7(寒い寒い)
父と母が呼んでいる。
小さな娘は、季節外れの名残の雪に、小さな足跡を残して行く。
──よりこー。
──よりちゃーん。
お父さんとお母さんが呼んでる。
小さな頼子は、雪に足を取られながらも、懸命に歩を進めた。
あと少し。もう少し。
──よりこー。
──よりちゃーん。
不意に足から力が抜けた。
小さな頼子は何が起きたか分からない。
次の瞬間、尻を打って、反転した世界を見る。
──よりこ!
──よりちゃん!
父と母の声が重なる。
見上げた空は、呆れるほどに高く澄んで青かった。
みるみるぼやけ、遠くで誰かが泣いていた。
小さな女の子の声だった。
大きな腕に抱え上げられ、柔らかな胸が背中から包み込んだ。
父と母は娘を挟んで抱き合った。
泣き声は、すっかり空に吸い込まれた。
*
母がいつもより早い時間で帰宅したとき、娘はリビングでどてらを羽織り、こたつに入ってテレビを見ていた。
天板に顎を付け、背中を丸めて。
大相撲。
名物力士が土俵に目一杯の塩を撒く。
音量は限りなく消音近くに絞られていた。
「おかえりなさい」視線を向けて娘が云った。
「ただいま」
通勤鞄とコートをソファーに投げるように置くと、背後からすっかり凍えた両手で娘の頬を挟み、驚かせた。
「ひゃっ」変な声が出た。
母は笑って、寒い寒いと、こたつの斜め横に滑り込んだ。
ひうっと一瞬、冷気が混じる。ふわりと冬のにおいがした。
「もういいの?」母が訊ねた。
「うん」だいじょうぶ。娘は答えた。
「治りかけが要注意よ」母も背を丸め、「あー、あったかー」幸せそうな声を出した。
「霙っぽくなってたから、このままなら雪になるね」
「あのね、お母さん」
「何?」
「お父さん、生きてたよ」
「そりゃそうよ」ふふん、と何故か得意げに。「ロクデナシほど長生きだもの」
「お父さんのこと好きだったんでしょ?」
「明るくて楽しくて、子供っぽくてお調子者で、誰にでも分け隔てなく優しい、そんな人、嫌いになれる?」
淀みなく母は答え、でも、と続けた。「でも、家庭向きじゃなかったし、優し過ぎるのも考えものね」
くすりと口元を緩めたと思えば、直ぐに笑みを引っ込めた。
母は後ろ手に突いて天井を見上げると、口元をきゅっとすぼめ、「別に今、云う事じゃないかもしれないけれどもね」顎に梅干しを作った。「私とお父さん、結婚してないよ」




