40.オウガの弟
急いで会社へと向かえば、オウガとは入れ違いになったようだ。
マンションの部屋に戻っているかもしれないと急ぐ。
合鍵でドアを開ければ、そこにはいつものオウガの部屋があった。
白と黒でまとめられた、オシャレでモダンな部屋。
廊下の先で、オウガが誰かと話しているのが見えた。
オウガは出会ったときのような民族衣装を着ていた。
その背中には竜のような翼があり、尻尾まである。
「オウガっ!」
走った勢いのまま、その背中に抱きつく。
少しよろけたけれど、オウガは振り返って、私の体をしっかりと受け止めてくれた。
「メイコ!? なんでここにいるんだ!? 今日は会社のはずだろ!」
久々に声を聞いたなと思えば、涙が勝手に目尻から流れていく。
「っ、バカ! オウガのバカ! 何で勝手に……いなくなったりするの!」
「落ち着けメイコ。一体、なんのことだ……?」
オウガときたら、この場にきてとぼけている。
しらばっくれて、また私の前からいなくなるつもりなのかもしれない。
絶対逃がさないというように、オウガを抱きしめる腕に力をこめた。
「どこにもいかないで。いなくならないで! オウガがいないと寂しくて、苦しくて……死んじゃいそうになるから……何度だって謝るし、悪いところがあったら直すよ。何でもするから……側にいてよ……」
嗚咽混じりに、精一杯の気持ちを伝える。
最後のほうは、声にすらなってなかった。
何を今更と思われるのが怖くて、オウガの顔が見られなかった。
散々焦らして、気持ちに応えずにはぐらかして。
いなくなってからしか、気持ちに気づかない鈍感な女なんて――オウガはもう嫌いになったのかもしれない。
「メイコ……顔上げろ」
オウガに優しく言われたけれど、首を嫌々と横に振る。
今の顔は情けなくて、とても見せられたものじゃなかった。
「久々なんだ。メイコの顔が見たい」
お願いするように言われてしまうと拒めなくて。
ゆっくりとオウガの顔を見る。
私と目が合うと、ふっと優しく微笑んだ。
「涙でぐしゃぐしゃだ……それに、やつれたな」
親指の腹で、オウガが涙を拭ってくれる。
ずっと胸にあった不安や恐怖が、嘘のように溶けて消えていく。
私……オウガに会いたくて仕方なかったんだな。
会えばそのことに嫌でも気づく。
オウガの体温に、安らぐ自分を感じた。
「オウガは……角が生えたんだね。羽と尻尾まである」
オウガの頭には羊のようなくるくるとした角。
背中には黒い翼と、お尻からはトカゲのような尻尾が生えていた。
そっと翼に触れれば、本物のような質感で動く。
翼の生えている背中の皮膚を触れば、これがおもちゃなんかじゃなくオウガの体の一部なんだとわかった。
「こっちが……元々の姿なんだ。怖いか?」
「ううん。似合ってる」
素直な感想を口にしたら、オウガがくしゃりと顔を歪めて、私を抱きしめた。
顔を私の肩あたりに埋め、泣いてるみたいだ。
「何で……オウガまで泣いてるの?」
「受け入れて……もらえないんじゃないかと、思ってたんだ。人間じゃないってわかったら、メイコがオレから離れていくかもしれないって、怖かった」
オウガが私に知られたくなかったことは、どうやらこれだったらしい。
「驚きはしたけど、そんなことで私がオウガを嫌いになるわけないでしょ」
「……そうだな」
涙の余韻ででしゃくりあげながら言えば、オウガが嬉しそうな声を出す。
ゆっくりと私から体を離し、服の裾で涙を拭ってくれた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「弟を……探しに行ってただけ?」
「そうだ。しばらく留守にするって、メールは送っただろ?」
いきなり私の前から消えた理由を尋ねれば、オウガがそんなことを言った。
「でも……部屋が引っ越ししたみたいになくなってて……!」
「この部屋、普通の部屋じゃないんだ。簡単に言うと、オレの一族が作り出せる異空間っていう特別な空間で……オレの近くにしか存在できないんだよ」
戸惑う私の目の前で、オウガが指を弾く。
そこにあったソファーやテレビ、絨毯が消えて……私が見たマンションの部屋になる。
何もないフローリングがそこにあった。
「マンションの部屋を借りて、オレの異空間に繋げてたんだ。向こうに戻る間は部屋を保てないし、びっくりさせないよう、しばらくオレの部屋に来るなってメールした」
「言葉が足りないよ、オウガ。部屋を引き払って、国に帰ったのかと思った……」
何て人騒がせな。
前日までオウガの部屋は存在していたからこそ、衝撃が大きかった。
いきなりいなくなるほどに、オウガを傷つけてしまっていたのかと愕然とした。
