31.無自覚の誘惑
「さてと、帰りますか! 今日は疲れたし、明日は休みだし。飲んで帰ろうよオウガ!」
残業を終えたところで、席を立ち上がる。
二十歳になってお酒が解禁になり、お酒を飲むのが最近のマイブームだった。
女一人だと居酒屋も寄りづらいのだけれど、オウガがいれば平気だ。
「悪いメイコ。今日は……先に帰ってくれ」
オウガはまだパソコンを開いたまま、デスクに向かっている。
いつもオウガが誘ってくれるから、たまには私からと誘ったのに。
断られるとは思わなかった。
「まだ仕事あったの?」
「あぁ。ついさっき、クライアントが指示を変更したんだ。あと東堂さんにプレゼンの資料を頼まれた」
「わかった。なら、私も手伝うよ」
「いやいい。オレが引き受けたものだからな」
デスクに座り直そうとすれば、オウガがそれを断ってくる。
「この量だと、残業一時間じゃ終わらないでしょ。頼まれた仕事を引き受けすぎだからね?」
オウガは仕事中、あまり表情が変わらない。
仕事をいっぱい持って焦っていても、周りからみればいつもと変わらないように見える。
余裕があるんだなと勘違いされて、余計な仕事を頼まれる傾向があった。
「ムリなときはムリってちゃんと断らなきゃ。クライアントさんにも、もう遅いから明日になりますって言ったほうがいい」
「だが、オレが頑張ればどうにかなることだしな……」
「仕事は一人で頑張るものじゃないから。オウガはもっと周りを頼っていいの! せめて困ったら私に相談して。手伝うから!」
ぺちっとオウガの額を叩く。
叱られたオウガは、少し困った顔をしていた。
「だが、メイコに悪い……」
「私が困ってるときに頼られて、オウガは嫌だなって思う?」
「……思わないな」
「そういうことだから」
オウガのデスクから勝手に書類を奪い取り、パソコンの電源をを入れた。
ログインしている待ち時間に、ふと視線を感じれば、オウガと目があう。
「何? まだ納得してないの?」
「いや……メイコが好きだって、改めて思っただけだ」
オウガが笑う。
思わず零れたというその笑みに、私は弱い。
こうやってふいうちで好意を見せてくるから、オウガと友達でいるのは心地よかった。
「さっさと終わらせるよオウガ! 今日はもちろん、オウガのおごりで飲むからね!」
「あぁ、もちろんだ」
気合いを入れて、二人で仕事にとりかかった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「うっ……居酒屋いっぱいしてる……」
「まぁ、週末だしな」
一時間でどうにか仕事を終えれば、居酒屋は混み合っていた。
「たぶんどこもこんな感じだと思うが、どうする? オレの家で飲むか?」
「今日は居酒屋の気分だったんだけど……」
オウガに尋ねられて、うーんと悩む。
「あれ、桜メイコンビじゃないか! 飲みに来たんだ?」
会社の先輩である佐藤さんが、店の奥から私達を見つけて手招きする。
そこには佐藤さん以外にも、会社で仲のいい同僚達の姿があった
皆会社帰りらしく、スーツ姿だ。
「席が空いてないんだろ? 一緒に飲もうぜ!」
「いいんですか?」
佐藤さんは気さくないい人だ。遠慮するなよと、自分の隣を空けてくれる。
やったねと思えば、オウガが私の肩を掴んだ。
「おい、メイコ。遠慮しておこうぜ」
「どうして? 皆でわいわい飲んだほうが楽しいよ?」
オウガは気が乗らないらしい。
私は、会社の飲み会に誘われることが少ない。二十歳になったばかりだからか、女だからかはわからないけど、少し寂しく思っていた。
楽しくご飯を食べるのは好きだったし、こういう機会に会社の人達と仲良くしておきたい。
「ほらほら、桜河くんも。そう固く考えなくていいから!」
「いや……オレは……」
すでに出来上がっている同僚の東堂さんが、桜河を奥の席へと引き連れていく。
私は佐藤さんの隣に座って、とりあえずカクテルを注文した。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「朝倉さんってさ、桜河くんと仲いいけど、付き合ってるの?」
「まさかぁ! そんなわけないじゃないですか! 高校時代からの腐れ縁ですよ!」
佐藤さんに答えれば、新しいカクテルを私の手元に置いてくれる。
よくわからない種類だけれど、甘くて美味しい。
なんだか、ふわふわして楽しい心地になってきた。
「へぇ、そうなんだ。仲いいから、てっきり付き合ってるのかと思ってた。じゃあさ、彼氏とかいるの?」
「いませんよ~?」
佐藤さんが少し距離を詰めてきた。
お酒を飲むと聞こえにくくなるから、自然と相手に近づいちゃうんだよね。
それに居酒屋は賑やかで、ガヤガヤしすぎて、声が聞き取りづらい。
「朝倉さん明るくて頑張り屋だし、好みだなってずっと思ってたんだよね。彼氏いないならさ、俺とかどう?」
「どう……とは?」
首を傾げれば、佐藤さんが私の耳元に顔を寄せてくる。
