メアリ狂乱
「どうしたの?動かなければ、私を殺せないわよ?」
下手な挑発を敢えて行う。
正直、この現場に入ったメンバーからの報告で知っているだけで、このカズトという男がどんな安い挑発に乗ってしまうのかすらも分からないわけだから、やってみる価値はあると思ったのだ。
だが、やはり、やってみる価値はなかったようだ。
流石に、この程度の下手な挑発には乗ってこない。
「臆病の風に吹かれたか?こっちの手の内を簡単に晒すわけがないだろ。殺し合いを提案してきたのは、アンタの方だ。だったら、先に動きなよ」
「嫌ね、お断りよ。貴方はどうやら、こちらが動く事によって輝きを放つタイプみたいだもの。私が先に動いたら、損するだけじゃない?」
「あらら、オバサンは計算高いね。それにしても、さっきは俺が輝いた事が無いなんて言ってたのに、今は俺が輝く時を考えてるなんて、矛盾してるとはこの事だ」
適当な事を言ったつもりだったのに、案外、的を捉えてしまったようだ。
そう、カズトはこちらの攻撃を待ち、それに対して何かをするタイプなのだろう。
その後の安い挑発は、意に介しない。
私がやった下手な挑発と同程度の無価値な代物だったから。
「そういえば、オバサンは何で1人っきりで行動してるんだ?組織のトップなら、それらしく構えて、何人も部下を連れて歩いた方が良いと思うぜ。そうしておいたら、俺と直接、戦うような羽目に陥らなかったんだからさ」
「黙りなさい。貴方には関係ないわ」
その瞬間、自分でも信じられないくらいに腸が煮えくり返った。
この建物の異変から発生した一連の出来事によって、私は大事な組織を失う羽目に陥ったのだ。
それを、何も知らない男が、偉そうに批判してきたのだ。
苛立たない方がおかしいし、だいたい、この程度の雑魚を相手にして、妙な駆け引きをしてしまっていた自分が恥ずかしい。
一気に勝負を決してやろう、そんな気持ちから動きを開始した。
しかし、何が生じたか、カズトも一歩を踏み出していた。
まあ、あまりにも遅すぎて、考慮するにも値しない。
ほぼ一瞬で、私は間合いを侵略し、鳩尾に凄まじい速さで手刀を突っ込んでやる。
これで、悶絶させてやる、絶望させてやるのだ。
その試みは最初、完全に上手くいったように思った。
カズトが地面に突っ伏して呻き声を上げる姿を見て、そう思ったのだ。
だが、その時、絶望が襲ってきた。
右手が、カズトに絶望を与えてやった一撃を放った右手が、その手首から先が、消えていたのだ。
何が起こったか、まるで分からない。
ただ、突然の空白に狂おしく叫んだ私は、激しく絶望してしまう。
「えっ…?」
間の抜けたようなカズトの声が聞こえる。
でも、知っている。
どう考えても、これをやったのはこいつなのだ。
いつもよりも上手く出来なかったという感じだが、こちらの右手を奪ったのは確かだ。
「何をしたっていうのよ、このクズ、アタシの右手を返しなさいよ、愚図!」
叫びながら、カズトの背中に踵を落とす。
そんな事をしたとしても、何らの解決にもならないのは知っていたが、嗜虐的に彼を痛めつけてやらないと気が済まなかったのだ。
それなのに、痛みを負ったのは、いや、肉体的ではなく、精神的に打撃を被ったのはこちらだった。
今度は、背中に落としてやった右足が奪われた。
無様に転がって距離を取るその姿は惨めだったが、右手と右足を奪われて叫び狂っている自分と比べたら、どちらがマシなのだろうか…。