
「――――――ッ!!」
命の光の爆発と風を切る音は、捉えた瞬間に俺の認識を置き去りにして目の前に現れた。大きく広がる翼が視界を覆う、命を刈り取ろうと突き出された鍵爪は死神の鎌だ。魔法なのだろう、一瞬で距離を詰め一瞬で大きく減速したヤツは、まるで時を操る魔術師だ。目に映るヤツの動きはコマ送りで、そうとは見えない威力のストンピングキックを仕掛けて来た。
勿論そんな事は分かっていた。分かってはいたが――速過ぎた。気が付いたら構えた槍は何処にもなく、俺は地面に叩きつけられていた。
「っ!? …がはっ!!?」
「ピィーーーーーーッ!」
一体何が起きたのか、背中から倒れる地面の上で痛みに悶える。見上げる空には響く甲高い声と黒い影。それは勝敗の分かりやすい構図だった。
(…あぁ、くそ! あのクレイジー野郎がぁ!!)
ヤツは今まで本気じゃなかった。感知で気配を見失うなど初めての経験だ、タイミングが掴めない。攻撃の重さも段違いだ、熊坊やよりもまともな技をかましてくれた。しかし殆んどライ〇ーキックだ、ヒーロー技なんて馬鹿にするにも程がある。
今の俺は舞台で踊る悪者役だ。観客一人見てない中でのヒーローショーで、貰ったものは嘲笑だった。しかし命がギャラの歓声なんて欲しくはない、体を張るのはお前の笑いを取る為じゃない!
痛みのひりつく背と頭を丸めながら、ヨタヨタと起き上がる。ふらつきながらも立ち上がれば、額を暖かなものが流れていく。地面に落ちゆくそれは、真っ赤な血だ―――
「―――許さねぇ……」
静かな呟きが、腹の底から零れ出た。腰から鉈を抜く、憎悪の瞳で空を睨む。そこにはまたもグルグルと回り始めたクソ野郎の姿がある。
さあ来い、第二回戦だ。
槍は便利な武器だが、やはり盾で戦うには十全には使えない。それに突き刺しですらヤツは捉えられなかった。構えた所に突っ込むバカはいないか。初心に帰ろう、角兎作戦は破棄だ。
俺の戦術は今も変わらず防御ありきだ。『悲痛の森』の素材は外の世界でも一級品だ、簡単には破れはしない。負けるとすれば、それは俺が攻撃に耐えられないからだ。痛撃を与えられないからだ。だからといって飛び込む事しか能のない鳥に敗れてたまるか!
「――――――ッ!」
腰を落とし盾を構える俺に、ヤツが突っ込んで来る。このままでは前回と同じだ。更に腰を落とす、右足を後ろへ引き半身に、鉈を持つ右手を左手に構える盾に添える。先ずは奴の突進を…受け止める! その気合と共に身体を前に押し出した。
――ズドンッ!!
「ぐうぅ!!?」
「ピィィッ!?」
盾に奔る衝撃、足が地面を擦り、体が後ろへ押し出される。それを感じながらも、目の前で盾に掴み掛るヤツの姿から決して目を離さない。激突の瞬間にはヤツの顔は目の前に、盾を挟んで互いに睨み合っていた。歯を食いしばる俺の前で嘴を開き、威嚇なのか驚愕なのか分からない叫びが耳を打つ。
その邂逅は一瞬だ、ヤツは直ぐに逃げを打とうとする。羽ばたき一つで軽く空へ舞い上がるだろう。
だがしかし、何の為に盾の裏に鉈を構えていたと思ってる!
俺はヤツの目を睨みつけたまま、盾の上から覗くヤツの首めがけて、下から静かに鉈を薙ぎ払った。
………。
構えを解いて血を拭い、地に落ちた仇敵を見つめる。…終わってしまえば呆気ない最期だった。
(―――これで猿たちも少しは安全に暮らせるだろう)
仇はとった。……だが、失われた猿の命も、俺の頭の傷の毛根も、もう戻っては来ない。
弱肉強食は世の習いだ。俺のした事は自然からすればバランスを崩す余計なお世話だ。喰うも喰われるもそれなりになければ自然は回らない。
しかし復讐は人の業だ。危険を冒してまでそれを選んだ俺は、やはり野性では生きられない。
また空に舞い始めた雪の中を、俺は文明を目指して歩き出した。
………。
――こうして、空の覇者、フライングマッハクライムクレイジーヘアハンターシャークライダーイーグルは討たれた。
俺はヤツの名を忘れるだろう。恨みはいつまでも持ち続けるべきものじゃない……。




