32.看病
『悪いメイコ。今日は体調が悪くて……会社に行けない。ちょっと熱が出てるんだ』
ある朝、オウガからそんな電話がかかってきた。
季節はもう冬。
今でもオウガは、高校時代に私があげたマフラーを愛用している。色あせ、糸もほつれてボロボロで、あまり温かくはなさそうだった。
コートも注意しないとなかなか着ないから、風邪をひいてしまったんだろう。
今年の冬はもう終わりだし、次の冬には新しいマフラーを編んであげるのもいいかも。
そんなことを思いながら、会社に電話をかける。
オウガの様子を見てから会社に行くので、少し遅れると連絡を入れようとしたら、上司が二人で休みを取っていいと言ってくれた。
まぁ……私とオウガ、有給あまりまくってるしね。
明日も明後日もお休みだし、三日もあればオウガも回復することだろう。
スーパーで買い物をして、オウガのマンションへ行く。
合い鍵で中に入れば、私が来たのに気づいて、オウガがベッドから起き上がろうとした。
「……会社はどうしたんだ」
「休んだ。こんなときに使わないと、有給なくならないし。今日はわりと仕事が落ち着いている曜日だから、どうにかなるでしょ。病院にも付き添うから」
食材をテーブルに置きながら、オウガに答える。
「気遣ってくれるのはありがたいが、病院も看病もいらない。幼い頃からの体質みたいなものだから、慣れてる」
風邪というわけではないらしい。
家から持ってきた体温計で熱を測れば、かなりの高熱だった。
「いつから熱出てたの?」
「昨日の夜中からだ」
「困ったときは頼ってほしいって、前に言ったよね。夜中でも、電話してくれればかけつけたのに」
「……そうもいかない。側にいたら……メイコまで気分が悪くなる」
あまり近づかないでくれと、オウガが弱り切った顔をする。
「うつっちゃうってこと?」
「いや……そうじゃなくて。ずっと魔力を放出してなかったから、体に溜まってるんだ。オレの魔力に当てられて、体の中で魔力が暴走する可能性がある」
熱で頭がぼーっとしているのか、オウガが林太郎みたいなことを言っている。
そういえば、出会った当初のオウガは、こういうことをよく言っていたかもしれない。
少し懐かしく思う。
「普通なら、オレの側に近づくのも難しいはずだ……メイコは平気なのか?」
「平気だよ。だから、オウガは何も心配しなくていいの!」
頭の上に冷たいシートを貼ってやれば、オウガはびっくりして目を見開く。
「そうか……この世界の人間は、魔力回路を持たなかったな。暴走する魔力がそもそもないなら、オレがこうやって触れても……平気なのか」
オウガが私の頬へ手をのばす。
心細そうな顔をしていたから、その手を優しく撫でるように手を重ねた。
病気の時は誰だって辛い。たくましくみえるオウガだって、それは同じ事だ。
「寝込んでいるときに……弟以外の奴が側にいるのは初めてだ」
オウガは、無防備に笑う。
噛みしめるような声に、胸の奥がくすぐられた気がした。
「両親は看病をしてくれなかったの?」
「幼い頃は父さんが面倒を見てくれてたらしいんだが、忙しい人だからな。物心ついたときには、双子の弟がいつも側にいた。オレの魔力に耐性があるのは、その弟だけだったから」
尋ねれば、オウガが答えてくれる。
マリョク?とかはよくわからない。
でも、珍しくオウガは自分のことを話してくれた。
眠ったほうがいいんじゃないかなとは思ったけど、オウガは話したがっているように見えた。
だから、黙ってその話しに耳を傾ける。
九人兄弟の四番目で、双子の弟とオウガ以外は、全員家庭を持っているらしい。
一族には女が生まれないので、成人したら旅に出るという。
病気というより、オウガのこの症状は体質のようなもので、幼い頃はずっと隔離されてすごしていたようだ。
オウガは……ずっと寂しかったのかもしれない。
そんなことを思う。
「オウガは、花嫁を探す旅をしてて、日本に辿りついたんだ?」
「いや、それは違うな。弟がいなくなって、花嫁も見つからなくて。生きるのに疲れてたオレは、全部何もかもどうでもよくなって……逃げてきたんだ」
眠くなってきたのか、オウガの声が小さくなっていた。
そろそろ昼ご飯の支度をしようかなとそっと立ち上がれば、オウガが服の裾を掴んでくる。
「もう少し……側にいてほしいって言ったら、ダメか?」
珍しいオウガのお願い。
甘えてもらえたことが嬉しくて、つい顔がにやける。
「いいよ。オウガが寝るまで、おしゃべりしよう。オウガのこととか家族の話、もっと聞きたいな」
「オレのことなんて聞いても、つまらないだろ。メイコの話でいい」
「そんなことないよ。オウガのこと知りたいもの。話しづらいことなのかもって思ったから、オウガから話してくれるの待ってたんだよ?」
「……っ!」
目を見つめて、手をぎゅっとにぎってやれば、熱のせいではなくオウガが赤くなる。
照れているオウガは、かなり貴重だ。
