15.嫌がらせ
朝、靴箱を覗いて、またかと思う。
そこには「死ね、ブス」と書かれた紙が置いてあった。
暇人だなぁと思いながら、それをポケットにしまう。
人気者の大地と仲がいい……というか、大地が一方的に絡んでくるせいで、私はすっかり女子にマークされてしまっていた。
これは別に今に始まったことじゃない。
一学期の頃からあったことだ。
大地はモテる。
女の子から告白されることも多いのだけれど、それをことごとく振っていた。
そんな大地が私のことを気にかけているという話しは、結構噂になっていた。
しかも私は、そんな大地に迷惑そうな態度を取っている。
かわいいわけでもないのに……何様だと、そんな感じで私は嫌がらせを受けていた。
今のように靴箱に差出人不明の手紙があったり、ノートが破かれていたり。
体育着がなくなっていたり。
一学期の頃は、そもそも高校に通うつもりがなかったから、それもやめる理由の一つだよねと思うことにしていた。
そういうことがあった日は、早退してバイトに精を出していたので、ダメージも少なく済んでいた。
すぐにここをやめるのだからと思えば、辛いことも我慢できた。
しかし、今は状況がちょっぴり違う。
困ったことに、上履きが濡らされてしまっていた。
オウガにだけは……ばれたくない。
いじめられている。
その事実が、なんだか惨めだ。
心配をかけたくはなかった。
今から引き返して、今日は風邪ということでズル休みしよう。
こういうことがあった朝に、教室へ行くのも……やっぱり辛いしね。
なのに、上履きを持って玄関口へ行こうとすれば、タイミング悪くオウガがやってきた。
「どうしたメイコ。忘れ物か?」
「うん! まぁ、そんなとこ!」
慌てて後ろ手に濡れた上履きを隠しながら、オウガに言う。
いきなり声をかけられて、誤魔化そうとした結果、笑顔で元気よく答えてしまった。
風邪という理由が使いづらくなってしまったけれど、今はとにかくこの場から逃げたい。
「何を忘れたんだ? ノートならまだ余ってるのがあるし、教科書ならオレのを一緒に見ればいい。わざわざ帰らなくてもいいだろ」
何かなかったかなと、頭をフル回転させたけれど、いいものは出てこなかった。
今日に限って体育もないので、体育着を忘れたという言い訳も使えない。
「……ん? メイコ、足のあたりに水が垂れてる。何を持ってるんだ?」
オウガが私の持つ上履きに気づいてしまった。
びっしょりと濡れた上履きから水滴がしたたっていて、それが小さな水たまりを作っていた。
「なっ、なんでもないよ!」
オウガに背を見せないようにして、玄関側へと移動する。
いぶかしむような視線を、オウガが私へ向けていた。
「じゃあ、私急ぐから!」
「待て」
逃げようとすれば、腕を掴まれる。
そして、上履きを見られてしまった。
「なるほどな……嫌がらせをされたのか」
すっとオウガの目が細まる。
しまったと思った。
「いや、違うのよオウガ! トイレで手を洗おうとして、少し加減を間違って……」
「……」
無言のオウガから、怒りが伝わってくるのがわかる。
教室へと歩き出したオウガを、上履きを持ったまま追う。
オウガが力任せにドアを開ければ、衝撃でドアが少しひしゃげ、レールから外れる。
教室中がただ事じゃない雰囲気に気づいて、息を飲んでいた。
「メイコの靴を濡らした奴、出てこい」
オウガときたら直球だ。
そんなふうに脅されて、素直に出てくる奴なんているわけがない。
名乗りを上げた瞬間、ぼこぼこにされてしまいそうだった。
オウガは自分の席へと歩いていく。
その横にある私の机に、油性マジックで心ない落書きがされていて。
それを見てから、教室にいるクラスメイトへと目をやった。
「……今素直に出てくるなら、メイコに謝らせるだけですませてやる。知ってて黙ってた奴らも同罪だ」
底冷えのする声。
オウガから発せられる敵意に、誰もがその場を動けずにいた。
「今なら許してやるって言ってるんだが。本当に、誰がやったか……お前達は知らないんだな?」
オウガがピリピリとした雰囲気で口にすれば、クラスメイトの何人かが同じ人物へと視線を向けていた。