「だから、つきあ」
「佐藤さん、メイコはそろそろ帰らないといけないので、失礼しますね」
佐藤さんの言葉の途中で、オウガが私の手を引いて立たせた。
「帰るときは俺が送ってくよ? それに、まだ早いんじゃないかな?」
「これ以上飲むと、メイコは吐きます。それに、メイコをあまり遅くまで出歩かせないようにと両親から頼まれてますから」
むっとした顔の佐藤さんに、オウガが淡々とした声で返す。
「オウガ! 保護者面しないでよ! もう二十歳なんらから!」
「夜十時以降は出歩かないっていうのが、一人暮らしの条件だっただろ。違うか?」
抗議した私に、オウガが腕時計で時間を教えてくる。
確かにそういう約束はしていた。
「佐藤さん……今日はありがとうございました。素直に帰ることにします……」
諦めて帰ることにした私の分まで、オウガが飲み代を払った。
「オウガ、自分で払う」
「今日はおごりだって言っただろ。ほら、鞄ならこっちだ」
鞄を探せば、すでにオウガが持っていた。
ありがとうと受け取り、オウガと居酒屋を後にした。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「オウガ、飲み足りないよ!」
「はいはい、続きはオレの家でな」
ばしばしとその背を叩けば、オウガが子供をあやすような口調でそんなことを言う。
「それなら許す! 足疲れたから、おんぶしてよ!」
背中に飛びつけば、オウガがしゃがんでくれた。
「全く……この酔っ払いが」
「よっぱらってないもんね!」
「酔っ払いは大体そういうんだよ。おぶられてるのが酔っ払いの証だろうが」
私を背負いながら、やれやれというようにオウガは溜息を吐いた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
オウガの家で飲み直せば、眠くなってきて、ソファーに寝転がる。
「メイコ、ちゃんとベッドで寝ろ」
「今日はソファーで寝るからいい」
お泊りするとき、オウガは私にベッドを貸して、自分はソファーで寝る。
移動するのが面倒だった。
「ダメだ。メイコは寝相が悪いのに、ソファーなんかで寝たら落ちるだろ。結局、床で寝る羽目になる」
「……面倒臭いよ。運んで?」
上向きになってオウガへ手を広げるようにすれば、抱き上げてくれる。
落ちないように、手を首に回してしがみついた。
頼むとやってくれるから、オウガについ甘えちゃうんだよね。
ゆっくりとベッドに寝かされ、目を閉じる。
そのまま心地よいまどろみに身をまかせようとすれば、ギシとベッドがきしむ音がして。
ゆっくり瞼を開ければ……オウガが、私の上に覆い被さっていた。
「んぅ……オウガ?」
「……」
何も言わずに、オウガが私の頬を撫でる。
熱っぽいと感じる瞳は、オウガも酔っ払っているからなんだろう。
「ふふっ、くすぐったいってばぁ……」
そっと触れてくるのと、酒のせいで敏感になっているのか、やたらとくすぐったい。
大きくてゴツゴツした手なのに、オウガの触り方は繊細で優しい。
「メイコは……無防備だよな。誰にでも、そうやって甘えるのか?」
「甘える?」
「今日も佐藤さんにくっついてただろ。会社でも笑顔を振りまいて……距離が近すぎるんだよ」
オウガはなんだか、怒っているみたいだった。
「オレだけに甘えてろ。メイコは、オレだけ見ていればいい」
怖い顔をしながらも、優しく言い聞かせるようにオウガが言う。
オウガはとてもいい声をしている。
低くてよく響くその声は、すうっと心の奥まで入っていくみたいだ。
「……オウガだけ?」
「そうだ」
お酒のせいであまり働かない頭で繰り返せば、よくできましたというようにオウガが頭を撫でてくれる。
その手が私の髪に差し込まれて、地肌をくすぐるのが気持ちいい。
大きな体の重みが、ゆっくりと私にかけられる。案外心地よくて、悪くない。
唇を指でなぞられるとぞくぞくとして、妙な感じがした。
「そしたら、今以上に優しくして、甘やかして……大切にしてやる。オレにあげられるものなら、全部やるから」
「ん……いらない」
「……」
断れば、オウガは黙りこむ。
常にある眉間のシワが増えた。
「オウガは十分、私に優しいし。大切にしてくれてるから……いつもありがとね」
「……メイコ」
普段言えない感謝を言葉にすれば、オウガはくしゃりと顔を崩す。
本当、オウガは感動屋だ。
そういうところが大好きだった。
また泣きそうになって。
しかたないなぁ。
オウガの顔へと手を伸ばして、目を見て笑いかけたところで……急激な眠気に襲われた。
体から力が抜けて、眠りに落ちていく。
「メイコ?」
オウガの声が聞こえるけど、目を開けるのも億劫だった。
「……くそっ、こんなに誘惑しといて……眠るとか酷いだろ。そんなこと言われたら……手が出せないだろうが」
舌打ちしながら、オウガは温かな毛布をかけてくれた。