「ははっ、今日のオウガ、素直でちょっとかわいいかも!」
「かわいいって……オレに対してそんなことをいうのは、メイコくらいだぞ……」
笑う私に対して、オウガは困ったような顔をして、毛布を顔まで被ってしまう。
こんなとき、どんな顔をしていいかわからないらしい。
それでも私がどこにもいかないよう、手をぎゅっとにぎりしめたままなのが……やっぱりかわいいなぁと思ってしまった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
休み明けには、オウガの体調はすっかり回復していた。
「すっかり調子が戻ったみたいでよかった」
「まぁな。メイコのおかげだ」
声をかければ、オウガが上機嫌でそんなことを言う。
「そうだ、林太郎が今日夕食に来いって言ってるんだ。メイコもいくよな」
「わかった。行くよ」
誘われて頷く。
少々濃い味付けの母さんの料理を食べながら……家族での団らんは悪くない。
高校時代のような気まずい雰囲気は、今の朝倉家になかった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「くくっ……我が同士オウガよ。今日の春巻きはどうだ。この俺も手伝って、巻いてみたのだ」
「ぼくも手伝ったよ!」
「あぁ、上手く出来たな林太郎、タケル。手伝いもちゃんとするようになったのか」
オウガに褒められて、私の弟である林太郎とタケルは得意げだ。
もっと食べてよオウガ兄ちゃんと、二人はさらにオウガの皿へと春巻きを盛っている。
弟達はオウガによく懐いていて、今では本当の兄弟であるかのように仲がよかった。
「オウガくん、今度大地も一緒にゴルフに行くんだが、オウガくんも一緒にどうだね?」
「はい、是非ご一緒させていただきます」
私の義父である史人さんに誘われれば、オウガは頷く。
オウガによってビールをコップに注がれ、史人さんは上機嫌だ。
「オウガくんもご飯おかわりするよね?」
義兄の大地が自分のおかわりのついでにと、オウガに尋ねる。
「頼む」
オウガがそう言えばわかったと言って大地は立ち上がったけれど、母さんが自分がやるからと二人の茶碗を台所へ持っていってしまった。
私が実家に行くときは、オウガも一緒……というより、その逆。
オウガが来るときは私も一緒に帰ってくるから、夕飯が二人分用意されていて、オウガ専用の食器も家にはある。
――私よりもオウガのほうが、馴染んでるんじゃないの?
そんなことを思うくらいだ。
「メイコちゃんは、最近……仕事のほうはどうだい? 二年目だけど、慣れた?」
「はい。前より任される仕事が難しくなって、相変わらず忙しいですよ」
ふいに史人さんに聞かれて答える。
オウガと同じ会社なんだから、オウガから聞いてるはずなのに。
高校時代のままの私なら、そんなことを思っただろう。
でも、今は社会に出て……少し大人になった。
一人で暮らして、自分でお金を稼いで。
母さんがどんな苦労をしていたのかも……今ならわかる。
史人さんが私達の父親になると決めたことが、どれほどに大きな決断だったかも理解していた。
私は史人さんに、酷い態度を取っていた。
大人だって、傷つくものは傷つく。
あの頃は自分のことに手一杯で、そんなことも考えられなかった。
けど今更、あのときはすみませんとか、お父さん……なんて呼ぶこともできなくて。
どうにも他人行儀な、ぎこちない態度を取ることしかできなかった。
「あ、あの……史人さん。その……ですね……」
声をかければ、史人さんが私を見る。
二十歳になって大人になったんだ。もう意地を張るのはやめよう。
そう考えていた私なのだけれど、いざ史人さんを目の前にすると緊張してしまう。
ずっと築いてきた壁を取り払うのは、思いの外難しい。
「メイコも飲め。今日はカクテルも買ってきたから」
オウガがカクテルをくれる。
お酒は緊張をほぐすのに、効果ばつぐんのアイテムだ。
「ありがとう、オウガ」
勇気を出して、今日こそは……お父さんって呼ぼう。
たった一言でいいんだから。
景気づけに、ぐいっとカクテルをあおった。
「あっ、バカ! そんなに一気に飲んだら……」
「んにゅ……? 平気、平気らってば!」
オウガは慌てていたけれど、全然問題ない。
喉がぐぅっと焼けるように熱くなって、頭にくらくらきたけど、これくらい余裕だ。
少し麻痺したかのような感覚に、高揚する気分。。
今なら、この勢いでお父さんと呼べる気がする。
「あの、史人さん!」
「な、なんだいメイコちゃん?」
決死の覚悟で声をかければ、史人さんが驚いた顔をしてこっちを見る。
「そのっ、あの……っ。おと、ウッ……!」
あっ……マズイ。
勇気以外の何かが、喉元からせり上がってきちゃう!!
青白くなった私にオウガが駆け寄ってきた。
「だから言ったのに! 急いで洗面所に……」
私を立たせようとするオウガだったけど、間に合わず。
その服に色々と……吐き出してしまった。