こっちが……どれだけ落ち込んだと思っているのか。
「どうして最初から、弟を探しにいくから会社を休むって……言ってくれなかったの」
「行方不明の弟を探しにいくから、しばらく帰ってこない。オレがそう言ったら、メイコはどう思う?」
「……オウガが私のせいで、思いつめちゃったのかなって思う」
オウガは双子の弟さんを失って、生きるのに疲れ、ここにきていた。
弟は、死んだも同然の行方不明。自分から死を選んだようなもの。
そう言ったときのオウガが、暗い瞳をしていたのをよく覚えている。
「うまく説明できる気がしなかったし、そういうつもりじゃないのに、メイコをこれ以上脅すようなマネは避けたかったんだ」
それに、とオウガは続ける。
「メイコから離れて、頭を冷やそうと思った。オレがいなくなって、メイコは清々してるんだろうなって考えては落ち込んでたんだ。まさか、寂しがってくれるなんて……思いもしなかった」
直前に、私が突き放したことが堪えていたらしい。
オウガは嬉しい誤算だというように、頬が緩みっぱなしだった。
大袈裟に泣きついてしまったことが、今更恥ずかしくなってきて、オウガから目をそらす。
そこには私達以外に、知らない男の人がいた。
「もしかして……そっちの人が弟さん?」
さきほどから、気まずそうに私達の横に立っている男の人がいた。
赤い髪に金色の瞳で、二十代前半くらいのイケメン。
オウガと同じ羊のような角があり、色違いの赤い翼と尻尾があった。
「はじめまして。オーガストの双子の弟で、イクシスだ」
「どうもご丁寧に。朝倉メイコです」
自己紹介されたので、こちらも挨拶を返す。
彼のことを、私はつい最近見たことがあった。
「オウガ、イクシスさんって……あのゲームに出てくる、竜のヒースにそっくりなんだけど」
弟にそっくりだとオウガは言っていたけど、ここまでだなんて思わなかった。
「あぁ、本人だからな。あのゲーム『黄昏の王冠』と『黎明の剣』は、オレの住んでた異世界が舞台の話しなんだ」
「ええっ!? どういうこと!?」
驚く私に、オウガが説明をしてくれる。
オウガはそもそも、別の世界から日本にやってきたようだ。
その世界というのが、私のはまっている乙女ゲームの舞台となっている世界だった。
オウガは竜族という種族で、竜の末裔だとのことだ。
「オウガはゲームの世界の住人だったってこと?」
「その言い方だと、オレがゲーム機から飛び出してきたみたいに聞こえるだろうが。そうじゃなくて、この乙女ゲームがオレ達の世界のことを描いてるんだ。しかも、未来のことをな」
私の質問に、オウガが微妙な顔をしてから答える。
「あの魔法学園は有名だし、ところどころに出てくる地名にも聞き覚えがあった。それにオレの兄さんも何故か出てたしな」
ゲームに出てくるボスキャラ『フェアリークレイブの嘆き竜』は、オウガのすぐ上の兄だったらしい。
オウガは私がいない間に、『黄昏の王冠』をプレイしていて。
今回の『黎明の剣』も私が寝た後、密かにやりこんでいたようだ。
攻略本に見慣れない付箋が付けられてたり、折りぐせがいつの間にかあったから、不思議には思ってたんだよね……。
「オレ達の世界にフェアリークレイブなんて砂漠はないし、兄さんは冒険者を襲う悪い竜なんかじゃない。あの竜がいた場所には、本来エルフの国があるんだ。ゲームや攻略本の情報と照らし合わせて、未来の話しなんだなって気づいた」
「どうしてオウガの世界が、乙女ゲームに? しかも未来の話しってどういうこと?」
疑問だらけの私に、取りあえず座ろうぜとオウガが言う。
オウガがパチンと指を弾くだけで、何もない部屋がよく知るオウガの部屋に変化した。
ソファーに座った私とイクシスさんに、オウガが飲み物を入れてくれる。
「世界にはゲンガーって呼ばれる、未来をみる精霊が存在しているんだ。色んな世界に同時に存在するそいつは、人の未来を見て面白いと感じたら、誰かに見せたがる習性がある」
オウガによると、私の大好きな乙女ゲームはそのゲンガーによって作り出されたものらしい。
「ゲームの中の登場人物も、実在するってこと?」
「そうなるな。『黄昏の王冠』は今から五年後の未来の話しで、『黎明の剣』は三年後の未来の話しだった。そこにイクシスの姿を見つけて、居場所がわかったんだ」
オウガが頷いて、コーヒーを飲む。
「ただ、ゲームの通りなら、イクシスは女主人に『竜の宝玉』を奪われて誓約を結ばされていたからな。ゲームを参考に作戦を色々練って、イクシスを助け出したんだ」
再会できて嬉しいんだろう。
イクシスさんへ目をやるオウガは、とても優しい顔をしていた。




