36.選択肢のない選択肢
「どうした、部屋に入らないのか?」
「いや……今オウガの部屋に入ったら、ずっと出してもらえないような気がして……」
私の言葉に、マンションのドアを開けたオウガがくくっと笑う。
「勘がいいな。そのつもりだ」
冗談めかすようにオウガは言うけど、おそらくは本気だ。
今日のオウガは、何だか……少し怖い。
「部屋に入りたくないなら、それでもいい」
「えっ……?」
迷っていたら、オウガがそんなことを言う。
「その場合は、ふられたってことだからな。好きだなんて二度と言わないし、メイコの前からも消える。この国から出て、もう会わない」
「なっ……」
思わず絶句する。
「冗談だよね。だって会社もあるし……」
「メイコの側にいたくて選んだ仕事だ。多少迷惑はかけるだろうがな」
オウガの表情は、真剣そのものだった。
そんなのなんの足枷にもならないと、吐き捨てる。
「今までどおりじゃ……ダメなの?」
「いつかメイコに恋人ができて、その人生が終わるまで、横で指くわえて見てろって言いたいのか? 今まで十分、我慢してきただろ」
うつむく私に、これ以上はムリだとオウガは言った。
「オレなら蓄えだってあるし、メイコのことをよく知ってる。メイコの情けない姿を見ても失望しないし、いつだって甘やかしてやる。ちゃんとオレを男として見ろ、メイコ」
顎を掴んで、くいっとオウガが自分のほうを向かせる。
はぐらかすのは許さないとその瞳が言っていた。
「オレと恋人がムリなら、はっきりさせてくれ。期待を持ち続けるのは疲れたんだ」
もう親友ではいられないと、オウガが言う。
「考える時間がほしいんだけど……」
「悪いが、もう待つ気はない。年齢がとか、そういうのもナシだ。本気で年齢を気にしてるなら、それはそれで構わないけどな。メイコの前に二度と現れないだけだ」
オウガは私から手を離す。
今ここで決断しろと、その瞳が告げていた。
「そう悩むな。恋人になるってことは、メイコがこの先もオレと一緒にいるっていう約束をすることだ。オレの一番がメイコで、メイコの一番がオレになって……他の奴らがそこに入れなくなるだけで、今までと何が変わる?」
優しく諭すように、オウガが言う。
オウガにとって私は特別で、私にとってもオウガは特別な存在だ。
それがずっと続く約束をするだけと考えれば、簡単なことに思えてきた。
「難しいことじゃないだろ? この先もオレと一緒にいたいか、いたくないか……それだけの話しだ。いずれメイコがオレ以外の恋人を作れば、こんな関係は続けられないしな」
その言葉に思い出すのは、高校のときに彼氏ができたときのこと。
オウガと自由に遊べないのが、苦痛でしかたなかった。
「別にオレといたかったら、恋人になれって脅してるわけじゃない。そろそろ、白黒はっきりつけてほしいって言ってるだけだ」
オウガはそう言うけれど、私としては脅されているような心境だ。
オウガを拒めば、もう二度と会えない。
だてに長く一緒にいるわけじゃない。
本気なんだと――その目を見ればわかる。
オウガのいない日々を想像してみる。
一緒に遊んだり、ただ何もせずに寄り添ったり。沈黙が流れてもそれすら心地よい相手は、オウガしかいない。
心に穴が開いたように、私は寂しくなってしまうだろう。
ここで決別してしまえば――この先ずっとオウガのことを思い出して後悔する。
それはわかりきっていた。
私はすでに、この心地よい関係に慣れきってしまっていて。
選択肢なんて、最初からないのも同然だった。
オウガの部屋へと、足を踏み入れる。
その背後でドアの鍵が閉まる音がした。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「病院では風呂入れなかっただろうし、入ってこい。すっきりするはずだ」
「……うん」
オウガの部屋に時折泊まるので、洋服は一式置いてあった。
それを持って風呂場へ向かう。
オウガの家で風呂なんて、何度も入っていたはずなのに……緊張する。
部屋に入ったってことは、そういうことをするってことなんだろうか。
いやいやいや、私とオウガに限ってそんなこと!