その視線が集まる先には、一人の女生徒。
大地に気がある西川さんが、蒼白な顔をしていた。
「これ、誰がやったか知らないか? 確か、西川って言ったよな?」
低く、ドスの効いた声でオウガが西川さんに尋ねる。
「あ……」
西川さんはガタガタと震えて、唇まで真っ青だ。
犯人は明らかに西川さんだろう。
尋常じゃないほどに怯えていて、こっちが可哀想になるほどだ。
大地がらみで、私に嫌がらせをしてきたに違いなかった。
「ご、ごめ……」
「聞こえないな。ちゃんとメイコを見て言え」
すでに涙声の西川さんを、オウガはさらに睨み付ける。
「オウガ、もういいから!」
「いいわけないだろ。別にオレは正義の味方ってわけじゃない。他の奴に何をしようとお前の勝手だが、メイコを傷つけようとするなら……」
止める私の前で、オウガが西川さんの机に拳を落とした。
何をどうやったのか、その机が真ん中からひしゃげる。
教室中が唖然としていた。
「オレが相手になってやる。わかったら、今すぐメイコに……」
西川さんの胸ぐらを掴み、オウガが脅しをかける。
コクコクと頷く西川さんは、恐怖からか泣いていた。
あきらかにやりすぎだ。
――オウガの暴走を止めなきゃ。
はっと我に返って、持っていた上履きでオウガの背中を思い切り叩いた。
「オウガ、いい加減にしなさい!」
「なっ、メイコいきなり何するんだ! それ濡れてるだろうが!」
私の突然の行動に、オウガが驚いた声を上げる。
「オウガは熱くなりすぎるの! 私の為に怒ってくれるのは嬉しいけど、やりすぎだから!」
「あぁ? まだ何もしてないだろうが」
「いや、十分してるから! まだって、もっと何かするつもりだったの!?」
眉を苛立たしげにつり上げるオウガは、全然足りないと言いたいようだ。
しかし、これ以上はダメだと強く言い聞かせる。
「西川さんも反省してるから! 私と大地の仲がいいって勘違いして、少しいじわるしたくなっただけだよね? もうしないよね、西川さん!」
なんで私がいじめた側を庇ってるんだろう。
頭の隅でこのおかしな状況に首を捻りながら、西川さんに言えば、勢いよく首を縦に振る。
「ご、ごめんなさい……もう、しませんから……」
「あぁ? 謝るくらいなら最初からするな……って、メイコなんでまた叩くんだ!」
「謝れって言ったのオウガでしょ! なのに謝ったら凄むのはダメ!」
頭を下げた西川さんを睨み付けたオウガを叱る。
オウガは納得いかない顔をしていたけれど、西川さんはもう十分に反省しているようにみえた。
もう私に嫌がらせをしてくることはないだろう。
この後すぐに担任のクマ先生がやってきて、どうにかその場は収まった。
オウガが壊した西川さんの机は新しいものになり、私の机は、休み時間に西川さんが責任を持って綺麗にしてくれた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
昼休み、オウガばむすっとした顔で弁当を食べていた。
「オウガ、やりすぎだとは確かに思ったけどさ」
「なんだ。説教ならいらない」
話しかければ、オウガがうんざりだというように口にする。
「……私の為に怒ってくれて、嬉しかった。ありがとね」
心からの感謝の言葉。
親しい相手に、自分がいじめられていると知られることは、何だか怖かった。
心配をかけるとか、そういうこともあるけれど、たぶんそれだけじゃなくて。
クラスの中でいじめられるくらいに、自分の価値がとても低い。
親しい相手にそうバレてしまうのが、怖い……恐怖があるというか。
終わってみれば、別に西川さんにいじめられているからといって、私がダメな奴ってわけでもないことくらい……わかる。
自分では平気で、冷静なつもりでいたけれど。
知らず知らずのうちに、相手の悪意に私は飲まれてしまっていたんだろう。
「オウガと友達でよかった」
いつか、オウガが困っているときは私が助けたいな。
そんなことを思いながら、言葉にする。
まっすぐ目を見て伝えれば、オウガは驚いたような顔をして。
それならいいんだと少し照れたように呟いた。




