2.家出仲間をGETしました
人の横顔をじろじろと見るのは失礼な気がして、私はまた無言で空を見上げた。
そういえば今夜は満月だったなぁ。
綺麗だなと思うより先に、ずっとこうやって空を見上げてなかったなと思う。
父さんが死んだ当時は……よく見上げていたのに。
死んだ人は星になる。
どこかで見ていてくれているのなら、戻ってきてよと何度思ったことかわからない。
私の父さんは父さんだけ。
いっぱい遊んでくれて、いつも笑ってて。
怒る時は少し怖かったけど、いつだって私達を大切にしてくれた。
なのに……父さんは突然の事故で死んでしまって。
父さんのいないまま、私達家族は支え合って生きてきた。
母さんと私と、弟二人。
父さんがいなくなった分、私が母さんを守らなきゃと思った。
母さんは繊細で優しい人だ。
葬式のあの日、目を開けることのなくなった父さんに縋り着いて泣く母さんは、酷くか弱く見えて。
私がしっかりしなきゃと思った。
あまり丈夫じゃないくせに、母さんはバイトを増やして家族のために働くようになった。
だから私は家事をできるだけ引き受けて、弟達の面倒を見るようにした。
中学を卒業したら、働いて母さんを楽させようと考えていたのに……高校だけは出なさいと言われてしまって、渋々入学して。
私は毎日バイトに明け暮れながら、家事や弟達のことに追われていた。
周りからは大変だねなんて言われたりしたけど、別にそれを苦に思ったことなんてない。
母さんを少しでも助けることができるなら……それでよかったのに。
夏休みがこれから始まる、一学期の最終日。
久々に食事にでもいかない?と母さんから誘われた。
今日は珍しくバイトも入れてなくて、弟達は少し遠くの祖父母の家に預けられていた。
つまりは、母さんと二人きり。
普段甘えられないぶん、ほんの少し……甘えられるかもしれないと、私はそんなことを考えていたのだけれど。
食事に行こうと連れていかれた先には、男が待っていた。
父さんの親友だったという男の人。
父さんの葬式のときに色々手伝ってくれて、それ以来何かと世話を焼いてくれる人。
身なりはよく、お金持ちで、愛想もいい。
「母さんね……結婚しようと思っているの」
男の手を握りながら、母さんはそう言った。
再婚が秒読み段階だってことくらい、私も気づいていた。
この春には、私と同じ高校に彼の息子が進学してきていた。
お金持ちで頭のいい子ばかりが通っている私立の中学から、わざわざ私のいる公立高校へ。
「なんで私のいる高校に入学してきたの?」
「引っ越しで元の学校は遠くなってしまいましたし、そのまま附属高校へ進学すると、メイコちゃん達との時間が取れないじゃないですか。メイコちゃんと……義妹と同じ学校に通いたかったんです」
隣のクラスへやってきた彼の息子を、まるで喝上げでもするかのように、校舎裏へ連れ込んで問いただせば。
彼の息子――大地は邪気のない笑顔でそんなことを言った。
一人っ子で兄弟のいない大地は、兄弟ができることを喜んでいて。
私の弟達も、大地や男にすっかり懐いてしまっていた。
それからすぐに私達は狭いアパートを出て、男の用意した新居に移り住んで。
今や、この結婚に納得していないのは私だけだった。
「父さんのことは……どうでもよくなっちゃったの?」
「そんな事ないわ! 今でも愛してる。でも、あなた達には父親が必要よ。私はメイコ達に不自由な暮らしをさせたくはないの。三人の子供がいても構わないって、彼は言ってくれたのよ」
わかってというように、母さんは口にしたけれど。
それは……父さんに対する裏切りだと思った。
「父さん以外いらない! 私達全然不自由なんかじゃないよ! もっと頑張るから、そんな人と結婚しないで!」
「メイコ、落ち着いて」
立ち上がって叫べば、母さんは宥めてきたけれど、私の絶望に似た怒りは収まらなかった。
「私、頑張るから! 母さんが苦労しなくていいように働いて、支えるから……だから!」
「だから……結婚することにしたのよ、メイコ。もう籍もいれたの」
必死に訴えれば、母さんは強い口調でそう言った。
全然意味がわからなくて――私はその場を逃げだして。
家に一旦戻って、服や通帳を鞄につめて、ありったけの全財産を引き下ろした。
どこへ行こうと街をさまよった結果、どこにも行く場所がなくて……家から遠い公園に辿りつき、今ここにいるというわけだった。
もう家には、帰りたくなかった。
母さんと顔を合わせたくなかったし、きっとそこにはあの人がいる。
父さんの居場所に収まって、心配そうなふりをして私を迎えるに違いない。
想像すれば……嫌な気分になった。
友達の家に泊めてもらおうかと思ったけれど、父さんが亡くなってからロクな友達づきあいを私はしてなかった。
頭に思い浮かんだのは、幼なじみのサキくらいだったけれど……彼女の母さんとうちの母さんは友達だから、すぐに居場所がバレてしまう。
今日何度目かの溜息をつけば、横にいる男の人とタイミングが被って、なんとなく親近感を覚えた。
男の人はサイコロくらいの大きさをした水晶をじっと見つめている。
思い入れのある品なんだろうか。やっぱりどことなく哀愁が漂っている。
「私、メイコ。おじさんの名前は?」
空を眺めるのにも飽きてきたことだし、もう少しコミュニケーションを取ってみようと話しかければ、男の人が目を見開いた。
「オレの名前は……オーガスト・エルトーゴだ」
少しの間の後、男の人が名乗る。
実は、日本語が喋れたらしい。
「桜河・ストエル・東吾さん? 黒髪だし、日本語も喋れるってことは……もしかしてハーフなんですか?」
流暢すぎて聞き取れなかったけど、当たってるかな?
不安になって確認も兼ねて尋ねれば、そんなところだと男の人……桜河さんは頷いた。
「……オレは人間に換算すると二十代前半で、おじさんと呼ばれる年じゃない」
仏頂面で桜河さんはそんなことを言った。
怖い人かと思えば、冗談も言える人だったらしい。
「それがもし本当だとすると、十五の私とそんなに年が変わらないことになりますね!」
「……絶対お前、信じてないだろ」
ふふっと笑いながら返せば、オウガさんは眉間に皺を増やして睨んできた。
低く響く声に、思わずビクリとしてしまう。
どうやら、本気で言っていたようだ。
「ここはどういう国だ? 初めてきたからわからない。教えてくれ」
「ここは日本という国で、えっとその……どこから説明したものかわからないんですけど、桜河さん、もしかして家出してきたんじゃないですか?」
「まぁ、似たようなものだな……何でわかったんだ?」
図星だったみたいだ。
それだけのことが、どうしてかとても嬉しかった。
「女の勘というやつで……いや、すみません嘘です。だって、桜河さん何も持ってないし、こんな公園で夜中に一人なんて、家出以外ありませんよ!」
「……勢いでこの世界まで来たからな。これからどうしたものか、途方にくれてるところだ」
「今日助けてくれたお礼に、私が日本のこと色々教えます!」
任せておいてくださいと請け負う。
家出仲間がいるというだけで、こんなにも心強いなんて。
心細かった気持ちが、嘘のように晴れていくのを感じていた。