春の足音 これって擬人化ですか?
俺は今、クマと戦っている。
多分熊だ。たとえ四本足で走っているのにその他に腕が二本あってアクロバティックに踵落としとかしてきても、全体的には熊だ。救いは子熊サイズな事か。親は何処だ?
いないと思っていた大型の動物は全滅したわけではなかったわけだ。死んでしまった動物たちは結構な数がいた。あれ等を養っていた『普通の森』は、相当に広いはずだ。
それが飢えて、追い立てられて『悲痛の森』に来たのだとしたら、そうじゃない連中もいるのは当然だった。
俺が湖畔で修行を終えて休んでいると、カブト虫みたいな一本角を生やした鹿モドキが湖にやって来た。美味しそうに水を飲む姿を、俺は微笑んで観察していたわけだが、そのひと時をぶち壊してくれたのがこの熊野郎だ! …いや坊やか?
その熊坊やはカブト鹿を後ろから襲撃し、後ろ蹴りで撃退されてしまう。カブト鹿に感嘆を、そして熊坊やザマァ、と思っているとヤツは逃げ去ったカブト鹿からこちらに標的を変えて襲って来たのだ。
そんな訳で、俺は今、クマと戦っていると言ったな! あれは嘘だ!!
「こんなん熊じゃねーだろ!!」
「グオォォ~~~!!」
勿論、坊や扱いも撤回だ。
俺は今、森の中を逃げ回っている。
熊モドキは四本の足で駆けながらも、肩から上に生えた二本の腕で右へ左へと薙ぎ払ってくる。力いっぱい振りかぶるせいで、腕を薙ぐたびに体が流されているが走りは止まらない。
俺は自分の感知の感覚だけを頼りに、後ろも見ずに振りに合わせて左右に避ける。
子熊といっても子供じゃない、成体じゃないだけだ。大きさは俺と変わらないだろう。そんなヤツに殴られたら一発で昇天だ。
俺は覚悟を決める、修行の成果を見せてやる!!ヤツの突進に合わせて目の前の大木へ大きく飛び上がる!三角飛びだ!!木を目の前に驚愕の顔で急ブレーキを掛けるヤツを俺は宙返りしながらほくそ笑む。かかったな!華麗な着地からの脳天突きだっ!!
―――という展開を出来るわけもなく。俺が出来たらいいなぁと妄想していると、熊モドキから必殺の意思を感じた。
これは、あの技だ! プロレスで見た………アノ技だ!!
ヤツは一度大きく踏み切って自由な二本の腕を地面に叩き付ける。そしてその勢いのまま前方宙返りを決める! そこからの両足、いや四本足踵落としだ!!
「グフンッ!!」
「っ!!?」
必死の思いで叫びも上げられずに横に飛び転げ避ける。
ズドンッ! という地響きの音に振り返れば、四本足を前に投げ出して、まるでクマのお人形のような格好で座るクマ坊やがいる。…両腕はバンザイだ。
(…ファンタジーじゃなくて、コミックの世界だろこれ。)
…こんなのはプロレス技じゃないな。勘違いだった。
兎に角チャンスは今だ。俺は脱兎のごとくキャンプへと駆け出した。
少しの時間を稼げた隙に湖畔へ戻り、荷物を漁る。取り出したモノは太い網だ。
熊モドキが駆けてくるのを確認すると、網を地面に大きく広げて俺も駆け出す。網の端を持ったままだ。
すぐに追いついて来た熊モドキは網に足を取られて派手に転げる。グルグルと転がって来る熊モドキと網に俺も引っ掛けられて転げてしまう。
しかし、不意を突かれたヤツと状況を理解していた俺では次の立ち上がりが違う。痛む身体に鞭を打って倒れた熊モドキに飛び掛かり、毒ナイフを突き刺した。
………
……
…
「…ふぅ~っ」
薄暗闇の、まだ僅かに端に朱の残る空を見上げながら、ゆったりと風呂に浸かる。
この風呂はなかなかの力作だ。力技、という意味で。太い木を切り倒し、重い丸太を引き摺って、キツツキみたいにコンコンと削り続けてようやく出来た自慢の丸太風呂だ。自慢できる相手が居ないのが残念でならない。
(今日は危なかった…)
本当に不意の襲撃だった。感知の距離は100m近いが、見通しが良ければあまり意味がない。
しばらくの休息で気が緩んでいたようだ。擦り剝いた掌が、ジクジク痛む。
温くなった湯に追加で焼けた石を落とす。ジュワっと音を鳴らし沈む石とパチッと弾ける焚火の音、そして遠くからのパキパキメキ……ズズーン! と響く音。
「…ふぅ、なるほど」
なるほど。そうか、そういう事か。俺は納得がいった。昼間の連中は、また追い立てられて来たのだろうと予想がついた。
俺は遠くの空に突き出る山を見やる。またパキッ、とかミシッ、という音が聞こえてくる。今度は少し近いか?
それはここに来てから度々聞こえてくる耳慣れた音だ。
(うーん。春まで待ってくれないかなぁ…)
あまり期待できない希望を抱きながら風呂から上がる。寒さに震えながら体を拭き、服を着こむ。もはやモフモフの毛皮を羽織る事に何の疑問も感じない。
今日も夕食は魚だ。魚の丸焼きと魚の丸焼きだ。煮物は諦めた、美味くするには手間がかかり過ぎる。ここには文明の光は射さない。
「…お休みなさい」
あ~、布団で寝たい。
………
……
…
翌朝、透き通るような朝日に晒される山は――禿げていた。
(…寒そうだ)