ぼっと火がついたように、顔に熱が集まる。
けどオウガは、私の事が本当に好きみたいだし……その可能性はかなり高い気がした。
風呂場に入って、体を洗って、それから肩まで湯につかる。
頭の中を整理したかった。
オウガのことは好きだ。
でも、やっぱり親友としてで……そういう目で見たことはない。
嫌いじゃないし、オウガのことはむしろ大好きだ。親友なんだから当たり前で、誰よりも私のことをわかってくれていると思う。
一緒にいると楽だし、ずっとこんなふうに付き合っていけるものだとばかり思っていた。
あ……なんか、目が回ってきた。
視界が白く狭まって、息が苦しい。
まずいなと思っていたら、体が湯船から引き上げられて、バスタオルにくるまれた。
「ふぇ……?」
「風呂が長いから心配してきてみれば……やっぱりのぼせてたか」
しかたないやつだというように抱え上げて、オウガはベッドまで連れていってくれた。
スポーツドリンクをくれて、扇風機で体を冷やしてくれる。
「ありがとう、オウガ……」
「気にするな。風呂入ってる間にお昼を作ったんだ。腹減ってるだろ? 少し回復したら一緒に食べるぞ」
お礼を言えば、オウガが頭を撫でてくれる。
なんだ……もういつもの優しいオウガだ。
そう思えば、ほっとして体から力が抜けた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
お昼を食べ終わった後、オウガが青い袋をくれた。
「これは……黄昏の王冠の続編?」
「事故現場の近くに落ちてた。ゲーム、やりたいんだろ?」
「ありがとうオウガ!」
よろこんで受け取って、袋から中身を取り出す。
ゲームのパッケージには、茶色い絵の具のようなものが……べっとりとついていた。
「わぁぁぁっ!?」
思わず投げ捨てる。
オウガがそれを拾って、ティッシュで表面を拭いた。
「悪い。袋の外側は綺麗にしたんだが、内側まで血が入り込んでるなんて思わなかった」
「そ、それ……誰の血? 事故で怪我した人、いないはずだよね?」
震える声で尋ねれば、オウガがしまったという顔になる。
「細かいことは気にするな。ほら、ソフト入れたから始まるぞ」
全然細かくないと思うんだけど……オウガが話したくないみたいなので、それ以上つっこむこともできなかった。
手渡されたコントローラーを受け取る。
乙女ゲーム『黄昏の王冠』の続編『黎明の剣』は、同じ魔法学園を舞台としながらも、前作より二年前の話になっている。
前作キャラの弟や、前作では敵役として出てきたキャラが攻略可能に。
何より、前作でヤンデレキャラだった『アベル』を、ヤンデレになる前に攻略できるという話しで……発売前から話題になっていた。
「どの子から攻略しようかなぁ……やっぱり、アベルをクリアしたいけど、隠しキャラだからきっと二週目以降だよね!」
「楽しそうだな」
「ずっと発売を楽しみにしてたからね!」
元気よく答えて、ソファーの横に座るオウガを見れば、面白くないという顔をしていた。
「いつもより眉間に皺が一本増えてるけど……オウガ、実は別のゲームがしたかった?」
「そうじゃない。恋人になった早々、浮気されたような気分になっただけだ」
機嫌を伺えば、オウガがさらりとそんなことを言ってくる。
「こ、ここ……恋人って!」
てっきりいつもどおりだったから、マンションの入り口でのやりとりは冗談だったのかなと、都合良く思い始めていた。
焦った私に、オウガが不機嫌な顔をする。
「メイコは俺の恋人だよな。違うのか? それなら……」
オウガはソファーから立ち上がって、どこかに行こうとした。
その服の裾を、手を伸ばしてがっちり掴む。
「ち、違わないから! だから行かないでよ!」
私を見下ろしたオウガが、頬を緩めて嬉しそうな顔になる。
ソファーに座り直したオウガは、膝上にこいというようなジェスチャーをした。
ちょっと悔しい。オウガに遊ばれているような気さえする。
でも、従うしかなくてオウガの股の間に収まるように腰を下ろす。
後ろから抱き留められれば……ドキドキとした。
こんなにオウガと密着したこと……あったっけ!?
背中にあたるオウガの胸は、かなり筋肉質だ。
どっしりとしていて、安定感がある。
「……やっぱり、くっつきすぎじゃないかな?」
「メイコが行かないでって言ったんだろ?」
確かにそうなんだけど……こんな状況を望んだわけじゃないというか。
オウガはわかってるくせに意地悪で、それでいてご機嫌だった。




